追跡
。記憶にある彩華のアカウント名を検索したが見つからなかった。違うアカウント名なのか?思い当たるアカウント名やワードで検索してみたが、彩華と思われる女性のアカウントは見つからなかった。当然、彼女の口癖「全力前進!因果応報、色々あるけどなんとかなる!」でも検索しても、それらしきアカウントは一切ヒットしない。
学校だ。彩華の高校や大学名は覚えている。在校生の記録を調べれば見つかるかもしれない。
神田は社会部記者としてのコネクションを駆使し、彼女の母校であるはずの大学と高校の在籍データの入手を試みた。
数日後に「取り扱い厳禁」と書かれたシールが貼られたUSBメモリが届いた。この数日間、そのことばかりが頭から離れず、仕事も手につかなかった。
手元にあるUSBメモリの中に彩華が存在した証拠が入っている。もし、在籍記録がなかったら、いや絶対に記録があるはずだ。両方の感情が入り乱れる中、ノートパソコンにUSBメモリを差し込んだ。
USBメモリの中に2つのファイルが保存されていた。
「〇〇大学.txt」
「△△高校.txt」
震える手で、マウスを操作し、△△高校.txtのファイルを開く。「佐伯 彩華」の名前を検索した。
ヒットした...が、在籍期間の内容がおかしい。
・佐伯 彩華
高校1年生:2005年4月1日 ~ 2006年3月31日
高校2年生:2006年4月1日 ~ 2006年7月18日(死亡による除籍)
死亡による除籍?
どういうことだ。彩華が高2の夏に死亡している?
一気に鼓動が早くなった。全身が震えるなか、大学の在籍記録ファイルを開き彩華の名前を調べた。
だが、結果は非情だった。佐伯 彩華の名前は、どこにもなかった。
目の前の結果と記憶が、こんなにも嚙み合わないことがあるのだろうか。二人で過ごした幸せに満ちた記憶が脳裏に鮮明に残っているにもかかわらず、目の前の事実は、彼女が20年前にこの世を去っていると告げている。
「落ち着け。事故や事件で死亡したなら、アーカイブに死因が記録されているはずだ。」
神田は震える手でキーボードを操作し、検索条件の発生月の欄に2006年7月、被害者名の欄に「佐伯 彩華」と入力する。焦る気持ちを落ち着かせながら、エンターキーを叩く。いつもなら一瞬で検索結果が表示されるが、今回はとても長く感じた。
やっと表示された一文が冷酷な現実を突きつけていた。
【佐伯 彩華(16)7月18日 登校中の交通事故により逝去】
恐る恐る画面に表示されたタイトルをクリックした。画面には当時の地方紙が社会面の隅に載せた、事故報告が画面に展開された。一文字進むごとに、神田の心臓は鋭い針で刺されるように痛んだ。
「7月17日午前7時30分ごろ、県内の市道において、登校中だった高校2年生の佐伯彩華さん(16)が、後ろから進行してきた乗用車にはねられた。現場はガードレールのない、幅員約4メートルの地元の抜け道。近年、カーナビの普及によって車の交通量が一気に増えてきていた道路だった。
事故当時、通勤中の乗用車がスピードを出し過ぎており、緩やかなカーブを曲がりきれずに道路脇を歩行中だった佐伯さんを背後から撥ねた。佐伯さんは全身を強く打ち、搬送先の病院で治療を受けていたが、翌日、死亡が確認された。運転していた男は――」
神田は言葉を失った。少し楽観的に考えていた。別の人生を歩んでいると思い込んでいた。
これは想像を絶する結末だった。
「なぜ、こんなことになったんだ?」
まったく思考が働かない。彩華の死という事実が全ての考えを破壊する。今まで味わったことのない虚無感が神田の全てを支配した。
(――ねぇねぇ、智治、聞いて。)
突然、彩華の鮮明な声が響いた。休日の午後、ソファーで神田の膝に頭を乗せながら、彼女は楽しげに、高校時代の思い出話を語ってくれたことがあった。
「私ね、高校2年生の頃に、交通事故の記事を読んでね、怖くなって通学路を変えたの」と。
その瞬間、すべてのピースが、最悪な形で噛み合った。
2006年4月13日に起きるはずだった三浦紬の事故が、何らかの理由で起こらなかった。
その結果、大滝の記事は世に出ず、彩華がその記事を読むこともなかった。記事を読まなかった彩華は、通学路を変えず、記事の通り2006年7月17日に事故に遭って、翌日、死んだ――。
三浦紬が死ななかったから、彩華が死んだ。そんなSFのような荒唐無稽な話があるはずがない。
自分の脳が、激務の末に本格的に壊れてしまったのではないかという恐怖が、冷たい汗となって背中を伝う。
必死にパニックに陥りそうな理性を、執念でコントロール下に置き直す。
神田はデスクの引き出しから誰も使っていない真っ白な取材ノートを取り出した。ペンを握り、自分の脳内にある「記憶」と、データベースが示す「事実」を、冷徹にノートに書き出し始める。
【脳内にある記憶(仮説A)】
2006年4月:三浦紬、交差点でトラックに撥ねられ死亡。大滝さんが記事を書く。
2006年5月:高校生の佐伯彩華、ネットでその記事を読み、怖くなって通学路を変える。結果、事故に遭わず生存。
2025年:俺と彩華が結婚。共に暮らす。
【データベースの客観的事実(事実B)】
2006年4月:三浦紬の死亡事故は「存在しない」。大滝さんの記事もない。
2006年5月:佐伯彩華、登校中に事故死(通学路を変えなかった)。
2026年:俺は独身。彩華という妻は存在しない。
ノートに並んだ二つのタイムラインを、神田は穴が開くほど凝視した。
もし自分の記憶が間違っているなら、20年前の「佐伯彩華」という、縁もゆかりもないはずの女子高生が死亡した地方の小さな事故データを、ピンポイントで引き当てられるはずがない。今初めて検索して、初めて目にした事実なのだ。
(なぜ、俺は彩華の『通学路を変えた話』を知っていた? なぜ、存在しないはずの三浦紬の事故を記憶している?)
神田は、自分の胸のあたりにそっと手を当てた。
この世界線の自分は、佐伯彩華という女性と一度も言葉を交わしたことはない。彼女は20年前に死んだ、ただの赤の他人だ。
それなのに、脳裏で笑う「彩華」の残像を思い出すたび、胸の奥が締め付けられるように愛おしく、そして切なかった。理屈ではない。記憶の底にこびりついたそのわずかな愛の残照が、彼を突き動かしていた。自分は確かに、彼女を愛していたのだという確信が、冷え切った心を静かに温めていた。
「……なぜ、こんな事が起こった?」
2006年、何らかの理由で「三浦紬が死なないルート」が選択された。
それによって大滝さんの記事が消え、ドミノ倒しのように因果が狂い、彩華が死んだ。そしてさらに20年後――2026年の今、彩華と結婚していたはずの自分の現在が、丸ごと「独身の人生」へと上書きされた。
「そんなことが……現実に起こるのか?」
手元にあるペンが、みしりと音を立てて軋む。
論理と事実だけを信じてきた自分が導き出した「世界の書き換え」という、あまりにも非科学的で狂気的な結論受け入れることを拒んでいた。
世界そのものが変質している。自分を含め全ての人間は、最初からこの「彩華が死んだ世界」に適応し、記憶を上書きされている。だから先輩も、会社のデータも、自分自身も俺を独身だと言うのだ。
ただ、偶然、自分だけが、わずかな違和感から記憶のずれに気づき、非科学的で狂気的な結論にたどり着いた。
2006年4月のあの交差点で、なぜ死ぬはずだった彼女は生き残ったのか。誰が、どのような手段で彼女の運命を変え、世界を変えたのか。
「非科学的」だと切り捨てるのは簡単だ。だが、目の前にある二つの事実は、あまりにも精緻な因果関係の数式として成立してしまっている。
(確かめる方法は、一つしかない)
三浦紬。20年前に死ぬはずだった、その女性が「今もこの世界のどこかで生きているか」どうかだ。
もし彼女が生きていれば、自分の仮説は「狂気」ではなく、この世界の裏側に潜む「冷酷な事実」へと変わる。
神田は、記憶の中にある情報をもとに人名検索エンジンやSNSを網羅的に調べたが、ネット上に「37歳になった三浦紬」の足跡は見つからなかった。
「……なら、直接確かめるだけだ」
彼女が生きているなら、20年前のあの事故現場のすぐ近くにある、あの実家に今もいるはずだ。
その瞳には、すでに迷いも困惑もなかった。
神田はノートパソコンを静かに閉じ、スーツの上着を手に取った。
男は静かに、しかし二度と引き返せない確かな足取りで、真実の待つ地方都市へと向かうため、夜の街へと歩み出した。




