出会う
エミリアは赤ちゃんを抱えて無我夢中で走っていた。
何故か、感情的になってしまい、逃げる必要も無いのにその場を駆け出してしまったことに、憤りを感じていた。
(でも…だって。あのまま、あそこに居たら。
ラファエルから引き離されちゃうかも知れないし…孤児院に行ったら将来この国を滅ぼす皇帝になっちゃうかもだからーー)
心の中で吐露する自分の言葉が、何処か言い訳の様に感じる違和感に、すぐに気がついた。
向かう場所もわからず、ただ、無意識にラファエルを拾った河原へと向かっていた。
将来この国を滅ぼす皇帝になるーーそれが分かっていても、孤児院に入れるかを迷っていたことを思い出す。
自分の状況では将来より、〝今〟生きることすら危うい。己の身さえ、明日どうなるかわからない身の上に等しい。
それなのに、突然降ってきた赤子の世話など、不可能に近い上、ただでさえ伯爵家にとって迷惑な存在となっていることがわかっていたからだ。
初めは、赤ちゃんとの生活をやってみて無理だと判断したら、すぐに孤児院に入れようと思っていた。
(赤ちゃんってすごい。
たった、数日だけなのに……こんなにも情が湧いちゃうなんて。
合理的に考えたら、カイルの言うことは正しい)
(このまま伯爵邸に赤ちゃんを置いて住み続けたら、きっと迷惑をかけることになる。
なのにーー合理的な判断が出来ない…だって不幸な経験をするとわかっている場所へ、ラファエルを渡すことなんか 出来ないよ)
無我夢中で、カイルから逃げる為に全力で走りながら、迷いを断ち切るごとく目をぎゅっと瞑ったときーー
道行く人が大きな声をあげた。
「あぶない!!!」
「キャァー!!」
何ごとかと目を上げると、もの凄い勢いで暴走していた馬車があっという間にエミリアの前に辿り着き、突っ込んでくる。
御者も何とか避けようとして手綱を強く引いているが、馬は前脚を高々と上げて大きく嘶くと、エミリアは馬の影に隠れてしまうほどの近距離で、誰もが間に合わないと感じていた。
次の瞬間、視界が馬の影に覆われた。
「???……」
高く上がった前脚。
振り下ろされる——はずだった。
だが。
「…え?」
蹄は、彼女の目の前で止まっていた。
「???」
「???」
周りの人々が何が起きているのかと疑問を抱きざわめき出したことで、我に返り、今のうちにと横にずれると、馬の前脚はそのまま着地して、落ち着きを取り戻していた。
腕の中に居る赤ちゃんに視線を落とすと、きょるんとしたあどけない表情でエミリアを見上げている。
「今の、ラファエルが?」
赤ちゃんは何食わぬ顔で見つめたまま返事はないけれど、今まで感じていた不自然な出来事や、飛び出てきた絵、フェレ助が脳裏に過ぎった。
呆然としているエミリアの右斜め上から声がかかる。
「申し訳ありませんわ、お怪我はされておりませんこと?」
馬車の小窓が開いており、その内側に居る女性の赤い瞳がこちらへ向いている。
「だ、大丈夫です。馬さんの脚は掠ってもいません!」
片手で握り拳をつくり、訴えかけると、女性は少し間を置く。
「ーー怖い思いをさせてごめんなさいね。
そのお詫びを兼ねて、目的地まで送らせていただきましてよ?」
♢♢♢
「わたくしはイザベラ・カレンシアと申しますわ。イザベラと呼んでください。
貴女は?」
「私は、エミリア・ハルベルクと申します。
では…私もエミリアと、お呼びください」
仔犬になった赤ちゃんが丸くなってやけにおとなしい。そう感じながらもイザベラへ返答を返す。
(カレンシア…聞いたことあるような。確か、三大公爵家の名前がそんなだった様な…え!?じゃあこの方、公爵令嬢とかなの?いや、まさかね。一族の某系にもカレンシア様っているわよね)
「まぁ!貴女があのスケッチブックの絵を描いたエミリア様!?」
歓喜の表情浮かべたイザベラは、簡易的な黒いボックスケースから絵を取り出してスケッチブックを開く。
そこに描かれた既視感のある絵に、エミリアはこくり、と頷いた。
「そうですね。これは、私が描きましたが……
ーーうわっ!?」
勢い良く両手で片手をとられて、キラキラした瞳を向けられる。それまで優雅な姿を見ていただけに、突然距離を縮められて思わず驚いてしまった。
「ごめんなさいーー興奮してしまったわ。
私と同じく、日本からの転生者…しかも、オタ友が出来るとお会いするのを楽しみにしておりましたの」
「日本…オタ友?」
他人の口から聞く懐かしい響きに、数度目を瞬く。
「このスケッチブックに描かれている漫画キャラの数々、わたくしが前世で好きだったもので…一刻も早く貴女とお会いしたかったの。
商人のレオンからまだ話は聞いておりませんか?貴女とわたくしで漫画文化を復活させるため、継続雇用で、絵師として雇いたいと」
「…まだ、聞いてないです。
漫画って…この世界じゃ色々道具がないですから難しいと思いますが」
(絵が誰に売れたのかを聞く前に、逃げ出しちゃったからなぁ…イザベラ様だったのね)
「道具の心配はご無用ですわ!」
胸を張るイザベラは、どこか誇らしげだった。
「わたくし、前世では漫画オタクと言われておりましたの」
「……オタク?」
「ええ。そして今世では、画材を作る天才科学者と言われておりますのよ!」
ブワさぁっと美しい赤髪をはじき、フフンと鼻を鳴らす。
その傍らで、イザベラの隣に座っていた気怠げな従者は、ポツリと「変人科学者の間違いでは…」と呟いていた。
「あら、わたくしの執事ルイ。何かおっしゃりまして?」
「いえ、別に。僕に構わず、お続けください」
そう言って、彼は窓の外へと視線を移した。
「…漫画の材料って、科学知識が必要なんですか?」
エミリアがおろおろしながら聞くと、イザベラは拳を握りこみ、強く頷く。
「勿論です!わたくし前世でコピックを制作している研究員だったのです」
「コピック!私前世でよく使ってました!!新しい色が出るたびすぐに試し書きしたり…科学者の人が作ってたんですね」
(科学者なんて、縁のない世界の人かと思ってたけど、案外身近なものでお世話になってたのね…)
「ふふふふっ。
それは嬉しいことですわね。
わたくしが作った物に触れたことがある人と、同じ世界に転生出来るなんて。まるで運命の出会いのよう…」
扇子で口元を隠しながらも、うっとりと頬を赤らめて笑みを浮かべているのがわかる。
とても嬉しかったのが伝わってきて、エミリアもなんだか嬉しくなってきた。前世で同じ物語で楽しみ、共通の物を介して関わっていたのかと思うと、確かに奇跡の様だと思えてむず痒い。
「わたくし、今世でも色に拘りを持ちながら、コピックを製作したのです。ですから、今度。
是非、貴女に使っていただきたいの」
「え!?今世でコピックなんて作れるのですか?」
今世は中世ヨーロッパほどの画材しか存在しておらず、エミリアが知る最新の画材道具といえばキャンパスと絵の具くらいのものだった。
前世の記憶を持つ誰かが、ペンまで作れたとしても、コピックにまた触れることが出来るなど夢にも思っていなかった。
「ぇえーー長い道のりでしたわ。
何せ文房具500年の時を早めて誕生させたのですから。コピックの凄さをわかってくださる方がいらして、安堵致しました」
ほう、とため息をついて、目を細める。
「500年…いや、科学を知らない私でも、めちゃくちゃ凄いと思いますけど…周りの方の反応は、違うのですか?」
イザベラは、扇子をゆっくり閉じて、赤ちゃんへと視線をやる。
暫くの沈黙の後に、視線を上げて、言葉を紡いだ。
「皆、私がーー爆弾を作るのだと勘違いしていたと、落胆されましたわ」
腕の中にいる仔犬化した赤ちゃんがぴくりと反応している。エミリアは、その小さな背中をさすりながら、首を傾げた。
「爆弾…何でそんな勘違いを?」
「コピックの材料と爆弾の材料はほぼ同じで設備も似たようなものです。
危険なものですから国の研究室を使わせて頂きましたの。
ですから、軍部が勘違いするのもわかりますけれどもーー」
「え!?
コピックと、爆弾て、ほぼ同じ物で出来てるんですか?」
なんて物で色塗りしてたのだろう。恐ろしい…。そう身震いをしているエミリアに、イザベラはクスッと笑う。
「ふふっ。
笑っちゃうでしょう?
厳つい顔のお方々に、研究した品を提出したら、本当に泡を吹いて倒れてしまいましたの」
〝こんな漫画みたいなこと、本当にあるのね〟と言わんばかりに優雅におほほほっと笑い声をあげるイザベラに、腕の中で仔犬化して丸くなっている赤ちゃんがエミリアにしがみついたのがわかった。
(色々私とスケールが違うところで悩んでる方だなぁ。
こんな人が私を雇用したいと言ってくれるなんてーーん?待って。
この人が。
前世で日本人でオタクだったと言うことは、もしかして〝銀狼と聖女〟の小説を知ってるんじゃ)
「あの、もしかして何ですけどーー〝銀狼と聖女〟と言う小説をご存知ですか?」




