第七話 屋上
正直に言うと、古代文字学は死ぬほど面白くなかった。
何が面白いのか本当にわからなかった。
担当教科の先生はあの時の試験監督のお爺さんだったが、何を話しているかサッパリだ。
ミアやトニクはとても興味深そうに授業を受けていたし、プリアスに関してはずっと外を向いていた。
この授業をこれからも受けることになるとは、身が持たない。
◇
ほどなくして、放課後になった。
俺はミアに断りを入れ、屋上へと向かう。
屋上のドアを開け、一歩踏み出した。
「あら、逃げずにちゃんと来ることができたのね?」
既にプリアスは屋上の真ん中に立っていた。
黒色の日傘を差して。
「まあね、逃げたら男じゃないでしょ?」
「その心意気、見習いたいものだわ。」
まだ日が照り返す屋上に、どこか冷たい雰囲気。
「それで、何で俺だけを呼んだんだ?他にも気になるやつはいただろうに。」
「ええ、充分いたわ。でも、貴方みたいに興味をそそられる程の魅力はいなかったもの。」
厄介だ、完全に俺が目当てで来ている。
俺か、俺の「風」か。
「……ん?」
背後に違和感を感じる、まるで影が蠢いているかのように。
違う、本当に影なのだ。
だからあの女、日傘で影の体積を大きくしてんのか。
厄介な相手だ。
「なあ、この影、どうするんだ?俺でもいじめるのか?」
「それも面白いわね。でもそれじゃ、満たせないわ。」
何が満たしたいんだ、この女は。
そもそもの目的は何だ?
俺のことなのは確定しているんだが読めない。
「なあ、アンタ。なんで俺のことを呼んだんだ?」
「あら、わたくしにはプリアスという名前がありますのよ?アンタだなんて酷いわ。理由?それは勿論一つだけよ。貴方、どうやってここまで辿り着けたの?」
Aランクにいる理由ってことか。
「そりゃあ実力ってもんよ。」
クスクス、と扇で口元を隠すプリアス。
「あら、最弱さんが実力を語るとは。なんとも愉快なものね。」
完全に舐めていやがる。
今なら不意打ちを仕掛けられる気がするが、気づかれたら癪に障るとか言われそうで怖いな。
「そろそろつまらない馴れ合いは終わりにしませんか こと?」
足首を掴まれた。
俺の影から、一つどころではない無数の黒い手が伸びてきている。
「『闇液侵蝕』、私のお気に入りの技よ。だって、誰も気づかずに掴まれていくもの。」
足が動かない、ただ掴まれているだけではないのか?
ビリビリと足の痺れる感覚も同時に流れてくる。
神経ごと掴んでいるというのか。
なんだその反則魔法は。
だが、今の所ダメージというダメージを与えてくる様子はないな。
「なんだ、実力を答えたら解放してくれるのか?」
「貴方の返答次第によるわよ?いい選択をすることね。」
入学したばかりで最大のピンチが来たか。
「それにしても暑いな。この時間を選んだのは、お前の魔法が発揮しやすいからか?」
「御名答ね。それに暑ければ精神も揺さぶられるでしょう?」
確かに今は少し汗をかいている。
逃げ出したいくらいには、暑い。
どうやって切り抜けたものか。
足は掴まれている、走るのは不可だ。
かといって魔法を使えばこの手がどうなるかも予想できない。
動けば影の形が変わる、それが相手にとって利点かどうか判別ができない。
無闇に行動を起こすのは危険か。
「ねえ、試験で使った魔法を見せてちょうだい?同じクラスメイトでしょう?それくらい良いわよね?」
「クラスメイトだとしても、隠したい事の一つや二つくらいはあるだろ?」
「でもそのままじゃ貴方、負けてしまうわよ?」
確かにプリアスの言うことはもっともだ、何かしなければ絶対負ける。
流石に使うか、それとも救援を待つかの二択だ。
教室にはまだミアやトニクがいたはずだが、果たして来てくれるのだろうか。
そんなことを考えている間に、ゆっくりと手が這い上がってくる。
「『風爆弾』!」
辺りの空気を無理矢理一つに圧縮して、地面に向かって放つ。
勢いで高く浮き上がる。
「流石に影でもここまでは来れないだろ?」
「そうかしら?」
影が圧縮して、一つの歪な巨大な針になり、こちらに向かってくる。
「『闇貫』。」
空中で空気を固定し、手で掴んで体を捻る。
致命傷は避けたが、脇腹に少し掠めた。
傷口から何かが侵蝕してくる感じがする。
体が重く、目の前が少しだけ薄くなる。
デバフの類だろう。
「かすってこの威力かよ……!」
素早く地面に戻り、入口近くに身を潜める。
空中でも攻撃できるなら逃げ場がない。
日陰も利用できるなら、隠れても無駄なのかもしれない。
「その程度?逃げているだけでは勝てませんわ。」
プリアスはゆっくりとこちらに歩みを進めてくる。
俺はその隙に足元に罠を設置した。
風は見えにくい、そして感じにくい。
この罠は踏んだ瞬間、向かい風が強力に吹き、体勢を崩すのだ。
ゆっくりと、足音を立てないように裏側に回る。
「そんなに逃げても無駄ですわよ。逃げ場などもうとっくにないのに。」
踏め、踏めよ。
プリアスは罠に向かってゆっくりと歩く、そして罠の一歩手前で止まった。
見えているのか、いや、まさか、そんなはずは。
「随分と小細工が得意なようで。でもいけませんわ。こんなにバレバレな所に設置するだなんて。」
バレバレ、何を言ってるんだこいつは。
ちゃんとバレないように、影のところに———。
影で探知されたのか?
じゃあ俺は既に追い詰められていたのか。
「———ハッ、本当に最悪。」
誰も助けに来る気配はない、そもそも放課後に屋上に来ること自体が少ない。
後ろも影、前にはプリアス、逃げ場はない。
「『闇液侵蝕』。もう逃げられないわよ?」
今度は両足を掴まれた、動けない。
俺の背後の影から勢いよく影の針が飛び出して、一直線に俺の心臓のあたりに飛んでくる。
これは避けられない———。
針は、俺の体を。




