表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/16

5 再出発

「おはよう、起きていらっしゃる?」


 いつの間にか熟睡していたミュゼを起こしたのは、上品なノックの音と柔らかな声だった。


「はっ、はい!」


 慌てて部屋の扉を開けると、昨夜会った花屋の女性がにっこりと笑った。


「朝食を作ったの。一緒にどうかしら?」

「えっ? そんな、ご迷惑を――」

「あらぁ、いいのよ。こういうのは大勢いた方が楽しいし、あなたに聞きたいこともあるし、ね?」


 ぱちん、とウィンクして見せた女性に、ミュゼはついつい頷いてしまっていた。


「私はマリエット、下の花屋の店主よ」


 花屋の女性――マリエットは階段を下りる最中、そう名乗った。


「ミュゼ・オレオールと申します。職業は調香師です」

「調香師! 素敵ねぇ。それで……」


 マリエットはミュゼの方を振り返ると、耳元でこそりと囁いた。


「アシル様とはどのようなご関係なの?」

「……? 貴族学園の同級生になります」

「……それだけ?」

「はい、それだけです」


 ミュゼの答えに、マリエットは少しだけがっかりしたようにため息をついた。


「なぁんだ。やっとアシル様にも春が来たと思ったのに……」


 どうやらアシルはあの華やかな見た目に反し、浮いた話はないらしい。


(意外だ……)


 そんなことを考えながら階段を降り、二階へたどり着く。


「ようこそ我が家へ! ゆっくりくつろいでね」


 扉を開けた先には、食事の準備が整ったダイニングが広がっていた。


「ここで夫と子供と暮らしているの。夫は朝早くから出勤よ。今度帰ってきたら紹介するわね」


 そう言うと、マリエットは席についていた幼い少女に声をかけた。


「ニネット。こちらが今朝お話しした方よ」

「わぁ、アシル様の恋人!?」

「いえ、違います」


 ミュゼは慌てて否定した。

 こんな勘違いをされていると知られたらアシルは気を悪くするだろうし、調香師としての再出発を支援する話もなくなってしまうかもしれない。


「初めまして、ミュゼと申します。調香師……香水を作る仕事をしています」

「香水!? すごぉい! 私にも作って!」

「こら、ニネット。ご迷惑よ!」

「いいえ、構いません」


 ニネットの可愛らしい言動に、ミュゼは頬を緩める。


(そういえば、誰かのために香水を作ったことはなかったな……)


 今までは技術の向上や流行の先を行くために、マルセルに言われるがままに調香していた。

 だが……たまにはこうして誰かのことを思って香水を作るのもいいだろう。


「もっとお話聞かせて!」


 勢いよく話しかけてくるニネットに気圧されながらも、ミュゼは彼女との会話を楽しんでいた。

 卒業してから数年、ずっとマルセルの工房に籠りっきりで、誰かと食事を共にするようなこともほとんどなかったのだ。


「それでね、私もママのお仕事を手伝ってるの! 看板娘なのよ!」

「ふふ、それは商売繁盛間違いないですね」


 この場所は温かかった。

 まるで、機械から人間に戻ったような気分になるほどに。

 にこにこしながらミュゼとニネットの様子を見ていたマリエットが、不意に鳴ったベルの音に反応し階下へ降りていく。

 すぐに戻ってきた彼女は、身なりの良い青年を連れていた。


「ミュゼさん、リヴェレット侯爵家の方がいらっしゃったわ」


 慌てて立ち上がるミュゼに、青年が丁寧にお辞儀をする。


「初めまして、ミュゼ様。私はアシル様の従者を務めております、ブリスと申します。これからミュゼ様のお仕事をサポートいたしますので、なんなりとお申し付けください」


 年頃はミュゼやアシルと同じぐらいだろう。随分と穏やかな物腰の青年だ。


「よろしくお願いします、ブリスさん」

「アシル様より、まずはミュゼ様の作業環境を整えよとの命を受けております。お恥ずかしながら私は調香についての知識はありませんので、何が必要か教えてください」


 あまりに丁寧な対応に、ミュゼの方が驚いてしまった。

 アシルがミュゼを支援すると決めたのは昨日の夜だ。

 同級生だったアシルはともかく、他の者にとってのミュゼはどこの馬の骨ともわからない謎の女であるはずなのに……。


(それだけ、アシル様を信頼していらっしゃるのね)


 ミュゼが失敗すれば、それはアシルの顔を潰すことになる。

 見る目がなかったと、彼が嘲笑われるような事態にもなりかねない。


(そんなこと、させない)


 ぐっと拳を握り締め、ミュゼはブリスを見つめた。


「王都中駆けずり回ることになると思いますが、可能ですか」


 彼はミュゼの言葉に、面白そうに笑った。


「えぇ、もちろん。ミュゼ様がお望みならどこへなりとも」

「なら今から行きましょう。一刻も早く環境を整えたいので」


 手を振るマリエットとニネットに礼を言い、ミュゼは足早に階下へ駆け下りた。

 立ち止まっている暇はない。

「宮廷調香師になる」という夢のためにも。

 どん底状態だったミュゼをすくい上げてくれた、恩人のためにも。

 ミュゼの挑戦は、まだまだ始まったばかりなのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ