39 仕組まれた悲劇
唐突に話題が変わり、ミュゼは目を丸くした。
「学園の剣術大会で何度も優勝されていたことは……」
「そうか、覚えていたか」
アシルの表情がほんの少しだけ緩んだ。
その顔を見た瞬間、遠い学園時代の記憶が蘇る。
剣術大会の会場で、眩しい日差しを受けながら剣を構えていたアシル。
歓声を浴びても浮かれることなく対戦相手へ礼を尽くし、試合が終われば明るく笑って仲間たちの輪に戻っていく彼の姿は、学園の中でもひときわ鮮やかだった。
「リヴェレット侯爵家は、代々優秀な騎士を輩出してきた家系だ。その後継ぎとして生まれた俺も、当然のように幼いころから騎士を志していた」
それは、夢というよりも、彼にとっては決められた道に近かったのかもしれない。
朝が来れば太陽が昇り、春になれば花が咲くように。
リヴェレット侯爵家の嫡男であるアシルが騎士になることを、誰も疑っていなかったのだろう。
「子どものころから剣を握り、騎士として必要な鍛錬は一通り積んだ。学園の剣術大会でも何度か優勝したから、周囲の期待もそれなりに大きかった」
淡々とした口調だったが、そこに自慢げな響きはなかった。
きっとアシルにとっては当然のことだったのだろう。
ミュゼにも、皆が彼に期待していた理由がよくわかる。
学園時代からアシルの剣術は抜きん出ていて、剣を振るう姿には確かな力強さと華やかさがあった。
きっと彼は、国一番の騎士になる。
ミュゼだけではない。あのころ彼を見ていた多くの者が、そう信じていたはずだ。
「学園を卒業後、俺は宮廷騎士団に入った。自分で言うのもなんだが、同期の中でも優秀な方だったと自負している」
(そうだろうな……)
ミュゼは心の中で小さく頷いた。
彼がそう言うことを、少しも大げさだとは思わなかった。
むしろ、あれほどの腕前ならば当然だろう。
アシルは窓の外へ一度視線を向け、少し間を置いてから低い声で続けた。
「……事態が変わったのは、俺が騎士団に入って半年ほど経った時だった」
その一言で、部屋の空気が静かに変わった気がした。
ミュゼは無意識に背筋を伸ばし、アシルの言葉を待つ。
「宮廷騎士団では定期的に馬上槍試合が開催されていて、俺も出場することになった。幼い頃から馬に乗るのは慣れていたし、順調に勝ち進んだ」
自然と、ミュゼの頭の中に華やかな試合場の光景が浮かんだ。
観客たちの歓声。勇ましく武を競う騎士たち。
若きアシルは正々堂々とそこにいたのだろう。
「次の試合に挑もうと馬に乗った時だった」
アシルの指先に、かすかに力がこもった。
「突然、俺の乗った馬が暴れ出した」
「っ……!」
「馬を制御しようとしたがうまくいかず、俺は振り落とされた。馬はそのまま暴れ続け……俺は何度も何度も踏みつけられた」
「そんなっ……」
ミュゼは思わず声を上げていた。
落馬事故が危険なものだということくらい、騎士ではないミュゼにもわかる。
ましてや暴れた馬に何度も踏みつけられるなど、想像しただけで血の気が引く惨事だ。
思わずその光景を想像して、ミュゼは思わずぎゅっと指先を握り締めた。
もしその場にいたなら……自分はきっと正気ではいられなかっただろう。
「騎士たちが馬を取り押さえるまで、そう長い時間はかからなかったらしい。だが、俺にとっては随分と長く感じた」
アシルは淡々と語っている。
だがその静けさが、かえって事故の凄惨さを物語っているようだった。
「全身を強く打ち、肋骨を折り、右足もひどく損傷した。医師からは、命があっただけでも幸運だと言われた。だが……」
アシルはそこで一度言葉を止め、静かに告げた。
「体には後遺症が残った。当然、騎士としての道はそこで断たれた」
「っ……!」
……かつて騎士としての道を歩んでいたアシルが、なぜ今宮廷書記官という地位にいるのか。
今まで、気にならなかったわけじゃない。
だが、アシルが自分で言わない以上は触れてはいけないことだと思っていた。
……それがまさか、こんなに理不尽な出来事があったなんて。
騎士になることを当然の未来として歩んできた彼が、たった一度の事故ですべてを変えられてしまったのだ。
あまりの衝撃に、頭では理解できても心では受け止められなかった。
「馬が暴れた原因はすぐにわかった。犯人が自供したからな」
「犯人……?」
思わず問い返したミュゼの声は、自分でも驚くほど震えていた。
だって、「犯人」だなんて。
偶発的な事故ではなく、故意に起こされた出来事だったなんて。
……そんなの、あんまりじゃないか。
だがアシルの口にした言葉は、そんな想像を打ち砕くものだった。
「俺の同期の男が馬に興奮剤を盛ったそうだ」
「そんなっ! どうして……」
馬上槍試合の最中に馬が暴れることがどれほど危険か、騎士ではないミュゼにもわかる。
ましてやそれが偶然ではなく、誰かの――同僚である騎士の手によって意図的に引き起こされたものだったなど、あまりにも信じがたい話だった。
「日ごろから俺の態度が気に食わなかったらしい。ただ名家に生まれただけで皆にちやほやされるのが妬ましかった。みっともなく落馬したところを見て留飲を下げたかった。こんな大事故になるとは思っていなかった……と」
「ひどい……」
かろうじて絞り出された言葉は、それだけだった。
もっと言いたいことはたくさんあるのに、胸の中で渦巻く怒りと困惑が大きすぎて、うまく言葉にならない。
――ただ妬ましかったから。
――少し恥をかかせてやりたかったから。
――皆の前で無様な姿を見れば、自分の気が晴れると思ったから。
……そんな浅はかな、一時の感情で。
いとも簡単にアシルの未来は断たれてしまった。
……そんなの、信じたくなかった。




