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35 見ていて飽きない

 昼食は、中央庭園にほど近いカフェで取ることになった。

 白いパラソルの下に並ぶテーブルには焼き立てのパンや香草を使った肉料理、瑞々しい果物を添えた菓子などが並んでいる。

 ミュゼは運ばれてきた皿を前に、思わず目を輝かせた。


「これ、ハーブの使い方がとても上品ですね。強く主張しすぎないのに、鶏肉の香ばしさを引き立てていて……」

「さすがの分析だな」

「す、すみません。癖で……」


 慌ててフォークを手に取ると、アシルがわずかに口元を緩めた。


「謝る必要はない。君のそういうところは、見ていて飽きない」

「……!」


 何気ない一言だったのかもしれない。

 だがミュゼは、フォークを持つ手を一瞬止めてしまった。

 見ていて飽きない、というのは、褒め言葉なのだろうか。

 それとも、変わった生き物を観察しているような意味なのだろうか。

 判断に迷ったが、アシルの表情が穏やかだったので、たぶん悪い意味ではないはずだ。




 昼食を終えた後、二人は王立美術館へ向かった。

 大きな柱が正面に並び、正面玄関を彩る美しい彫刻は陽光を受けて白く輝いている。

 離れていても圧倒されるほど壮麗な佇まいだ。

 そして中へ入った瞬間、ミュゼは思わず息を呑んだ。

 高い天井から差し込む柔らかな光が、磨き上げられた床に淡く反射している。

 壁には大小様々な絵画が整然と並び、広間の中央には神話の一場面を模した彫像が静かに佇んでいた。

 香水工房にこもりきりだったミュゼにとって、それはまるで知らない世界の扉が一斉に開かれたような光景だった。


「……すごい」


 思わず感嘆の言葉がこぼれる。


「こちらは建国期の英雄を描いたものだ。実際の戦場を描いたというより、後世の人間が理想化した姿に近いらしい」


 アシルはミュゼの隣に立ち、絵画を見上げながら静かに説明してくれた。


「こちらの肖像画は、百年ほど前の王妃だな。当時はこの青の染料が非常に高価だったため、衣装に多く使うことで権威を示している」

「そんな意味があるんですね……」


 ミュゼは絵の中の青いドレスを見つめ、改めてその色の鮮やかさに目を奪われた。

 アシルの説明は的確で、絵の描かれた時代や人物の背景、使われている色や構図の意味まで自然に語ってくれる。

 その横顔をちらりと見上げ、ミュゼは素直に感心してしまった。


(アシル様って、本当に色々なことを知っているんだ……)


 王宮に勤める文官なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、それでも歴史や美術についてここまで滑らかに話せる人はそう多くないだろう。

 ミュゼが調香以外のことに疎すぎるだけ、という可能性も多少はあったが、それを差し引いてもアシルが博識なことに変わりはなかった。

 しばらく展示室を巡った後、ミュゼは一枚の絵の前で足を止めた。

 それは夕暮れの湖畔を描いた絵だった。

 紫がかった空の下、静かな水面に金色の光が落ち、岸辺には名も知らぬ白い花が咲いている。

 人物は描かれていないのに、どこか物語の気配ある。

 見ているだけで胸に染み入るような美しい光景だった。


「綺麗ですね……」

「あぁ。この画家は光の表現で有名だ。特に夕暮れの色を描かせると、右に出る者はいなかったと言われている」


 アシルの言葉を聞きながら、ミュゼはゆっくりと絵に近づいた。

 近づいてみると、絵筆の跡は思ったよりもはっきり残っている。

 それなのに少し離れると、水面の光や空気の揺らぎが本物のように見えるのだから不思議だった。


「いつか、こういったものを香りで表現してみたいです」

「香りで?」


 アシルが不思議そうに問いかける。

 ミュゼは絵から目を離さないまま、小さく頷いた。


「はい。世の中には絵画や劇をモチーフに香水を作る調香師もいるんです。目で見たものや、物語から受け取った感情を、香りで表現するんですよ」

「なるほど。絵や劇を、別の形に置き換えるわけか」

「そうです。たとえばこの絵なら、夕暮れの温かさと湖の静けさ、それから白い花の少し寂しい甘さをどう表すか……考えるだけでも難しいんですけど、すごく楽しそうで」


 話しているうちに、胸の奥が少しずつ弾んでいくのがわかった。

 香りは目に見えない。

 けれど、確かに人の記憶や感情に触れる力がある。


「君なら、良いものが作れそうだな」


 アシルの声には、からかいよりも感心が滲んでいた。

 ミュゼは少し照れながらも、再びノートを取り出す。


「忘れないうちにメモしておきます」

「あぁ、気が済むまで書き留めるといい」


 ミュゼは絵の前に立ったまま、香りの構成や印象、思いついた言葉を次々と書き留めた。

 近くを通りがかった貴婦人が「何かの暗号かしら……?」と真顔で囁いていたが、ミュゼは気づかなかった。

 ただ一人、隣のアシルだけがその様子を見て静かに笑いをこらえていたことに。


しばらく更新できず申し訳ございません…!

ここ一か月ほど目の不調をはじめとした体調不良で、ほとんど作業ができない状況が続いておりました。

現在も視力低下状態が続いておりますが、PCを触れるくらいに回復してきたので更新を再開いたします、

しばらくはゆっくり更新になりそうですがお付き合いいただけますと幸いです。


そしてもう一つお知らせです。

本作のコミカライズが8月10日よりパルシィにてスタートしました!

ミュゼの再起の物語が原口真成先生の手で鮮やかに描かれております!

ぜひぜひチェックをお願いします!


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ゆっくり更新でもいいから、ご自愛くださいませ。(涙マークは体調不良に関してです)
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