116.騎士との出会いは食堂で
白を基調とした騎士団服と青いマントが目立つ。そんな騎士が校舎内へ入り込むと、流れる風に白金色の髪がさらりと揺れた。
その凛然とした大人の立ち姿に見惚れていた女子生徒は、不意に淡い青の瞳を向けられて戸惑う。
「すまない。食堂の場所を聞きたいのだが」
「あ…」
「ん?」
「ああああちらの渡り通路の向こうにございますわ!」
真っ赤な顔で校舎の奥側を指差して告げる。その異様な反応に首を傾げた騎士は女子生徒に近づいた。
「顔色が良くないが大丈夫か?」
「はわ」
「テオバルト殿!」
赤面した女子生徒が窒息しかかったところへ、さっそうと現れたのは高等部の有名人である1年Sクラスのアニエス・ディランだった。
アニエスは戸惑う女子生徒の腰にそっと手を添えると手を持ち上げて、優しくエスコートするように騎士から少し遠ざける。
その上で深呼吸をするよう優しくうながしたアニエスは、女子生徒から手を離して騎士の前に立った。
「学園の小鳥たちには現役騎士殿の凛然さは刺激が強かったようですね」
「今日の君は昨日と違ってわかりにくい言語を……ああいや、それはビタン方式か。つまり子供たちは大人に慣れてないわけだな」
「基本的に王立学園は部外者の立ち入りを禁じていますからね。テオバルト殿は学園長の許可を?」
「爆破事故の調査として昨日時点で得ている。事件の調査については竜王陛下の代理殿直々に言われたことだからな」
王立学園の許可は取得済みと言う騎士は、アニエスに案内されて渡り通路へ向かう。その姿を昼休憩に入った生徒たちが驚いた顔で眺めた。
もちろん生徒たちも、昨日発生した爆破事故や掲示板に貼られた文章が理由で騎士が派遣されたと理解している。
だがどれほど強くても16歳の若い女性近衛騎士と、大人の男性騎士では体格や存在感から違う。それは並び歩くふたりの様子から見て取れた。
なにより竜王国騎士の凛然さは、子供たちしかいない王立学園の中では異質でしかない。
そんな騎士は食堂でも周囲の目をとらえていた。背中の青いマントは竜王国の色で生徒たちも見慣れている。だが白金色の髪や淡い青色の瞳はあきらかに上位貴族特有の色彩だ。
食堂2階の奥にあるテラスに近いテーブルへ案内された騎士は、そこにいた7人の令嬢と2人の令息を紹介された。
彼らの大半が侯爵家の人間で、全員が事件当時は音楽祭に参加している。
そして現場そのものも、生徒会長であるアドリエンヌ・オーブリーしか見ていなかった。
琥珀色の1年生がひとり座り無言でフォークを進めているのを尻目に、騎士は荷物から革張りの書類挟みとペンを取り出した。その合間にアニエスが料理を持ってきますねと親切な言葉をくれる。
そちらに礼を告げたところで、筆頭侯爵家の娘で生徒会長のアドリエンヌが騎士へ問いかけた。
「アニエスから昼食に誘われた、と聞きました。確認のため聞きますが、異国の子女であるアニエスを食事に誘うことに他意はありませんか」
「無いですが。ご令嬢の考える他意とは?」
「彼女に取り入ることで、竜王陛下代理であるカイン様とお近づきになることができます」
「ああ、その手のことは必要ないです。そちらの方には面識は無いですが、グレイロード帝国に関しては他で知り合いがいるので。それより俺は長く傭兵として生きていたので他の騎士より合理性を求めています」
「つまり?」
「貴族階級の出身と言うだけで、個人として何も持っていない子供に気を使うのは無駄でしかない。ただ君たちは真実を語ってくれれば良い」
「上位貴族に対する敬意も畏怖も忖度もないと。そのような竜王国騎士は初めて見ましたが、その言葉には同意します。騎士として事件の捜査にいらしたのですもの、真相を手にしてもらいたく思います」
アドリエンヌは同意すると着席して、皆にも座るよう告げる。そこで各々が着席する中でミリュエル・バルニエと紹介された少女が口を開いた。
「そもそもの真相って何かしら? 爆破事故のこと? それともオリヴィエ・アンベールが訴える殺人未遂のこと?」
「俺が派遣されたのは、竜神殿を損壊させながら治癒師を拉致した事案についてだ。その流れで瀕死の状態にあったマティアス・ローランを見た。そちらは治癒師の診断書類にて正式に殺人未遂事案として王城に提出されている」
「それだけなら、竜神殿を壊した犯人を調べて終わりよね? わたしたちの可愛いマティアス君を殺しかけた犯人を竜王国が誇る弱腰騎士団が調べ上げて罰せるのかしら」
「竜王国騎士団が侯爵家にケンカを売れるかどうかと聞きたいなら無理としか言えない。そもそも騎士団は、竜神殿が損壊され治癒師が拉致されたという重大事案に対して第二部隊の俺を動かしてるからな。君は竜王国騎士団の第二部隊を知ってるか?」
「いいえ? わたしたちが騎士のお世話になる機会はない上に、特別な催し等で見かけるのは第一部隊の方々だけだわ。あるいは花形である蒼の部隊の方々かしら」
「そうだな。君の認識は正しい。第二部隊は騎士団の雑用係として下位貴族や平民で構成される。主に王都下層で発生した事案で動くから、隊長職も若くて見た目が貴族らしいという理由で俺に押し付けられた」
「あなたはその色なのに貴族じゃないの?」
演技めいた驚きようを見せたミリュエルは、どこまでも楽しげに問いかけてくる。そのためテオバルトはわずかに視線を落とす。
「俺は元傭兵だよ。13歳で傭兵団に入ってテイリュンス王国やブラマ王国を巡った。その後も各国を巡って4年前からこの国で騎士をしてる」
「どうして竜王国で騎士を?」
「幼い頃の夢だったからだ」
「竜王国騎士団が? それとも騎士になるのが?」
「生まれは竜王国なんだ。ただもうやるべきことはやったから辞めるかもしれない」
「竜王国騎士団を辞めた次は?」
「さあ? ただ昨日の時点で竜神殿の破壊犯から『帝国に攫いたい』発言をもらっている」
「あの子ったら!」
テオバルトの発言が楽しかったらしく侯爵家の子女たちが笑った。この場に昨夜の犯人がいないということは、きっと現在も被害者の看病をしているのだろう。
そんな和やかな雰囲気の中でトレイをふたつ持って戻ったアニエスは、テオバルトの前に昼食のトレイを置いた。
「軽やかな笑い声が聞こえましたが、どんな楽しいお話を?」
そんなアニエスの問いかけに2度目の笑いが起こる。そんな中でシオン・トリベールと紹介された男子生徒がアニエスに軽く説明した。
ディートハルトが竜王国騎士まで誘拐しようとしていると。途端にアニエスは軽く笑って気持ちはわかると返した。
「私の可愛いラピスラズリを殺しかけた輩を始末してくださった暁には、帝国騎士団へ勧誘したいと思ってるから」
「竜王国騎士団は侯爵家に刃向かえない。その状況を雑用係な第二部隊長の状態のあなたがどうしたら覆せるの?」
アニエスの言葉に、それまで無言でフォークを進めていた琥珀色が口を開いた。人形のように整った顔の少女は、琥珀色の瞳でテオバルトを見つめながら首を傾げる。
「でも無理なら無理で良いのよ。あなたが公的な証拠さえ集めてくれたなら、あとはわたくしが連中をもろともひねり殺してあげるから」
「君のそれは私憤しかないだろう。だから認めてやれない」
「でもマティアスはわたくしのなにより大切な子犬だわ。それを害する者は帝国でもこの国でも」
「この国もグレイロード帝国も共に法治国家だ。被害者と君との関係も、君の立場も関係なく犯罪者は法によって罰せられなければならない」
「では闇討ちするわ」
「出来もしないことを言っても意味がない。それより俺は甘い物が苦手なんだが、食べられるか?」
「食べるわ!」
先程まで黙々と3皿のスイーツを食べていた琥珀色は、話題を変えられたことなど気にせず手を出した。そんな少女にジャムパイの乗った皿を渡したテオバルトは生徒会長を見やる。
「子供の駄々を聞くのは慣れてるから、あの子の発言はなかったことにするよ」
「ありがとうございます。ですが騎士団が今回の事件を扱えないのなら、わたしから父に訴えましょうか。オーブリー侯爵の立場でしたら」
「筆頭侯爵家のご息女である君も他の子たちも知っているだろうか。かつてアンベール侯爵家の子息が追放された事案を」
フォークを手にしたテオバルトが問いかけた瞬間、アドリエンヌは戸惑いに目を見開かせて隣に座るアナベルを見る。
そして知性で知られるデュフール侯爵家の末娘は「少しだけ」と前置きして説明した。
「13年前、当時のアンベール侯爵家三男の方が侯爵家の金を持ち出し賭博に使ったという問題ですね。当事者は追放処分となり既に竜王国を出国されたと……」
「侯爵家のお金を賭博で溶かしたの?」
アナベルの説明にミリュエルが首を傾げてなかなかの地獄ねと軽く告げる。そんな美少女にもわかるようにテオバルトが説明を付け加えた。
「容疑者とされたのはガスパール・アンベール16歳。王立学園高等部にいた少年だ。しかも事件は夏季休暇中ではなく冬の平日。全寮制のこの学園で過ごす君たちと同年代の少年が、どうやったら屋敷の金を持ち出して単身で王都下層にある違法賭博場へ行けるのか。まともに調べれば成立しないとわかるこの事案を13年前の侯爵家たちは見てみぬふりをした。なぜなら9つの侯爵家はそれぞれ支え合い国家を運営しているからだ」
「すべての侯爵がそれを見逃したのでしょうか? 代替わりした家もあるでしょうに」
テオバルトの説明に反論したアドリエンヌに、騎士は確かにとうなずく。
「だが今の侯爵たちは、現アンベール侯爵と同世代だ。アンベール侯爵家次男の不審死を知りながら、三男のその疑惑すら放置した。侯爵家同士の自浄作用すら死んでいるというのに今回に限ってはそれを信じるなどとはならない。もちろんこれは君たちとは無縁の話だ。ここにいる全員が13年前は幼児だったからな」
「9つの侯爵家同士の自浄作用そのものを最初から信用せず、最近まで8つの家を騙し続けた男ならわたしの父におりますよ」
この学園にいる侯爵家の関係者は子供だから疑う理由はない。そう告げたそばでブリジットが軽く手をあげて告げた。
「わたしの父は長年周囲の侯爵たちを欺き、己を凡庸で秀でたもののない存在だと思わせてきました。そんな父は同時に長年、精霊石を買い集めて平民に配るという狂気の沙汰をしてきたのですが」
「理由は?」
「長く放置された子供の不審死の原因は、魔力を持たない子が強い魔力に接することだったからです。特に上位貴族の中で報告の多かった事案ですけど平民でもゼロではない。だから父は平民の家を巡り魔力量を調べあげ、魔力を持たない子には精霊石を与え浄化できる環境を作ってきたそうです。ただ父はその精霊石を侯爵家には与えないし、情報すら漏らさなかった。なぜならその程度は各々やるべきだからと」
「それは自力で掴むには難しい真相だな。他の侯爵家は死んでも構わないと考えていたのか」
「そこは複雑なのでしょう。竜王国の奇跡などと呼ばれる神童を兄に持ったせいで、実の親から目を向けられず育った父ですから。母に聞けば祖父母は父の卒業式も挙式も参列しなかったそうですよ。その環境を今回のその話と同様に他家も放置してきた。むしろ竜王国の奇跡と呼ばれた神童の失踪を嘆くことしかしなかった。それが答えでしょう。だから自浄作用などとうの昔に死んだのです」
「ではなおのこと侯爵を頼るという選択はないな」
「ですが、少なくともわたしの父はあなたの力になるでしょう。父はこの事件に対して根ごと枯らすと言っておりましたし。10年に及ぶオリヴィエから弟への嫌がらせ含めてアンベール侯爵家を始末するつもりのようだから」
アンベール侯爵家を潰すことを楽しげに語るブリジットに、テオバルトはなるほどとうなずいた。その上で革張りの書類挟みから一枚の紙を取り出す。
それは食堂へ来る前にテオバルトが掲示板から剥がして置いたものだ。
「君たちに問うのだが、ここに書かれているものは事実だと思うか?」
まだそれを読んでいない者にもわかるように、アニエスに手渡してから回し読ませる。そこでテオバルトはシオンから、この紙が学内にある複数の掲示板に貼られていることを知らされた。
だからこそ多くの生徒たちが読み、オリヴィエ・アンベールはマティアスに情欲を向けようとしたのだと認識していると。
そしてオリヴィエ本人は朝一番にこの紙を読み、それを引きちぎると侮辱だと叫んで実家に帰ったらしい。おおよそ父親に訴えて文章を書いた犯人を見つけようという算段だろうと。
そんな話を聞いている間に素早く皆が確認して、アドリエンヌの口から幼い頃の事ならと同意が出た。
「我々が幼い頃、デュフール侯爵家の嫡男を中心として茶会が頻繁に開かれていました。それは我々侯爵家の子女が幼い頃から面識を得て親しくなることで結束を強めようというものです。だからこそわたしたちは今もこうして親しい関係を持っています。そしてその中で、オリヴィエがベルナール・ローランという神童に執着していたのは事実です。そしてそのために弟であるマティアス・ローランに嫌がらせを行ったことも」
「ぬいぐるみをハサミで切り裂くようなことも?」
「ええ、マティアスが4歳、オリヴィエが6歳の頃の話です。そのうさぎのぬいぐるみは、元々こちらのミリュエルのぬいぐるみでした。しかしその可愛い親友を見た3歳のマティアスが気に入ったので、ミリュエルは弟に接するような心で親友を譲ったのです。それ以降のマティアスはうさぎの親友をとても大切にして、どこにでも連れて行くような状態でした。もちろん4歳の子がそうするのは愛らしいことですよね」
「幼児がぬいぐるみを友人のように扱うのはよくあることだ。だがその紙によれば、『男たるものが、幼稚にもぬいぐるみを抱え遊ぶ見苦しさが苛立った』とある。この文言はオリヴィエ本人から出たものと認識しても良いだろうか」
「そうですね……。細かい言葉は忘れましたが、常にそのようなことを言っては自己を正当化してきました。それにそのことも、常日頃から『マティアスはこの茶会に相応しくないから追い出せ』と言っていたのです。ただその言動の裏にベルナールへの執着があったのかどうかは、わたしには読み取れません。そもそも相手の心の内など誰にも見えませんから、執着なのか思慕なのかもわかりません」
「つまり、ここに書かれる彼の内面を除いた出来事そのものはあったと。真のラピスラズリだの戦闘実習でのことなども含めて」
「はい。その辺りはわたしも見ておりました。オリヴィエたちが侯爵家としての義務を放棄するように、戦闘実習からすぐに逃げ出したことも。カイン・ブレストン様や帝国騎士団の方々がピクニックと称して助けに来てくださったことも」
アドリエンヌのその言葉は、テオバルトに昨日の騎士の仮面を脱いだアニエスの言葉を思い出させた。
なぜ竜王国騎士団は戦闘実習に現れなかったのか。なぜ教師たちの通報を無視したのか。
その疑念と同じものを、おそらく目の前の学生たちも抱いているだろう。だというのに彼ら彼女らはその事をテオバルトには向けず責めることもしない。
「戦闘実習においては、竜王国騎士団ですら義務を放棄しているから言及しようもない。しかしこれをまとめると、彼が常に己を正当化しながら生きていることがわかる。そうして己は正しいと口にしながら、己より弱く格下の相手を消そうとする。現アンベール侯爵とよく似た性格だということだ」
「そのような人間は多くおりますよ」
文章の中身についてまとめようとしたテオバルトへ、それまでにこやかに食事をしていたクレール・オリヴィタンが口を開いた。食事を終えた彼女は緩やかな笑顔のまま語る。
「侯爵と一言で言ってもそこには明確な序列があります。我がオリヴィタン侯爵家はその末席。父は人の外見や美醜以外に興味を持たぬ愚か者でしたので、格上の侯爵の行動など知ることもなかったでしょう。それに医学に従じ、民のため医療施設を支えるトリベール侯爵家も政からは遠い位置に。さらに上のマイヤール侯爵家は子が授からないことに悩み、夫婦で異国に赴くこともしておりました。実際に隣のアランの下にはやっと昨年女の子が生まれています。孕めぬオンナに価値はないと捨てるのが常識の世界で、異国まで赴くのは愛の表れですね」
クレールの話を聞きながらテオバルトは素早く白い用紙にメモしていく。
「その上のルヴランシュ侯爵家は良くも悪くも奔放です。マクシム・ルヴランシュ侯爵は年齢的に現デュフール侯爵と現オーブリー侯爵のすぐ下になります。だからこそ幼少期から比べられ厳しく育てられた反動が出ているのでしょう。子は自由に育つべきという言葉を用いて育児を放棄しています。そして侯爵の嫡男であるシェルマンさんは自己愛の強いお方。あの方はオリヴィエさんとよく似た性格で、あちらのミリュエルさんに恋をこじらせておりました。可愛さ余って憎さ100倍ですね」
「なるほど。君は、そのシェルマンも今回の事件に関係していると考えているのかな」
「音楽室の扉を閉ざして施錠する程度のことはされるでしょう? 騎士様も現場を見ればわかるでしょうが、音楽室は広いのです。ひとりがマティアス君を捕らえ、もうひとりが扉を閉ざさなければ密室は作られません。そして施錠され密室となったから、彼は外から破壊をしたのでしょう。さらにわざと音楽室の扉も破壊した。そうしなければ、犯人が証拠隠滅なりをはかるために施錠を解かない可能性があるから」
「その推理は合理的だな。そしてディートハルト君らしい行動でもある。彼は焦っていたと言いながらとても合理的で理性的な行動をしていたようだ。その結果として俺がここで捜査をしている」
だからこそクレールの憶測は事実に近いと思える。そう評価したところでクレールの隣に座るアランが苦い顔をした。その反応を目にしてしまったテオバルトは、自然と問いかけをしてしまう。
「クレール嬢はとても聡明な子だね」
「それはおれが一番わかってますが何か?」
「いや、反応を見たかっただけだ。子供が子供らしく愚かでいられるのは健全な環境であるということだから」
それは良いことだと思いながら手元に目を落としたテオバルトは、素早くペンを走らせメモを書いていく。
「法治国家である以上、罪人にはふさわしい罰を与えなければならない。だが子は親を写す鏡のようなものだ。この事案の犯人たちも親の影響を悪く受けた被害者でもあるのだろう」
「だから罰を軽く、なんて言いませんよね?」
テオバルトの言葉にブリジットが問いかけてきた。そのためテオバルトはペンを置いた上で、その問いかけに否定で返す。
「それはないが、根まで枯らすという君の父君の言葉が正しいと思った。ただ君はどうなんだろう」
「わたしですか?」
「あの文章に私怨は?」
その問いかけにブリジットが驚きに目を丸める。だが楽しげに当然だと笑った。
「あるに決まってます。私は暴露ではなく、弟を社会的に殺そうとしたゴミにそのまま返しただけですよ」
「なるほど。だがそれは捜査の撹乱になるから、次は気をつけてくれ」
「では、これは不問ですか?」
「君が書いたという証拠がない上に、俺は名誉毀損云々を調べているわけじゃない。その怪文書も騎士団へ持ち帰ることはしないから王立学園の外にいる人間が知ることはないだろう。侮辱されたと騒いでいるだろうアンベール侯爵家の面々以外は」
「それはザマァみろですが、この手のものは名誉毀損で訴えられる可能性があるということですね? 事実を書いたとしても」
「今回のこれに関しては、殺人未遂事件が表沙汰にならなければそのように訴えが通る。だが事件が表沙汰になれば、怪文書も告発文になる。私怨が含まれようが事件の理由が書かれた証拠のひとつ扱いだな。でも次は気をつけなさい。担当が権威にはべる犬だったら、君の怪文書はアンベール侯爵家へ届けられて終わっていた」
「では今後も第二部隊長のテオバルト様に王立学園の治安維持をお願いしなければならないのね」
「今後はきっとないよ」
冬の風が木の葉を巻き上げながら窓を叩く。その様子を尻目にテオバルトは平然と言い捨てた。
「雑用係でしかない第二部隊は、ここまで根深い事件を掘り起こして侯爵に楯突く権限がない。これを表沙汰にした時点で、何かしらの理由をつけて解雇処分となる。つまりは俺ごともみ消そうとしてくるということだ。だから俺はどのみち騎士ではなくなる」
だから今後もこの王立学園を守ることはない。そもそも管轄が違うのだが、と平然と語るテオバルトのフォークを持つ左手にアニエスの手が乗った。
「その場合はどうか私と帝国騎士団へ行きましょう。テオバルト殿なら帝国騎士になれます」
「俺はいま君に口説かれているのだろうか」
「そうです。ディートハルトではありませんが、私がお姫様抱っこで攫いたい」
「10歳も年下の子にお姫様抱っこは社会的に死ぬ案件だから本気で辞めさせたいかな」
「26歳の美麗な騎士がお姫様抱っこされるのは、耽美として帝国淑女に喜ばれる案件ですよ。何も問題ありません」
「問題しかないよ。君は異国の騎士に対する距離感をもう少し見直したほうが良い」
どうして彼女は唐突に距離を詰めてくるのか。近衛騎士であればもっと異国の騎士との距離感を計算するものだろうに。そう思いながらもテオバルトは、相手が近衛としてはありえない10代の子供だと思い出す。
そしてこの近衛騎士は、子供しかいない王立学園という箱庭の世界で一時の子供時代を楽しんでいるのだろう。だから騎士より学生に近い感覚で動いているのかもしれない。
そう結論づけたテオバルトは再びペンを手にした。
「どうせ解雇処分になるなら、とことんまで調べ尽くしておきたい。君たちの知りうる情報をくれないか」
そう告げたテオバルトに、生徒会長のアドリエンヌも背筋を正したその姿勢のままうなずき同意してくれた。
竜王国にいる9人の侯爵を再び置きます
オーブリー侯爵家 ロドルフ・オーブリー44歳
デュフール侯爵家 トリスタン・デュフール45歳
ローラン侯爵家 シメオン・ローラン39歳
アンベール侯爵家 マルセル・アンベール41歳
ヴァセラン侯爵家 モーリス・ヴァセラン40歳
ルヴランシュ侯爵家 マクシム・ルヴランシュ42歳
マイヤール侯爵家 パトリス・マイヤール37歳
トリベール侯爵家 レジス・トリベール40歳
オリヴェタン侯爵家 ギヨーム・オリヴェタン61歳
(今年度中にエミリーが爵位を継ぐ予定)




