第51話 畑に立つ小さな目印
朝、リオ・フェルナーが家の外へ出ると、庭先にはまだ夜の冷たさが少し残っていた。
空は明るくなり始めていたが、屋根の影は地面に長く伸びている。鶏小屋のほうから羽ばたく音が聞こえ、母のミーナはすでに台所で朝食の準備をしていた。
リオは顔を洗い、父のガイルに頼まれていた小さな木箱を納屋から運び出した。
「それを持ってきてくれたのか。助かるよ」
「父さん、これでいい?」
「うん。今日は畑で使うものを入れておこうと思ってな」
ガイルが木箱に入れたのは、短い木の棒と麻紐、それから使い古した布だった。どれも新しいものではない。棒には土が乾いてこびりつき、紐には何度も結び直した跡がある。
リオは木箱の中を覗き込んだ。
「これ、何に使うの?」
「畑の目印だよ。どこまで種をまいたか、どこから別の作物を植えたか。そういうことを分かりやすくするんだ」
「畑に線を引くの?」
「線を引くこともあるが、今回は棒を立てるだけでいい。土に直接線を引いても、雨が降れば消えてしまうからな」
ガイルはそう言うと、棒を一本手に取り、先端を指で確かめた。
リオは自分たちの四つの畑を思い浮かべた。
朝畑、日なた畑、豆畑、角の畑。
エマたちと一緒に名前をつけ、種をまき、芽が出てからは何度も様子を見に行った畑だ。毎日のように通っているので、どこに何を植えたのかは覚えているつもりだった。
「僕たちの畑にも、目印を立てたほうがいいかな」
「それは、お前たちが決めればいい。ただし、棒を立てるなら、作物の根を傷つけないようにな」
「うん!」
朝食を食べ終えると、リオはノアに声をかけ、畑へ向かった。
ノアは小さな鍬を肩に担いでいた。自分たちの畑を見に行くのだと話すと、少しだけ付き合ってくれることになった。
朝畑には、先日よりも葉を広げた芽が並んでいた。日なた畑では、土の表面が乾いている場所と、まだ湿り気が残っている場所がある。豆畑の芽は少しずつ背を伸ばし、角の畑では、葉の形が違うものが並んでいるのが分かった。
リオは持ってきた木の棒を一本取り出した。
「ここに立てたら、どこに何を植えたか分かりやすいと思うんだ」
「棒が倒れなければな」
ノアは笑いながら、棒の先を土に差し込んだ。
リオも真似をして、畑の端に棒を立てた。ところが、力を入れすぎたせいで、棒は思ったより深く土に入ってしまった。
「これじゃ、抜くときに大変かな」
「少し深いくらいなら問題ないさ。ただ、芽の近くには立てるなよ」
二人で位置を確かめながら、畑の端に目印を置いていく。リオは棒の一本に布を結び、朝畑と書いた小さな札を取り付けた。文字は少し曲がってしまったが、読めるので問題はない。
「これなら、誰が見ても分かるね」
「誰が見ても分かるようにするのが大事なんだ。お前が忘れなくても、別の人には分からないこともある」
ノアの言葉に、リオは首を傾げた。
自分の畑なのだから、自分が分かっていればいいと思っていた。しかし、エマやトーマ、カイルが見に来ることもある。これから先、収穫した野菜を家族に見せるときにも、どこで育てたものか説明しやすいだろう。
家へ戻る前に、リオは四つの畑を順番に眺めた。
目印があるだけで、いつもの畑が少し違って見えた。
その日の昼過ぎ、エマたちが遊びに来たので、リオは目印を見せた。
「これ、誰が作ったの?」
「僕とノア兄さん。父さんに教えてもらったんだ」
「いいね。私たちの畑だって分かりやすいよ」
エマが札を覗き込み、トーマは棒を倒さないように気をつけながら畑の端を歩いた。カイルは、角の畑にも同じ札が必要だと提案した。
「でも、雨が降ったらどうなるんだろう」
カイルの問いに、リオは少し考えた。
「棒は残ると思うけど、札が濡れて文字が消えるかもしれないね」
「じゃあ、もっと丈夫なものにすればいいんじゃない?」
「それも考えてみよう」
すぐに答えが出なくても、困ることはなかった。分からないことがあれば、次に試すことができる。
夕方、リオはいつもの記録帳を開いた。
今日の日付を書き、畑の端に目印を立てたこと、札をつけたこと、四つの畑を見比べやすくなったことを書き込む。
最後に、こう付け加えた。
目印があると、自分だけでなく、ほかの人にも畑のことが伝わりやすい。
書き終えたリオは、記録帳を閉じた。
明日になれば、芽はまた少し違う姿を見せてくれるかもしれない。目印はそのままでも、畑の中身は毎日少しずつ変わっていく。
リオは窓の外に目を向けた。
夕暮れの光が、畑の木の棒を細長い影に変えていた。
明日も、畑を見に行こう。
そう思いながら、リオは夕食の呼び声に返事をした。




