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16 だって、それが運命なのだから

「……よし。食事、睡眠共に問題がないようだな」

「アシル様、ニネットを買収するなんてずるいです……」


 再びアトリエを訪れたアシルに、ミュゼはそう愚痴をこぼした。

 前回アシルに食事や睡眠をとるように言われてからも、ミュゼはついつい不摂生をしてしまうことがなくならなかった。

 まぁ頻回でなければアシルにはバレないと思っていたが、身近にとんでもないスパイが誕生していた。

 それがニネットである。

 アシルはいつの間にかニネットを買収しており、ミュゼが少しでも不摂生をしようものならニネットからの密告を受けたアシルが説教をしに来るようになったのである。

 彼に正論をぶつけられるのは単純に己の至らなさを思い知らされ恥ずかしいし、何よりも多忙であるアシルを煩わせてしまうのが申し訳ない。

 仕方なく、ミュゼは生活は健康的な方向へ向かいつつあった。


「何を言う。今のところ『アトリエ・ミュゼット』の知名度は上がってきている。貴族の間でも少しずつ話題に上がるようになってきたようだ」

「えぇ、アニエス様が宣伝してくださっているようで……有難いです」


 アニエスはミュゼが工房を開いたと聞くやいなややって来て、「私の調香師さんのお店ができたんだもの。ガンガン宣伝するわ~!」とミュゼは圧殺しながら息巻いていた。

 実際に彼女の宣伝効果はすさまじく、下町の小さな店にも関わらず貴族のお客様がやって来てくれるのだ。


「今日は君の監視の他にも用があって来た。次に推薦状を書いてくれそうな者が見つかったんだ」

「本当ですか!?」


 身を乗り出すミュゼに、アシルは頷く。


「あぁ、俺たちと同年代の貴族の男で、俺も詳細は聞いていないが特殊な香水を探しているようだ」

「特殊な香水……」

「まぁ、おそらくアニエスの時ほど難題を突き付けられることはないだろう。今度の依頼者はあそこまで我が強い人間じゃない」


 アシルの言葉に、ミュゼはほっとした。

 アニエスの依頼もあくまで時間と環境……更には運が味方して成功したのであって、今度の依頼も同じようにできるとは限らなかったからだ。

 アシルがあの時のように難題を突き付けられることはないというのなら、きっとそうなのだろう。


「今度の週末に打ち合わせがあるが、都合は大丈夫か」

「はい、問題ありません!」


 また一歩、宮廷調香師に近づける。

 その嬉しさに、ミュゼは大きく頷いた。



 ◇◇◇



「『アトリエ・ミュゼット』……ふん、見苦しい真似を」


 報告書を眺め、マルセルはそう吐き捨てた。

 ミュゼが新たに工房を開いたという話は、もちろんマルセルの耳にも届いていた。

 彼女が調香師として働けないようにマルセルは方々に手を回していた。

 なのに、彼女は再び表舞台に現れたのだ。

 部下に偵察に行かせたが、ミュゼはへこたれることなく下町の小さな花屋で仕事を再開しているらしい。


「あいつ一人でそんな真似ができるはずがない。誰かがバックについたのか……?」


 ミュゼの調香師としての腕は確かだ。

 だが彼女一人では、こんなに短期間で再起できるとは考えにくい。


(……だが、いくら支援者がいたとしてもあいつ自身はただの小貴族の娘。知名度など皆無だ)


 マルセルは知っている。

 調香師としてやっていくのに一番必要なのは優れた調香の腕……ではない。


「ブランド力。それがすべてだ」


 香水の品質を高めることよりも、いかに商品が優れたものであるかを熱弁し、相手にに「これは特別なものだ」と思い込ませる話術の方が重要なのだ。


「どうせ顧客は香水の細かな違いなんてわかっていない。ある程度の品質が保証されていれば、あとはブランドの名前だけで買っているような連中だ」


 香水の中身よりも、いかにその香水を使っている自分に箔がつくか、ということしか考えていないような相手がマルセルの顧客だ。

 だからこそ、今更ミュゼが足掻いたところで大した脅威にはならないだろう。


「あいつも次の宮廷調香師のコンテストに……いや、無理だな」


 ミュゼの人脈ではいくら頑張ったところで推薦状を集めることなどできやしないだろう。

 そう、無理なのだ。

 そうわかっているのに……何故かマルセルの胸のざわめきは収まらなかった。


「念のため、手を回しておくか……」


 学園時代からミュゼを近くで見てきたマルセルは彼女の実力をよく知っている。

 彼女の集中力、忍耐力、発想力などはマルセルが目を見張るほどなのだ。

 ミュゼはいつも楽しそうに香水を作っていた。

 本当に、楽しそうに。


(だからこそ、俺は……)


 感傷に浸りかけた時、コンコン、と上品に部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 マルセルは軽く身だしなみを整え、扉を開ける。


「待っていたよ、エリーヌ」


 やって来たのは、マルセルの「本当の」婚約者である貴族令嬢――エリーヌだった。


「ご機嫌よう、マルセル様。また新しい香水を作っていらっしゃいましたの?」

「あぁ、君をイメージした新しい香水のアイディアが浮かんだんだ」

「まぁ……!」


 顔を赤らめ目を輝かせたエリーヌに、マルセルは一枚のレシピを見せる。


「ピオニーの花を主役とした、甘く魅惑的な香水で――」


 嬉しそうにレシピに目を落とすエリーヌを見ていると、マルセルの心は急速に冷めていく。

 もちろん、彼女のために作ったというのは嘘だ。

 これはミュゼが残したレシピの一つに過ぎない。

 彼女が工房に残していった未発表のレシピはまだまだたくさんある。

 それこそ、宮廷調香師になるためのコンテストを勝ち抜き、実際に働き始めても何の問題もないほどに。


「次の宮廷調香師を選ぶコンテストでお披露目しようと思ってね。君も見に来てくれるかい」

「えぇ、もちろんですわ。マルセル様の晴れ舞台ですもの!」

「ふふっ、愛しい君の前で醜態を晒さないように気を付けるとしよう」

「大丈夫ですわ。だってマルセル様は――」


 花のように愛らしい笑みを浮かべ、エリーヌは残酷に告げる。


「あの偉大なる『アルセール・クレルブラン様』の孫ですもの!」


 ……一瞬、表情がひきつりそうになってしまった。

 だが、マルセルはすぐに取り繕うような笑みを浮かべて、エリーヌに囁く。


「そうだね。僕は『アトリエ・クレルブラン』の現代表だ。宮廷調香師になることはゴールじゃない。新しい始まりに過ぎないんだ」


 マルセルの祖父でり、「アトリエ・クレルブラン」の創設者――アルセール・クレルブラン。

 その有名な名前は、生まれた時からマルセルに纏わりついていた。

 偉大なる調香師の孫、マルセル。

 家督を継ぐために、宮廷調香師になる一歩手前で身を引いた祖父の悲願を達成することが、マルセルに定められた運命なのだ。

 人にはそれぞれ定められた運命があり、努力しようがしまいが結果は同じだ。

 人々がマルセルのことを「偉大な調香師の孫」としか見ていないように。


(だからお前が何をしようが無駄なんだよ、ミュゼ)


 だって、それが運命なのだから。


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