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12 調香師の腕前

 アニエスはひとしきりミュゼを褒めたたえ、約束通り推薦状を書くと言ってくれた。

 ミュゼが装置や香水を鞄に仕舞っている最中、アニエスがこそりとアシルに囁く。


「ねぇ、アシル」

「なんだ。もう帰るから話は手短にしてくれ」

「もぉ、相変わらずつまんない男ね! まぁでも、一応教えてあげる」


 アニエスはちらりとミュゼの方を振り返り、小声で告げた。


「香水に疎いあなたはわかっていないんでしょうけど、あの子……想像以上の大物になるかもしれないわ」

「まぁ、あの忍耐力が大したものだな」

「それだけじゃないわ。あなた……一般的に流通している香水にどれくらいの香料が使われているかは知ってる?」

「いいや、知らない」


 今までそんなこと、気にしたこともなかった。


「はぁ、そうだと思ったわ。市場で誰でも買えるようなものは、だいたい十種類ほどの香料が使われているわ。誰に対しても拒絶反応が起こらないような塩梅となると、そのくらいが限度なのでしょうね」


 人は誰しも生まれ持った魔力の質や、精霊の加護を持っている。

 万人に調和するような香水となると、そう尖った配合はできないのだろう。


「調香師に依頼して専用の物を作ってもらうとなると、だいたい20から30ほどの香料が使われると言われているわ」

「香水が使えなかった割には詳しいんだな」

「香水を使いたいからこそ色々調べたのよ! どのくらい多くの香料を配合できるかは調香師の腕前にかかっていて、20も使えれば調香師としては優秀、30も使えれば工房を開けるレベルだと言われているわ」


 前にミュゼに調香を見せてもらった時は、配合する香料が多ければ多いほど香りが喧嘩してしまい、バランスを取るのが難しいのだと言っていた。

 そこをどう解決するかが、調香師としての腕の見せ所なのだろう。


「前に宮廷調香師が選ばれた時、コンテストで作成した香水には約50種類の香料が使われていたそうよ。技術は日進月歩で進歩しているから今はもう少し水準が上がっているのかもしれないけど……」


 アニエスはミュゼが作った香水のレシピをアシルの前に掲げ、真剣な顔で告げた。


「今回あの子が作ってくれた香水には、67種類もの香料が使われていたの」

「っ……!」


 アシルは思わず息をのんだ。

 つまりミュゼの実力は宮廷調香師並み……いや、それ以上だということだ。


「ねぇ、アシル。あの子のパトロンの座、私に譲ってくれない? どうせあなたは香水のことなんてよくわかってないでしょ? もったいないわ」


 アニエスは挑戦的な笑みを浮かべ、そう持ち掛けてきた。

 彼女がこんなことを言い出すということは、本当にミュゼのことを気に入ったのだろう。

 だが――。


「悪いが、それはできない」


 アシルは即答した。

 別にアニエスを信頼していないわけじゃない。

 彼女にミュゼを任せたとしても、きっとアシルと遜色がないくらいに支えてくれることだろう。


 だが、アシルは見てみたいのだ。

 一度すべてを失った彼女が、再び再起するところを。

 諦めずに、夢を叶えるところを。

 間近で見たいのだ。


 アシルの真剣さが伝わったのだろう。

 アニエスは存外あっさり身を引いた。


「ふぅん……まぁ、あなたがそう言うのならそれでいいわ。もう少し香水のことを勉強した方がいいとは思うけど」

「あぁ、そうさせてもらうよ」

「……よかったわね、アシル」


 そう言って、アニエスは微笑む。


「お待たせしました! ……あっ、大事なお話の最中でしたか?」


 荷物をまとめ終え、声をかけてきたミュゼに、アシルは首を横に振った。


「いいや、アニエスのどうでもいい話に付き合わされていただけだ」

「ふん、口の減らない男ね。ミュゼ、この偏屈男に嫌気がさしたらいつでも私のところに逃げてきなさい」

「えっと……、はい……?」


 二人が何を話していたのかも知らず、おそらく自身の才能に自覚もないであろう若き調香師は、不思議そうな顔で頷いていた。



 ヴァレンシエール伯爵家の屋敷を出てすぐに、アシルはミュゼに声をかけた。


「なにはともあれ、うまくいったな」

「はい……」

「推薦状はあと二枚だ。工房設立に関する書類はこちらで用意するので、君はサインを――」


 不意に、隣を歩いていたミュゼの体がぐらりと傾く。

 瞬時に気づいたアシルは、慌てて彼女の身体を抱きかかえた。


「おいっ、どうした!」


 まさか急病でも……と慌てたアシルの耳に聞こえてきたのは――。


「すぅ……」


 瞬時に気が抜けてしまうほど、穏やかな寝息だった。


「わぁ、見事な寝落ちですね。歩きながら寝てしまう人は初めて見ました」


 素直にそう口にするブリスに、アシルは同意した。


「まったく、自分の限界を知らないのか」


 並々ならぬ努力をものともせず、着実に調香師としての実力をつけている逸材。

 その一方で、彼女はどうにも危ういのだ。

 今はアシルが傍にいたからいいものの、一人でいる時に歩きながら寝たらどうなることやら。

 ひょい、とミュゼを抱きかかえるアシルに、ブリスが声をかけてくる。


「アシル様、僕が運びましょうか」

「……いや、いい。お前は彼女の荷物を持ってやってくれ」

「承知いたしました」


 アシルはミュゼを抱え直し。無防備なその表情に視線を落とす。

 自分が今どんな状況になっているのかも知らないであろうミュゼは、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。


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