119.受け継がれるもの
朝の仕事を終えて王城へ戻ったテオバルトの前方から、緩やかな金髪を揺らして若者が走ってくる。
それに気付いたテオバルトは足を止めて自然と足に力を入れた。すると若者は走ってくる勢いのままテオバルトの身体に飛び込み抱き締めてくる。
「おはようございます、朝からテオ様に会えるなんてなんという奇跡だろう。テオ様はいまご出勤ですか?」
いまこの瞬間は理性を捨てたように甘えてくる若者の名はユルリーシュ。知性の家であるデュフール侯爵家の長男で、本人もこの国有数の聡明さを持つ。
だが幼い頃からテオバルトを見つけると突撃してくる謎の習性の持ち主だった。
「ああ、これから城で仕事をと思っていた」
以前、夜明け前から港に赴き仕事をしていると素直に告げたところ激怒された。そのため朝の仕事について触れずに話せばユルリーシュも安堵したような顔を見せる。
「良かった。就業問題が解決したんですね。もしこれで解決しないなら騎士団長もろとも解雇してまわるところでした」
「俺は第二部隊長なのだから、他の騎士より仕事が多いのは仕方ないことだ。その騎士団長も、その部分は苦々しく思っていると思うぞ」
「まぁ確かに近年は、港の拡張により船が増えたことで犯罪も増加しているらしいですからね。第二部隊以外も多忙だと聞いています」
「そうだろう。俺だけが大変というわけじゃないのだから、過度の干渉は良くない。おそらくその騎士団長も人員の配分に悩んでおられるだろうから」
テオバルトは真顔で思ってもいないことを口にしながら、ユルリーシュの肩をつかみ離れさせた。するとユルリーシュは「棒読み過ぎる」とつぶやきつつ半歩引き下がる。
「ところでテオ様、最近はお昼にお見かけしませんね。一緒に昼食をと執務室に行きましてもお会いできなくて」
「5日前から事件捜査のために王立学園に通っている。昼前から夕方まで学園内にいるよ」
「その時期ですと、王立学園内で爆破事故があったとか聞きました。ああ、シェルマン君から僕宛に手紙も来てましたよ。オリヴィエ君が何者かに襲われたと。国家反逆罪が適用されるかと問うものだったのでありえないと返しました。我々は爵位を継ぐまではなんの爵位も持たない子供だという自覚がないようですね」
「足りないのは自覚なのか知識なのか。その辺りはわからないが、爆破事故ではないよ。オリヴィエ君がマティアス君を殺しかけた殺人未遂事件だ。爆破と言われているものは、魔法武具で壁を破壊してマティアス君を救出した時のものだね」
「なるほど。そちらのほうが納得がいきます」
「納得するのか」
ただの爆破事故より殺人未遂のほうが物騒なのに、ユルリーシュはそちらを納得できるらしい。つまり彼の認識の中でもオリヴィエ・アンベールはそういう事をする男なのだろう。
そう考えるテオバルトはふと肩掛けカバンから紐で綴じた報告書を取り出してユルリーシュに渡した。
「これを読んでみてくれ。俺が把握した事件の全容と、アンベール侯爵が息子を被害者にしようと脅しに来たことが書いてある」
「アンベール侯爵と会ったんですか? それで、テオ様は……」
「アルマンだと思われた」
「なぜです? アルマン様とテオ様では年齢が合わなさ過ぎるのに」
「記憶にないのだろう。それより報告書を読んでみておかしいところがあれば教えてくれ」
仕事に向かいたいテオバルトは、ユルリーシュの肩を叩きその場を立ち去った。これから山と積まれた書類と格闘し、速やかに王立学園へ向かいたい。
そうして昼前にたどり着けたなら、昨日泣かせてしまったあの被害者に再度謝罪をしたい。その上で今日はなにか楽しい話題をとテオバルトは考えていた。
青いマントを揺らして立ち去る幼馴染みを見送ったユルリーシュ・デュフールは、独りになった瞬間に笑顔を消した。
「怪我をしている様子はない。騎士団服に少しの汚れもない。なのになぜ血の匂いがする?」
理解できない状況に眉を寄せたユルリーシュは、己の執務室に戻るべく歩き出す。そうして自分の足元に目を落として、靴を見つめた。
昨夜あるいは今朝のテオバルトは大量の血を踏んだか、飛び散る血が靴に付くような状況にあった。そうだとしても彼の服が汚れていないのは、彼自身が相応の実力者だからだ。
なにせテオバルトは、ユルリーシュが知る限りで最高の魔術師なのだ。少なくとも竜王国にいた頃のテオバルトはそうだった。
ベルナールが生まれるより前。あるいはベルナールが赤子だった頃、ユルリーシュが知る限り最も神童に近かったのはテオバルトだ。
ただ彼のその才能に大人たちは気づかなかった。
ベルナール・ローラン含め、過去この国で神童や奇跡の天才と呼ばれていたのは全員が家を継ぐべき長男だった。それは大人たちが長男しか見てこなかったという証拠であるとユルリーシュは考えている。
現にかつての竜王国の大人はテオバルトという天才の存在に気づかなかった。
あげくアンベール侯爵家の後継者による弟潰しを放置したから、天才は出奔してしまっているのだ。
だがだからこそ4年前にその天才と再会した際のユルリーシュは心から喜んだ。だがその喜びはその日のうちにかき消える。
テオバルトは帰ってきたわけではないし、そもそもそれはもうかつての天才テオバルト・アンベールではなかった。
子供の頃は甘党だった彼なのに甘い物を食べない。
好きな食べ物も趣味も何もかもを亡くした彼は、竜王国最高のレストランで食べる高級料理すらも「砂の味」としか感じられない。望みも欲しい物も何もない彼は、実家の名を使うことをしない。
元傭兵のテオバルト・ヴェルとして騎士団の雑用係に甘んじている。
本気を出せば騎士団長も望める実力者だと言うのに。それだけの魔力と知識を持った天才なのに。
そしてこの4年で諦めを得たユルリーシュは、テオバルトを取り戻すことは辞めた。雑用係の第二部隊長でもなんでも、テオバルトの好きなところで好きなようにしてくれたら良い。
テオバルトに何があったのかはわからないが、彼を変えるほどの傷が癒えるには時間がかかるのだろうから。
そう考えるユルリーシュは、執務室でテオバルトから受け取った報告書に目を通して絶句した。
『オリヴィエ・アンベールによる殺人未遂事件』。それ単体なら竜王国騎士団は動けない。この手のものはいつも侯爵家の圧力により握りつぶされるからだ。アンベール侯爵はそうやって後継者争いもないのに弟たちを消している。
だがテオバルトは、それを踏まえてこの報告書をそのまますべての侯爵に送っているらしい。9つの侯爵家すべてに送付済みと、報告書にそのまま書いてある。
こうなるともうもみ消しはできない。次は序列4位のアンベール侯爵家子息が、序列3位のローラン侯爵家子息を殺そうとした事案になる。
そうなると困るのは竜王国王城そのものだ。なにせローラン侯爵家は竜王国で最も財力を持った家で、毎年かなりの税金を収めている。その金額は他の侯爵家すべての税額を足した額よりはるかに多い。
おおよそその裏には侯爵の兄であるマルク・ローランが絡んでいるのだろうが、そんなことは関係ない。
問題はローラン侯爵が竜王国を見限ることだ。あの家は、領地経営でここまでの金額を稼いでいるわけではない。
そして領地を捨てても痛くない財源を持っている家は、その領地に縛られない。
竜王国王城はローラン侯爵家を重視しなければならない。むしろこれまでもずっとローラン侯爵家を重視ししてきた。本人が望めばいつでも王城に肩書を与えられるほどに。
ただシメオン・ローラン侯爵はそれを望まず、わかりやすいほど誰とも馴染まない。その立ち位置を徹底することで「いつでも国を捨てられる」というスタンスを見せるのがあの御仁のやり方なのだとユルリーシュは思っている。
報告書を読み終えたユルリーシュは、この報告書を公式文書として作り直すことにした。
もちろん報告書の原本は手元に残すとして、新しく作ったものは紐で綴じて表紙もつける。そうして時間をかけ作り上げた文書一綴りを持っとユルリーシュは急ぎ足で謁見の間へ向かった。
そうしてそこにいるだろう竜王陛下代理に事態を把握してもらいたい。
この問題に関しては、より穏便に着地しなければならない。まずローラン侯爵家を国外に行かせるわけにはいかない。
さらにアンベール侯爵家の存続はどうでも良いが、テオバルトの存在を明るみにしてはならない。少なくとも父や政務長官であるオーブリー侯爵には知らせたくない。
知らせれば、父たちはテオバルトを次のアンベール侯爵に立たせようとするだろうからだ。
少なくとも「雑用係」と揶揄される第二部隊の激務の中で、さらにここまで調べ上げ報告書にまとめ上げる人材を父たちは評価する。そしてそれがかつて出奔した、アンベール侯爵の弟だとしれば都合が良いと考えるだろう。
だが父たちはテオバルトが壊れていることを知らない。むしろ彼と親しくない人間は、誰もあれが壊れている状態だと気づかない。
テオバルトはあまりにも優秀過ぎて、壊れたままでも有能な第二部隊長としてできてしまっている。だが人が人である限りそんなことを続けられるわけがない。テオバルトもどこかで潰れてしまうだろう。
ユルリーシュはそれが嫌だった。
テオバルトはユルリーシュより4歳上の幼馴染みだ。むしろ長男として生まれたユルリーシュにとって、テオバルトは兄のような人だった。
しかも3歳児のベルナールに古代語の本を読み聞かせるという、才能を変なところに使う人でもあった。出奔したテオバルトは知らないだろうが、その後すぐにベルナールは古代語を習得している。
それにユルリーシュ自身も、テオバルトからたくさんのことを教えてもらってきた。
夜に星が綺麗にきらめく理由も、海が日によって色を変える理由も。世界にはたくさんのきらめきがあることを、ユルリーシュに教えてくれたのは明るく笑うテオバルトだったのだ。




