第36話 小さな緑
その朝、僕はいつもどおり朝畑へ向かった。
畑の名前を書いた木札は、昨日と同じ場所に立っている。風で倒れていないか心配だったけれど、しっかり土に刺さっていた。
僕はその木札を確かめてから、種を植えた場所へ目を向けた。
そして、足を止めた。
「あれ?」
土の上に、何か緑色のものが見えた。
最初は、畑の端に生えている草が伸びてきたのかと思った。でも、そこは確か、種を植えた場所のはずだ。
僕はしゃがみ込み、顔を近づけた。
土の小さな割れ目から、細い緑色の芽が顔を出している。
「芽だ……!」
声が思ったより大きくなった。
僕は嬉しくなって、すぐに手を伸ばしかけた。でも、触ってはいけないと思い直し、両手を膝の上に置いた。
芽はとても小さい。指先よりも細く、葉もまだ開ききっていない。少し離れて見たら、見逃してしまいそうなくらいだった。
それでも、確かに芽だった。
「出た! 芽が出た!」
僕は家へ向かって走り出しそうになり、途中で足を止めた。畑の中を走ったら、ほかの種を植えた場所を踏んでしまうかもしれない。
だから、畝の外側を通って家へ戻った。
「父さん! 母さん!」
ちょうど外へ出てきた父さんが、僕の声に振り返った。
「どうした、そんなに慌てて」
「芽が出たんだ! 朝畑に!」
父さんは一瞬驚き、それから笑った。
「そうか。見に行こう」
母さんも手を止めて、一緒に畑へ来てくれた。
僕は芽の場所を指さした。
「ここ! ここにある!」
父さんはしゃがんで、芽をじっくり見た。
「うん。ちゃんと芽が出ているな」
「これが、植えた種から出たんだよね?」
「そのはずだ。植えた場所と合っているからな」
母さんも隣から覗き込んだ。
「小さくてかわいいわね」
「これから大きくなる?」
「もちろん。ただし、ゆっくりだぞ。急に大きくなったりはしないからな」
父さんの言葉に、僕は頷いた。
急に大きくならなくてもいい。昨日まで何も見えなかった場所に、こうして緑色の芽が出てきた。それだけで十分嬉しかった。
「記録にも書かないと!」
僕は家へ戻って紙と木炭を取ってきた。
日付を書き、「朝畑で最初の芽を確認した」と書く。少し考えてから、「とても小さい。触らずに見守る」と付け足した。
書き終えたころ、エマたちもやってきた。
「リオ、どうしたの? 朝から走ってたって聞いたよ」
エマが息を弾ませて言った。
「芽が出たんだ!」
「えっ、本当に?」
僕たちは朝畑へ向かった。
エマは芽を見つけると、口元を押さえた。
「本当だ……!」
「僕のところは、まだだったんだよなあ」
トーマは少し悔しそうだったが、すぐに僕の隣にしゃがみ込んだ。
「でも、これで芽が出るのは分かったな」
「うん。みんなの畑も、もうすぐかもしれないよ」
カイルは芽の位置と周囲の土を見比べていた。
「種を植えた場所と合っている。ちゃんと目印をつけておいてよかったね」
僕は頷いた。
目印がなければ、どこに植えたのか分からなくなっていたかもしれない。記録も、芽が出るまでの時間を知るために役立ちそうだ。
「毎日見ていてよかったね」
エマが言った。
「昨日までは見つからなかったんだもの」
僕は芽から目を離せなかった。
土の中で、どんなふうに育ってきたのだろう。僕たちが雨の日に家で記録をつけていた間にも、土の下では少しずつ変化が起きていたのかもしれない。
「これからは、葉っぱが増えていくのかな?」
「そうだと思う。でも、ちゃんと育つかは、これからのお世話次第だよ」
カイルが言った。
「水をあげすぎないこと、草に負けないようにすること。それから、踏まないこと」
「最後のは、リオが一番気をつけないとな」
トーマが笑った。
「僕だって、もう踏まないよ!」
みんなで笑った。
その日の作業は、いつもより慎重だった。芽の近くには触れず、周りの草を抜くときも、根元を傷つけないように気をつけた。
夕方、もう一度朝畑を見に行った。
朝見つけた芽は、当然ながら、朝とほとんど同じ大きさだった。
それでも、そこに緑色の葉があることを確認すると、自然と笑顔になった。
今日の記録には、初めて「芽が出た」と書けた。
明日も、同じ芽がそこにあるだろうか。
新しい芽が出ているかもしれない。
僕は木札の隣にしゃがみ込み、小さな緑をしばらく眺めていた。




