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テンシ  作者: 白龍
15/16

結末

温かい空気の中。



緑の草原が広がる。


雲一つない青空が広がる。


遠くには、真っ白な建物が幾つも立ち並んでいる。


「…」


日之影夜雨は、緑の草の上に、仰向けに寝転がっていた。


花の香り。鳥の囀り、天から舞い降りる温かい日光。


「…ここは…?」


身を起こす。

驚く程、体が軽い。

今までつけられていた重りを全て外されたように、体が軽かった。


改めて周囲を確認する。

風が優しく、地面は柔らかい草で覆われ、太陽が輝いている。


自分は確か…堕天使となり、街を壊して…。



「…っ」

頭を抱える。

…夢だと思いたかった。しかしあれは現実だ。

自分は多くの命を奪い、多くのものを破壊した。

世界の全てを憎み、濡らし尽くそうとした。

その時に聞こえてきたあの苦しみの声や、悲しみの呻き。何もかもが鮮明に、耳に差し込まれている。


…ここは、地獄だろうか。

それにしては…。




「日之影夜雨さん」


肩を強張らせ、顔を上げる。





…目の前に、美しい人物達が立っていた。


光を全身に纏った、沢山の…人間達。

男も女も、皆、どこか悲しげで…しかし、それ以上に柔らかく、優しげな微笑みを見せていた。

夜雨は、目で彼らの顔を、一つ一つ追っていく。

先頭に立っていた女性が、夜雨に手を伸ばす。


「本当に、お疲れ様でした」

…夜雨は、その手を取る。


光を纏う、その人々…。

ここの住人だろうか。まだ状況が掴めない夜雨に、先程の女性が淡々と説明する。

「…簡潔に言いますと、貴女は命を落としました。安らかな形で」

「…そうですか」

驚きはしなかった。

…問題は、その死が自分にとって救いであるのか、それとも多くの命を奪った事への報いであるのか…。少なくとも彼女自身は、後者の考えが強かった。


が、女性は夜雨の心を読んだかのように、こう続けた。

「…人間が信じる天国と地獄…。ここは、そのどちらでもありません。死した者の魂は二つに分裂する、いわば分霊を行い…片方は、この世界に転送され、もう片方は、地上で新たな生命として生まれ変わるのです」

つまり今の夜雨は、この世界に送り出されてきた魂。人生の記憶を保持した魂だ。


…あの呪われた人生の記憶を。


「そう…ですか」

自分は救われたのだろうか?

目の前の人々は、優しげだ。裏表のない笑顔、夜雨ができなかった笑顔。

殴られる事も貶される事もなさそうだった。

それでも…安心はできなかった。


「…夜雨さん。この子が、一緒に来てくれましたよ」

一人の男性が、夜雨のもとへ何かを抱えてやってくる。




「…あっ」



「よっ、夜雨」


目の前で片手を振っていたのは…。




レイ。

人生唯一の親友…相棒だ。


「レイっ…」

夜雨は優しくレイを受け取ると、強く抱きしめた。


ああ、この温かさ。

どうしても人形とは思えない…この温もり。

確かにレイだ。


「…レイ。私が死ぬ前の…あの世界はどうなったの?…あと、あの仮面の人は…」

夜雨に抱かれたまま、レイは、言いにくそうに語りだす。




…レイは全てを話した。

崩壊した地上の街。

…自分は神の使いであり、そして仮面の男は悪魔。

男は最後、夜雨を[眠らせる]為に協力してくれた事。




そして…その後。



「彼は…悪魔だった。本来悪魔というのは、人間を監視して、深い干渉は許されないの」

…聞くごとに、夜雨は俯いていく。

…自分を助ける為に、彼は…悪魔としてのルールを破ってまで…。



「…で」


レイの目が、ある方向に向けられた。




「…最下級悪魔に降格させられ、地上の人間を監視する役割を剥奪されてしまいましたよ」




…彼が、人々の間からこちらを見ていた。


「あっ!!」


あの仮面。…黒い姿。


…何も変わらぬ姿。初めて会った時こそ警戒していたが、慣れ親しんだ今では安心感さえ感じさせる、あの男。


「良かったっ…!!」

夜雨は、全身の力が抜けた。

レイ、仮面の男。二人とも、完全に無事な姿だ。


…しかし、やはり罪悪感は計り知れない。


…地上を壊した事実は変わり無い。


安心しても安心しても…またすぐに不安が襲い来る。

肝心の自分は…変われないのだろうか。



「夜雨」

…夜雨の顔に浮かんだものを、レイが悟ったのだろう。彼女は明るく、夜雨に言った。

「…もういいんだよ。楽しもう」


『ようこそ。極楽へ』


人々が、声を揃えた。




…気づけば、夜雨はレイを抱え、とある場所へと連れて行かれていた。


…商店街に見える。

そこは、人間の街と何ら変わり無い場所だ。


いや、一つ違うものがある。

それは、行き交う人々。


地上の世界では、全ての人間が恐ろしく見えていた。

だがこの世界ではどうだろう。


地上と同じ服装、同じ表情の人々。その目はとても澄んでおり、同時に作り笑いのような違和感も感じさせない。

パン屋、スーパーマーケット、喫茶店。様々な建物が並び、そこに出入りする人々は、互いに楽しそうに話し合い、そして時々笑い合う。

怒り、悲しみ、そして…他人を虐げるような気配は一つも感じない。


「あそこに行こうよ、夜雨!」

手の中のレイが、ある方向を指さす。


カラフルなフォントの看板が可愛らしい、スイーツ店だった。

ガラスの向こうに、笑顔でパフェと向かい合う人々の姿が見える。


「…」

夜雨は、まだ何も言えなかった。

心は、尚も鎧が張り付いている。




「ご注文は以上でよろしいですか?」

「は、はい…」

女子高生が、スイーツ店のテーブルの上に動く人形を乗せて、疑問まみれの目でこちらを見つめている。そんな妙な光景にも、店員の女性は一切動じない。

「かしこまりました!あ、人形のお客様には人形用スプーンをご用意していますので、一緒にお持ち致しますね!」

やったー、と両手を上げるレイ。

夜雨の理解などそっちのけとばかりに、レイも周りも、信用できない幸せを振りまいていく。

夜雨は、膝の上で握り拳を作る。

怒りではない。ただただ、あまりにも明るすぎるこの光景への警戒。


「レイ。これ…一体どういう事なの?」

夜雨の声は低く、どこか疑り深い。

この状況に身を溶け込ませれば、また何かが壊れるのではないか、不幸になるのではないか…あらゆる警戒が赤く輝く。


レイはしばらく夜雨と目を合わせ…。


呆れたような微笑みを見せた。

「夜雨…ここは極楽だよ?あなたはやっと、解放されたの」

「そんなの、理解できない。いきなり極楽だの解放だの…」

俯きながら…自分の足だけを見つめて、夜雨は続ける。

「こんなの、おかしいよ。こんなにいきなり幸せになれるなんて…。私はあの時、堕天使になって、そして…」


…。



…あの時、自分は確かに死んだのだ。


穢れに穢れを重ね、大量の人々を殺し、その負の感情に脳を取り囲まれ…。

最期は、天へと昇って。


(…幸せなんて、信じられない。また…何かが始まる)

目の前に、何かが置かれた音がする。

明るい女性の声がして、そして足音が遠のいていく。

「ここが極楽とか信じられないけど…幸せなんて、もう信じられないよ。きっとまた、私は…突き落とされる。こんなに弱くて、脆くて…まともな人生を歩んでこなかった私なんかが、幸せになれる訳ないよ」


周りの席の人々の会話が聞こえてくる。だが、その内容は頭に入らない。


「堕天使に成り果てて、沢山の人を殺して、勝手に死んだ…。…日之影夜雨なんかがね」



沈黙が、二十秒程も続いた。




「…夜雨」

レイの声だけは、鮮明に飛び込んでくる。



「どうしてそんなにさ。自分の事を可哀想だと思うの?」

「…えっ?」


顔を上げる。


夜雨が注文したチョコレートパフェ、そしてレイが注文したストロベリーパフェ、その向こうに、レイの顔が並ぶ。

その表情は…今までにない、どこか軽蔑したような…細く、冷たい目をしていた。

「現実を受け入れられないのは分かるよ。天使として戦ってきたあなたでも、まさか極楽に行けるなんて…そしてその話をすぐに信じろ、だなんて。でも…夜雨。こんな美味しそうなパフェを前に、そんな話をしなくても良いじゃない」

単純極まりない一言だった。

パフェを前にそんな話をするな。


夜雨は、自分という人間が立たされた境遇について話していたのだ。

どんな人生を歩んだか、どんな最期を迎えたのか。はっきりとは語らないものの、日之影夜雨という人間の弱さを遠回しに語り、幸せへの不信感を語った。

それに対する答えが…それか?


夜雨は、膝からテーブルへと手を移した。

「レイ…アタシ、真剣なんだよ?」

「真剣に聞いてるじゃん」

レイは、小さな手で、更に小さなスプーンを手に取り…人間用のパフェにスプーンを差し込んだ。

「だから。どうしてそんなに…自分の弱さや不幸を語るの?さっきも言ったけど、極楽を信じられないのは分かる。でもね。それと弱気な態度になるのは話が別だよ」

「…レイっ」

こんなレイは見た事がない。

今までは…いわば[生前]は、夜雨に唯一同情し、明るく寄り添ってくれた相棒。そんな相棒が、今ではどこか否定的な態度で、見下ろすような視線を向けてくる。


今までは一杯一杯で、レイの性格をよく見れていなかった。

だが…これが、彼女の素の姿なのか?


腹が立った。


「レイっ…!」

立ち上がり、パフェを頬張るレイを持ち上げ、軽く揺さぶる。

体温が上がるのが分かる。周りの人々の会話が少なくなり、視線が向けられるのが分かる。

羞恥が募る、座れ、と本能が体を突き動かそうとする。

だが、それらを押しのける強い感情が、夜雨の中で燃えていた。


怒りだ。


歯を食いしばり、震える夜雨。

レイは目を釣り上げるようにして、夜雨を睨みつけた。

「なに!?言いたい事があるなら言ってみなよ!」

「…言ってやる」


大きく息を吸い込む。



「私はっ!!…幸せになりたかった!!なのに、次から次へと不幸が舞い込んで…!」

驚くほど、言葉が軽やかに紡がれる。

「周りの人達を傷つけたくなくて…!私は!抵抗しなかった!!周りの人の心を尊重すれば、幸せになれる、いつか報われると思ってた!!」

顔が、徐々に下へ向いていく。

怒鳴り声は、ピークを過ぎる。

「なの、に…。なのにっ。それどころか皆、私を物みたいに扱って!!…あの、人間として…扱って…く、くれなくてっ。…幸せに…なりたいのにっ」


目線は…外れた。

結局、下を見てしまった。


綺麗なフロアに、自身の影が映る。


こんな事をレイにぶつけて、何になるというのだ。

店内で大声を出して、恥ずかしいまでに、身勝手なまでの欲求をぶちまける。


「…幸せを、信じられなくなったの」








「…怒れるんだね」





「…え」




レイが、微笑んでいた。



優しい微笑みだ。


柔らかく、底抜けに明るい…笑顔。





「…夜雨。もう良いんだよ。ここは、極楽なの。神様が用意してくれた、永遠の幸せが約束される最高の世界」


夜雨は、周囲を見渡す。



…今の一部始終を見守っていた人々でさえ、その顔は優しく…困ったような笑みを見せている。

「…大変だったみたいね」「俺達は、何があったのか知らないけど…」「新しい住人だ。きっとまだ慣れてないんだ。今はそっとしておこうぜ」


…陰口ではない。

夜雨を労り、人として扱う…あまりにもむず痒い、撫でるような言葉の数々。


「…えっ。え…!?」

何度も何度も店内を見渡す夜雨。

レイは、可笑しそうに笑った。

「本当に、本当に辛かったね。苦しかったね。…頑張ったね」

小さな手が、夜雨の手を撫でる。

愛おしそうに、そして…どこか、申し訳なさそうに。




「…レイ」

「なに?」

「…私、解放…されたのかな?本当に…ここでは、信じて良いの?…幸せになれるの?」






「…そうだよ」







…何かの音がした。



ポツリ、ポツリと。




「おっ?」

客の一人が席を立つ。

それを皮切りに、周囲の客達も次々へと立ち上がり、店の外へと飛び出していく。



夜雨もまた、無意識に足を動かしていた。




外に…雨が降り注いでいた。




しかし空は晴れ渡っている。


明るい陽光と、優しい雨。


「わあ…」


レイは、目を輝かせた。


冷たいのに、温かい。

そんな矛盾すら、心地よい雨粒。


「夜雨」





天を見上げたまま、レイは優しく呟いた。



「改めて、私はレイ。これから…よろしくね」







泣いた。




日之影夜雨は、生まれて初めて。





本当に、泣いた。




これが、涙か。


これが、温もりか。







心の底から、泣いて。









そして、笑った。










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