第33話 雨の日の約束
夜のうちに、雨が降った。
屋根を叩く音で目が覚めたのは一度だけだったけれど、朝になっても雨は止んでいなかった。
窓の外を見ると、庭の土は濃い色に変わり、屋根の端から水がぽたぽたと落ちている。畑へ続く道にも、小さな水たまりができていた。
「今日は畑に行けないかな」
僕が窓辺で呟くと、母さんが朝食の皿を並べながら答えた。
「雨が強いうちは、無理に外へ出なくていいわ。濡れて風邪をひいたら大変だから」
「でも、畑の様子が気になるんだ」
「気になるのは分かるけど、雨の日にできる仕事もあるでしょう?」
その言葉で、僕は少し考えた。
畑に行けなくても、できることはある。昨日、アルド兄さんが種を植えた場所に目印を立ててくれた。あれを見ながら、何を植えたか記録しておくのもいいかもしれない。
朝食を終えると、僕はアルドのところへ向かった。
「兄さん、昨日の畑の記録をつけたいんだけど、どう書けばいい?」
「記録か。いい考えだな」
アルドは作業台の上に置いていた紙と木炭を取り出した。
「まず、日付を書く。次に、何をしたのかを書くんだ。昨日なら、種を植えたこと。今日は雨が降っていること。それだけでも、あとで役に立つ」
「雨が降っているだけでもいいの?」
「もちろんだ。雨が降ったあと、土がどうなったか分かるだろう?」
僕は紙を受け取り、教わったとおりに書いてみた。
日付を書いて、その下に「雨。畑には入らず、土の様子はあとで確認する」と書く。字は少し曲がってしまったけれど、読めないほどではない。
「できた!」
「よし。これを続けてみるといい」
アルドは紙を眺めて頷いた。
「ただし、記録をつけることが目的にならないようにな。畑を見ることも忘れるなよ」
「分かってる!」
そう答えたところで、外から声が聞こえた。
「リオー!」
窓から覗くと、軒下にトーマとカイルが立っていた。二人とも雨具を着ているが、外へ出るつもりはないらしい。
僕は母さんに声をかけてから、玄関へ向かった。
「どうしたの?」
「雨だから、畑を見に行けないだろ?」
トーマが言った。
「だから、今日はみんなで何を記録するか決めようと思って」
カイルが続ける。
「エマも来るよ。今、向こうの家を出たところだって」
少しして、エマもやってきた。
僕たちは居間の隅に集まり、アルドが使っていない紙を何枚か分けてもらった。それぞれの畑で、何を植えたのか。いつ種を植えたのか。水をあげた日、雨が降った日。思いつくことを紙に書いていく。
「私、種を植えた場所を忘れないように、畑の絵も描く」
エマはそう言って、紙に四角い畑を描き始めた。
「畑の絵か。それなら分かりやすそうだな」
トーマも真似をして、畝を何本か描いた。
カイルは日付を並べ、その横に天気を書くことにしたらしい。
「晴れ、曇り、雨。それだけでも比べられると思う」
「カイルは、こういうのが得意だね」
僕が言うと、カイルは少し照れたように頬をかいた。
「ただ、あとで見やすいようにしているだけだよ」
僕も畑の絵を描いてみた。けれど、思ったより難しい。畝の位置を描いていたら、紙の端に寄りすぎてしまった。
「リオの畑、ずいぶん細長いね」
エマが覗き込んで笑った。
「実際に細長いんだよ!」
「そうだけど、もっと細長く見えるよ」
トーマまで笑い始めたので、僕は紙を隠した。
「じゃあ、トーマの絵も見せてよ」
「これは……まだ途中だ!」
そんなやり取りをしながら、僕たちは昼前まで記録を作っていた。
雨音はずっと続いていたけれど、部屋の中は賑やかだった。畑に行けないのは少し残念だ。でも、みんなで畑の話をするのも悪くない。
昼食のあと、雨は少し弱くなった。
父さんが玄関から外を眺め、僕たちに声をかけた。
「雨脚が弱くなったな。様子を見るだけなら、軒下からでもいいぞ。ただし、ぬかるんだ畑には入るな」
僕たちは雨具を着て、家の前から畑を眺めた。
遠くからでも、土の色が変わっているのが分かる。畝の間には水がたまっている場所もあったけれど、種を植えたところが流されてしまった様子はなかった。
「よかった」
エマが小さく息を吐いた。
「まだ芽は出ていないけどね」
「それは仕方ないよ」
カイルが言った。
「今日のことも、記録に書いておこう」
僕は頷いた。
家に戻ると、紙に「雨が降った。畑の土は濡れていた。種を植えた場所に大きな変化は見えなかった」と書き足した。
夕方には、雨はほとんど止んでいた。
明日は畑に行けるだろうか。土が乾くまで、まだ時間がかかるかもしれない。
けれど、今日の僕たちは畑へ行けない時間を、畑のことを考える時間に変えられた。
机の上に並んだ記録の紙を見ながら、僕は明日書くことを考えていた。
今度は、芽が出たという一文を書けたらいい。




