54 季節が動く
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1997年3月号掲載
54 季節が動く
1月22日はおそろしく寒かった。タライやバケツの水が凍り、地面にあけておいた氷が夕方になっても溶けずに残っていた。身を切るような北風の中、保護区内の工事現場をひとまわりして戻り、犬の散歩に来られていたご近所の奥さんに「寒いですね」とあいさつしたら、「今、すぐそこの芝生のところでオオイヌノフグリの花が咲いているのを見つけたの。そこだけ春が来たみたい」と言われた。傷病鳥舎の南側、植え込みにさえぎられて寒風が届かないところで、オオイヌノフグリが十いくつも花をつけていた。陽がかげったために、花弁をとじていたが、おとなりではヒメオドリコソウも濃いピンクの花をつけ、見上げると梅のつぼみも大きくふくらんでいた。そういえば、傷病鳥舎のウミネコが求愛をはじめている。芝生のムクドリもつがいで行動するようになった。日がのびてきたな、と思うがはやいか、着々と動きはじめた季節の変化がこわいほどだ。
今年は冬の小鳥が例年にないほど多いような気がする。春のきざしが見えてきたとはいっても、鳥たちにとっては一年でいちばん苦しい飢餓の季節の最中だ。木の実のなくなり方の早さは目をみはるほどで、赤いトキワサンザシやオレンジのタチバナモドキは12月の中旬にはきれいに消えていた。これは別に珍しいことではないが、それから十日ほどで黒いトウネズミモチもなくなったので、ちょっとびっくりした。ところが、さらに十日ほどたった年明け早々には、黄色いセンダンやキカラスウリまで食べつくされていて、仰天してしまった。トウネズミモチがなくなるのはふつう1月なかばから2月はじめ、そしてセンダンやキカラスウリは3月まで残っていることが多い。これからの季節を鳥たちがどうやってしのぐのか、心配になってしまう。
小鳥は今のところよそへ移動してはいないらしく、まだ多い。冬の常連であるアカハラ、シロハラ、ツグミ、アオジ、オオジュリンなどに加えて、ごく時たま姿を見せるだけだったウソやマヒワが今冬は初めて定着している。ジョウビタキやメジロもよく目につく。
1月8日には、保護区初記録のキレンジャクを1羽見て、ほくほくしてしまった。思いがけない鳥を間近でくっきりと見た瞬間は、鳥をはじめてから30年以上も経った今になっても、胸がどきどきする。バードウォッチャー冥利につきるというものだ。
保護区の再整備工事は、最大の難関である干潟の砂入れが無事に終わって、目下は10㎝きざみの落差の棚田を着々と造成中である。熟練したオペレーターさんたちの念入りでていねいな仕事ぶりには、見るたびに頭が下がる。「蓮尾さん、ここどうなのよ。下から道をつけといたほうがいいよねえ。そうしとけば、軽トラックで上がれるよ」 設計図にないことも、先の管理作業を考えて気を使ってくださるので、ほんとうにありがたい。
それにしても、こんなきれいな畦道や水平な棚田を、思うとおりにきちんと管理して行くのはどうしたらよいのか。予算の範囲内できっちり仕上げてゆく腹案も自信もあるのだけれど、それを役所の制度や考え方の中にうまく取り入れて実行にうつすだけの方策が見つからない。まあ、悪いほうに考えて気をもんでも仕方がないので、当たって砕けろというつもりで、やるだけのことはやろうと思っている。そもそも、まず無理だろうと思っていた保護区の全域近くにおよぶ湿地造成や、干潟の改良のための砂入れ工事が実現したのだ。これからの目標は、もっともやりにくいソフト面での改善であるわけだが、よい方向へ向かうにちがいない、と無理にでも信じることにしている。
道はきっと開ける……そう信じていなくては、鳥の保護なんてできない。
1月24日の夜、ひさびさに雨が降った。寒気がゆるんだこともあって、はやばやとヒキガエルのコッコッコッという声が複数聞かれた。ここ数年ではいちばん早い記録である。北風が吹いた25日には、さっさと冬眠に戻ったことだろう。寒さはまだ続くが、立春の気配はあちこちに見られる。好きな季節だ。




