53 干潟の砂入れ
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1997年2月号掲載
53 干潟の砂入れ
「もう水門開けて大丈夫だよ」
ああ、よかった。無事に終わった。今年度の保護区の再整備第二期工事の中で、いちばんの難題だった干潟の砂入れ終了。心底ほっとした。
行徳鳥獣保護区が抱えている重大な欠点の一つは、干潟の底質である。この保護区は大井野鳥公園(註 東京港野鳥公園の前身)や葛西の鳥類園のように、埋立地の一角に鳥の保護区を造成した場所ではない。わざわざ干潟面に泥を入れてかさ上げし、湿地の性格を持たせようとしたところだ。年間20㎝もの激しい地盤沈下や、内陸部の湿地がすべて宅地として埋め立てられるという情勢から、30年前当時にはそれが最善と考えられた。しかし、かんじんの淡水源がなかったこと、そして、土量確保のために周辺の埋立地から上澄みの泥水を大量に流し込んだことが、造成当初から背負わされたいわば宿命となった。
この泥水は、当時の「吹き上げ」による埋立方法(浅瀬に囲いをつくり、海底の泥を海水ごと巨大なポンプで汲んで流し込む)の問題児だった。「吹き上げられた」土砂は粒の大きな順に沈むが、表面には粒子のこまかいシルトや粘土を含む泥水が残って、なかなか乾かない。浦安では当初一部を海に流したが、漁業被害を招いて問題となった。塩浜一帯の埋立地の上澄みは、造成中の保護区に流し込まれ、泥害防止と土量確保の両方を解決する名案とされた。このため、保護区全体が厚い粘土の層におおわれてしまった。干潟の生物にとっては、致命的な欠陥のひとつだ。
淡水源確保のために、生活排水利用の湿地づくりを続けている。今年度は保護区の中心部に大規模な棚田を造成し、セイタカアワダチソウの原野の大半を浅い湿地にかえる工事の最中だ。一角は「長靴池」と名づけた深めの池だが、この池を掘る時、粘土層の下の砂を運んで干潟に入れ、底質の改良をはかることにした。ただし、粘土におおわれた鈴が浦の干潟はやわらかい。どうすれば砂が入れられるか。昔の「吹き上げ」のように砂と水をまぜて流せればいちばんよいが、都合のよい機械があるわけではない。
12月16日、いよいよ砂入れ工事への準備が始まった。工事に先立って、ふだんは開け放してある水門を干潮時に閉め、あとは夜中の潮時を見計らってできるだけ潮を下げた。予定している1300立方米の砂といえば、はんぱな量ではないが、大がかりな通路確保のおかげで、砂運びは二日とちょっとで順調に終わった。
「ちょっと落ちつかせておいて、最後の日にブルを二台つないで、できるだけ先まで押してみますよ」
わが相棒の石川君が、たっぷり水を含んだ砂からしみ出る水の排水のため、胴長でひざまでもぐる重労働を毎朝続けてくれたので、1週間ほど放置された砂はいくらか落ちつき、人がどうにか上を歩けるくらいの固さになった。さあ、いよいよ最終日である。
12月27日朝8時半。轟音がとどろきはじめた。ブルドーザーがあんなに先まで出ている。戻れるだろうか。オレンジ色のは蕪木さん、ワイヤーロープでつながれた大型の黄色のは黒沢さん。呼吸を合わせてバックしはじめた。動くか、動いた!
「ワイヤーロープが切れちゃった。二重にしてみるよ」
もぐるか、もどれるか。キャタピラがぜんぶ埋まるところまで蕪木さんがつっこむ。泥まみれになった石川君はスノーボードを頼りに干潟の先まで出て、写真を撮っている。私が仕事をしている傷病鳥舎の治療室からは、真正面の現場作業の一部始終が見える。息詰まるような二時間余りが過ぎて、二台のブルが引き上げはじめると、あたりは急にしんとした。よかった、無事だった。
水門から勢いよく潮が入ってきた。12日ぶりに冠水する干潟をめがけて、魚がいそいそと泳いでいるに違いない。潮を待ちわびた生きものたちは、触手や体を海水中にのばしているだろうか。アオサギが何羽も汀線にたたずんでいる。一、二年のうちに砂の上にはチゴガニが一面に散って、ダンスをするようになるはずだ。干潟の生物にも、かかわった方々にも大きな負担をかけた砂入れ工事だが、よい結果が出るに違いないと思っている。
よき相棒の石川君は、二月の支部例会でアメリカの国際鶴財団でのボランティア生活の話をする。いらしてください。むろん、私も聞きに行きます。




