世界で一番やさしい停止装置
停止装置の完成試験は、破壊試験から始まらなかった。
最初に用意されたのは、何もしないための椅子だった。
完全治療の維持術式へ接続し、本人が選んだ速度で同期を弱める。急停止による痛みや魔力反動を避けるため、解除、維持、段階的離脱の三経路を持たせた。操作は大きなレバー一つ。途中で手を離せば、その時点の状態を保つ。
「高出力緊急逆位相衝撃で一気に――」
「しない」とリンファが言った。
「まだ説明の途中よ」
「一気に、の時点で却下です」
エリスは不満そうに頬を膨らませたが、設計図から衝撃機構を消した。代わりに、魔力を使わない機械式の遮断板、手回しの減速器、誰でも交換できる規格歯車を組み込む。
最初の試験者は、娘の涙へ何も感じなくなった女性だった。
エリスは椅子の横へ膝をつく。
「戻る痛みの量は予測しきれません。途中で止められます。やめる理由は説明しなくていい」
女性はレバーへ手を置いた。一段目で指が震え、二段目で涙が落ちた。失われていた感情だけでなく、関節の痛みと治療前の恐怖も戻ってくる。
「止めますか」
「もう少し」
それはエリスの判断ではない。
三段目の手前で、女性はレバーを離した。完全解除ではなかった。痛みを抑える機能を半分残し、感情の平滑化だけを弱める位置だった。
娘が駆け寄る。女性は泣きながら抱きしめた。
「全部戻さなくて、いいんですね」
「ええ。今日の位置を明日変えてもいい」
試験後、エリスは装置の銘板を取りつけた。
《世界で一番やさしい停止装置》
ロイドが文字を読む。
「珍しく普通だな」
「正式名称は《超段階式・あなたの気持ち最優先・痛いときは途中で――》」
「銘板はそのままにしろ」
全員の賛成で、長い正式名称は設計書の裏へ封印された。
装置は治療を壊さない。治療を選んだ患者も否定しない。ただ、選択を一度きりのものにしない。
完成の報告が届いた同じ夜、北区中央塔の白い術式が都市全域へ伸び始めた。
カインゼルは、停止装置が使われるより先に、街そのものを変化しない安全な状態へ固定しようとしていた。




