将武その17「その者の名は」
赤。朱。赫。紅。
ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。
しゅうしゅう。
じくじく。ずきずき。じりじり。
きらきら。ちゃりちゃり。ぱらぱら。
しゅうしゅう。
視界いっぱいに、赤色が拡がっている。
手に、頬に、額に、腕に。ガラスや釘、画鋲が刺さっている。傷口が熱く、じくじくと痛む。
足下にはガラス片で切った傷から流れる血が、
上履きや床にぽたぽたと落ちる。
蜂須賀の罠によって、傷を負った永吉は…未だに理科準備室の扉の前に立ち尽くしていた。
割れた風船から出てきた凶器が目に刺さらなかったのが幸いである。
しかし流れる血液は、不規則に足下を汚し続ける。
ぎりぎり。ミキミキ。
規則正しい羅列の歯が、軋む音。
メリメリ。ギリギリ。
握った鉄パイプが、手の中で音を立てる。
痛みだ。怒りだ。
抑えられるものか。抑えるわけがあるか。
怒りの対象など、一人しかいない。
「はぁ゛…ッ…ハーー…ァ゛…ぎっ…ぐ…蜂、ス…カ……ぁ゛…!!!!」
ひとりしか、いない。
「ハぁァあ゛あ゛チィ…スカァア゛ぁああああ゛ぁあァアああッッ!!!!!!!!!」
膨大な朱い将気が、永吉から溢れ、放出される。全身が炎になったように、ごうごうと…永吉の全身から燃え上がった。
怒りと、痛みを糧に…燃える炎。
「お前は単純だねェ。森。」
その将気を感じ取った蜂須賀は、再び嗤う。
知っていた……理解の上だ。
永吉の性格を知っているからこそ、彼は入念に準備していたのだ。
しゅうしゅう。しゅうしゅう。
しゅうしゅう。しゅうしゅう。
怒声を上げる為に大きく息を吸った永吉は…そこでやっと気付く。
その匂いに、やっと気付く。
理科室内のガスの元栓が…全て捻られていることに。
そして、いくつかの台には噴き出し続けるガスの噴出口に仮の蓋をするように……蜂須賀の将気が付着していた。その将気は、蛇口に固定し、水を出し続けて作る水風船のように膨張し続けている。
「……ッ!!!」
彼の将武は…将気を混ぜた空気を操り、任意で風船のように膨張、破裂させることが出来る。
遠隔操作型将武パンツ、蜂須賀 正勝!!
パンッ!!という音と共に破裂する将気。
溜め込まれていたガスが一気に室内へと拡がって……
同時に永吉の炎を伴う将気に、引火する。
密閉された理科室の中…
森 永吉は至近距離で、爆風に呑み込まれた。
否…爆心地は永吉だ。引火したのは、永吉の将気なのだから。
大きな振動と爆発音と、炎と共に彼は更なる追撃を喰らってしまった。
他の教室に被害が及んでいないのは、蜂須賀がその将武の能力で空気の膜を貼っていた為だろう。だが、その膜の内側にある理科室の惨状は凄まじいものだった。
轟音を聞きつけて、安全帽を被った天海校長と、付近の教師達が集まる。
「くっ…開かない。す、すぐに付近の生徒達を避難させて!金ヶ崎先生は、直江先生を呼んできて!!」
二年担当の女教師に、そう指示をして天海校長がドアを懸命に開こうとする。
しかし開かない。爆発によって、壊れてしまって動かないのだ。中にもし人がいたら、すぐにでも助け出さなくては行けない。
しかし…開かなくなった扉は内側から蹴り破られた。
現れたのは…永吉だ。立っていた。
全身に火傷を負い、焼け爛れた皮膚に、夥しい切り傷、血を滲ませた手に鉄パイプを握ったまま、ガリガリと引き摺りながら歩く姿は、まさに朱鬼のようであった。
しゅうしゅう…しゅうしゅう…と、
焼けた口の粘膜から、白い煙が上がっていた。
「ヒュ…ーぐ、…さ…ッ…ね…ェ゛…」
「……き、きみ…ほ、保健室…いや、き、救急……」
「ハッ……ズ…がァ゛…ハッ…ァ…ヂィ…ゥ、ガァッッ…!!!」
天海校長は、それ以上何も言えず、何もすることが出来なかった。恐怖によるものだ。
今、彼を呼び止めて…無理やり抑えつけてでも治療を受けさせようものならば…自分が彼以上の怪我を負うかもしれない。
ただ……見送ることしか出来なかった。
ゆっくりと歩いていく朱鬼を。
「ヒュ…グ…ッ許さ…ね゛ェッ…ハッ…ギ…ぃ…ッ…蜂…須賀ァ…!!!」
逆襲の為に、鬼武蔵は血を燃やす。
「ふぅ、これで邪魔者はいなくなった。」
ヤンキーも、ここを使わなくっちゃあな?
そう言いながら、コツンとアイスピックの柄で自分の額を叩く蜂須賀。その視線は、駅の方向を見ていた。先程の花火が上がった方向だ。
「それに、運はワガハイに味方をしている……ヒヒッ!!夜一郎、花火でワガハイたちにこれ以上無い好機を伝えるなんて、粋なことをしてくれる…!あいつがこの戦いに参加すれば、ワガハイ達の勝利は決まったも同然だ…!!」
蜂須賀は、両指の間に…合計六本のアイスピックを挟み…
「では、ワガハイもそろそろ…もうひと仕事済ませるとするかぁ…」
ゆらぁ……と前へ倒れ…新聞部室への侵入を図る。
「い、今の爆発…部長、早く立っ…ひっ!!」
ようやく落ち着きを取り戻しかけた部長の背を撫でながら避難を促していた朝日は、窓から蝙蝠のように現れた蜂須賀と目が合ってしまった。部長も窓の方向を見て、自分を脅してきた張本人の姿を見るなり悲鳴をあげる。逆さまになって、自分たちを見つめる蜂須賀の姿が…まるで暗殺者のように見えた。
「う、うわぁあ!?なんだよ…言う通りに僕は新聞を貼ったじゃないか…!!」
「ああ、いい仕事ぶりだったぞ?けどまぁ、森に話を聞かれた事だしな。これ以上お前たちに要らんことを他の奴らに吹き込まれでもしたらワガハイも、織田軍も困るんだ。なにせワガハイは……」
面倒事は、後回しにしない主義なんでね。
そう言って二人に飛びかかる蜂須賀は、アイスピックの尖端を向けながら迫り来る!
「きゃあああああっ!!」
悲鳴をあげる朝日。
だが…お前たちの好きにはさせないと、立ち向かう者がいる!!
ガツン!!という音と共に、部室の畳んであったパイプ椅子で蜂須賀を弾き飛ばした癖の強い銀髪の男……
「み、三河…センパイ…!!」
「早く逃げろ!ここはオレが何とかする!!」
忠勝は、部長と朝日を避難させて再び蜂須賀へと向き合う。
「おやおや、誰かと思えば三河じゃねぇか。葵 竹康の腰巾着が、一人でこんな所に何の用かな?ヒヒッ。」
「お前…蜂須賀…!!」
「さっきの爆発で、みんな避難してるんだろ。お前は逃げないのか?あぁ……それとも全部お見通しってわけか?本屋の忠勝には……けど、時すでに遅しだ。さっきの爆破で森も始末した…もう止められやしないさ……そう、将武も持たない無力な腰巾着の、お前にも…な?」
理科室の爆破の犯人であること、そして…永吉を始末したと言う蜂須賀に、忠勝は怒りを露わにする。
「お前…森って…!!アイツはお前ら織田軍の仲間じゃねぇか!!」
「カシラの命令もロクにこなせない単細胞が、これ以上醜態を晒す前に退場してもらっただけさ。この忙しい時に…轢ッ殺しを呼び戻すのに、時間はあまり取りたくないんだ…三河、お前と遊んでる暇もワガハイにはないんだよ。」
「…ッ、腐ってやがる…!!」
その言葉に対して、忠勝は吐き捨てるように蜂須賀へと言葉を突き刺した。
笑みを浮かべていた蜂須賀は、不意に表情を消す。そしてその口から出た言葉は、意外なものだった。
「ああ、腐ってるとも…今の織田軍も、そして、このワガハイもな。」
「……!!」
「やる事がな…山積みなんだよ。ワガハイ達には。カシラが出所してきた今、カシラの名を勝手に使ってやりたい放題やってるヤンキー連中を根こそぎ始末する為に…まずは目の上のタンコブであるお前たち葵ヤンキーズを始末し、取り込んだ連中で、腐った奴らを一人も残さず始末する……織田軍を再興するために、誰かが汚れ役をかってでなくてはならんのだ。それはワガハイにしか出来ない。」
三河、お前みたいな平凡な奴に腐ってるとまで言われるワガハイにしか、な。
そう言って蜂須賀は、かちかちとツク棒を爪で弄んでいた指で、ベルトを解いた。
すとん、とスラックスが落ちる…
前を全て開いたシャツに、ブリーフのみとなった蜂須賀。
彼は、その白い将武パンツ、蜂須賀 正勝から放出する将気を纏いはじめた。褐色の全身に広がる将武の繊維は、ボディスーツのように蜂須賀を包み込む。
「話しすぎたな、そういうことだから三河。お前も始末させてもらうぞ?将武を持たんからといって、手加減はしない…お前は、この蜂須賀 転助……否!!完全究極態・アルティメット転助に倒される運命なのさ!!」
そして構える蜂須賀と対峙する忠勝。
忠勝はその見た目から、凡その能力を考える。
(究極完全態・アルティメット転助だって…!?あの姿がそうなのだとしたら、装甲みたいなもので身を守りながら、物凄い速さで攻撃を仕掛ける将武…かもしれない。)
たしかに、蜂須賀の言う通りだ。
自分は将武を持っていない。それでも…!!
"大事なのは、逃げないことよ。"
"いま、タケさんの力になれるのはお前なんだよ。"
「…力を貸してくれ、酒井ッ…榊原先輩…タケ!!」
逃げるものか!!
将武が無くても…弱くても!!!
「うおおおおおおお!!!」
諦めて逃げたりなどするものか!
腰巾着などと馬鹿にされて、背を向けるものか!!
走り出しながら、蜂須賀へ向けてまっすぐ放たれる忠勝の右拳。
覚悟を決めた男の右ストレート!!
当たれ…当たれ、当たれ!!
「当たれぇえ!!!」
「ぎゃひっ!!」
見事に顔にクリーンヒットし、どさりと仰向けに倒れる蜂須賀。呆気にとられた忠勝は、動かない蜂須賀を見下ろし、軽く上履きでつんつんと突っついてみる。
気を……失っている?
今の、攻撃で……?
「よ…弱えええ……!?」
蜂須賀 転助……敗北?
一方、東乱楠高校通学路では…
「あ、相変わらずデタラメすぎる…」
夜一郎の一撃で吹き飛ばされていったヤンキーたちを眺めながら、一は夜一郎へ対して思ったことを純粋に口にする。
肩にゴルフクラブを担ぎ直した夜一郎は、真剣な眼差しで旧校舎のある方向を眺めていたが、一へ視線を戻し、向き直る。
「一、悪いが…こっから先は別行動だ。俺ぁ今すぐ旧校舎に向かう。…どうしても、会いにいかなきゃならねぇ奴が、そこにいる。」
夜一郎の視線は、熟練された戦士の瞳だった。
織田軍として、長きに渡って戦地を…そして一と共に戦って更に研ぎ澄まされた、戦士の瞳。
不意に、彼はポケットから画面が割れて操作もできないスマートフォンを取り出した。
いつから……こうなっちまったんだろうな。
ボタンを押して、待受画面をしばらく見つめる夜一郎。
戦士の瞳は、仄かに悲しみを帯びた。
画面に映るのは何だろうか…一がそれを覗き込もうと背伸びをする前に、夜一郎が電源を切ってしまった為、中身は見ることが出来なかった。
「いつかこうなるって…わかってたんだ。」
目を閉じ、彼はスマートフォンをポケットにしまう。ゴルフクラブを握る手に、自然と力が込もった。
「決して避けては通れない戦い…それが今なんだよ、一。この戦いで、全部決まる。織田軍の…俺たちの明日が。」
「夜一郎さん…あなたは…」
一はその後の言葉を言いかけて…止めた。
これ以上の言葉は、彼の決意を曇らせてしまう。この空のように…滲ませてしまってはいけない。
だから、一は彼を見送ることにした。
「わかりました、もう止めません。でも、ヤンキー同士の戦いに一般人を巻き込むわけにはいきません。」
そう、役目を果たすのみ。一は凛々しく口角を上げて、着ていた制服をピシッと直す。
「できるだけ市民達に被害が及ばない様、僕がこの東乱楠の町を見張ります。その時がきたら…僕の将武…浅井 長政で、必ず止めます。」
「一……」
「學院の外でも、僕のやることは変わりません。僕は…風紀委員として、"テメェを貫き通す"のみです。」
「ハッハッハッハ!!この学校の風紀を取り締まろうってか?よりにもよって東乱楠の連中相手に。」
一の決意の笑みを見て、夜一郎は大いに笑った。
その笑いは挑発的で…しかし、安心したようでもある。
「いけませんか?」
「いや、大したもんだ。そう思ったんだよ。」
そして夜一郎は、一歩前へ。
嵐の前の暗雲に吹く風に、猿仁全開の特攻服を靡かせて…戦士は歩き出した。
「夜一郎さんっ!」
一は彼の背に、声をかける。
再び止まる夜一郎…だが、振り返りはしない。
行先は、宿敵の待つ旧校舎。
彼にとっての……決着の地へ。
必ず勝ってください…違う。
負けたら承知しませんよ……違う。
無事に戻ってきてください……違う。
覚悟を決めた戦士に、余計な言葉は不要。
だから一言、一は夜一郎へと…こう言葉をかける。
「いってらっしゃい!!」
その言葉を聞き、夜一郎は高らかに拳を上げた。もう振り返らないし、止まらない。
いざ、決着の時を胸に……!
羽柴 夜一郎……前進!!
……
「……そろそろ、出てきたらどうですか?」
夜一郎と別れて、一はフゥと溜息をついた。
ずっと微かに感じていた存在感へ…彼は声をかける。
その言葉に応えるように…一の周囲が濃霧に包まれた。周囲の音すら感じない、静寂の霧。
そんな霧の中で、声が聞こえた。
「――ああ、すまない。盗み聞きするつもりではなかったのだが…流石、"風紀連隊隊長"と言ったところか。」
霧の向こうから現れた声の主は、奇妙な出で立ちの男だった。
鬼の角を連想させる額当てをし、黒い和服を着た月白色の長い髪の男。
鼻から顎下まで黒いマスクで覆われており、わずかに覗いた白い肌と、海の様な深い青色の瞳以外、素顔はわからない。
「どうして……あなたがここに。」
一は、現れた男へと言葉をかける。
腕のみを通した卯の花色の羽織が靡く様が、水面に指を滑らせて作った波のようだ。
その者の名は――。
「如水。」
如水は、一の言葉に対して静かに応える。
「私も以前から東の将武パンツ使い達のことを調べていてね…なにやら不穏な空気が、この東乱楠に漂っているものだから、気になって足を運んだ……と言ったところさ。」
「そうですか……」
それだけか……?
如水の言葉に、表情や声には出さずとも…一は訝しむ。突如として現れた如水に対し、疑心と、警戒心を内に秘めていた。
同じ私塾・奮導學院の生徒で、同級生の彼が…
否…生徒以前の問題だ。何せ彼は…
「…フッ、そう身構えなくても良いだろう?同じ學院の生徒じゃあないか。それとも…君を差し置いて"八陣将"の座についた私がそんなに気に食わないのかな?浅井 一。」
八陣将…それは、奮導學院の生徒の誰もが憧れる地位。
如水は入学してすぐにその座を勝ち取った、一の同級生だ。
初等部から風紀を取り締まってきた、一を差し置いて……
しかし、一は地位には拘りはしない。なにせ…自分には自分の役目…貫き通すものがあるから。
「私塾・奮導學院は実力主義の場所…島津 京四郎を倒した貴方なら、当然の結果です。正当な評価だと僕も思っています。それに…」
夜一郎にも言った通りだ。
"テメェの道を貫き通す"…それだけだ。
だから、一は如水を真っ直ぐ見つめた。
「僕は、學院の風紀を守ることが出来ればそれで満足です。地位や名誉などにこだわってなどいませんよ、如水。」
如水は、笑った。いや……笑ったと思う。
口にも出して笑っているから、笑ったのだ。
「ああ…良く知っているとも。君ならそう答えるとわかっていた。まさに、絵に書いたような風紀委員っぷりだな…フフッ。」
「……」
まるで、水面に映る自分の顔と話している気分だ。一はここで初めて、眉間に皺を寄せた。
「さて、無駄話はこのくらいにして…折角こうして会うことができたんだ…早速八陣将の立場を、上手く使わせてもらうとしよう。」
如水は片手をあげると、パチンと指を鳴らした。
一は思わず身構えるが…それは攻撃では無いようだ。そして如水の傍らで小さな人の形を成した霧が緩やかに動き出し…やがてそれはひとつの映像となる。
映し出されたのは、東乱楠各地で起こっているヤンキー同士の争いだ。葵ヤンキーズと…織田軍によるもの。戦いは自分たちが来る前に、とっくに始まってしまっていたのだ…一般人に被害が及ぶ前に、行かなくてはならない……
しかし、如水は一にこう言った。
「今東乱楠で起きている小競り合いは大して問題ではない。」
「問題ないって、どういうことですか?こうしてる間にも…!」
「所詮は将武パンツを持たない者同士のお遊び。だが、問題は彼らが動きはじめているということだ。」
如水は、水面を掻き乱すように長い袖に覆われた腕を振るい……問題である『彼ら』の映像に切り替えた。
「警察……」
「いくら警察と言えど彼らも私達からすれば一般人と何ら変わらない。…浅井 一、君には警察が東乱楠高校の将武パンツ使い、特に葵 竹康、そして君の兄…"織田 忠光"と接触しない様に動いてくれないか?」
一は大きく目を見開いた。
それは、如水が口にした名前に対してだ。
なぜだ、その名前は…
織田 忠光の名前は、この男には言ってないはず。
「どうして…それを…!」
「言っただろう?東の情報は調べてあると…将武パンツ使いの問題は、将武パンツ使いでしか解決出来ない。ハッキリ言うと…能力を持たない人間にウロチョロされては邪魔なんだよ。」
如水の感情が、読めない……マスクに隠れているのもそうだが、笑ったと思ったら突然冷たく警官を邪魔だと言い捨てて…
しかし、なぜ自分に…?
「八陣将に加わったといっても、所詮私は新参者。初等部から今にかけて奮導學院で風紀連隊に所属してきた実績と『連隊長』としての権力を持つ君ならば警察に対しても強い発言力を持っている筈だ。」
一の返答が、ほんの少し遅れた。
思ったままの疑問を見透かされたような言葉をかけられて、驚いたのだ。
如水の言う通り、一は警察に対して強い発言力を持っている。
私塾・奮導學院には実力のある将武使いが揃っており、學院そのものが、この国の統制の一角を担うとも言っていい。それほどに大きな組織なのだ。
委員会は連隊として組織化され、街を…ひいては、国内の将武使いが絡む事態において連隊達は役割に伴い、行動する。
彼が属し、連隊長として束ねる風紀連隊ならば…それこそ警察を指示し、動かすことなど容易いことだ。
「……仰っていることはわかります。ですがその間に市民が危険に晒されてしまったら…」
「それについては心配することはない。私が必ず食い止めると約束しよう。こう見えて、足は速い方なんだ…。」
静かに笑いながら、懐から封筒を取りだす如水。
一は差し出された封筒を受け取る。それは厚みがあり、中身は紙の束…書類が入っているとわかった。
「これは……?」
「前払いだ、そこには私が今日まで調べてきた東の将武パンツ使いの大まかな情報と…學院長が今血眼になって探している"赤い蝶"について書かれている。」
"赤い蝶"……
一は、その単語に反応して大きく目を見開いた。
この男はどこまで…どこまで知っている?
一の兄、織田 忠光…
東の将武パンツ使い…
そして…赤い蝶。
だが、一は理解ができなかった。
これほどまでの情報を…なぜ自分に渡すのか。
「何故これを僕に?これだけの情報を學院長にすぐ報告すればきっと…」
「…君は私のことを随分警戒しているが、個人的に君のような人間は嫌いではない。西に帰還したら、君がその情報を持ち帰ったと報告するといい。あの連中のことだ……手ぶらで帰ったら何を言われるか容易に想像がつく。」
受け取ってくれ。と、如水は静かに一を見据える。その目と、言葉には、偽りも嫌味もなく…ただ純粋に同級生として、一に敬意をもって接しているようだ。一は封筒を片手に持ち、礼を言う。
「…ありがとうございます如水。あなたからの命令、確実に遂行して見せます。ですが…最後に一つだけ聞いても良いですか?」
「何なりと。」
そして一は、彼に聞きたかったことを正直に口にする。
謎多き男、如水……
入学式で島津をほぼ一瞬で倒す彼の実力を目の当たりにしていた時から、ずっと気になっていた。
一が聞きたいことは、ひとつしかない。
「これは、貴方の能力なのですか?」
「いかにも…これは私の将武パンツの力だ。質問はそれだけかな?なければ、私はそろそろ行かせてもらうよ。」
踵を返して、如水はゆっくりと歩き出す。
彼の足下では、漆塗りの下駄がころんころんと鳴ったが、不意にその音が止まる。
嗚呼、と思い出したように如水は一に声を掛けた。
「ひとつ、忠告しておこう。浅井 一。」
一は如水の消えゆく背中を見つめる。マスク越しに話す声はくぐもっておらず、はっきりと通った。
「目に見える悪意ばかりに、気を取られるな。」
「……どういうことですか?」
しかしその声も、霧の中に消えていく……
まるで、水に溶けて消えてしまうようで、これからどこへいくのかも見当がつかない。
「いずれわかるさ、いずれな……」
やがて霧が晴れ、そこには封筒を持って立ち尽くす一だけが残された。
一方…東乱楠高校新聞部室。
蜂須賀を倒し、彼のあまりの弱さに呆気にとられていた忠勝は、勝った実感も湧かないまま…目の前で仰向けに倒れ伏している蜂須賀を見下ろす。
なんて、呆気ない勝利なのだろうか。
「オレの覚悟は一体…ま、まぁ…は、はは。勝ったんだよな…?多分。って、ボーッとしてる場合じゃないな……」
将武パンツを奪っておけば、もう蜂須賀は何も出来ない…
忠勝は、目が覚める前に蜂須賀の将武を脱がそうと手を伸ばした。
その時だった。
ビクンッ!!
「なっ……!?」
将武の繊維で覆われた蜂須賀の身体が、突如として、跳ねた。
忠勝は慌てて、蜂須賀から離れる。
ビクンッ!!!
再び跳ねる。骨格を疑うほどに、蜂須賀は身体を仰け反らせながら痙攣を起こすように跳ね……そして…
大きく見開いたその虫のような"複眼"で、忠勝を睨む。
「勝ったと思ったか、三河…?ヒヒッ、いい顔だなぁ…その顔が見たかった。」
ゆっくりと起き上がり、前のめりになって、だらりと背を丸める蜂須賀。
それはまるで…羽化の準備のようでもある。
否……実際に彼は、今から始めるのだ。
蛹から、成虫へ……完全なる究極になる為。
「…ヒヒヒッ、これだから、策略家は辞められん。勝利を確信したその瞬間に敗北を叩きつけられながら、訳もわからず打ちのめされ、為す術もないままに絶望に溺れる奴らの顔は…いつ見てもたまらない…!!!」
ぴきぴきと、蜂須賀の背が割れる。割れて、中から現れたのは蜂の羽だ。
そして…メリメリと、白き殻に覆われた蛹から新たに、蜂須賀が現れる。
羽化……いや、脱皮にも見える。
グロテスクな音を立てて、サイケデリックな黄と黒の表皮に覆われた人型。
蜂の羽が、恐ろしい音を立てて動き出す。
そして蛹から頭を出した蜂須賀は…忠勝を見て、笑った。
完全究極、絶対絶望。
さぁ、勝利を得たと思った哀れな敗北者よ。
お前たちの…頭である者の言葉を借りるとしよう。
「本 気 は こ こ か ら だ 。」
そして渦巻く旋風。蜂須賀が落としたアイスピックや、新聞部室の備品、椅子、机…それらが小さな台風の様な強風の中で渦巻いている。
渦巻く将気の旋風の中で、蜂須賀は脱ぎ捨てた皮を、蛹の殻を打ち捨てて…浮遊する。
電動ノコギリのような羽音を立てながら、将武の両サイドから生えた羽で、絶望を運ぶ蜂が、飛んでいる。
腕から足、腹に至るまで黄色と黒の縞模様。
爪は蜂の牙を思わせるほどに黒く伸びている。
眼鏡を外した大きな複眼もまた、黒光りしながら忠勝を映した。
「絶望のあまり、声も出ないか?……ヒッヒッヒ……この力を使うために、入念に準備をしていたのさ。あの仁双楠三天女は丁度いい時間稼ぎになった…ワガハイの…"奥の手" を発動する良い時間稼ぎにな。」
「くっ……"奥の手"だと…!!」
「さぁ…見せてみろ三河ッ!!お前の絶望の顔をッ…!!これこそがワガハイの将武パンツ…蜂須賀 正勝の"奥の手"…究極変態だ!!」
蜂須賀 転助……否ッ!!
完全究極態・アルティメット転助…翔来!!
「か……かっ……」
忠勝は開いたまま塞がらない口で…
「完全に……ッ!!」
思ったままの絶望を…いや…その目で、見たままの蜂須賀の姿へ向けて……叫んだ。
「完全に変態じゃねぇかぁあーーッ!!!!」
葵ヤンキーズと、織田軍による戦いは激しさを増している。
東乱楠旧校舎では、蜂須賀の部下たちと交戦中の榊原達。初めは数の多さに苦戦を強いられていたが…次第に戦況は四人のペースとなっていた。
榊原が襲ってくる部下たちを倒し、虎徹が赤備えの力によって、味方の数を増やしていた。
戦闘向きではない虎徹を、宇佐見と樺地でカバーすることで、安全にブーメラン集団を作り続けることが出来る。
「数だけじゃアタシ達は倒せないわよッ!イイコちゃん!もっとペース上げて!!」
「これだけの数、一体どうやって集めたんだ…!悪いけど、今回は正当防衛だ。使わせてもらうからね!」
赤備えは、自分の意思のみでは使わないと決めていたが…今回、先に襲いかかったのは蜂須賀の部下達だ。確実に戦況は彼らの有利となっている……しかし、それは一気に不利と化す。
織田軍の大逆転は、彼の登場そのものなのだから。
「珍しい将武を持ってるな、一年坊!!」
どこからともなく聞こえる声を聞いた残り少ない蜂須賀の部下たちの表情が変わった。戦況を不利に持ち込まれた焦燥の表情ではなく、安堵と、勝利を確定したものとなる。
「誰だっ!出て来やがれ!!」
樺地が怒声をあげる中、榊原の表情も変わった。
こんな最悪のタイミングで来るなんて…と。
榊原の頬に冷や汗が伝った。
その言葉と共に、旧校舎の校門側…一番大きな木が思い切り曲がった。
棒高跳びの棒のように、ぐにゃりと曲がって…
ビヨヨンッ!!と、勢いよく戻った。
奇妙な木の動きに呆気に取られた虎徹は慌てて後ろを振り向いた。真っ先に目に入ったのは、猿仁全開の四文字。
その男は、木をゴムのように伸ばして、戻った際の反動でここまで来たようだ。
ゴルフクラブを肩に担ぎ、銀色の金属バットを脇差しのように左腰とベルトの間に差して、お決まりの、大きく脚を広げてしゃがんだヤンキー座りを決めていた男は、立ち上がりながら、虎徹の顔に勢いをつけた裏拳を叩き込み、その一撃で近くにいた宇佐見と樺地もろとも、虎徹を吹っ飛ばした。
「イイコちゃんッ!!」
「大丈夫か井伊ッ!!くそ…気絶してやがる!!」
虎徹が戦闘不能になったことで、赤備えの力で洗脳されていた蜂須賀の部下はバタバタと倒れていく。
「ぐっ…夜一郎さん…」
「夜一郎さん…帰ってきてくれたか…」
「ボサッとしてんじゃねぇよ、動けるなら、倒れてるヤツらを連れて転助の所に戻れ。」
「くっ…待ちやが…っ、バラさんどうして止めるんすか!行っちまいますよ!!」
羽柴 夜一郎の言葉を聞いて、蜂須賀の部下たちが退いていくのを見届ける榊原。
樺地が彼らに静止の言葉をかけるが、榊原は厳しい眼差しを向ける。
「二人とも、イイコちゃんを連れて安全な場所にいなさい。ここからは…アタシとあいつの戦いよ。」
そして、夜一郎と向き合う榊原。
久しぶりの再会が、このようなタイミングとは。
「…いっつもタイミング悪い時に来るわね、アンタは。」
「へっ、前に戦った時よりも強くなったか?村正。」
ゴルフクラブを握り、大きく振るう夜一郎。膨大な将気を放出しながら、彼は解体屋と対峙する。金属の棒は彼の手中で勢い良くしなり、地面を打って硬い音を鳴らした。
榊原もまた、鼓帝架に将気を纏わせ…ゆらりと構えながら、深呼吸…
腰を膝が軽く曲がる程度に落として右足を前に、左足を後ろに置きつつ、両手を顔の高さで固定。踵は少し浮かせ、機動力を保つ。
その構えをみた宇佐見が、はっとしながら口を開いた。
「あの構えは…クラヴマガだ…!」
「宇佐見、知ってるのか?」
「ああ、漫画で読んだ程度だが……ざっくり言うなら、"人が本能的に持つ条件反射"を利用した護身術だよ。」
それは、想定外のアクシデントによるパニック状態を想定したトレーニングを主とする。
ある日突然、バットを持ったヤンキーに襲われたら?
後ろからナイフを持った人間に刺されそうになったら?
自分よりも大きな体格の者に、不意に首を締められそうになったら?
羽柴 夜一郎のように、強力な将武使いと戦わなくてはならない…そんな時は、どう戦う?
人は咄嗟に…反射的に最善かつ、安全に生き残る行動を…イメージ出来たとしても、すぐには実行など出来ない。
咄嗟の判断、起点を研ぎ澄まし、生き残るために榊原 村正が会得した、本能による護身に重きを置く格闘術…!!
その名は、クラヴマガ!!
「ファイティングスタンスだっけか?その護身術の構えのひとつだ。俺も勉強したろ、村正。けどよ…それがメインじゃあねぇよな?」
犬猿の仲。しかし時には、竹馬の友。
水と油であり…それでいて、水魚の交わりの様な二人。
「えぇ、アタシはいつでも将武一本…アンタと憎ったらしいほど同じにね!!」
往く道は違えど、戦いにおいては一本将武!!
小細工も無い、ただ一筋の将武の力のみを鍛え上げた者同士による決着の時は…ここに――。
「だったら今日こそ決着をつけようや、村正ァ!!こっからが織田軍の……!!」
次回も尋常に…!!!
「大返しじゃあーーーッ!!!!」
将武ッ!!!!!!!




