将武その24「ヤンキーってのは」
ライディング将武の決着をつけた二人の前に待ち受けていたのは、必然とも言える人物であった。
「それが、お前の選んだ道か。」
旧校舎の校門を潜ると同時に声が聞こえ、同時に早雲を狙って迫りくる炎風。
「酒井っ!!」
松永が攻撃から庇うと二人は大きく吹き飛ばされた。右方向から攻撃を仕掛けた彼は、消炭色のブルゾンのポケットに手を入れ、静かに二人を眺める。
「忠光さん……!」
松永は倒れ伏したままだ。まともに攻撃を受け、起き上がらずピクリとも動かない。
「台風が消えちまったんで来てみれば…随分速くなったじゃねぇか、早雲。」
火傷の痕が大きく残った顔で見下ろされる。
それだけで、早雲は背筋に悪寒が走るのを感じた。
その様子をシャボン玉越しに見ていた彼女達は、彼の登場は予測できなかった。
春風は大きく目を開き、シャボン玉が映す忠光の姿を見据える。
「あ、あいつが…」
「織田 忠光…!!」
立歌が歯軋りをしながらギターピックに爪を立てた。その手はぷるぷると震えている。
顔でこそ気丈に振舞ってはいるが、誰もが畏怖するその名と姿。
熟練した将武使いである立歌もまた、それは例外ではない。
鞠夏が指先を動かしてシャボン玉の景色を拡大し、その顔を眺めた。
「あれが東乱楠旧校舎を焼いた男か。もっとごつい男かと思ったが…なんだ、思ったよりも……っ!?」
余裕に言葉を続けようとした鞠夏だが、すぐにその言葉は飲み込まれる。
こちらを、睨んで……
気付かれていた…というのか?
背筋が凍りつくような感覚に、鞠夏は襲われる。
それと同時にバシャンッ!!と音を立てて、巨大なシャボン玉は割れてしまった。
「あっ…!ああぁあーーっ!!割れちゃったっすよ!!」
「おい早川っ!なにやって…!!はやく続きを!」
飛鳥と皐月に詰め寄られる鞠夏。しかし微かに震える手で、襟首を掴んできた飛鳥の手を静かに払う。
「……いや、無理だ。今ので他のシャボン玉も全部割れてしまった。」
「こ、こっち…みてた、よね?いま……すっごい顔で……」
麗花が泣きそうな顔で春風に同意を求める。
春風は麗花を宥めながら、先程までシャボン玉があった場所を心配そうに眺めた。
「酒井……」
…
彼の目はいつだって、矢のようだ。
真っ直ぐで、迷いがなくて…
幾千も放たれた火の矢で射抜かれるようで、恐ろしかった。
だが、もう逃げる訳には行かない。
進むために、立ち向かうと決めたのだから。
「オレは…」
「……」
「オレは前に進むんだ。だから…!!」
早雲は忠光に向かって走る。消耗しきっていて、足は今にも崩れて無くなってしまいそうなほどにふらつく。
だが、早雲は忠光へと腕を伸ばし、掴みかかる。
力が入らない。頭を掴まれ、直ぐにあしらわれてしまう。ぬかるんだ地面に紛れた砂利が、肩に擦れた。
立って、忠光に向かって、また倒されて。
その繰り返し。
歯が立たなくても、
忠光は迷いなく自分を攻撃してきたのだ。
松永が庇ってくれなければ、今頃倒れていたのは自分だ。
これ以上、誰かを傷つける訳には行かない。
せめて一発だけでもいい。この拳を当てるだけでいい。
届け、届けよ。
また転ばされ、泥で汚れたキャップが落ちる。
オレは進まなくちゃいけない。
進みたいんだ。
竹康と、みんなで……!!
「忠光さん、もうオレは迷わねェッ…!!真っ直ぐ進むって決めたんだ!!アイツらの…葵ヤンキーズの道を切り開くのが…オレの道だッ!!」
そう叫び、早雲は真っ直ぐ拳を突き出す。
それに応えるように、忠光は拳を突き合わせて……横倒しになった彼の相棒、獲飛巣喰の元へと早雲を吹っ飛ばした。
軋む身体を、無理矢理起き上がらせる。
だが、早雲は起き上がる寸前…頭上からの異音に気付いた。
「…!!」
暴風の影響で、老朽化した旧校舎の屋根の一部が崩れた。それは自分と、獲飛巣喰に向かって落ちてくる。
咄嗟に、身体が動いた。弾かれたように早雲は獲飛巣喰に覆い被さっていた。
守らなくては。今の自分と、ずっと寄り添ってきた相棒を。
壊す訳には行かない。
このバイクだけは…守らなければ!!
衝撃に耐える為に、早雲は目を硬く閉じる。
しかし、いつまで待っても瓦礫は落ちてこなかった。目を開くと、そこには…
真っ赤な髪を、それ以上の赫い将気で炎のように靡かせながら…瓦礫を片手で食い止めていた忠光がいた。
「忠光……さん…?」
「もう分かってるんだよ、お前の考えてる事は。」
「……!!まさか…気付いて…!?」
「アイツらと一緒に走るのに、てめぇの大事なモン忘れて突っ込んでくるんじゃねぇ。」
そう言い終わると、忠光は力強くもう片方の拳を振るい、瓦礫を殴り飛ばした。
轟音と共に、それは旧校舎の地面に落ちて、やがて静寂が訪れる。
満天の星空の下で早雲が見上げた忠光の顔は、初めて会った時と変わらない不器用な男のしかめっ面だった。
忠光はブルゾンのポケットから五つ、銀色の塊を早雲へ向けて投げる。
ちゃりんちゃりん、と音を立てて落ちたのは鍵だった。
そのうちの一つ。趣味の悪い髑髏のストラップがついた鍵に、見覚えがあった。
織田軍に入りたての頃、蜂須賀が教えてくれた暴走族の情報の中に、このストラップの写真があった。
父を事故死に追いやった彼らのリーダー格が、鍵に着けていた代物だ。
「もうアイツらのことは追いかけるな。お前が戻るってことを辞めたなら、あのウスノロ達より先の道を行け。最も、連中は二度と走る事はないと思うがな。」
「…忠光さん、オレを呼んでたのって…まさか…!」
「……」
忠光は答えない。ただ、背中を向けるだけ。
……その背を見て、早雲は僅かな既視感を感じた。
そしてその既視感の正体を、すぐに理解する。
自分の思いをすぐに、素直に伝えない不器用さ。
バツが悪そうに背を向けたまま話すその姿が、父とよく似ている。
忠光は、早雲の往く道をわかった上で、姿を現した。
早雲が事故を起こした事を知り、忠光は蜂須賀からの情報を頼りに暴走族達を見付け…単身で、早雲の仇に挑み…仇討ちを果たしたことを伝えたかったのだ。
だが、伝える前に…桔梗の危険を知って……
何も言わずに帰ろうと歩き出した忠光の背に向けて、早雲は涙声で声をかけた。ふらふらな身体に鞭を打って立ち上がり、深く頭を下げる。
「忠光さん…ありがとう、ございます…!!」
忠光は何も言わずに立ち去って行った。
彼への印象に、恐怖はもう感じない。
代わりに胸に抱いたのは、精一杯の敬意だった。
忠光が旧校舎から去ってから、早雲はハッと思い出したような表情で松永を見遣ると、そこには今日出会って間も無い着物の男が松永の傍らにいた。
「…!アンタは…」
「……」
如水…彼は仰向けに寝かせた松永の胸に触れ、将気を流し込んでいる。その色は朝霧のようで、青みがかってはいるが無色に近い。
松永の傷を癒しているのだ。
みるみるうちに擦り傷が塞がり、気を失っていた松永の表情は穏やかなものとなっていく。
「安心すると良い。私の将気で、この男の傷は完全に癒えた。…だが、消耗した体力までは回復することが出来ないから、しばらく起きることはないだろう。」
「そっか…」
安堵する早雲に対し、如水は言葉を続けながら松永を抱きかかえて、背を向けた。
如水の足下に落ちていた黒いキャップが不意に浮き上がり、早雲の手元へ向かって飛んでいく。
風も吹いていないのに…と不思議そうに早雲がキャップを受け取ると、既に如水は歩き出していた。
「…!どこ行くんだ?」
「この男に恨みを持つ者は大勢いる。そいつらが嗅ぎ付ける前に、ひとまず安全な場所まで送り届けることにしよう。」
早雲は再び歩こうとする如水に、待ってくれと声を掛けた。
初めて出会う自分を、ここまで気にかけてくれたのだ。礼を言わなくてはと、ズレたサングラスをかけ直して、ニカッと笑う。
「アンタも、ありがとなっ。オレのバイクを届けてくれた時も…今も。」
「…正直なことを言うと、私は君が敗北すると思っていた。」
それに対し、早雲は答えない。肯定の意味合いのものだ。
実際、自分だって負けると思っていた。
なぜならこの勝利は、自分一人のものでは無いから。
それでも如水はこう続けた。
「だが君は…私の予想を遥かに超える力を呼び覚まし、試練を乗り越えた。」
彼は早雲と向き合って、真っ直ぐに視線を合わせてこう言った。
「見事だ、酒井 早雲。」
「……へへっ。」
キャップを被り直し、束ねた銀髪を整えながら笑う。彼なりの照れ隠しだ。
「イイ奴だな、アンタ。」
笑みを向ける早雲に、如水はほんの少しだけ顔を背けながら目を伏せた。マスクの下で、口角が少し上がるのを感じながら、しかしそれを悟られないように彼は謙遜しようとする。
「別に…わた」
「変なコスプレだけどよ。」
「余計なお世話だ。」
言葉を遮って自分の格好をコスプレと評した早雲に、即答で返した。
その口調はどこか柔らかさを孕む。
同じやりとりを、既にあの男としていたからだ。
彼の友人だ……ならもう少し、助言をしておこう。
「……この先。」
「ん?」
「この先…さらに過酷な試練が君に…君たちのもとに訪れるだろう。そう遠くないうちに…」
如水はそれだけ言って、松永と火進孤路を連れて行ってしまった。
早雲は獲飛巣喰を起こしながら星空を眺めた。
「試練…か。」
乗り越えてやるさ。
アイツらと一緒なら、どんな時も…なにがあっても。
「一緒に乗り越えるよ。大事なモン、守るためにな。」
星空に向けて、誰よりも速く走る雲が拳を高くあげた。
帰り道、河原に辿り着いたところで…早雲は目の前…自分に向かって走ってくる人物に驚く。
「早雲ッ!!」
息を切らしながら走ってきたのは、千代子だ。片手には鷲掴みにして潰れた紙袋。
「タケさん…!」
「…早雲っ、はぁ、はぁ…よかった。やっと見つけた…探してたんだ。」
呼吸を整えてから、千代子は再び頭を下げた。
謝る為だ。
「早雲…ごめん!オレ…お前のこと…」
「顔上げろよ。」
顔を上げた千代子の頭に、ゴツンッと拳骨を打ち込む早雲。
「いっ…〜…!!」
そのまま早雲は、頭を抑えながら痛みを堪える千代子の肩にポンと手を置いた。
「オレたちのアタマなんだ。もっとドンと構えてくれよ。」
「早雲…?」
「一緒に走らせてくれ、竹康。オレは…お前を乗せて…支えてくれる奴らと一緒に、葵ヤンキーズを引っ張りたい。」
驚いた表情で目を見開いた千代子に対し、早雲は真っ直ぐ見つめて、そう言った。
「……!!」
「過去も今も、この先も。"運び屋の酒井"が行く道には…お前が居ねぇとさ。」
その言葉を聞いて泣きそうになる千代子を見下ろしながら、にっと笑う早雲。しかし…
グゥゥ……
「……」
早雲の腹の虫が、割と大きく鳴った。そういえば、何も食べていなかった。
すると千代子は握りしめていた紙袋を開く。中身は…あの時と同じだ。
覗き込んでみれば、潰れたあんパンがひとつ。
堪らず早雲は笑った。くつくつと笑って、いいよ。と千代子に告げる。
「あっちで食おう、タケさん。半分こな。」
指をさした先はベンチだ。二人で座って変わらない優しい甘さのそれを齧った。
「早雲…明日は朝早くに来て欲しいんだけどよ。いいか?」
「いいぜ、久々にタケさん乗せて走りてぇしな。でも何で?」
千代子はあんパンの最後の一口をパクリと大切に噛み締めてから、自信に満ちた表情で笑った。
「…明日、全部決着をつける。早雲は町中をとにかく走り回って欲しい。」
「決着、か。」
そして早雲に手を差し伸べながら、にっと笑う。
「ああ、その為に一発派手にやらかすのさ。葵ヤンキーズ流を見せてやろうぜ、早雲。」
千代子の眼は、かつての自信の無いものでは無い。
突き進むことを恐れない、ヒーローの眼差しだった。
そんな千代子を見つめる早雲は、立ち上がろうとして、ふと視界に入った花に視線を向ける。
ライディング将武の際にも、自分の目の前に現れたこの黄色い花…金糸梅だ。
この花は…早雲の思い出を呼び起こす。
それは子供の頃、母の誕生日の時だ。
父と一緒に、いつも通りにバイクに乗せてもらって、金糸湾へ来た時のこと。
その日は入道雲が真っ青な空に浮かんで、絵に書いたように綺麗だった。そこからの風はとても気持ちが良くて、今も昔もいい風が吹く。
早雲は前日に母から四つ葉のクローバーを小さい頃によく探したと言う話を聞いていて、父に頼んでクローバーを探しに出かけた。
いくら探しても、同じような草しか見つからず早雲は痺れを切らして父に声をかけた
「なあ、親父。どこ探しても三葉のクローバーしかねぇよ?」
「そりゃねぇさ。それにクローバーもない。ここにゃ片喰しかねぇからよ。」
「えー、そっくりなのにちげぇのか?じゃあ見つからないわけだ。クローバーがいいのに…カタバミって変な名前。」
驚いて、しょぼくれた顔をする早雲の顔を見て、父は笑った。
「良いじゃあねぇか、片喰でも。それにな、片喰は別の名前があるんだ。"満天星"って書いて、ドウダンツツジっていうんだけどな。」
「星ぃ?……どこ見ても草だけだよ親父。満天どころか一面の緑だ。」
「黄色い花を咲かすんだ。ちっせぇ花がたくさん咲いて、星空みたいになる。」
ほら、と父が指をさすと、早雲はホントだ。とひっそり咲いた片喰の黄色い花弁を突っついてみる。
「一個のちっせえ幸運より、小さくても沢山がんばって咲いたこの花の方が、よっぽど綺麗に見えるな、父さんは。こいつの花言葉、知ってるかお前?」
「いや、知らない。なんて言うんだ親父?」
「"輝く心"ってな。」
片喰の花言葉を聞いた早雲は、その花言葉のように瞳を輝かせてニカッと笑った。
「ちっせえのに、花言葉はでっけえな。」
その表現に、父は早雲の頭をワシワシと撫でた。
だが、早雲はまだ不服そうで…父はまた首を傾げた。
「片喰は好きになったけどさ、これだけお袋にプレゼントってのはなぁ。」
「じゃあ、金糸梅なんでどうだ?この金糸湾の由来になった花だ。」
「いま周りに咲いてる花?たくさん持ってったら、お袋喜ぶかな?」
「喜ぶさ。母さんにプロポーズした時も、この花だったからな。」
照れくさそうに鼻を擦る父に、花言葉は何かと早雲が袖を引っ張り、金糸梅をひとつ摘んで、こう言った。
「太陽の輝きってな。それと…」
そうだ、それから…
「悲しみを止める。…そうだよな、親父。」
満天の星空の下。
爽やかな風に…金糸梅はふわりと揺れた。
一方その頃…
「ひぃいいい〜〜〜〜ん!なんで僕がこんな目にぃいい〜っっ!!」
「ほぉらほら……泣かないの。まだこんなに溜まってるじゃない…♡」
時計はもう夕飯を終えて家族が団欒を始めるであろう時間帯。
風穴が空いた新聞部室には、新聞部部長があげた情けない悲鳴と、優しげに微笑む榊原の声。
部長は破壊された窓…つまり大きく空いた穴の際、ギリギリの所に机と椅子を固定され、そこに座らされている。逃げようと席を立とうものならすぐに真っ逆さまに外へ転落するだろう場所だ。そこで紙の山を前にがりがりと次の記事を書き続けている。
そんな彼の目の前に近付いてきたのは、虎徹だ。
「御家族の方は安心してくれよ。僕の家に遊びに来ていて、お泊まりの予定だからと君の携帯でメールしてある。優しいねぇ、君の母さんは。"楽しんでらっしゃい!"だって。だから安心して書き続けていいよ。ね、三河先輩?」
ニヤニヤと陰険な笑みを浮かべながらスマートフォンをポケットにしまう虎徹は、パイプ椅子に座って朝日が買ってきてくれたペットボトルの緑茶『へ〜いお茶ッ!!』を飲む忠勝に目線を向け、同意を求める。
「……」
何故このような状況なのかは、夕方まで遡る。
爆発事件、そして予想以上の速さで接近していた台風。それらが重なり、避難していた生徒たちは体育館の中で天海校長の指示を聞いていた。その中に、葵ヤンキーズや織田軍の生徒たちは数名見当たらない。
「三河先輩たち、見当たらないな…ヤンキーの人達も全然いない…」
心配そうな朝日の言葉。それに対して、部長は心無い言葉を聞こえるように呟いた。
「あ、あんな奴ら…いなくてもいいだろ。静かで早く集会終わりそうだし…」
「…!部長、そんな言い方…!!」
「なんだよ…!助けてもらったのにとか言いたいのか…!?ヤンキーなんているからこんな目にあったんだし…!部室もめちゃくちゃだし、君だって酷い目にあったろ!」
「静かに!」
天海校長はざわつき始めた生徒たちを窘め、こう告げた。
「今回の事故、そして台風の接近…危険な事が重なり、不安な生徒もいるだろう。トラブルに巻き込まれ、怪我をした生徒たちには、大変申し訳ないと思っている。よって、今日は集団下校とします。皆、先生の指示に従って、行動するように…」
「ほ、ほら…校長もああ言ってるだろ、ヤンキーなんて…」
「だが、この高校に通う君たちは、どんな生徒であっても私たち教師たちの教え子であり、守るべき大切な子供たちだ。安心して欲しい、私たち東乱楠高校の教師一同は、安全に、これ以上の怪我人を出さず、君たちを御家族の元まで送り届けよう…!」
天海校長は教壇に置いた手を握り締めながらマイクで生徒たちに安心させようと言葉をかける。ヤンキーであろうとも、誰であろうとも。
教え子は必ず守り通す。と…
ほっとした表情の朝日の隣で、居心地悪そうに唇を噛み締める部長。そして集会を終えようと、天海校長は言葉を続けようとする。
「それでは、各自担任の先生の指示に従って貴重品などを……」
ピンポンパンポーン。
天海校長の言葉を遮って、スピーカーから呼出音が流れた。
『ハロー東乱楠Radio!みんなのバラさんよぉ!あーっと、スピーカーの音量はそのまぁんま♡新聞部部長さぁーん!いますぐ!新聞部室にいらっしゃ〜い!!』
「な、なんだ…!?なんで僕が!?」
突然の東乱楠Radio、すっかり司会進行役が板に着いた榊原の声が、体育館内に響き渡る。
『先日開催、"今日のトークはブーメラン!"に引き続き、新コーナーの始まりよ!さ、おねがい忠勝!』
『ああ、いくぜ。"暴露連発、本屋の忠勝!!"…始まりだ!!』
「み、三河くん…!?どうして…どうしてヤンキーなんかと一緒に…!!」
『踏んだり蹴ったりな日だったろうけれど、最高の記事を飾るチャンスだぜ。2年B組、三河 忠勝が新聞部室で!部長さんの裏側に密着するのさ!』
最高の記事、チャンス…その言葉で、朝日は直ぐに察した。そして笑みを浮かべて、放送に耳を傾ける。
忠勝の声に続けて、荒っぽく話す二人組の声も聞こえた。
『おうおうおう!!葵 竹康の懐刀も忘れちゃあいけねぇなぁ!!そうだろ宇佐見ぃ!?』
『あたぼうよ樺地ィ!!耳穴かっぽじってよぉ、しーっかり聞いとけや!!暴露連発、本屋の忠勝…なっげえや、忠勝さん、バクホンでいいよな?』
『呼び方は任せる。さ、今回紹介するのはこの新聞部室の本棚にみっちり詰まった記事に紛れた、一冊のノートだ。紹介頼むぜ、おふたりさん。』
あいよ!!と宇佐見の声と共に、ノートをばしばし叩く音が響く。
一体何だというのか…
「まさか…アレを見つけたって言うのか!!」
「部長、アレって?」
「あ、あああ…なんでもない!多分卒業した先輩が書いたネタ帳だろ。」
首を傾げている朝日の横で、ノートと聞いて部長はヒュッと息を呑んだ。
『あららぁ〜?なにこのノート、部長さんの名前が書いてあるじゃないの。秘蔵のネタ帳かしら!』
『ああ、覗いちゃいけねぇよ榊原先輩。朗読は順番にだ。まず一ページ目、いくぞ!』
『しょうがないわねぇ、ま、見つけた時に読んじゃったからいいけど♡それにしてもイイコちゃん遅いわねぇ、まさかヨーグルッポ売り切れかしら。』
榊原と一緒に虎徹も来ている。それだけで部長は冷や汗をかいた。先日の結城 鈴々の本性を暴いた二人が来ている。というと…待つのは地獄だ。
「な、なあ、おい、もう帰ろうよ。僕のネタ帳なんてどうでもいいだろ?集団下校するならほら、はやく荷物取りに…!」
「ちょ、気が散るから静かにしててよ。新聞部なに調べてるか気になるし。」
部長は周囲に声をかけたが、生徒たちは放送を聞きたいらしく、部長をあしらうばかり。
そうこうしてる間に忠勝が一ページ目を読み始めた。
『えーと、おお。日記帳形式みたいだな。分かりやすくていいぜ。えーとなになに…』
〇月×日
好きな子に告白したけど、振られてしまった。
あの子の靴箱に必死に考えたラブレターを書いて置いたのに。すごく悲しいので、部活に身が入らなかった。
悲しげに読む忠勝。それにつられて、榊原が泣き出した。
『ここ何回見ても悲しくなるわぁ。部長さんめげないでーって思ったのよアタシ…忠勝お願い、そこの続き読ませて…』
榊原が涙ぐむ声が聞こえる。芝居じみた嘘泣きのようだが…日記を手に取り、国語の授業のように、続きを元気よく読み上げた!!
『でも!部活帰りにその子がクソヤンキーに告白してるのを僕は見た!!ふざけんな!!どうして普通の僕の方がダメで、イキったヤンキーとかいう生き物が好きなんだ!!ゲテモノ好きなんて幻滅だ!!僕がもし女の子なら、あんなビッ〇にはならない。あんなのに告白するくらいなら、フンコロガシに結婚指輪を渡すのがマシだ!!クソ喰らえ!!!』
途端、部長への視線が一気に集まる。
部長は真っ青な顔で、違う違うと両手を振って否定するが、目線の泳ぎ方から何まで不自然だ。
「ち、ちがうって、こっち見るなよ!誤解だってば!」
「ぶ、部長……」
『まだまだ行くわよー!忠勝、次の日おねがーい!』
榊原から促され、ページをめくる音。また忠勝が読んだ。
〇月▽日
あの〇ッチが告白したヤンキーはそのまま付き合いやがった。
あんまりにも腹が立ったので、ビッ〇のサイフをヤンキーのカバンにこっそり入れてやったら即破局!
お前みたいなのが甘酸っぱい学校生活を送れると思ったか、バーカ。
というわけで今日はラーメンでも食べに行こうと思う。チャーシュー麺が絶対美味いぞ。
ざまあみろ。
『際どいな…これは!』
忠勝のシンプルな感想に、宇佐見と樺地が被せて声を上げた。
『そのヤンキーの先輩、虎徹に聞いたらよ、織田軍だったんだよなぁ。』
『な!部長さん、度胸あるぜ。せこい真似する程度の度胸はな!』
織田軍の名前が出て、体育館内はザワつく。教師達は落ち着かせようと宥めていたが、効果は無しだ。
「部長、そんなことしてたんですか!?」
「ちがう!!ちがうって!でっちあげだよ、あんなの!!」
「部長ひっど…」
「マジかよ…」
口々に生徒たちが部長への批判の言葉を上げ始める。部長が取り繕う中、一番来てはならない男が現れた。
『みんな、遅くなってごめん。もう始まっちゃったから慌てて戻ってきたよ。榊原先輩はヨーグルッポでいいよね?』
『イイコちゃ〜ん!!遅かったじゃない、初パシリはもっと迅速に行わないと!でもありがと♡』
『だれがパシリだ。三河先輩、暴露はこれからだろう?面白くなるかな?』
『ああ、間に合ってよかったぜ虎徹。もっと際どいのが最後のページにあった。』
最後のページ。それは一番読まれたくないものだと、部長は声を上げる。
「やめてくれぇ!!そこは…!!そこは読まないでくれぇ!!」
そんな部長の言葉は叶った。宇佐見と樺地がある物を見つけたからだ。
大きな声で宇佐見が忠勝に話しかける。宝物を見つけた海賊のような声色だ。
『あー!!待ってくれよ忠勝さん!こんなもの見っけたぜ!!CDだ!部長の名前入り!!』
『あらぁ!ナイスね宇佐見!じゃあ息抜きに音楽タイムいくわよ!』
『ちょっと榊原先輩、鬱陶しいから気持ち悪い動きで踊らないで!?……じゃあそれ聴きながら少し休憩だね。ラジカセあるからそれで聞こう。なになに…曲名は…せーの!!』
"僕のハートは本能寺〜愛を叫ぶホトトギス〜"
「うわぁぁぁぁあ!!!!!やめろおおおーーっ!!!!!」
「あっ、ぶ、部長ー!!」
部室へ全速力で走っていく部長を、朝日が追いかける。
放送される歌はなんとも痛々しい歌詞だ…
君との恋が叶うなら
ベッドの上で炎☆JOY!さ
雌喰えば 金が減るナリ 本能寺♪
金減れば 離れてくのは クソビッ〇♪
僕のハートは本能寺♪
僕のハートは本能寺♪
トゥインクルトゥインクル☆
好きだよなんて 言えないよ♪
泣くに泣けないホトトギス
それが僕さ ホトトギス
涙を見せないホトトギス
燃える心は 本能寺にあり
僕のハートは ほ〜んのり塩味〜♪
Wow Wow イエエェエエエイ!!
部長が来るまでの間、肩を組みながらいい笑顔で宇佐見と樺地が歌い続ける。
榊原は自慢の鼓帝架を伸び縮みさせながら、腰を前後に振って奇怪なダンスを踊り続けていた。
そんな彼らの元へ足音が近付き、扉を勢いよく開く!!
「み゛か゛わ゛く゛ん゛ッ!!!」
「来たな、ホトトギス。 」
「うるさい!!キミ…こんなことして!!こんなことしてタダで済むと思ってるのか!!」
息を切らして現れた部長に対し、忠勝は軽口を叩く。それが部長の怒りを更に倍増させたようで、彼は声を荒らげた。
「それはこっちのセリフだよ、部長さん。」
扉を閉めて、後ろ手で鍵をかけながら背中に言葉を突き刺したのは虎徹だった。
「確かに君は織田軍に脅されて、酒井先輩を貶めた記事を書いた。表だけ見れば被害者さ。でもね…」
「根こそぎ拾い上げて、物事は見ないとね。忠勝、読みなさい。」
「ああ、行くぜ…」
厳しい視線で部長を睨む榊原に促されて、
忠勝は最後のページを読み上げる。
止めさせようと忠勝に近付く部長を、宇佐見と樺地が押さえつけた。
〇月□日
同じクラスで、織田軍の蜂須賀くんに脅され、轢ッ殺しの酒井の記事を書き上げた。
僕が例のヤンキーを破局させたことを嗅ぎつけてきたんだ。
あいつの手下に殴られて、言う事に従えば不問にして見逃してくれるって、だから記事を書いた。
少し大袈裟に書いておけばいいよな。
新聞なんて、そんなもんだ。みんなインパクトが大きければ大きいほど、信じるんだから。
酒井だってヤンキーだ。あんなデカいバイク乗り回して、他の連中も迷惑してるに決まっているんだから。叩かれて当然のことをしてるんだから。
多少は酷い目に逢えばいい。そんなの承知で、ヤンキーやってるんだろ。嘘のこと少し書かれたって、文句は言えないんだから。
「……部長さん。」
ノートを閉じて、忠勝は真っ直ぐ部長を見据える。しかし部長は反省の色など見せず、寧ろ忠勝を睨み付けた。
「なんでだよ…なんで僕が悪いみたいになってるんだよ!!」
部長は宇佐見たちを振り払い、忠勝に詰め寄る。
「みんな心の奥底じゃそう思ってるだろ!?あんな…周りを乱して、自分勝手に行動して!煙たがられるようなことを敢えてしてるヤツら…!叩いてくださいって言ってるようなものじゃあないか!?じゃあ何かい!?君は僕を脅した蜂須賀くんや、他の普通な生徒を脅かすヤンキーの方が正しいって…そう言うのか!?そんな奴らにはこうするしか無いだろ!?力がない僕らのような生徒が、そんな連中にビクビクしながら学校生活を送るのが正しいってのかよ!?」
「……部長さん、アンタの言ってることは最もだ。だがな…ヤンキーをただの"悪"だと…本当にそう思うか?」
忠勝は部長の言葉を聞き、それでも意思ある強い瞳を崩さない。
大事な事を、自分の周りに居る人達が教えてくれたから。
自分を大きく変えてくれたヒーローがいるから。
「オレも昔は、アンタと同意見だったさ。ヤンキーって言われる連中は、力が強くて、普通なら誰もしないようなぶっ飛んだことをして、それが悪と言われる事だとしても、平気でやってのけちまう。だが、それはあくまでも表面的に見ただけの事だ。」
"忠勝、お前はヤンキーってなんだと思う?"
"ヤンキーってのはさ…"
「ヤンキーってのはさ、生き様なんだよ。自分を貫き通す生き様の形のひとつ…それがヤンキーだ。悪ってのは必ずしも力が強くて、周りを脅かすだけじゃあ無い。力が無くても、誰かを苦しめて、貶める事だって平気でやってのけちまう。蜂須賀だって、たしかに褒められるようなやり方じゃなかった。
けどな…誰かに腐っていると言われても、後ろ指を差されたとしても、誰かの為に必死に動いて…全力で力を振るう。その結果、誰かの考え方や……生き方だって変えちまうんだ。」
「なにが…何が言いたいんだよ!?」
「大切なモノの為なら、誰かに恨まれる事だって怖くない。それがヤンキーだ。結論を言うぜ、部長さん。アンタみたいに力が無い事を理由に姑息な事をして…そしてそれを正当化してオレたちの友達を貶めた事は、絶対に許さねぇって事だ…!」
「新聞の内容、真実はほんの二つ程度で…あとは真っ赤な捏造だったそうね…!あの子の心を踏み躙ったからには、タダでお家には返さないわよ!!」
「な、何をする気だ…く、くそっ!鍵をかけたのか…!ひいいっ!来るなぁ!」
バタバタと騒がしいやり取りの中、虎徹が放送を締めくくる為、マイクを取った。
「そんなわけで、本日の東乱楠Radioはお開きだ。みんな、気をつけて下校してね。それじゃ、次回の放送と、明日の新聞…お楽しみに!」
「助けてぇぇええええ!!!!!」
プツン。
静けさを取り戻した体育館。皆、放送を全て聞いていた。
学校中に貼られていた酒井の過去を取り上げた新聞の真実…それは捏造により大きく脚色された物だった。
この中には居るのだろう。早雲の記事を信じて、心無い行為をした者も。
今更名乗り出ることなどできない空気だが…
「…酷いこと、しちまったな。」
「今更謝ったって、許されねえだろ…もう。酒井、この中に居ねぇみたいだし…」
「殴られるかもしれないじゃん…だって元・織田軍だよ?」
「でも、酒井くんそんなことしないよ…女子にも優しいし…この前、おばあちゃんがひったくりにあった時、黒いバイクに乗った学生さんが助けてくれたって聞いたもの…」
名乗り出るまでも、無いようだ。
一個人を酷く罵った記事によって、人は曲がり歪んだ正義感を掲げる。それが目に見える情報という物の恐ろしい所。
それを痛感した彼らは、謝るに謝れない罪悪感を語り合っていた。
「ええ……ど、どうしよう。えっと…」
困惑する天海校長。
そんな微妙な雰囲気の中、二回大きな手拍子が鳴った。
「ハイハイ!ぼさっとしてないで担任の指示に従って、みんなは貴重品を取りに行く!各クラス準備ができ次第、地区別に先生たちが誘導するから、集まり次第下校して!OK?」
「ま、前田先生!」
ラベンダーベージュの明るい長髪を下ろした女教師が、声を張り上げた。
前田 恵花。
千代子や桔梗たちの担任の教師だ。
天海校長が前田の方へ振り返り、しかし…と渋ると…彼女はにこやかにこう言った。
「心配しなくても、私が残って彼らを見守ります。もともと彼はでっちあげの記事を時折書くことがあったから…注意しようと思ってたけど、ちゃんとした証拠がなかったんですよ。今回のことで、きっとイイ薬になったんじゃないですか?三河くんがついてるならそんな酷いことにはならないでしょう。」
「う、うーん…前田先生がそう言うなら…」
「なら校長先生は直江先生たちと一緒に集団下校の手助け!私は部室の近くで見張ってますんで、何かあったら連絡すること。OK?」
「お…オケー。」
「ぃよっし、イイ返事!それじゃあ皆!放送でも言ってたけど、気をつけてね!安全に帰るためには、先生たちの指示をしーっかり聞くこと!OK?」
「「「「オケー!!」」」」
集団下校の為、生徒たちは教師の指示のもと、貴重品を取りに行くために教室に戻っていく。
その喧騒の中、前田はホッと一息ついた。
「いやぁ、一時はどうなる事かと…」
そんな前田に笑顔で語り掛けたのは、直江だ。
「覇螺処〜!恵花先生、すごかったわ!生徒たちみんな先生の指示を聞いてくれて…やっぱり元ヤンの気迫があるからかしら?"見栄切りお恵"は健在ね!」
昔の通り名を言われ、前田は「なはは…」と苦笑した。
「もう昔の話よ、アントニーナ先生。…三河くんがいて良かった……榊原くんと井伊くん達だけだったら、今ごろ金ヶ崎先生が部室に乗り込んでたと思う。」
手入れの行き渡った髪をかきあげて、前田はため息をついた。教師も大変な仕事だ。
元ヤンだった彼女にとって、居心地は確かに良いものの…生徒と教師の違いと言うものは本当に疲れる。
「ふふっ、あの子たちなら打威上武よ。サダヨ先生は心配性なだけだから。それにしても…恵花先生はひとりでへいき?三河くんが居ればって言っていたけど…私も残りましょうか?」
「ああ、大丈夫大丈夫。"あの人"の弟なら、安心して任せられるからさ。」
そう、安心だ。
なにせあの人の弟なのだから。
前田は確信に満ちた声色で、軽く背中を伸ばした。
「さぁってと、もうひと仕事しますかな。」
時は戻って、新聞部室。
そんな事態の末、部長は泣き咽びながら新聞を書き続ける。
作業用音楽は勿論、"僕のハートは本能寺"だ。
しかも、リピート再生。
「ひぐっ、うう……せ、せめてそれ止めてくれよぉ!!僕の黒歴史をこれ以上…ひいいいっ!!」
袖で涙を拭う部長の背筋に、榊原の指先が滑り…ふぅっ、と耳元に笑い混じりの吐息が掛かると高い悲鳴が部長の喉から漏れ出す。
「んもう、泣かないの…ほら、差し入れのミルクフランスのミルクが零れちゃうわよ?ちゃんとお口開けなさい。零しちゃだめよ…♡」
ずいっとミルクフランスを頬にぐりぐりと押し付けながら榊原が誤解を生みそうな口調で部長に微笑む。それに対して樺地がカンパーニュを丸ごともう片方の頬にグイイイッと押し付けた。
「それともカンパーニュがお望みかぁ!?」
「うえええーーーん!!!書くよ、書くからァ!!朝日さん手伝ってぇぇぇぇ!!!!」
そう叫ぶ部長を横目に、虎徹が笑みを返す。
呼ばれた当の本人である朝日は、虎徹が差し出したチョコレートチップスを食べていた。
「井伊くん、これ新しいフレーバーだよね?
苺っぽくて美味しい〜!」
「新しいブーチョコランタンの味、ショートケーキ風だよ。なんなら一箱持って帰るかい?…泣いてる暇はないよ、部長さん。記事を書き終えるまで…お泊まりは続くんだから。」
そんなやり取りを見ながら、忠勝は部室にぽっかり空いた穴から星空を見上げ、にっと微笑む。
「将武がなくても…今のオレにできることをやるぜ…だからお前も頑張れよ、タケ。」
部長のお泊まりは、まだまだ続く…
どっと疲れた集団下校を終えて、桔梗は自室のベッドに腰かけてため息をついた。
大きな猫のぬいぐるみを抱きしめ、頭に自分の顎を乗せてぼんやりと考え事に耽る。
心の中にあるのは、忠光の事と…竹康の事。
彼が救われる事を親友の兄に望んだ時に感じた、あの安心感…
「ほんと、不思議……」
まるで千代子と話しているような感覚だった。
やはり双子と言うのは、雰囲気まで似るのだろう。
無愛想だが、まるで本当の兄のように接してくれていた昔の忠光とはまた違う。
「千代子…あれから見てないけど大丈夫かな…」
台風の後で店も大変なのだろうか。連絡も来ない。
明日学校で会ったら、デパートに出来たパン屋に誘ってみようか…?
そんな事を考えていると、スマートフォンの着信音が鳴った。誰からかと画面を見てみると…
「千代子…!もしもし?」
親友からの電話だと分かると、直ぐに通話を始めた。
『もしもし、桔梗ちゃん?』
「千代子〜…!よかった、台風大丈夫だった?集団下校で体育館に集まった時も居なかったから心配したんだよ…!」
『えへへ、ごめんね…ちょっといろいろ立て込んじゃって…桔梗ちゃんは大丈夫?』
「私は平気だけど…ねぇ、そっち忙しい?すごく騒がしいみたいだけど。」
電話越しにも聞こえるのは、ばたばたとした足音と複数人の声。何をしているのだろうか…
『ちょっとね…明日に備えてお店の手伝い。声聞きたかったのと…あと、お兄ちゃんからの伝言を伝えたくて。』
『千代子〜、ごめん、ちょっと手伝って〜!』
『あ、はーいっ!待っててお母さん!ごめんね桔梗ちゃん、また明日話そう!で、お兄ちゃんからの伝言ね。…"明日、君の願いを叶える"って。それじゃ!』
「え、千代子っ?もしもし?……切れちゃった。…願いを叶える、か…竹康先輩…何をするんだろう。」
通話を終えて、待受画面に戻ったスマートフォン。
長い一日で、久しく千代子と話せたことで桔梗は張り詰めた心が少しだけ解れた気がした。
これは、ひとつの終わりの前夜。
動乱の嵐が吹き荒れ、新たな風が吹く迄の…束の間の穏やかな夜。
彼らのひとつの戦いを、終わらせる為の戦いが近付いていた。
次回も尋常に…将武!




