77 お正月
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1999年2月号
77 お正月
大みそか、時計の針が12時を指す少し前になると、外に出て耳を澄ます。風向きによっては行徳のあちこちのお寺の除夜の鐘がよく聞こえるし、0時には浦安の東京ディズニーランドで花火が上がる。でも、私が耳を澄ませて待つのは鐘の音でも花火でもない。午前0時、年が明けると同時に、東京湾のあちこちに停泊している船舶は一斉に号笛を鳴らす。船によって音色は異なるけれど、どの船も新年の到来を祝って、それぞれが暗い海上で汽笛を鳴らすのだ。その音を聞きながら合掌するのが、いつのころからか毎年の習慣になった。年のいちばんはじめにすることは、これ。
さて、それから後の3,4時間は勝負どきである。こんにゃくやごぼうのアクを抜き、大根や人参をきざみ、泥芋や泥ねぎの皮をむいて、元旦恒例の「初日の出の会」用の豚汁を作るのだ。前日に作っておくおしること合わせ、わが家と観察舎のありったけのお鍋がいっぱいになるので、それぞれ100杯分くらいにはなっていると思う。長年にわたって、わが家の正月料理はこの2点、あとは主人の東京風お雑煮のみ、と決まってしまった。一度だけ豚汁がきれいになくなった年があり、元旦そうそう昼食を作る羽目になった。この年は、あとになって自宅用に豚汁をこしらえてみたが、大量に作る元旦の味には遠く及ばなかった。
もともとは「初日の出とスズガモの帰還を見る会」という行事。日の出前に銃猟を避けて海から入ってくるみごとなスズガモの大群を他の人にも見てもらいたくて、電車の終夜運転がある元旦にターゲットを合わせたのがはじまり。1979年に三番瀬一帯が銃猟禁止区域となり、1980年代なかばをすぎると、スズガモはわざわざ保護区へ避難してくることをやめた。朝焼けの空を背景に飛ぶ大群、頭上を越えて行く羽音……こうした最大のアトラクションがなくなってから、もう十数年になる。それでも午前6時から9時に限って観察舎を開館し、海岸と観察舎の両方で初日の出を見る行事は生き残っている。行徳ラジオ体操会のみなさんから豚汁の材料費とお餅のご寄付、さらに餅焼きのお手伝い要員を出していただき、友の会との共催行事として現在に至った。大群こそ見られないが、茜色の空に水鳥が舞う。塩浜の工場群の屋根を抜いて、まぶしい初日が顔を出す瞬間は、前夜の号笛と同じく、自然に手をあわせて拝む荘厳なひとときである。この時を迎えるよろこびは、前年にどんなできごとがあっても、毎年変わることはないだろう。
さて、観察舎スタッフの年末年始もここ数年はほぼ同様で、年末はぎりぎりまで餌用の魚のアラ確保に大わらわ。今年は男衆ががんばって浦安魚市場に何度も通ってくれたおかげで、わりあい早い時期に400㎏ほどの必要量がそろい、窓拭きや掃除もまあまあ順調に済んだ。31日、ゴミばさみと袋を持って道路のゴミ拾いの仕上げに出たところ、同じようなスタイルの人に追いついてびっくりした。散歩のついでに道のゴミを拾っておられるとのこと。2週間前にゴミ拾いをやった時も、例年よりはるかに少ないゴミの量に驚いたものだ。何気なく自然にこうしたことをしてくださるボランティアさん。いいなあ、と、とてもうれしかった。1時間以上を覚悟していたゴミ拾いは、おかげで30分もかからずに終えることができた。
年始は、というと、東会長宅での元旦恒例の新年会に顔を出すほかは、年末に時間がとれなかった環境管理作業を何かしらやることになる。魚アラ切りや観察会、禽舎掃除等がない年始は、ゆとりを持って作業にあたることができるからだ。樹林帯の手入れで伐採された松丸太を運んだり、枯れたホテイアオイを水車池から引き上げたりしているうちに、年末年始の休館期間も過ぎた。
さて、いよいよ1999年がはじまった。「7の月」に何かあるのかも知れないけれど、目下は心静かに、間近にせまった竹内が原のトラクターがけのため、排水や下準備を始めている。快晴の青空に舞うカモメやタカと草の種子。やがて大寒だ。




