観察者ノアールは、何も見逃さない
黒い外套の男は、自己紹介より先にエリスの歩き方を指摘した。
「右義脚の接地が三分の一拍遅い。左義手は工具を戻す時だけ握力が強い。疲労を隠す際、あなたは説明の速度を上げる」
「人を魔導具みたいに観察しないで」
「魔導具も人も、観察せずに扱えば壊れる」
ノアール・アルヴェイン。王立記録局から派遣された災害記録官だった。感情の薄い灰色の瞳で周囲を見渡し、発言時刻、風向き、装置の故障箇所、誰がどの選択をしたかまで記録する。
エリスは当然、気に入らなかった。
「記録なら私も取っているわ。術式電圧、白晶濃度、荷重変化、位相偏差――」
「あなたの記録には、失敗した時の自分の状態がない」
差し出された記録板には、白化地帯へ入ってからの失敗が並んでいた。測定器が壊れる前、エリスが睡眠を削って調整していたこと。探査鈴の説明中、隊員の防護面が曇っていたこと。飛翔救助具の試験時、横風を警告したロイドの発言を、エリスが「補正できる」と退けたこと。
技術的な原因だけではない。判断へ至る過程が残されている。
「私の設計ミスを集めて、何がしたいの」
「次に同じ条件へ入る者を、生きて帰す」
その日の調査では、白化した旧掘削機が同じ旋回動作を繰り返していた。止めても数分後には再起動する。エリスは内部回路へ触れようとしたが、ノアールが先に地面の擦過痕を示した。旋回半径が少しずつ狭まり、やがて燃料槽へ接触する軌道だった。
エリスは主電源ではなく、動力を伝える歯車を物理的に外した。掘削機は命令を繰り返そうと震えたが、刃は動かなかった。
「今のは記録しておいて。白化は術式を保存するだけでなく、破損前の動作へ戻ろうとする」
「すでに書いた」
「私が言う前に?」
「あなたが歯車へ手を伸ばした時点で、仮説は推測できた」
腹立たしい。だが使える。エリスはそう判断した。
野営地へ戻る途中、ノアールは歩調を落とした。エリスの右義脚が再び遅れていたからだ。指摘はせず、自然に彼女の右側へ回り、崩れた地面との間へ入る。
それがさらに腹立たしかった。助けられたと認める前に、助けが終わっている。
夜の検討会で、ノアールは失敗記録を提出した。エリスは破り捨てようと手を伸ばし、途中で止めた。
そこには責任者を罰するための結論がなかった。ただ、起きたこと、判断した理由、次に確かめることが書かれている。
「一つ条件があるわ」
「何だ」
「私の失敗だけ集めるのは禁止。全員分よ。あなたのも」
ノアールは初めて、ほんのわずかに口元を緩めた。
「当然だ」
翌朝、彼は昨夜の記録から一枚も捨てず、工房へ送る複製を作っていた。エリスが消したかった失敗は、すでに次の装置を救う設計資料になり始めていた。




