22 獅子の心
「…………え?」
ミュゼは呆気にとられるレナルドの前に、例の香水のレシピを掲げてみせた。
「調香に用いたベルガモットやゼラニウムには心をリラックスさせる作用が、サンダルウッドやベチバーには決断力を高める作用があります。そして何より……この香水の核は『獅子心華』の香りです」
「獅子心華……?」
「えぇ、東域諸国の奥地に自生する希少な植物です。獅子心華の香りには勇気を奮い立たせる効果があり、向こうでは戦の前などに用いられることが多いそうです」
「それって、つまり……」
「はい。この香水に相手を魅了するような効果はありません。ただ心を落ち着かせ、決断力を高め、勇気を奮い立たせるようなものです。……わかりますか、レナルド様」
ミュゼはまっすぐにレナルドを見つめ、告げる。
「コレットさんが求婚を受けたのは香水に魅了されたからではありません。レナルド様がまっすぐに想いを告白し、それに応えたいと思ったからに他ならないのです」
二人の逢瀬とコレットの出演した舞台を見て、ミュゼは確信めいた思いを抱いていた。
コレットの方も、レナルドを好いている……と。
だがコレットからすれば相手は伯爵家の跡継ぎ。平民の自分では釣り合わないと気持ちを押し殺していたのだろう。
(だからこそ、レナルド様が迷わずに想いを伝えればうまくいく可能性は高かった)
「今回のプロポーズが実を結んだのは、レナルド様が努力を重ねた結果です。それを誇ってください」
効くところによれば、アルエット座も快くコレットを送り出すつもりだそうだ。
それも、レナルドが足繁く劇場に通い、支援を続け、信頼を勝ち取ったからに他ならない。
「それじゃあ、あの香水がなくても……」
「コレット様が離れていくような事態にはならないかと。ご安心ください」
そう言うと、レナルドは心底安堵したようにその場に崩れ落ちた。
「よかった。本当によかった……」
彼はミュゼを見上げると、感極まったように告げる。
「ミュゼさん、君は本当にすごい人だね。短時間で僕やコレットのことを見極めて、的確な香水を作ってくれるなんて」
「それが調香師としての仕事ですから」
「今まで何人かの調香師に会ったけど、君みたいな人は初めてだよ」
レナルドはそこでアシルの方へ視線をやり、何か思いあぐねるように呟く。
「……もしかして、君ならアシルのことも――」
「レナルド」
だが彼の言葉は、まるで制止するようなアシルの声にさえぎられてしまった。
「俺のことはいい。それよりも、この後婚約者との約束があると言っていただろう」
「あぁっ、もうこんな時間か……! すまない、コレットに会ってくる!!」
そう言うと、レナルドは慌てた様子で勢いよく部屋を出て行ってしまった。
「……推薦状は書いてもらえるということでよいのでしょうか」
ミュゼがそう呟くと、ため息をついたアシルが机の上から一枚の紙を拾い上げた。
「安心するといい。事前に用意してあったようだ。あいつにしては珍しく段取りがいいな」
「よかった……」
アシルから推薦状を手渡され、ミュゼはほっと息をついた。
「アシル様、ありがとうございます。アシル様が獅子心華を取り寄せてくださらなかったら、あの香水は完成しませんでした」
今回の香水のレシピを考えた時、ミュゼが一番頭を悩ませたのが「勇気を奮い立たせる香り」に何を用いるかだった。
そこで色々と調べたところ、見つかったのが希少な香料である「獅子心華」だ。
獅子心華は東域諸国でしか採れない希少な植物であり、オーレリスの都で香料を扱う店を巡ってもお目にかかることはできなかった。
途方に暮れてアシルに相談したところ、彼は愛用している緑茶の仕入れ先に掛け合い、手に入れてくれたのだ。
「うまくいってよかったな。獅子心華を調香するのには苦労したと聞いているが……」
「えぇ。獅子心華はこのあたりの素材とはまったく性質が異なっていて、うまく調和させるのには苦労しました……」
「ブリスが言っていた。何度も何度も拒絶反応で軽い爆発が起こっていたと」
「はい、通報されるんじゃないかってひやひやしましたよ」
だが、ミュゼは成し遂げた。
レナルドが心を落ち着かせ、勇気を奮い立たせるような香水を作り上げたのだ。
「マリエットさんのアドバイスも功を奏しました」
香水の方向性を定め作戦会議をしたときに、マリエットが提案してくれたのだ。
「香水の中身はもちろんだけど、瓶のデザインにもこだわって、洒落た名前も付けた方がいいわ」……と。
香水の中身ばかりに気を取られていたミュゼにはありがたい金言だった。
香水の効果に説得力を持たせ、レナルドの勇気を引き出すにはこの上なく役立ったことだろう。
「コレットさんは身分差もあり、レナルド様が本気なのか不安がっていたんだと思います。香水はちょっと背中を押しただけで、結局はレナルド様がコレットさんの愛を勝ち取っていたんですよ」
プロポーズが成功したのはレナルドの努力の賜物だ。
ミュゼの香水は本当に最後の一押しの助けになっただけに過ぎない。
「でも、うまくいってよかった……」
ミュゼがそう零すと、アシルはじっとミュゼを見つめ、口を開いた。
「……どうしてわかったんだ?」
「え、何がですか?」
「あの歌姫……コレットの方も、レナルドに好意を持っていると」
アシルが心底不思議そうにそう呟く。
ミュゼはきょとん、と首をかしげながらその問いに応える。
「だってレナルド様と一緒にいる時と舞台上のコレットさん、態度や雰囲気が全然違ったじゃないですか」
「俺にはわからなかったが……君にはそう見えていたのか」
彼はため息をつくと、感慨深そうに呟く。
「君は案外情緒的なんだな」
「……アシル様に比べれば誰だってそうだと思いますよ」
そう言うと、アシルは少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
(でも、昔のアシル様はもっと感情豊かだったと思うんだけどな)
ミュゼは学園時代のアシルのことを思い出した。
名門侯爵家の令息で、明るく快活な青年だったアシルは、常に人に囲まれていた。
ミュゼは彼と交流があったわけではないが、当時の彼は今のようにひねくれてはいなかったように思う。
――「……もしかして、君ならアシルのことも――」
先ほど、レナルドが呟いた言葉が脳裏に蘇る。
(アシル様に何があったんだろう……)
幾度も剣術大会で優勝し、誰もが国一番の騎士になると思っていたアシル。
そんな彼がどうして宮廷書記官という道を選び、快活な笑顔が消えてしまったのか。
何か大きな出来事があったことは想像に難くない。
ブリスやマリエットに聞けば何か教えてくれるかもしれないが、本人が話さない以上、それは避けていた。
だが――。
(いつか、アシル様の心を晴らすような香水も作れるかな……)
ただの同級生であるミュゼの窮地に手を差し伸べてくれた彼のために、何かができるのなら。
ミュゼはそう思わずにはいられなかった。




