31 春を待つ
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1995年4月号掲載
31 春を待つ
枯れ草色の芝生の中に赤紫のものを見つけた。もしかして、と思って近づくと、やっぱりそう、ホトケノザの花。あるある、あっちにもこっちにも。それにオオイヌノフグリの青空色の花も咲いている。自転車で買物に出て、ニセアカシア林の電線にモズが2羽で並んで止まっているのを見た。つがいが求愛している最中で、雄がピチュピチュ、ジュイーとカワラヒワをまねた甘い声でささやいていた。ああ、もう本当に春が近いんだ。
「ふつうの暖冬」の今年は立春すぎの陽光がありがたい。年末まで冬の小鳥の姿がひどく少なくて、いつも物干し竿に止まるジョウビタキの雌も見られないし、台所の窓の外の夾竹桃の中で呼び合っているアオジもいなくて、ずいぶんさみしい思いをした。年があけてからは、裏の竹藪にムクドリがねぐらをとっているので、けっこうにぎやか。それに観察舎の駐車場の近くには妙になれあれしいホオジロがいる。保護区の中ではひさびさに青くてきれいな雄のルリビタキを見た。シジュウカラ(行徳では冬鳥である。もっとも昨夏ディズニーランドからヒナが持ち込まれたので、いよいよ繁殖を始めてくれたらしい)やカシラダカもちょくちょく見るし、ミソサザイやヒガラも見られている。まあまあ、というところか。
今冬は餌用にといただいたお米のストックが例年になく多い。餌が乏しい1,2月に限って保護区の中にまいているのだが、スズメやアオジ、キジバトといったごく常識的なお客さんに加えて、ツグミ、ムクドリ、それになんとヒヨドリまでお米に集まっているとのこと。保護区のメインルートを歩いていると、まっ白なふんばかり目につく。3月に入って草木の芽や昆虫が動きはじめるまでが、鳥たちにとってはいちばんつらい季節だ。あともうひと息。
このところ週休2日のうちの1日は、必ずといってよいほどみなと新池の棚田を掘り返している。だいぶ体が慣れたらしく、筋肉痛もおさまった。出かけるときは身を切るように冷たく感じる北風が、しばらくスコップを使っているうちに、ほてった顔にひんやりと心地よくあたる。その気分がたまらない。松の上からいつもこちらを見ているモズくん、多少はおいしいものにありついているのだろうか。私よりずっと掘り返しの時間が長い佐藤君によれば、休み時間に突き立てておいたスコップに止まることもあるそうだ。
佐藤君をはじめバイト生さんたちのおかげで、5枚ある棚田の耕耘はひととおり終えた。タイミングよく、市川の北にある大町自然公園の池の浚渫泥の搬入がはじまったので、長いこと中止していた揚水もようやく再開できた。あとは、思いのほかやっかいなアシの地下茎とり、それに5枚の棚田を10枚に仕切る畝や水路づくり。そのほか、春一番が吹く頃に起き出してくるヒキガエルたちのために、観察舎前の餌場の池もちゃんと掘って水を入れなくてはならない。まだまだ当分泥いじりが続きそうだ。
佐藤君は4月からイギリスのRSPB(イギリス鳥類保護協会)のボランティア・ワーカーとして1年の予定で渡英し、サフォーク州にあるミンズメア保護区で研修を兼ねて働くことになっている。ミンズメア保護区で行われた水鳥の誘致策は、大井野鳥公園をはじめ、日本で作られている保護区域のいわばお手本になっている。その基礎を築かれた、もとRSPBのワーデンであるハーバート・アクセルさんは今年80歳になられるはずだが、佐藤君の渡英計画をとても喜んでくださった。
「ただ働き」というと聞こえはよくないが、短期留学と思えば学費がいらないだけ楽かもしれない。いいなあ、と私までわくわくしてしまう。
4月からは、この1年間、ジョージ・アーチボルド博士のもと、アメリカの国際ツル財団で同じくボランティアをしていた石川君が帰ってくる。たのもしい若者たちがどんなに大きく育ってゆくか、楽しみでたまらない。




