将武その21「憂き夜の雲」
千代子たち葵ヤンキーズが保健室から出て、静かになった。
「…ふふっ、ひさしぶりに賑やかになったわ。今度、お菓子を焼いてあの子たちに配ろうかしらね。怪我以外でも来てくれると嬉しいんだけど。」
直江 アントニーナは、雨粒で濡れた窓に、つぅっと指先を滑らせる。明日は、窓の掃除をしよう。この窓から、新たな風を運ぶ者を見届けるために。
ベッドに寝かされた蜂須賀の寝顔を見遣ると、直江は優しげに微笑む。
「…貴方もまだ子供なのに、いっぱい背負ってきたのね。」
寝顔を見れば分かる。本当に疲れきった顔をしているから。
きっとあの子も、疲れきって帰ってくるわ。
なにせ、これからきっと…
「忙しくなりそうね、葵さん……」
見ていたもの。ここは貴方が駆けていく姿が、よく見えるから。
葵くんのようにいつも真っ直ぐで…けれど、女の子らしい、優しい目をしてるから。
「うぐっ……ここは…」
「あっ!目が覚めたのね蜂須賀くん!」
「いっ!?な、な、な、直江センセ…っ!?」
「三河くんが運んでくれたの、もう堕威上武よ!」
目が覚めて早々に、蜂須賀は状況を把握して顔を青ざめた。
これだけ全身を怪我してしまったのだ。これは……まさか…!!
「先生、震攻祟でいくから、蜂須賀くんも安心してね♪ぱぱっと凪圧すから!!」
もうひと息、頑張るわよー!と直江は蜂須賀の前で両腕を高くあげてバンザイをする。
大木だ……白い大木が…いや、いやいやそんな!!そんなことを考えている場合か!!
「ヒッ、ヒィイ!?な、なぁセンセ?ワガハイは平気だから、平気だから…なぁ!?ワガハイ塾あるから!急いでるから!これくらい病院行けば……」
「あっ、だめよ蜂須賀くん!動いちゃ…滅ッッッ!!」
豪ッッッ!!!!!!
直江の気迫で、この場から逃げ出そうとした蜂須賀はベッドに仰向けに倒れてしまう。
動けない。気迫に圧され、本能が諦めてしまった。
「それじゃあまずは……焦土苦からいくわよ〜!」
奥の手を使うほどの将気も、体力も残っていない…
打つ手無しのこの状況を、飲み込まざるを得なかった。
「ぎぃやぁぁあーーーっ!!!!」
直江 アントニーナの震攻祟…開始!!!
金糸湾…
獣の唸るような排気音と、湿った風に揺らめく黒煙。
「……」
ぱちぱちと、目深に被った黒いキャップの表面を雨粒が叩く。
レザージャケットが水を弾き、雨水はブーツを濡らす。
目を閉じ、静かに対戦相手を待つ男…
松永 八雲。
彼は雨音を聞きながら、己の過去を振り返っていた。
――。
思えば、なんて空虚だったのだろう。空どころか、自分さえも灰色に見えた。
ただ、空を漂う雲のように…呆けた日々。
灰色の自分に火を付けた男を追い求める前の時を、思い出す。
半年前…当時、平蜘蛛高校一年生だった彼は、スポーツにおいて天賦の才を見せつけていた。松永がスピードの世界に踏み入ったのは周囲からの推薦によるもので、誰もが彼の才能を羨み、憧れた。
彼の全ての始まりは、自転車競技部…
夏のインターハイ。
あの日は生憎の曇り。気温は異常気象でジメジメと纒わり付く暑さだった。
一年生にしてインターハイのメンバーとなった彼の役割は、アシスト。
自分で決めた訳じゃあない。周りに流されて…決めたのだ。宙ぶらりんで、なにか目的があったという訳でもない。将来の夢とかも漠然としていて、本当にしたいことなんて思いつきもしない。
両親は中学のうちに夫婦別々に暮らしていて、いま自分と一緒に暮らしている父は自分に期待はしなかった。
黙っていたって、褒めたり叱ったりしなくたって、なんでもそつなくこなしてしまうから。
顧問も、先輩も、始めはチヤホヤしていたが、次第に…自分には何も言葉をかけなくなった。
"松永がいれば、インターハイ優勝したも同然っしょ。"
"オレたちが多少手を抜いたって…"
"よろしくな、松永。"
頑張れ、という言葉は無かった。
そして、忌々しい瞬間は訪れる。
難関である坂道で、チームに渡すドリンクを得た松永は、ライバル校のチームに居た同学年の男子を見つけた。
呼吸はぜえぜえと荒く、酸欠寸前といった様子。
最悪の場合救護が必要と見かねた松永は、声をかけてしまった。
事情を聞けば、ドリンクを届ける為に後方に下がり、やっとの思いで得たボトルを破損させて、チームの怒りを買ってしまったと言う。結果、一人残されてこうして走っていた、と涙を流しながら彼は松永に打ち明けた。
そんな彼を見て…松永はドリンクを全て差し出した。
誰かが必死の思いで、"頑張る"姿を蔑ろにはしたくない。
松永が持っていた、微かで不確かな誇り。
頑張れと言われなかった自分ができる事…
それだけはしたかった。
誰かに手を差し伸べる事が、自分にとって大切なことのように感じたから。
どこにでも、優しさを食い物にする人間はいるものだ。
松永のチームは敗退。
順位は四位。敗因は、補給品の不足。
勿論、自分のチームからは罵倒の嵐だった。しかし松永は後悔していない。
自分の力で勝とうとしない連中からの罵声は、松永にとって痛くも痒くもなかった。
自分の誇りを守れた。自信の無い、吹けば消えてしまう幻のような誇り。
そう、数分前までは…
表彰式を終え、帰ろうとした時だ。
後ろから笑い声。
自転車を押して一人帰ろうとした。
その時だった。
"先輩、あいつっすよ。お人好しの大バカは。"
そんな言葉と共に後ろから投げつけられたボトル。
投げたのは自分がドリンクを差し出した、あの男子だった。
"バカだよお前、まんまとウチの後輩の演技に騙されてさ。おかげで補給助かったわ。"
"そのバカのおかげで、俺ら一位取れたじゃねぇか。"
"あの時はありがとうございまーす!見てたんだよねー、そっちの先輩たちに大目玉食らってたとこ!あ、もしかして…人助けしたつもりだったとか?でなきゃあんな平気そうな顔してないもんなぁー!!"
一瞬で、自分の誇りが消え去った瞬間だった。
その後は呆気ないものだった。彼らを殴り、鼻を折り、足を折って、全員を病院送りにした。
自分の周囲はもっと冷めたものへと変わってしまった。
父親の無関心は、意識的な無視に変わっていて…
クラスの連中も、あからさまに松永を無視しはじめた。
部活を続けることは諦めた。
学校でも、家でも……結局自分は放っておかれる。誇りなんてものを掲げようとした自分が、彼らの言うバカであるのなら……
幻のままでいよう。自分の思いも、自分の誇りも……
宙ぶらりんで、どこにも行けない蜘蛛でいれば、それでいい。
そう、決めかけた時だった。
蒼い風が吹いたのは――。
その時は、冬休みが終わりに差し掛かっていて、自分は居場所も宛もなく街を歩いていた。
馬の嘶きのようなエンジン音が聞こえたんだ。
俯いて歩いていた自分が見上げた時に、それは青空が形を成して走っていたように見えた。
なにより松永が惹かれたのは、乗っていた男とその走りだった。
鈍く歩いていた自分を追い抜いて行った稲妻のようなバイクに跨る銀髪の男は、長い髪を束ねている。自由に道を駆ける馬の尾のような髪。
ノンヘルメットで、サングラスだけをかけた男の顔は何を考えているかわからないが、真っ直ぐ前を見つめながら走る男の姿が、なぜかはっきりと目に映る。
その一瞬が、ほんの少しのスローモーションな時間が、松永の心を久しく動かした。
頭は良くなさそうな男だった。
けれど、自分の道を確りと前を見て走るその姿が…
なぜだか、他の誰よりも格好良く見えたんだ。
…だが、バイクなど乗ったことは無い。自転車とは全く違うし、今更何かを始めようなど…
どうせ、無駄だ。徒労に終わるし、無意味だ。
自分がやったって、時間の無駄。
そうに決まっている……はず。
松永の胸の中で晴れそうで晴れない煙の中を歩いているような…モヤモヤした感情が確かに燻っていた。
早く帰ろう。そう思って歩き続けた時…
必然だったのだろうか。あの女は、オレのほうが、"こいつら"の使い方を知っている。そう言ったのだ。
「ああ、まったく…このポンコツめ。テメェは一体何が気に食わねぇってんだ。」
その女は、バイクを直そうと原因である場所を探しているようだった。シートを手で摩ってみたり、あちこちを手で撫でている。
そんな、ぐずる子供をあやすような手つきでどこが悪いかなど分かるわけないだろうに…
普通なら、関わりはしないでそのまま通り過ぎるだろう。だが松永の足は止まった。
……なにをしようとしている?
止まって、また歩きだそうとして……引き返した。
「…走れないのか?」
久しぶりに発した自分の声は、夜の雨雲のように暗かった。
「あァ?……湿気たツラしてんなぁ。オバケでも話しかけてきたかと思った。」
心配して声を掛けて、これだ。
辞めておくべきだったか…しかし、ここで下がるのは自分の性分が許さなかった。
「中古で買うんじゃあねぇなぁ、こういうのは。真っ直ぐ走れねぇなんてよ。」
「……フロントフォークが曲がってるな。」
「はァ?あたしゃバイクの話をしてて、フォークの話はしてねぇだろーがよ。」
「前輪だ、前輪。タイヤを固定してるフォークみたいな二股の部品の事だよ。右にずれてるから……左にハンドル切って、そのまま支えておいてくれるか。これくらいなら直せる。」
半信半疑でハンドルを支える女。
…なんとも妙な出で立ちだ。ショートの白金色の髪はかなり目立っていて、鼻に着けた白いテープはトレードマークのように見える。
バイクの傍らに置かれた本革の旅行鞄が、実に場違いだ。高級品らしきそれには、女子に評判が良いパーカーラビットのステッカーが貼られていた。
「ハンドル切ったぞ、今度は何をすりゃ…」
ゴンッ!!
突如前輪を蹴りつけた松永に、女は心底驚いたようだ。
「あ、おいっ!!蹴ったらコイツが痛てぇだろうが!」
「……こんなもんか。ちょっと滑らせてみろ。」
フロントフォークを修正し終えて、女にバイクを押して移動させてみるように指示をする。
渋々と言う通りにバイクを押した女は、直ぐに変化に気付いて、松永の方を見た。
「……直った。ちゃんと真っ直ぐだ!お前、バイク持ってんのか?なんですぐコイツの不調に気づけたんだよ?」
「い、いや…オレは持ってない。買おうかとも思ってたが…オレには必要無いかと…っ!」
「あぁ!?」
無邪気に笑いながら自分の襟首を掴んで揺さぶる女の質問攻めを遮るように、後方から来たバイクが、女の旅行鞄をひったくってしまった。
「ヒャッハァー貰ったぁ!!ちゃんと大事に持っとけよなぁーっ!!」
「あんの野郎…!って、お前…!」
自然と、身体が動いたんだ。
気付いたら自分はバイクに跨っていて…
自然と、エンジンをかけて…
何故か手に馴染むハンドルをしっかり握って…
走った――!!
その瞬間に自分の世界が、色を取り戻した気がした。
駆け抜ける景色と、色…
風、空気の匂い…
雲の上に乗って、走っているようだった。
免許も経験も無いのに…何故か昔からコイツを知っていたかのようだった。
まるで、バイクが自分を受け入れてくれたみたいに、自然に走っていた。
そこから先は無我夢中。追いついて、並んで、荷物を奪い返して…戻ってきた。
「ッ、くく…アッハッハッハッハッ!!」
女は荷物を取り返してきた自分を見て、豪快に笑った。
「すげぇじゃん、お前!それに…さっきよりはマシな顔してる!"頑張った"って感じだ、イイ走り見せてもらったぜ。やっぱ、この町はこうでなくっちゃあよ!!」
その様子と言葉に…自分も頬が少しだけ緩んだ気がした。
誰かと話したのは、本当に久しぶりで…
誰かに褒められたのは、何時ぶりだっただろう。
バイクから降りて、鞄を一緒に返し帰ろうとすると、彼女が話しかけてきた。
「帰るのかよ?」
「ああ、帰る。勝手に乗って済まなかったな。」
「楽しかったろ、バイク。」
「…少しな。でも、夢は叶えられないから夢と言うんだ。どうせすぐ覚めるし…オレが乗っても…痛だっ!?」
ドスン!!と、腰に衝撃が走って、自分はうつ伏せに倒れてしまう。バイクの前輪をぶつけられたのだ。
「な、なにしやがるっ……!!」
「やるよ。お前が持ってた方が、こいつらも喜びそうだしな。」
にかっと白い歯を見せて、彼女は笑った。
こんな大きなバイクを…譲るだと?バカとしか言いようがない。
「……はぁ?いや、だからオレはいらないって…!!」
その言葉を遮って、彼女はピシャリと、雷のように…こんなことを言ったんだ。
「ユメってのはな、掴むモノなんだよ。てめぇがウダウダ迷ってる間に逃げちまうから叶えらんねぇだけだ。」
「…オレは逃げてなんか…!」
「だったらバカになるまで全力出して、誰が何言っても本気でぶち当たりやがれ!ユメ舐めてんじゃあねぇぞ!!」
その言葉に対して…何も、言えなかった。
逃げていない、なんて言った自分が恥ずかしく思えるほどに。
そして半ば強引にバイクを渡され、別れ際に女はこんなことを言い残す。
「中に入ってるのも好きに使いな。お前なら、そいつらの使い方を教えなくても知ってるはずだからよ。」
最後まで物に対して生き物のように接する様子は、しばらく……いや、二度と忘れないだろう。
ケースの中身を確認してみると、バイクの修理に使えるだろう工具。そして…目を疑った。
一枚の、黒いTバックが……
あの女の忘れ物?だが、好きに使えと…いやいや、だからと言って…!!
おそるおそる、松永はTバックを摘んだ。
……
摘んだ瞬間、全てを理解した。
バイクと、Tバックを交互に見る。
そうか…
お前は走れなくなっていたんじゃあない。
……オレを待ってくれていたんだな。
お前"たち"は。
そして込み上げてくるのは、久しく忘れていた感情。
確かな闘志。
全てを本能で理解し、摘んでいたTバックをしっかりと握り締める。
「……行くぞ、お前たち。」
自分の世界を、動かすときだ。
これが松永と、火進弧路…そして将武パンツ…松永 久秀との出会いだった。
それから冬が明けて新学期に。
進級した松永は、試験に受かり免許を取得した。
つまらない授業をサボって、ひたすら町中を火進弧路で走り…自分を放っておく家には、風呂と眠りに帰る程度だった。
バイトもして、火進弧路のメンテナンスに必要な物まで揃えて…
あの時自分の心を動かした男と同じ、黒いキャップを買った。
そして火進弧路に合わせて買った黒い革のライダースーツを揃えるまでの時間が、本当に楽しかった。
疾走り続けたさ。無我夢中で。
自転車よりも遥かに超えたスピードの世界で…
松永 八雲は、自分を見つけた。
走り屋としての世界に身を投じ、あの男の事を知るのに時間は掛からなかった。
酒井 早雲。
轢ッ殺しの酒井。それが、あの男の名前。
自分が免許を取得した時には、酒井は既に居なくなっていた。子供を轢いて、所属していた織田軍からも抜けていたという事情を風の噂で聞いた。
走れば走るほど、酒井のことを知りたくなった。
あんなにも、真っ直ぐ…灰色なオレの人生観を変えたお前がそんなヘマをするわけが無い。
自分を変えるきっかけとなった男を追い求め続ける事は、止められなかったし止まらなかった。
止まっては行けない。追い求めた男が、どこかでまだ走っているかもしれない。
胸に秘めたのは、底無しの闘志。
幻のように生きようとしたオレが…
幻を従えた瞬間だった。
それから間もなくだった。平蜘蛛高校に、ヤンキーの集団が攻め込んできたのは。
放課後、松永が退部してからも平凡に練習を続ける自転車競技部。その他、運動部が部活動に明け暮れる中で彼らは現れた。
東乱楠や、仁双楠の間でも評判の悪い男達。
何の因果か、松永を騙したあのライバル校のヤンキーだった。
彼らは何十人も群れを連れて、校門を塞ぐことで逃げ道を無くし、自分の学校に泥を塗った奴を探している旨を伝えた。
「平蜘蛛高校のミナサァーン、元気にアオハルしてますかァー?」
メガホンを持って、乱暴に番長が叫ぶ。
「ウチの連中に怪我させたのはこの高校だってなぁ!?オレは部活やらスポーツやらで仲間だ絆だと豪語しながら人生満足してますアピールしてる連中が嫌いなんだよ…そんな連中の頼み聞いてまで来てやってんだ!!早う出てこいやぁ!!」
舎弟を使い、番長は運動部の備品を壊し始めた。逃げ惑う生徒たちを見て、番長は笑う。
「ご自慢の絆とやらはどうしたァ!?全くよぉ、コレだからウゼーんだよなぁ。仲間、絆、チーム、どうせバラバラになっちまうくせに馬鹿の一つ覚えのようにペラペラな言葉を使うお前らみたいに気取ったヤツらなんかなぁ……くっっっっそ喰らえだねぇええ!!!」
"ああ、全く持って同感だ。"
校庭、否……学校中に響き渡った声。
校舎を飛び越えて、グラウンドに現れたのは八ツ目の大型バイクだった。
ギョロギョロと動く八つのヘッドライト。
威嚇するように唸る排気音。
黒煙を吹き荒らし、黒く…黒く、校庭を染めて包んでいく。
「なっ、なんだ…くそっ!!前が…!なんだよこの煙……っ、ひ、ひぃっ!!」
漆黒の煙の中、番長の目の前に八つの目が光る。無人のバイクがひとりでに走り、自分に敵意を向けている。自分は夢でも見ているのだろうか。
幻であってくれ、それともなにか、なにかトリックがあるはずだ。
粘着する恐怖は、この黒い煙のようで番長は冷や汗をかく。
そして自分の指先、否…地面一面に這い回るそれを目の当たりにし、番長は悲鳴をあげた。
それは外で逃げ回っていた生徒たち、男女問わず全員に見えている。
「うわっ!!蜘蛛!?なんでこんないっぱい…!!」
「き、気持ち悪いっ…!やだ!あたし蜘蛛嫌い!いやぁ!!」
煙の中、そのバイクから身体を起こすようにして現れた男の姿を、自転車競技部の部長は見た。黒いキャップに黒のライダースーツで身を包み、バイクに跨る男の姿を。
「……ま、松永…なのか?まさか、俺たちを助けに!?」
「……」
松永は答えない。だがお構い無しに、部長をはじめ生徒たちが、松永へ声をかけ始めた。
「すげぇ!!はやく蹴散らしてくれよ松永!!こいつらウチの備品全部壊しやがって…おまえならできるって!なあ、やってくれよ!」
「部活戻ってこねぇか!?うち、松永いねぇと予選危ねぇんだわ!!どうしたんだよそのバイク!」
「松永くん、かっこいい!ねぇ、はやくやっつけてよ!」
「お前なら、こんなヤンキーたちすぐに倒せちまうよ!」
――はは。
「……。」
今更中身のない称賛など、響きはしない。
何の感情も浮かばない。
手のひらを返した、薄っぺらな有象無象の言葉は……ただ、ただひたすらに。
「うるさいな。」
雑音だ。
誇りを取り戻して、心に火がついた今のオレには必要ない。
空を見上げれば、今日は素晴らしい日ではないか。
新学期となり…桜は咲き乱れ、とてもいい天気。
こんな日に…お前達のように目障りな虫は……
すべて、燃えてしまえばいい。
パチン。
片手を高くあげ、フィンガースナップを一つ。
地獄のような光景だった。校庭を一瞬で飲み込んだ炎。
その中で響き渡る絶叫はあまりにもリアルだ。
座頭虫の塊に火をつけたように、黒い人影が炎の中で乱れ狂う。
そんな業火の中心で、松永は冷めた無表情のまま。
復讐なんて、初めから考えていない。
うるさく鳴いて飛ぶ虫を叩き潰すのに、憎しみなんか要らないから。
右手を風を切るように振るうと、幻の炎は消え去った。
燃やされる苦痛を味わった彼らは、ばたばたと倒れる。番長が怯えきった様子で松永を見上げ、そして問う。
「て、てめぇ…いったいなんなん、だよ…」
「オレは……」
火ッ転死――。
過去を振り返り瞼を開いた。
雨音に混ざって、待っていた人物が来たからだ。
「……松永。」
「来たか…酒井。覚悟は出来ている、という事でいいんだな?」
静かに頷く早雲の表情は、未だ晴れない。
半端な覚悟という訳では無いが、吹っ切れてはいない。
まったく…なんて顔だ。だが、待っていた。
戦馬将武。
戦国時代、将武使いたちが戦場において自らの愛馬に跨り、速さを競う合戦の法。
負けた者は即、切腹。
大名が罪人同士を戦わせ、娯楽として楽しんだこともあり…また、誇りを汚されるならば命を差し出す武士もいた。
血塗れの歴史が残るそれは現代において形を変え、今ではこう呼ばれている…
"ライディング将武"と。
「ゴールは東乱楠旧校舎前…オレに勝てば、お前は晴れて自由の身…轢ッ殺しの名を捨てるのも…織田軍と決別するのも、好きにすればいい。ただし…オレが勝てば、轢ッ殺しの名はオレだけの物に…そしてお前は織田軍に戻る事になる。そして忠光への忠誠の証として、葵 竹康をお前の手で倒し…奴の将武を差し出すんだ。」
空が唸り始めた。
獲物を威嚇するような、凶暴な雷音。
再び泣き崩れた憂き夜の下、双つの雲が対峙する。
轢ッ殺しと、火ッ転死……
ただ、前を向いて走るしかないのだ。
そうしなくては、道を見つけ出すことが出来ない。
大切なモノは、走った先にある筈だから。
故に、今宵は一つめの決着。
東乱楠高校 酒井 早雲…!!
平蜘蛛高校 松永 八雲……!!
二人は、それぞれの相棒に跨りハンドルを握る。セルモーターのスイッチを押し、スロットルを大きく回せば、頭の中は…ある意志で纏まる。
二人の思考はただ一つのみ…
絶対に、お前に勝つ――!!
馬の嘶き、そして猛禽の叫びのような互いの排気音。
獲飛巣喰、火進孤路が猛る音が、地面を振動させた。
将気に反応し、濡れた地面に引かれたスタートラインに両者の将武に刻まれた家紋が浮かび上がる……!!
酒井 忠次の丸に片喰…そして、松永 久秀の蔦紋……!!
雨が叩きつける空の下、松永は高らかに将武開始の宣言をする!!
「ライディング将武…レディー…ゴー!!」
同時にスタートする両者。
巻き上げられる雨飛沫を蹴散らして、二人の雲は走り出した。
誇りと、過去の名を掛けたライディング将武が…今、始まる!!
「オレはこの勝負で、答えを見つける…!!いくぜ、松永ァッ!!」
次回も尋常に……将武ッ!!




