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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
高等部1年
136/165

128. 学生のあるべき姿

 9つの侯爵家による話し合いの後、アンベール侯爵は爵位剥奪の後に投獄。ルヴランシュ侯爵は爵位剥奪処分となった。

 もちろん殺人未遂事件の実行犯と共犯者であるオリヴィエ・アンベールとシェルマン・ルヴランシュは侯爵位の継承権を剥奪。


 それら処分は竜王国王城にて竜王陛下代理であるカイン・ブレストンの名において決定された。

 だがこれらは7ヶ月後の炎の月まで極秘扱いとされる。


 かくして事件が解決する中で、既に解雇処分の辞令が出され、同時にそれも延期となった第二部隊長の執務室に毎朝客人が現れるようになった。

 青い竜の紋章を付けた大柄な騎士の名はモーリス・ヴァセラン。竜王国騎士団の副団長であり、青の部隊を率いる隊長も兼任する侯爵だ。


「必要なのは相互理解だと思っている! 少しでいいから語り合おう!」

「申し訳ありません、職務がありますので」


 毎朝執務室に駆け込んでは地声なのだろう大きな声で「話し合いたい」と唱え続ける。騎士団No.2が『雑用係』である第二部隊長を追いかけ回しているという噂はまたたく間に周囲へ流れた。


「職務は後でもできるじゃないか! これは君の将来に関わる話だ」

「貴殿はご存知ないようですが、我が第二部隊は王都下層の治安維持を担当しております。その職務は多岐にわたり、書類整理の後に王立学園へ行き状況把握をし、その後にまたここへ戻り新たに届いた書類の処理、その後で王都下層の見回りもある。常日頃部隊の騎士たちは深夜に及ぶ職務を行ってくれているのですが、貴殿のおっしゃる『後で』とは、一体いつのことですか? 雑用係である第二部隊長は朝まで働けば良いから自分の話を聞けとのご命令か?」


 真顔のまま淡々と語る第二部隊長に、騎士団の副団長は慌てふためいた。


「待て待て待て! 君の労働時間はどうなってるんだ! 職務時間外の労働は規律違反だぞ!」

「ただし第二部隊は例外、と規律にあります。つまり貴殿は、管理職にも関わらず騎士団規律も把握せず、さらに下位貴族や平民からなるこの第二部隊の現状もご存知ない。恐ろしいのはそのような無能であっても管理職につける血統主義でしょうか」

「わかった。すまない。前から思っていたが君の言葉は刺さりすぎる。シメオンみたいじゃないか」

「お褒めの言葉ありがとうございます」


 地声の大きい副団長の声は、開け放たれたままの扉の外へ簡単に飛んでいく。


「ご理解いただけてなによりです。お出口はあちらに」

「待ってくれ。ちなみに明日は休みだろうか」

「はい。明日は休みを取りたいと考えているので、速やかに仕事を片付けようとしています」

「ああ、だから昨日よりも攻撃力が強いのか…」

「お出口はあちらです」

「では! 明日おれに時間をくれないか! なんなら我が家へ」

「お断りします。そしてお出口はあちらです」


 無礼を承知で繰り返し告げる第二部隊長に副団長は大きな背中を丸めて去っていく。そしてその様子を廊下から覗き見ていた騎士たちは、噂は真実だと知り仲間へ知らせるべく走り去った。


 そうして静けさを取り戻した執務室で、第二部隊長のテオバルト・ヴェルは大きなため息を吐き出した。




 先日までは事件捜査のためだったが、今は正式に巡回という職務を得た。もちろんそれは王立学園内における竜王国騎士団の好感度と知名度向上のためだ。

 だが上の思案などどうでも良いテオバルトは、今まで通り昼には王立学園へ通っていた。ただこの2日間は帝国騎士のロイスに捕まり質問攻めにあっている。


「王都下層って港地区と住宅区で別れてるよね? あれって治安維持してる側は分けて管理してるの? アルマート公国だと街と港は分けてるよね」

「竜王国騎士団の第二部隊は人員が少ないから、そこを分けて管理することはできない。だから各地点の詰め所に衛兵を配置して、騎士が巡回する形で落ち着いた」

「それはテオバルト君の提案で?」

「試行錯誤の結果だな」

「なるほどねぇ……。と言うか、帝国の第四部団は街の子供たちの憧れじゃない? 多くの子供たちは街の詰め所にいる騎士に憧れて騎士団を目指すっていう。竜王国騎士団にはそういうのはないの?」

「この国の騎士団はそこまで門戸が開かれてないな」

「えー、人員不足なのに?」

「王がいない弊害だと思ってる。決定権を持つ人間がいないから政治が停滞して何も進まない。政務長官は優秀だが、侯爵ゆえの地位であるため努力しなくても失職しない」


 テオバルトが真面目にそう評価するそばでアドリエンヌがフォークの手を止めた。


「それは聞き捨てなりませんわ。わたしの父が無能だと言っているようではありませんか」


 昼の食堂に広がる優雅で暖かな空気がアドリエンヌの言葉によって凍りつく。ミリュエルが楽しげに始まったと笑うそばで、アナベルも難しい顔をする。


「無能ではなく努力が足りない。その言葉はあながち間違いではないわ」

「アナベルまで!」

「いいえ、これは責めているのではないの。この国の制度の問題なのよ。テオバルトさんの言葉は事実で、現状では政治や治安を預かる者は努力を求められないのよ」

「そうよね。誰が無能かと言うと、騎士団のトップがってなるものね。オーブリー侯は管轄外のことに手を伸ばす努力をしていないだけなのよ。ご多忙だから仕方ないことではあるけれど」


 アドリエンヌとアナベルがぶつかったところで、ミリュエルがどちらの肩も持つような意見を出す。とたんにふたりは考えながらも確かにとうなずいた。

 政務長官であるオーブリー侯爵が多忙であることは誰もが知ることだからだ。


「そもそもロイス様のお国が駄目なのではない?」


 そこでミリュエルは美麗の笑みとともに矛先を帝国騎士服のロイスへ向けた。その瞬間にディートハルトが目を丸め、アニエスが苦笑を浮かべる。

 そんな中でロイスは目を瞬かせてミリュエルを見た。


「グレイロード帝国が駄目なの?」

「だってあんなに素敵で聡明で色気があって素敵過ぎる宰相閣下がおられるのよ? もう無敵だわ」


 唐突に帝国宰相を褒め称えたミリュエルにロイスが笑った。


「確かにそうだよね。ローティスは本当になんでもできちゃうから、十将軍も楽してるかも」

「建国王陛下なんてたくさん助けられているのではないかしら?」

「確かに、ロイトヒュウズは1番に助けられてるね。その状況と比べれば、実質的な王のいないこの国のトップである政務長官は大変だ」

「そうよね。オーブリー侯爵閣下は能力のある方だけど、できることには限度があるわ。そしてテオバルトさんのおっしゃる問題って、権威主義と血統主義のことなのよ。その2つが門戸を狭めるからいけないのだけど、誰もそれを変えないから」

「それは歴史と伝統を持つ国ならではの弊害だね」

「そしてそれを壊せるのは、グレイロードの宰相閣下くらいなのよ。ロイス様は自慢して良いわよ。あとね、わたしは思うのだけど、テオバルトさんも仕事をし過ぎなのよ」


 不意打ちのように矛先を変えたミリュエルに、テオバルトは白身魚を切る手を止めた。


「俺が?」

「自己評価が低いのはわかるけれど、テオバルトさんは無自覚なだけの有能よ。でもそんなあなたが何でも解決してしまうと、当たり前だけど王都下層で起きた問題は表沙汰にならないし上にも届かないのよ。その前にあなたが片付けてしまうから」

「……確かに、第二部隊で完結してしまうからな」

「ね? だからテオバルトさんはたまにサボったほうが良いわ。そして美味しいスイーツのお店を開拓したら、わたしたちに教えて下さいな」


 これで完璧ねと微笑むミリュエルに、テオバルトも小さく笑いながら同意した。


「だが被害者……ではなく、マティアス君が戻ったのだから餌付けはいらない気がしているが」


 開拓はするがそろそろ土産は必要なくなる。毎日律儀にスイーツを持参しているテオバルトの言葉にリリのフォークが止まった。


「それはおかしいのではないかしら。わたくしに貢ぐことを生き甲斐に思うべきところを、もういらないだなんて」

「テオバルトさんはいつからリリの下僕になったんだ。甘いものが絡むとモンスターになるのやめようぜ」

「ディーはお黙りなさい。これはわたくしが王都のスイーツを味わえるかどうかという瀬戸際の戦いなのよ」

「オレには恐喝に見えるけどなぁ」


 リリに黙れと言われたディートハルトは苦笑いとともに隣にいるアニエスを見た。


「これは止めるべきな気がしてる」

「うーん、ここでの問題は恐喝かどうかではなく、リリがマティアスではなくディートハルト殿に餌付けを求めている点だと思うんだ」


 マティアスが楽しげな笑顔を見せる中で、アニエスは問題の本質をついてくる。そしてその指摘を向けられたリリは目を見開いて口を引き結んだ。

 そうしてリリが目を向けたのは隣に座るロイスなのだが、この中の最年長である彼は味方にならなかった。


「今回はリリが良くないよ。甘いものがあるなら誰彼構わず食いつくなんて、淑女としてあるまじき品性下劣な行為だから」

「ひぇ」


 にこやかな顔で厳しすぎる事を言うロイスに、ディートハルトが悲鳴をあげた。おそらく彼もここまでリリが責められるとは思わなかったのだろう。

 そしてそんなディートハルトを一瞥しつつも、ロイスは言葉を止めない。


「ねぇ、リリ? 君はこの国に何のために来てるんだっけ?」

「留学…です。学ぶために」

「そうだよね? けっして異国の騎士にスイーツをたかるためではないよね? しかも君、ラディウスに言ったんでしょ? エーム大陸の菓子を教えてくれた人だって。それは確実に7歳の君がうちの息子を殴った案件に触れるけど、その抜け駆けは許されるのかな」

「おかしいですわ。アウグスティーンは求婚だけれど、わたくしはスイーツしか求めていないのに」

「この国では、異性に食べ物をたかる行為は品性下劣なオンナのすることじゃなかったかな? それは求婚よりたちが悪いと思うけど?」


 ロイスの攻撃に耐えられなくなったリリは、真っ赤な顔で口をすぼめて頬を膨らませる。そしてロイスはそんなリリの反応すら軽く笑い飛ばす。

 そこでそれまで黙っていたテオバルトが口を開いた。


「だがロイス殿、この餌付けは俺が始めたことだ。そしてどのような国でも、努力した子供の成果を認め褒美を与える行為は悪とはならない」

「なるほどね。テオバルト君からしたらリリは子供なんだね」

「だから俺は餌付けだと言っている。琥珀色の彼女は、被害者が傷つけられた日からずっと己と戦い続けた。そして俺はそんな彼女を労い続けた。ただ、ロイス殿が言う通り、ここから先に労うのは被害者の役目だ。ああ、違う。被害者ではなくマティアスだ」


 事件から10日近く被害者と呼んでいたため、呼び変えるのに苦心している。そんなテオバルトは訂正した後にマティアスへ短く謝罪した。


「それに、何を食べても砂の味しかしない俺にとって、何でも美味しそうに食べる彼らは見ていて学びになる。竜王国にとって異性を食事に誘うのは、確かに下品な行為だ。だがどうか許して欲しい。俺は彼らと同席することで人が本来あるべき姿というものを学んでいる」

「ちなみに砂の味って美味しい?」

「いや、味がしないからそう言っている。食感そのものは砂とは違う」

「そうなんだね。それで、普通の人の反応を見て学んで、テオバルト君はどうするの?」

「真似を続ければまともになれる気がしている。今の俺も騎士の姿を模倣した結果だからな」

「なるほどね。君は教科書に餌付けしてたんだ。だけどこの国の悪習をマティアス君に誤解され、彼を傷つけるのは忍びないんだね?」

「そうなる」

「つまりテオバルト君は、マティアス君のことを最も大事にしていると」

「ああ、彼はまだ本調子ではないからな」


 騎士として守るべき相手だと認識しているテオバルトに、ロイスはそれならと笑顔で指をひとつ立てた。


「ここ王立学園のルールなんだけどね。マティアス君を守る人は、マティアス君のことをラピスラズリって呼ばないといけないんだ」


 笑顔で嘘を言い出したロイスに一同が驚き目を見張る。だがそうして皆が目を向けた先で、テオバルトもまた驚いた顔を見せていた。


「そうだったのか。それは知らなかったな」

「まあ、今回の場合は本人が寮の部屋にいたからね。でもうちのアニエスもディートハルトも、ルールを守ってマティアス君のことをラピスラズリと呼んでるよ。ぶっちゃけてしまえば、それは本物のラピスラズリを隠す目的で生まれたんだけどね」

「確かに、本物から目をそらすにはちょうど良い愛らしさだからな。俺もこれからは彼のことをラピスラズリと呼ぶことにしよう。だが琥珀色の彼女への餌付けは辞めるべきか続けて良いか……ロイス殿はどう思う?」

「幸いなことにマティアス君は、テオバルト君のことを信頼し尊敬もしてる。その状況で君が何をリリに与えても彼は困らないよ。ただだからとリリがそれを請うことを、オレが許せないだけで」


 下品だからね。そう許さない理由を正直に告げたロイスは、他の令嬢たちにも目を向けた。


「留学生って、その国の代表とも言える存在だよね。その留学生のものの見方や価値観、言動を見ながら相手の母国を連想するわけだから。その点でアニエスもディートハルトもよくやってる。だけどリリは気をつけるんだよ。最後にすべてを明るみとした時に、君自身の名に傷がつかないように」

「わかりました。でもテオバルトさんから贈られた善意を受け取るのはよろしいですわよね?」


 ロイスの意見は理解した。だがスイーツを貰えるなら貰いたい。その部分を曲げないリリにロイスは仕方ないなぁと笑った。




 食後のアニエスとディートハルトは、観客の集まる中庭でトレーニングをするのが日課となっていた。ただ最近は、その観客たちの視線の多くが竜王国騎士に向けられている。


 だが一方で、アドリエンヌたちは生徒会室に集まり仕事をこなすことが増えていた。最近までは音楽祭の準備をして、これからは戦闘実習の準備に入る。戦闘実習の場合は主に参加者の確認や馬車の手配が必要となった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 昼休みの生徒会室には生徒会長のアドリエンヌだけでなく、オリヴィエ・アンベールとシェルマン・ルヴランシュがいる。

 ソファに並び座る男子生徒ふたりの向かい側に座るアドリエンヌは、真面目な顔で書類をテーブルに置く。そんな彼女の後方ではリゼットがお茶を入れていた。


 生徒会室にリゼットしかいないのは、オリヴィエが他3人の介入を許さなかったからだ。


 オリヴィエは、リゼットが慣れた様子で3人分のお茶を入れるのを目にしつつ書類を手にする。それは王立学園から出された爆破事故の詳細だった。

 書類の中身に目を通したオリヴィエは顔をしかめる。


「なんだこれは。僕に対する殺人未遂がないじゃないか」

「それを言い出せばマティアス・ローランに対する殺人未遂も表沙汰になります。それを踏まえて王立学園としては『爆破事故』で片付けることになりました」


 素直に怒るオリヴィエへアドリエンヌは冷静に返す。そのそばでシェルマンが、オリヴィエの手にある書類を見た。


「すべて無かったことにする、ということか?」

「そうするしかないでしょう。侯爵家子息同士による殺人未遂事件などと前代未聞ですから」

「つまりオリヴィエも僕も無罪ということだな」

「もしかしたら我々が卒業した後に、成人として何かしらあるかもしれません。この学園の外でどのように扱われているのかわかりませんから」


 シェルマンの確認するような問いかけに、アドリエンヌは言葉を選びつつ答えた。

 アドリエンヌは事件の顛末をすべて知っている。だがそれを外に出すことはできない。親しいわけではないけれど幼馴染みであるふたりの子息だが、既に彼らは挽回できない状況になっている。


 そんなアドリエンヌの言葉に、シェルマンは思案顔で確かにとつぶやく。


「無責任に騒ぐ下位の者たちも、侯爵になれば黙らせられるけどそれまではうるさそうだからな」

「そもそも未来の侯爵である僕たちに対する無礼は許されることじゃないだろう。おまえもだぞアドリエンヌ」


 唐突に名を呼ばれたアドリエンヌは、驚きの目でオリヴィエを見た。


「わたしは今回の事について何も言っていないわ」

「そうじゃない。爵位も継げないオンナのくせに、僕たちに逆らい卑怯な手段でSクラスになった。その悪行を僕たちは知ってるからな。今回はおとなしくしているようだが、僕はおまえを信用していない」

「でもあなた、男を立てるという言葉は怠惰の言い訳だと言っていたでしょう」


 唐突に昨年のクラス替えの話を持ち出されたアドリエンヌは呆れてしまう。だがそんなアドリエンヌの態度にオリヴィエは激高しテーブルを殴りつけた。


「そういうところだぞ!」


 怒鳴りつけるオリヴィエにアドリエンヌは愁眉を潜める。だがタイミング良くリゼットがお茶を出してくれたので、芳しいそれを飲むことで心を落ち着けることができた。

 その間もオリヴィエは苛立ちを隠せない様子を見せる。


「そもそもおまえはセシーに対する態度も悪いらしいじゃないか。彼女は次代の女王だと言うのに」

「それは竜王陛下に対する不敬よ」

「だからおまえはバカなんだ。天が陛下をふさわしくないと思われた。だからかつて竜の巫女が現れ、さらに巫女という人間の腹からカイン・ブレストンという竜が生まれた。それはこの国の歴史にもある王の代替機能だ。そしていま現在その娘であるセシーがあの色彩を持って存在する。それこそが天啓なんだろうに、なぜそんなこともわからない。筆頭侯爵家の娘だと言うのに」


 まくしたてるように責められたアドリエンヌは素直に驚いた。

 オリヴィエはただ恋に溺れているのではなく、そして魔女の妙薬に思考を捕らわれているのでもない。本気であの水色頭の下級生を本物だと信じているらしい。


「確認のために聞いても良いかしら。その方は、自分のことを未来の女王だと言っているの?」


 慎重に問いかけるアドリエンヌの目の前で、オリヴィエとシェルマンは顔を見合わせる。そしてふたりともに笑い、シェルマンがあり得ないと言い出した。


「慎ましい彼女がそんなことを言うわけがない」

「まったくだ。セシーは王立学園の生徒として真面目に過ごしている。ただ優しい彼女はこの国を憂い、卑劣なおまえたちの言動に心を痛めているだけだ。筆頭侯爵家の娘であるというだけの無価値なオンナでしかないのに、人を見下し踏みつけるおまえたちをな。だいたい……おまえたちがそんな態度だから悪いんじゃないか」

「何が悪いと言うの?」

「おまえたちがそんなだから、マティアスが調子に乗る。侯爵になれないスペアの分際で、己に価値があると勘違いする。僕はあの勘違いした落ちこぼれを躾けてやろうとしただけだ」

「まぁ……だから紳士の社会的地位を失わせる行為をしようとしたり、殺人未遂までしたの?」

「そもそもスペアごときに社会的地位なんてないだろうが。侯爵家が必要とするのは後継者である長男ただひとりだ。それより下の男なんて、家を出て騎士になるか婿に入るしかないだけの存在じゃないか。マティアスだってそうだ。ベルナールがいるのだからあいつは必要ない。それに、あいつが生意気な態度をとらなければ、将来的にこの僕の愛妾にしてやっても良かったんだ。なのにあいつは……」


 文句が止まらないオリヴィエの目の前で、アドリエンヌは不快感を隠しながら紅茶を飲む。そうして探り見れば、シェルマンも何かに同意したようにうなずいていた。


「確かにマティアスは、顔は良いからな。セシー以外の女性に触れる気にもならないが、マティアスなら許せるか…」

「そもそもオンナじゃないんだから、浮気でもなんでもないからな。それにあれでも侯爵家のはしくれだ。下賤な生まれに触れるよりよっぽど良い。それになにより子ができない。後継者問題も発生しない便利なはけ口だ」

「オリヴィエは賢いな。そこまで考えていなかった。ああ、でもオリヴィエ。こんなことを箱入り令嬢に聞かせることじゃないよ」

「そうか。そうだな。それにそもそも僕は無罪だとわかったんだから、ここにいる必要もない」


 ここに来た目的は終えたのだから、生徒会室にいる必要がない。そう告げるオリヴィエは冷めかけた紅茶を一気に飲み干した。


「リゼット・デュムーリエ。おまえは地味で存在感はないが、お茶はうまい。卒業後はアンベール侯爵家の侍女になると良い。僕が父に言ってやる」


 おそらくそれはオリヴィエなりの賛辞なのだろう。リゼットへ向けて言い放つと、シェルマンと共に生徒会室を出ていく。


 そうして侯爵家子息ふたりが出ていくのを見送ったアドリエンヌは大きなため息を吐き出した。そうして向かい側に手を向けてリゼットに座るよううながす。


「そばにいてくれてありがとう、リゼット。こんなもの、わたし独りでは抱えきれないわ」


 アドリエンヌは自分の前に置かれた紅茶のカップを手にすると、その縁に指を滑らせる。そんなアドリエンヌの周囲に軽やかな風が流れてどこからか花の香りが届く。

 そのため前へ目を向けると、リゼットが窓を開けていた。


「人でも何でも、愛を知るから他者を思いやれるものよね。いまのアドリエンヌがそう。優しいあなたは、幼馴染みを心配して心を痛めるの。違う?」

「違わないわ。あんな人たちでも幼馴染みだからって心配してしまう。でもそれはマティアスに申し訳ないことでもあるし、何より……」


 言葉を途切らせたアドリエンヌの脳裏に可愛い後輩が浮かぶ。高等部1年生となり外見も中身も成長した砂糖菓子だが、その甘さも強さも12歳の初めて会った頃から変わらない。


 そんな可愛い後輩は、マティアスが復学するまでの8日間この生徒会室で泣いていたのだ。

 けれど涙の理由は悲しいのでもつらいのでもない。彼女はオリヴィエたちを殺したいという竜の衝動と戦い続けていた。その反動で生理的な涙がでてしまうのだと、彼女自身が言っていた。


 どんな色の竜も、その内に破壊衝動を持つ。だが竜の多くはその高い理性により衝動を抑え生きている。

 だがあの砂糖菓子は、彼女自身が言う通り生まれて15年しか経っていない幼すぎる雛だった。だからどれほど努力しても衝動を隠せるほどの高い理性を持てない。

 そんな彼女が毎日のようにこの部屋で涙を流しながら衝動と戦ったのだ。


 だというのに自分は幼い頃の思い出に捕らわれて、オリヴィエたちを心配してしまう。


「オリヴィエの言うとおりかもしれないわ。わたしは爵位も継げない女だというのに、場をかき回すだけの愚か者。だからこんな事態を招いて」

「そんなあなたがいたから未来が変わったのよ」


 アドリエンヌがこぼした愚痴めいた言葉は、不可解な言葉にかき消される。そうして前に目を向けると、いつの間にかそこにきらめく虹色のような瞳があった。

 この学園では聴願士として知られる藍色のワンピースとブーケをまとった彼女は、同性のアドリエンヌでも見惚れるほどの美しさを持つ。


「私は1000年かけて大陸滅亡の未来を変えようとした。でもその1000年は、14年しか生きていなかったあなたの行動には及ばない。あの日あの時に、独り歩く中等部1年生を呼び止めて声をかけた。そんなあなたのまっすぐな愛が、砂糖菓子さんの心に届いた。だから闇竜が現れたあの時に、帝国騎士団が現れたの。すべてあなたのおかげよ」

「でも……」

「あなたの愛がこの国の竜と、大陸そのものを救ったのよ。そんなことは侯爵閣下にもできないわ」

「でも!」


 アドリエンヌは筆頭侯爵家の娘として完璧であろうと生きてきた。そんな彼女を世間は完璧な令嬢と呼ぶが、アドリエンヌ自身はそれを受け入れたことがない。

 なぜなら自分は至らないと、オリヴィエに言われるまでもなくわかっているからだ。


「人は魔族と違って独りで生きていけない。だからあなたのような子が必要なのよ」

「わたしはベルナールのように強くも賢くもないの」

「誰よりも優しいあなたは別の方法で人を救えるわ」

「アナベルやブリジットのように賢くもない」

「あなたは他者の意見を聞ける人よ」

「ミリュエルのような理解力も聡明さもなければ、機転もきかない」

「ええ、彼女ほどの子があなたを慕うって素晴らしいことよ」

「わたしは」

「私はずっとあなたを愛しているわ。リトル・プリンセス」


 それはアドリエンヌの中に巣食った罪悪感も失望も自己嫌悪も何もかもを破壊するものだった。だから模擬神殿の聴願士は、何よりも根強い支持があるのだろう。

 けれどもアドリエンヌはこぼれる涙を止められない。

 リリのように戦ったのでも、マティアスのように恐怖や痛みを受けたのでもない。ディートハルトのように大人たちを動かすこともしていない。アニエスのように不安がる生徒たちの心を守ることもしていない。

 何もできていない自分を責めるその気持ちが解けるように涙となってこぼれ落ちてしまう。





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