第32話 水をあげるということ
翌朝、僕は昨日より少しだけ落ち着いて畑へ向かった。
昨日は芽が出ていないことにがっかりしたけれど、今日は違う。芽が出るまでには時間がかかる。父さんも兄さんたちも、そう言っていた。
だから、今日は芽を探すだけではなく、ほかにできることを探してみようと思った。
畑の端に置いてある水桶をのぞく。水は昨日ノアが運んでくれたものが少し残っていた。
「水、あげたほうがいいのかな」
土の表面は、少し乾いているように見えた。
僕は桶を持ち上げようとしたが、すぐにやめた。昨日は雨が降らなかったけれど、土の中まで乾いているかどうかは見ただけでは分からない。
水をあげすぎてもよくない、と母さんが話していたのを思い出した。
「リオ、何を悩んでるんだ?」
父さんが畑の向こうから声をかけてきた。
「水をあげたほうがいいのか分からなくて」
「土を触ってみろ。表面だけじゃなく、少しだけ指を入れてみるんだ」
僕は種を植えた場所から離れたところで、指先を土に入れてみた。表面は乾いていたけれど、少し下はひんやりしていた。
「まだ湿ってる」
「そうだな。今すぐたくさん水をやる必要はなさそうだ」
「じゃあ、何もしなくていいの?」
「何もしないことが、必要なときもある」
父さんはそう言って、畑の端にしゃがんだ。
「水をやるのは大事だ。でも、毎日同じ量をやればいいってわけじゃない。土の具合や天気を見て決めるんだ。昨日雨が降ったなら、今日は必要ないかもしれない。暑い日が続けば、早めに乾くこともある」
「毎日同じじゃないんだね」
「そういうことだ」
僕は改めて土を見た。
昨日と今日では、ほとんど変わらないように見える。でも、触ってみると少し違う。目で見るだけでは分からないこともあるらしい。
「じゃあ、今日は水をあげないでおく」
「そう決めたなら、しばらく様子を見るといい」
父さんは立ち上がり、別の畝へ歩いていった。
僕はその背中を見送ってから、手についた土を払った。
しばらくして、エマたちがやってきた。
「おはよう!」
「おはよう。今日は水をあげる?」
エマは挨拶するなり、畑のほうを見た。
「まだ土が湿ってたから、今日はやめたよ」
「うちは少しだけあげたよ」
「僕もだな」
トーマとカイルが答える。
「えっ、みんな違うの?」
僕は思わず聞き返した。
「畑の場所によって、乾き方も違うからね」
カイルが説明してくれた。
「うちの畑は家の陰になっている時間が長いんだ。だから、リオのところより土が乾きにくいんだと思う」
「なるほど」
「でも、僕は水をあげすぎたかもしれない」
トーマは少し不安そうに言った。
「どのくらいあげたの?」
「桶の水を半分くらい」
「それなら、土を確かめてみたら?」
僕が父さんに教わったことを話すと、トーマは自分の畑へ戻って土を触ってみた。
しばらくして戻ってくると、少し安心した顔をしていた。
「大丈夫そうだった。次からは、先に土を確かめるよ」
「僕たち、毎日少しずつ覚えていけばいいんだね」
エマが言った。
それから僕たちは、それぞれの畑の様子を見て回った。土の乾き具合を確かめ、目印の枝が倒れていないかを見て、畑の周りに生えていた雑草を抜く。
作業そのものは、昨日とあまり変わらない。けれど、今日は昨日よりも、何を見ればいいのかが分かっていた。
家へ戻ると、母さんが洗った野菜を籠に入れていた。
「畑はどうだった?」
「今日は水をあげなかったよ。土がまだ湿ってたから」
「ちゃんと考えたのね」
「父さんに教えてもらったんだ」
母さんは笑って、籠を僕に渡した。
「それなら、この野菜を物置まで運んでくれる?」
「うん!」
畑のことを考えていたら、家の仕事も畑につながっているように思えてきた。水を使うにも、野菜を洗うにも、運ぶにも、どれも毎日の暮らしに必要なことだ。
昼過ぎ、空には薄い雲が広がっていた。
雨が降るかもしれない。そう思って、僕は窓から畑を眺めた。
雨が降れば、水をあげなくてもいいかもしれない。でも、強く降りすぎたら土が流れてしまうこともあると父さんが言っていた。
天気を気にするのも、畑仕事のうちなのだ。
夕方、外へ出ると、風が少し冷たくなっていた。
「明日は雨かな」
僕が呟くと、母さんは空を見上げた。
「どうかしらね。雨が必要なときもあるし、晴れてほしいときもあるわ」
「どっちがいいのか、難しいね」
「そうね。でも、空を見て考えるのも楽しいでしょう?」
僕は頷いた。
明日は晴れるだろうか。それとも雨だろうか。
どちらになっても、畑を見に行くことに変わりはない。
種が芽を出すまでの時間は、まだ続いている。




