20 ミュゼの賭け
ひとまず注文を済ませたところで、ミュゼはさりげなくレナルドとコレットの様子を伺う。
二人は穏やかに談笑しているようだった。
ミュゼの席からは、コレットの様子がよく見える。
彼女は穏やかな笑みを浮かべて、レナルドの話に相槌を打っていた。
「レナルドの奴、緊張してどうでもいいことをまくし立てているようだな」
反対にレナルドの様子を見ていたアシルが、そう教えてくれた。
「コレットの方はどうせ愛想笑いでもしているのだろう」
「うーん、どうでしょう……」
愛想笑い、と言われればそう見えなくもない。
相手は人気女優。ミュゼが彼女の演技を見破れるとは思えないのだが――。
(案外、楽しんでいるようにも見えなくもないのよね……)
「パトロンとの食事など歌姫にとっては面倒なだけだろう。内心早く帰りたいと思っているだろうな」
「そうですか?」
「あぁ、そういうものだ」
「一応アシル様と私も似たような関係ですが、私はそうは思いませんよ」
ミュゼがそう伝えると、アシルは一瞬、驚いたように目を丸くした。
「……そうか」
彼はそう口にして、何か考え込むような顔をした。
何か変なことを言っただろうか、とミュゼは自身の発言を反芻してみたが、やはりよくわからなかった。
「……アシル様はレナルド様のプロポーズ、そこまで無謀だと思いますか?」
話題を変えるようにそう問いかけると、アシルは迷うことなく頷いた。
「いくら貴族とはいえ、レナルド程度の相手なら彼女にとっては引く手あまただ。愛人ならともかく、正妻となれば面倒なことも多い。何よりも、アルエット座が稼ぎ頭の歌姫の結婚をそうやすやすと許すとは思えないな」
なるほど、かなり結婚のハードルは高そうだ。
「うーん……」
ミュゼが思い悩んでいると、給仕が銀のトレーを携えやって来た。
「わぁぁぁ……!」
宝石のように艶やかな苺のタルトに、ミュゼは感嘆の声をあげてしまった。
「本当にこれ、食べてもいいんですか……?」
「この状況で駄目だというはずがないだろう」
「では遠慮なく……」
アシルは穏やかな表情で、初めての経験に顔を輝かせるミュゼを眺めていた。
「こんなに甘くておいしいものがあるなんて……。私のほっぺ、落ちてません? ちゃんとついてますか?」
「俺には落ちていないように見える」
「あっ、なんだかイメージが湧いてきました! ちょっとメモを取らせてくださいね……」
ミュゼは持ち歩いているメモ帳を取り出し、ガリガリとアイディアをメモしていく。
アシルはその様子を静かに眺めていた。
思う存分アイディアを書き留めたミュゼは、ふと周囲の声に気づく。
(あれ……)
ちらりと声の方へ視線をやると、ミュゼと同じ年ごろの女性たちがちらちらと熱っぽい瞳でアシルの様子を伺っているようだった。
対するアシルは、視線に気づいていないはずがないのだが、まったく気にすることなくコーヒーを口にしている。
(アシル様の正体に気づいている……って感じじゃないな)
数秒考え、ミュゼはやっと状況を理解した。
彼女たちは単に見目麗しい男性にときめいているだけなのだ。
ミュゼが何を気にしているのかアシルも気づいたのだろう。
顔をしかめ、小声で愚痴をこぼした。
「ちっ、視線がやかましいな」
「あれ、嬉しくはないんですか?」
「面倒なだけだ。特に、今はあまり騒がれるとレナルドに感づかれる可能性がある」
ミュゼは慌ててレナルドの方を窺った。
だが彼は相変わらずコレットしか目に入っていないようで、アシルや女性たちの様子などまったく気にしていないようだった。
やがてコレットが何かを口にし、二人は席を立つ。
「俺たちも行くぞ」
アシルはこれ幸いとばかりに、二人の後を追っていく。
(女性の関心を引くための香水を求める人は多いけど、アシル様はそうじゃないのね……」
モテすぎるのも大変なのだと、ミュゼはしみじみと思い知った。
◇◇◇
アシルが取っていたのは、ゆったりと舞台を観賞できるボックス席だった。
「あっ、コレットさんが出てきました! やっぱり舞台の上だと印象が変わりますね……!」
「先ほどとは別人だな」
アシルの言う通り、歌姫として舞台に立つコレットはレナルドと一緒にいた時とは別人のようだった。
間違いなく、ミュゼは言われなければ同一人物だと気づけないだろう。
やがて彼女の歌唱シーンが始まり、ミュゼはその圧倒的な実力に目を見開いた。
(すごい……!)
ほんの数秒で、世界が変わる。
人々の視線が、意識が、否応なく彼女に奪われる。
それが、アルエット座の人気歌姫コレットなのだ。
「これは、レナルド様が惚れ込むのも無理はありませんね……」
ミュゼはコレットの歌声にひどく感銘を受けていた。
(世の中には、こんなに素晴らしい芸術があるんだ)
今まで知らなかった世界。
それに触れると、どんどんとアイディアが湧いてくるようだった。
(今すぐアイディアを書き留めたい……! うぅ、でも舞台も見逃したくない……!)
そんな二律背反の想いを抱えながら、ミュゼは舞台を見守る。
コレットはこの劇のヒロイン役を演じているようだった。
幼いころから共に育った男女。想い合っているのにそれを伝えられず、幾度もすれ違い、まためぐり逢い、シーンごとに切ない恋情が歌われる。
隣のアシルは「よくある陳腐な筋書きだ」「言いたいことがあればさっさと言えばいいものを、何故こいつらはグダグダ引き延ばしている?」と情緒の欠片もないことを言っていたが、ミュゼは目の前の舞台にいたく感激していた。
今はちょうど、コレットの歌唱シーンが始まるところだった。
――『ずっと待っているの。あなたがそう言ってくれることを』
――『待ち望んでいるの。あなたが伝えてくれる日を』
コレットの歌と演技は見事なものだった。
会場中の観客が、彼女に夢中になっているのが伝わってくるほどに。
だがミュゼは、ふと違和感を覚えた。
(あれ、なんだろう……)
何かが引っ掛かる。
違和感の正体を確かめようと、ミュゼは目を凝らして舞台上のコレットを見つめる。
――『あなたが望んでくれさえすれば、すべてを捧げる覚悟はできているわ』
そんな歌詞が耳に飛び込んできた途端、ミュゼの中でとある仮説が浮かび上がった。
(もしかして、彼女は……)
急に真剣な顔で考え込んだミュゼを見て、アシルが問いかけてくる。
「何か掴めたのか」
ミュゼはゆっくりと顔を上げ、頷いてみせる。
「はい。確信はありませんが……うまくいけばレナルド様の要望に見合う香水が作れると思います」
確証はない。これはある意味賭けだ。
だがミュゼは、その賭けにのってみたくなったのだ。
それはアシルも同じだったのだろう。
ミュゼを諫めることなく、満足げな笑みを浮かべたのだ。
「そうか、楽しみにしている。必要なものがあったら知らせてくれ」
「はい!」




