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テンシ  作者: 白龍
12/16

悪魔

声が聞こえる。


(苦しい…!苦しいよ、レイ!お願い…助けて…助けて!)


夜雨が泣いて、助けを求めてる。

ようやく弱みを見せてくれたというのに…。

手が届かない位置にまで、彼女は行ってしまった。

もう頭を撫でる事も、抱きしめてあげる事もできない。



「あれほどの堕天使を見たのは…いつ以来でしょうか」


…レイは今、仮面の男と共に、あるビルの屋上に立っていた。

ベンチに座るレイは、まだ頭がぼんやりとしている。


あの時、夜雨に叩きつけられ、家から放り出された。

意識を失いかけた時、あの仮面の男が姿を現し、レイを抱えて触手から逃げていた光景が、記憶の中をうっすら漂っていた。

気絶している間に、現時点では安全と思しきこの場へと避難させてもらったのだ。

「あまりにも穢れを蓄積させた事で、理性を失ってますね。かつて彼女を虐げた者達に限らず、無関係な人々まで巻き込んでいる。これまで搾取され続けた分、全てを取り返そうとしているのでしょう。このまま地球そのものを飲み込むまで、彼女は止まらないでしょうね」

淡々と語る彼に、レイの手が震える。

夜雨が…戻らぬ存在となった。その怒りや悲しみをぶつけるように、彼女は男に怒鳴る。

「…他人事みたいに言わないでよ!!あんた、こうなる事分かってたんじゃないの!?夜雨を助けてあげられる方法も、知ってたんじゃないの!?」

八つ当たりである事は分かってる。

が、半分は本心だ。いつまでも仮面を外さないこの男に、レイははっきりしない苛立ちを密かに募らせてきたのだ。

男はしばらくフェンス越しに遠方を見つめていたようだが…。


やがて、レイを見る。


「…やはり、天界から地上へ落ちる際の衝撃波は、半人前の神の使いでは耐えきれないようですね」

「…は?」

底知れない男だとは分かっていたが、とうとう理解が及ばない事を言い出した。


「いや、何の話?なに?神の使い?」

「…レイさん」


これまで夜雨へと向けていた体を、レイの方へ向ける。


「貴女…。夜雨さんの事ばかり気にしていたようですが、自分の事について考えた事はあるのですか? 」

「何で突然私の話…?それに質問してるのは私の方よ?」

レイは、上手く立てない事も忘れてベンチから飛び降りた。案の定バランスを崩し、前のめりに転ぶ。


顔を上げると…男の仮面が、レイを見下ろしていた。

…何となく彼の姿を見続けてきたが、ここまで不気味で、得体のしれぬ風貌をしていたとは。


男はしゃがみこみ、できる限りレイと目線をあわせた。


雨音が、二人の耳から無くなっていく。



「レイさん」


一瞬の静寂。


彼は告げた。

レイの正体を。





「あなたは、神の使いなんです」





「…神の使い?」


理解する時間を与えている暇はないとばかりに、彼は情報を畳み掛けてくる。


…ただし、今度は自分の情報を。



「あっ」

レイが声をあげる。


…男は、仮面を掴む。




…彼の素顔が、明かされる。






「うわっ!!」

水たまりの上にひっくり返るレイ。

怯えに満ちた目で、男の顔を見やる。



…無数の黒い紋章が、血管のごとく張り巡らされた顔。

見開かれ、飛び出さんばかりの目。口は耳元まで裂け、その広い面積の中にびっしりと牙が並んでいる。


まさしく怪物。

どこか美しさを感じさせる遠方の堕天使とは異なり、男の素顔はただただ…恐ろしい。


「…私は、悪魔です」




「悪…魔?」


悪魔。

心世界に蔓延る、人間の悪意の集合体。

これまで何度も夜雨が戦い続けた邪悪な存在。



「…っ!!」

敵うはずもないのに、両手を上げて身構えるレイ。

雨に濡れた体に、更なる寒気がつきまとう。


…だが、レイは勘違いしていた。

男は、全くと言っていいほど殺意を出さない。ギョロリと、眼球だけがレイを見下ろす。

「本当に忘れたようですね。我々の役割を」


男は、襲ってくるどころか自ら離れ…再び、遠くを見る。

足元に置かれた仮面に、雨水が溜まり…あっという間に溢れ出す。


「貴女がたが戦ってきたのは、人間の悪意という名の魔物です。悪魔という呼び名も、あなた方が勝手に付けていたものでしょう?私は、人間達の神話に伝えられる、本当の悪魔なのです」

男は左手をひらつかせ、レイの意識をこちらに向けさせるように語り続ける。

「監視役である我々悪魔とは別に、地上へ送り出され、不幸な人間を選抜、天使としての力を与えて、心世界での孤独な戦いへと出向かせ、その中で得る達成感や幸福感、反対に損失感や更なる悲しみ…その人物の感情を通じて人間という種そのものを調査する存在。それこそが神の使い、すなわちあなたなのです」



頭が追いつかない。

が…。




確かに、レイの中に記憶は残っていた。

そして、霞んでいたその景色が、脳裏に蘇ってくる。




自分は、つい最近、天界にて誕生し…地上へ送り出された。





あの時、人間の調査を行う神の使いが不足していた。

まだ右も左も分からぬ状態だったのに、彼女は地上へと落とされた。当時のレイ…光の塊が地上へと落ちていく様はとても静かであり、陽光に溶け込むように、ひっそりとしたものだった。


光の塊である彼女は、ゆったりと空中を舞い、そこらにいる人間達をしばらくの間観察していた。

狙うは、様々な感情を発する、できる限り不幸な人間。

神より与えられた本能が、そんな人間を探して地上を旅する。


そして、出会ったのだ。



とある家。

その窓から、外をぼんやりと覗き込む一人の幼い少女に。


頬には湿布が貼られており、目は虚ろ。

なのに、口角が上がっていて、明らかに無理が見え透いている笑顔を見せていた。


神の使いに感情はない。不幸な人間に無慈悲に張り付き、その生き様を観察するだけだ。


だが、その時の神の使い…後にレイと名乗るそれは、未熟だった。


人間界の大気に触れた事で中途半端に芽生えた感情が、疼いてしまったのだ。


この幼い少女…今にも消えてしまいそうな、小さな命。


日之影夜雨への興味が。




その時だった。

レイという…人形が誕生したのは。


光の塊は、[あるもの]をベースにその姿を作り上げた。

そのあるものとは…ターゲットとしたその少女、夜雨の思考の一部、あるイメージだ。


当時から大人に殴られ続けていた夜雨の、淀んだ心の中にあった、自分の理想の姿。

それは…あまりに無邪気なものだった。







もっと綺麗で、長くて、白みがかった灰色の髪。

自分の好きな青色のドレス。

リボンを沢山つけて、可愛い笑顔の、メルヘンチックな女の子になりたい。

そして、美味しいお菓子を毎日食べて悲しみや痛みとは無縁の、陽気で明るい子になりたい。



…その理想は、あくまで理想で止まっていた。


無駄な妄想だ。

こんな自分に、作り笑いしかできないような自分が、そんな可愛い女の子になれる訳が無い。

理想の姿など、たかが人形なのだ。



人形。




「…あっ」



レイは、自身の姿を改めて見る。


青いドレスに、灰色の髪。


夜雨の…理想の姿。

夜雨が本来ありたかった、いわば写し身。



…男は、ため息をついた。

「…神の使いは、人間に天使の力を与え、心世界へと誘導し、戦わせる事が役割です。その人間に情を持ち、理想の姿を自身へ反映させるなど…未熟者も良い所です」


未熟者。神という果てしない存在に使われていながら、人間一人の妄想を無邪気に、無意識に投影してしまった自分。

…救いようのない、単純極まりない思考だった。


だが、レイは言い返した。


「…あんた、よく他人の事を言えるわね」

「…私の言動に何か不満でも?私は人間を監視し続けるのが役割の、無慈悲な悪魔ですよ。必要最低限の干渉だけを行なってね…」


レイは男に歩み寄り、その足を軽く小突く。

今までになく、安定した足取りだった。


「…極限まで干渉しないんなら、何故、夜雨に涙を流すように警告してたの?」



男が、黙る。



はじめてだ。レイの言葉で彼が言葉を失うなど。




「…無慈悲な悪魔さん?あなた、夜雨が限界になる前に涙を流させて、少しでも悲しみを吐き出させてあげようとしていたんでしょ」




男の顔が、人間味を帯びたようにも見えた。



大きな目が細められ…虚しそうに、閉じる。



…雨が振り続ける。




「…ええ。私も、悪魔失格ですよ」


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