129. 花祭り 前編
竜王国第二部隊長であるテオバルト・ヴェルには愛用する魔術がある。
闇属性魔術で《収納》と言い、独自の空間に物をしまい込むことができた。そのためテオバルトは人の目から隠したい事件の資料や証拠品をしまうことが多い。さらに仕事中も邪魔にならないようにと報告書の類もそこにしまっている。
最近その中に赤い表紙の本が入れられた。だがそれは人の目から隠したい物ではなく、テオバルト自身が肌身離さず持ち歩きたい物だった。
白の月初日に開かれる花祭りは春の始まりを知らせるものだが季節柄、祝祭ほど濃い色の花びらは散らない。そして人々も、春先に咲く淡い色味の花を買っては大切な相手に贈ることをしていた。
だがそれら慣習に興味のないテオバルトは、王都中層の広場にあるベンチに座り赤い表紙の本を開かせている。それは数日前にローラン侯爵家2階の書斎で見つけ、正式にシメオン・ローラン侯爵から譲り受けたものでもあった。
花祭りを楽しむ周囲の喧騒など気にもせず、その端正な外見に騒ぐ女性たちも意に介さずテオバルトは本のページをめくる。するとそんな彼の隣に水色のコートをまとった治癒師がやってきた。
「お待たせしました。隊長様のお顔が素晴らしく良いおかげで、探すのに苦労せずに済みましたよ」
「それは何よりだが、その衣類は竜神殿で使われる神職の物だろう。私服ではないのは職務中だからか?」
「そんなわけがないでしょう。わたしは隊長様と違って労働環境は悪くありません。ですが清貧を是としてますので、私服は持てないんですよ」
「それはおかしいな。竜神殿は清貧を是としていても、治癒師への俸給は保証されている。私物を持てないわけがない」
「まあ、確かにそうですね。食と住は竜神殿側が持ってくれますので…でも、わたしのような孤児院出身の者はだいたい一部を孤児院に寄付するんですよ。孤児院はそれで学習用具を買うわけです」
「それで賃金がなくなるわけではないだろう?」
「ええまぁ……」
いつも何事も口にする治癒師が、珍しく視線をそらして言葉を濁す。その反応に眉を寄せたテオバルトは本を閉ざして《収納》に入れた。
そしてそれを目撃した治癒師が驚きに目を見開き、空間に浮かんだ黒い穴を指差す。
「なんですかそれは」
「闇属性魔術だよ。様々なものを入れておける」
「隊長様は本気で凄い方なんですね」
「そんなことはない。これは闇属性魔術の初歩だからな。それより君の俸給について知りたい」
「しかし隊長様、それはここでやることではないですよ。わたしは人生相談のためにあなた様をお誘いしたわけではございません」
「そうだったな。被害者…ではなくラピスラズリと共に花祭りを歩くという話だった」
「待って待って待ってください。隊長様の呼び方がおかしくなっておられる!」
先月発生した殺人未遂事件の被害者の名はマティアス・ローラン。テオバルトはその事件に関連した器物損壊事案の捜査で派遣され、治癒師はマティアスの治癒のため王立学園に行っていた。
正確にはマティアスを救いたいディートハルトが、竜神殿を破壊しながら治癒師を拉致したのだがその辺りは既に不問となっている。
それよりここでの問題はマティアス・ローランをラピスラズリと呼ぶテオバルトにある。
「なぜ隊長様までマティアス君をラピスラズリと呼び始めているのですか」
「それが王立学園の決まりだからだ」
「そんなルールが!? いやなぜです??」
「被害者を守る者はみな、彼をラピスラズリと呼ぶことになっている。だからディートハルト君も彼をラピスラズリと呼んでいる」
「あれは口説いているということではなかったんですね?」
王立学園の男子寮で行われていたディートハルトによる被害者マティアスへの寵愛は、若者ゆえの淡い恋ではなかった。その衝撃の事実に治癒師は素直に驚く。
「ディートハルト君はグレイロード帝国騎士団の魔法兵団に所属している。騎士である彼が簡単に異国人を相手に心を傾けたりしないだろう。それに、同じく近衛騎士団に所属するアニエスという留学生も被害者のことをラピスラズリと呼んでいる」
「なぜそんなことを?」
「資料によれば君は3年前の戦闘実習後に負傷者を治療している。となると本物のラピスラズリも知っているはずだが」
「それはまぁ……あ、なるほど。本物を隠すためにあえてラピスラズリを作り上げたんですね。しかしそうなると件の殺人未遂事件も意味合いが変わってきそうですね」
「そうだな。加害者は妬みも持っていたのだろう。だがそれは済んだ話だ」
「これって済んだ話でした?」
治癒師の問いかけにテオバルトは真顔のまま口を引き結んだ。その反応を見た治癒師は察したようにうなずき顔を背ける。
「今のは聞かなかったことにします」
「申し訳ない。箝口令が敷かれている」
「しかし事件とは別で、隊長様の解雇処分はどうなりました?」
「そちらも延期となった」
「では後々に職を失うことは……あ、そう言えば最近おかしな噂を聞くのですよ。隊長様が、騎士団の副団長であるモーリス・ヴァセラン侯爵様から追いかけ回され口説かれていると。隊長様はそのお綺麗なお顔で副団長様のお心まで奪ってしまわれたんです?」
「それは誤解だ」
「副団長様の心を奪ったところがですか?」
「いや、まず俺の顔の話からおかしい。そして副団長は……おそらく、俺が侯爵を相手にも怯むことなく仕事をする姿勢を評価されて……?」
「つまり職務以外はポンコツな隊長様は、口説かれる理由すら把握していないと」
「毎朝来られても邪魔でしかないから、話を聞くことなくお帰り願っているんだ」
そんな話をしていたテオバルトは、多くの人が行き交う向こうから現れるディートハルトに気づき立ち上がる。あげく治癒師に手を差し出すと、なぜか治癒師は苦々しい顔で手を取り立ち上がった。
その様子を前にしたディートハルトは軽く笑う。だが治癒師が恥じらうのも仕方がないと理解する少年は噴水の方向を指差す。
「あっちにリリたちがいるよ。マティアスが朝からずっとソワソワしてる」
「わかりますよ。今日の隊長様も大変お顔がよろしゅうございますし、何より貴重な私服姿でございますからね。マティアス君も楽しみなのでしょう」
ディートハルトの言葉が理解できた治癒師は、テオバルトから手を離して言い放つ。だがその意味がわからないテオバルトは首を傾ける。
「昨日の彼は命の恩人である治癒師と会うことを楽しみにしていた。俺は関係ない」
「まぁなんにしても、オレはテオバルトさんと会えるのを楽しみにしてたからね。なんか花祭りって、大事な相手に今年の花を贈る日らしいよ? つまりオレがテオバルトさんを口説いて、愛人になる覚悟を持ってもらう日ってことね」
どこまでも己を否定するテオバルトへ、軽い口調で返したのはディートハルトだった。とたんにテオバルトは微笑をこぼして首を横に振る。
「さすがにその覚悟はできない」
「えー、花じゃ駄目なら甘いものとか?」
「そちらは琥珀色の彼女へ与えるべきだよ」
「うーん、リリはわざわざあげなくても自力で買うやつだからなぁ。もったいない気がする」
今更あの幼馴染みに与えてもと苦笑いを浮かべたディートハルトが歩き出す。そのためテオバルトも治癒師と共に後をついていく。
その様子を周囲の女性たちが眺めているのだが、テオバルトだけがそれに気づかない。
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浅く水のはられた噴水の水面には色とりどりの花が浮かべられている。その水に子供が指を入れるたびに、水面に波紋が生まれて花を揺らした。
その光景に背を向けて縁に座るリリは、隣にいるマティアスを見つめていた。
「硬いものはまだあまり食べられないのなら、食べ歩くよりケーキ類が良いのかしら?」
「ぼくはいいよ」
「今日はなにも食べないの?」
「ぼくの甘いものは、もうとなりにいるから」
マティアスのその言葉をリリは瞬時に理解できなかった。いつもどんなことも理解できる彼女の頭がその言葉の真意にたどり着けない。
そうして頭脳が硬直したまま、リリは救いを求めるようにそばに立つアニエスを見上げる。
「わたくしの頭がおかしいわ。マティアスの言葉がわからないの」
「そもそも竜王国における花祭りは新年を祝うためのもの。清らかな心で新たな年の始まりを迎えるイベントで、甘いものを食べるためのものではないんだよ」
「でも街はこんなに華やかに飾られて、みんな楽しそうにしているわ」
「それは個々の受け取り方の問題ではあるけど、総じて花祭りは新たな年の始まり。新たな門出を祝う。マティアスが新たな一歩を踏み出したのは今日この時ではないと思うけど、そういうことだよ」
「どういうことなの??」
アニエスの言いたいことすらわからない。そんなリリは困惑の色を隠さないままマティアスに目を戻した。
「わたくしが砂糖菓子扱いされることを煩わしく思っていることを、マティアスは知っているはずよね?」
「うん。でもそれは、この国ではほめことばだよ。それに、ぼくは、リリが、好きだから。あまい砂糖菓子がいい」
砂糖菓子と言う呼び名は竜王国における最大の賛辞である。それはリリもこれまで王立学園で何度も耳にしてきた。
だがいまこの瞬間のマティアスのその言葉の使い方は、まったく違う意味合いに聞こえる。
そうして答えにたどり着いた瞬間、赤面したリリは混乱したまま勢いよく立ち上がった拍子に体勢を崩した。背中から噴水に倒れたリリは、それを受け止めようとしたマティアスとアニエス共々濡れてしまう。
アニエスは噴水に片足を突っ込んだだけだが、マティアスとリリは噴水の中に尻餅をついている。そうしてずぶ濡れになったリリは、アニエスの手を取り立ち上がった。
その様子を噴水の周囲にいた人間たちは目を奪われたように眺める。
すらりと背の高い少女は、長い琥珀色の髪だけでなく白いワンピースからも水を滴らせていた。その姿はあまりにも清らかで清冽としていて、髪から落ちる滴すらきらめく宝石に見える。
そうして周囲が騒然とする中にやってきたディートハルトは、噴水の中に立つリリを見るなり真剣な顔を見せた。
「3人とも、のどが渇いてるなら言えば良いじゃないか」
「そんなわけがないわ!」
「ふざけていないで手を貸してくれないか」
真顔でふざけるディートハルトにリリは憤然と、アニエスは苦笑とともに言い返す。そんなディートハルトのそばを抜けて、マティアスに手が差し伸べられた。
「おいで」
たとえ私服姿でも、テオバルトのその物腰は騎士そのものである。マティアスが手を添えると強い力で噴水から引き上げてくれた。あげく自身が濡れることも厭わず、マティアスの耳元についた白い花を取り除いては彼に差し出す。
「白い花は清楚な君によく似合うが、濡れたものを髪に飾ることはない。それに琥珀色の君も、水遊びにはまだ時期が早い」
「わかっているわ!」
真っ赤な顔で固まるマティアスに代わってリリが強い声で返した。そんなリリはアニエスの手を借りて噴水の外に出る。
もちろんリリを支えるアニエスは美形騎士そのものに見えて若い少女の目をさらう。だがこの王都で『第二部隊長』を知らない者はいない。
「アニエス君、広場から少し上がった左側に衣服を扱う店がある。琥珀色の彼女はそちらに」
「了解しました。おいでリリ、私が服を選んであげよう」
テオバルトの指示を聞いたアニエスは、騎士らしく速やかに行動に移る。そうして観衆の視線を集めるリリが去っていくとテオバルトはポケットから白い手袋を取り出してはめた。
「水に濡れる君もわんぱくで良いが、風邪を引かせるわけにはいかないな」
「じゃあマティアスもどっかの服屋さんに行かなきゃだな。その前に髪とかびっしょりでわんぱく可愛いし、このまま海で遊ぶ?」
「かぜひいちゃう」
ディートハルトがにこやかに冗談を飛ばせば、マティアスが楽しげな顔で返す。
そんな少年たちの前でテオバルトは緑と赤色の魔力の糸を出して紫を基軸に絡めた。そうして簡単に編まれた紋様はすぐさま魔術として発動する。
たちまちに温風がマティアスの足元から吹き上がり、つま先から頭の先まで乾かすように水分を空に飛ばした。
その突風の残り香を受けるように白金の前髪を揺らせたテオバルトは、何事もないように手袋をはずす。
「これでいいな」
「それ、さっきのリリには使えなかった感じ?」
「令嬢の裾を風で巻き上げる事はできないだろう」
「なるほど。さすがオレのテオバルトさん」
ディートハルトが大人の気遣いだと喜ぶそばで、マティアスも赤らんだ顔でうなずく。だが治癒師はその魔法に首を傾げて、「それは生活魔法のようなものでしょうか」と言い出した。
たちまちにテオバルトはそういうものは無いと返す。
「言語魔法は単属性の攻撃と防御が基本で、この手のものは無い。それよりここは人が多いから合流できたところで移動しよう。君たちはどこへ行きたい?」
「えー、リリがいないから菓子とかでもなくなるし…。シルヴァンさんどっか行きたいとこある?」
マティアスもディートハルトも、花祭りにはテオバルトたちにお礼をするために来ている。そのためそれ以外の行き先もなく、リリがいなくては決められない。
そのため問いかけた先で問われた治癒師が難しい顔で周囲を見た。
「わたしは欲しいものもありませんし、そもそも商業地区に来ることもないのでなんとも」
「あー…なんかわかる。帝国の大神官様もそんな感じで世間知らずだわ。シルヴァンさんの今日の服が竜神殿の服なのももう大神官様と似てる」
「ディートハルト君、わたしのような底辺治癒師とそんな偉い方と同列に語ってはだめですよ。きっとその方は心の底から清貧を極めておられるんです」
「じゃあシルヴァンさんは?」
「わたしは孤児院出身なので、元々遊びを知らないんですよ」
「なるほど。つまりシルヴァンさんをオレ色に染めるチャンスってことだ」
「知らないなら、知ればいいもんね」
ディートハルトの独特な言い回しに、マティアスも楽しげな顔で同意する。その様子を見たテオバルトも真面目な顔を治癒師へ向けた。
「では服飾店だな」
「それはおかしい! 皆で楽しむのではなくわたしの買い物になってますよ!」
「ディートハルト君の色に染めるとはそういうことだ。彼はずっとビタン王国の言葉で我々を引っ掛けようとしているからな」
「とんでもない策略家じゃないですか!」
相手は子供と油断していた治癒師が目を向けた先でディートハルトは「バレてたか」と笑っている。そしてマティアスは感心そうにさすがだねと声をかけているが治癒師は譲れない。
「衣服を買うお金を持っていません」
「俺が持っているから問題ない」
「いやいやそういうことではありませんよ」
「つまり、俺が購入したものは受け取れない…」
「ことはないです。そんなことではないです」
申し訳ないから遠慮しているのだと言いたいのに、テオバルトはいつものように理解しない。
「ですが申し訳ないと言いたいのです。わたしは隊長様に返せるものを持っていないので」
これは竜神殿で言われる『清貧』とは関係ない人として重要なことだと、治癒師は思っていた。俸給の管理もしていない自分でも誰かからほどこしを受けたいとは思わない。こちらは治癒師として働き自立した人間なのだ。
そう考える治癒師の目の前で、テオバルトはなぜか不思議そうな顔を見せる。
「君がその身体で返せば良いだけだろう?」
「はい!?」
「ちゆのうりょくっ」
テオバルトの発言に顔を赤らめた治癒師のそばで、マティアスが速やかに言葉を出した。
「治癒、能力は、貴重、なので、奉仕で、返すと、言いたい。ておばるとさん」
「あー……確かに、テオバルトさんそういうこと言うよね。こっちの国だと神官多いけど、他国はそこまでじゃないし。貴重だからね」
マティアスに引き続きディートハルトも納得した姿を見せたので、問題が解決したと認識したテオバルトは服飾店へ向かった。




