将武その16「過去の罪」
東乱楠の天気予報は、曇りのち、夕方から雨。
台風が近づいているため、今日は早めに授業も終わる。とは言っても、六時間あるうちの一時間が無くなるだけだが。
登校途中の生徒たちは殆どが傘をもって通学路を歩いている。
千代子もまた、その一人。
今日は親友の桔梗と、新聞部の朝日も一緒だ。
朝日は、スマートフォンで結城 鈴々のブログを覗いている。
「うっわぁ〜、やっぱりリンリンのブログ炎上してますよ葵さん!昨日の件、スマホで撮ってた子がパシャスタに投稿しちゃって、一気に拡散されたようですねぇ。」
「ネットってやっぱすごいねぇ…そこからどんどん膨れて噂になったりするから。」
「そこなんですよ!噂になってからが怖いんです!悪い噂というのは特にそれが広がるのが早いですからね。昨日の一件で、ファンからの批判コメントが凄いそうなんですよ。人気アイドルの裏の顔、炎上しないわけがない!」
熱く語る朝日の声は、朝なのに元気に響く…
その言葉を聞いた家康が、ほほう?と声をあげた。
『炎上…ふむ、これが今の世の火計というものか。戦においては基本であるな!はっはっは!』
多分違うと思うよ、家康さん…
千代子は自分にしか聞こえない家康の言葉に苦笑しつつ、先程から静かな桔梗に目線を向けた。憂いを帯びたような…どことなく、元気がない彼女の様子を見ると、やはり心配である。
昨日学校を休んだのだ。どこか、体調が悪いのだろうか?
「桔梗ちゃん、大丈夫…?」
「えっ……?あ、うん。平気!それで、なんだっけ?」
「天海さん、昨日学校にリンリンが来たんですよ!それで、物凄いことになってですね…あ、そうだ!!今日は部長と次の記事の打ち合わせするんでした!!天海さん、葵さん!またお昼にぃ〜!!」
駆け足で去っていく朝日を二人で見送り、校門へたどり着くと、桔梗が千代子へと話しかけた。
「…千代子、朝日さんに言っといてくれるかな?私、昼休み用事があってさ。今日はお昼、一緒に食べれないって。」
「え?う、うん……わかった、伝えとくね桔梗ちゃん。」
「……」
校舎の中に入ると、中も不穏な空気。廊下に、窓に、掲示板に何枚も貼られた新聞が、実に気味が悪い。
一体なんの記事だろう。昨日の鈴々の騒動かと思ったが…
「なに、これ……!!」
千代子は廊下にぴっちりとセロハンテープで貼られた新聞を剥がしながらその記事を見る。これは…この学校中に貼られた記事は…
"織田軍・酒井 早雲。仁双楠三天女事件に関与か。緊急密着、轢ッ殺しの酒井の全貌!!"
その記事を桔梗と一緒に見た千代子は、自分の携帯に着信があることに気付く。相手は忠勝だ。電話に出ながら、千代子はカバンも置かずに、男子校舎の方向に走り出す。手に持った新聞は握りしめたせいで、くしゃくしゃだ。
「あっ、どこ行くの千代子!?……行っちゃった。ノート見せてもらおうと思ったのに…」
一人ぽつんと取り残された桔梗は、ぽかんとした様子で、その様子を見届けた。
走りながら、電話越しに忠勝へ話し掛ける千代子。自然に声は怒りを孕んで大きくなる。
「もしもし、カッちゃん!?これ、早雲が…!!」
携帯から聞こえてくる忠勝の声も、怒りに震えていた。しかし落ちついて聞いてくれ、と忠勝は千代子を宥める。
『オレも土御門と一緒に登校して直ぐに気付いた…酒井を探してるんだが、全然見つからねぇんだ。ひでぇよ、こんなの…!昨日、酒井から轢ッ殺しの件を聞いたんだが…この新聞だと、大袈裟に…しかも色んなところが仰々しく捏造されて書かれちまってる…』
「ひどすぎるよ…早雲は…こんな怖い人じゃない!私を助けるために駆けつけてくれたのに…!バイト投げ出してまで、シマパンのところまで私を運んでくれたのに!」
そうだ。
虎徹と初めて会って、窮地に立たされた時に竹康からの電話一本ですぐさま駆けつけてくれた彼が…種子島犯津亜の落書きを食い止めるために、バイトも即日で辞めてまで協力してくれた彼が…こんなことをするはずがない。
轢ッ殺しの酒井などと、そんな恐ろしい名前の男じゃあない。千代子は怒りを通り越して泣きそうになるのを堪えて、そう言った。
『落ち着け。気持ちはわかるが…酒井のこの名前は確かに事実だ。榊原先輩も昨日言ってたろ…でもこればかりは許せねぇ……タケ、今からオレは新聞部の方に行くから、酒井を探してやってくれるか?今のアイツには、タケがそばにいてやった方がいい。虎徹たちもこの記事は知ってるはずだ。頼むぜ…』
「わかった…でも、カッちゃん…早雲が行きそうなところってどこだろう?心当たりなくて……」
『だよな…さすがにこの状況だ、学校の中は考えにくい……いや、待てよ…』
忠勝の記憶は、昨日、男子校舎屋上に遡る…
轢ッ殺しの酒井としての過去、父親の死……
そしてその原因となった暴走族を追い、子供を轢いたことを聞いた、その前だ。
早雲がぽつぽつと、話してくれたのだ。
『オレさ、いまこうしてバイクに乗っているのは……タケさん…竹康のおかげなんだ。』
彼は沈んだ声で…それでも強がっているかのような、無理をした笑顔を浮かべながらそう話した。早雲の話は続く。
『免許証をさ、学校の近くにある河原に…投げ捨てようとしたんだよ。轢ッ殺しの名に耐えきれなくて、オレが犯しちまった罪に…耐えきれなくて……』
轢ッ殺しの酒井。
彼の心の傷を抉るその名は、早雲に重苦しくのしかかっていた。彼自身の道を、早雲自身の手で閉ざそうと思わせるほどに。
『学校行かねェでさ、何時間も河原にあるベンチの上で…考えたんだよ。走り続けることで、それ以上なにかを得られるのかって…また同じことを起こしちまうんじゃないかって。』
織田軍に入ったのは、父を死に追いやった暴走族に復讐する為…だったのかも、今ではわからない。そして、それも成し遂げられないまま彼はこうしてここにいる。
『正解の道もわからねェで、ただ織田軍で言われた通りに走っても…どこかでオレは迷走してたんだ。それが嫌で……もうやめにしようって、免許証を河に投げ捨てようとした時に竹康がきて、止めてくれたんだよ。』
そして、オレたちは心から信頼し合える友達になれたんだ。
『ってことがあったんだ。タケ、だから河原に行ってみてくれ。酒井のことだ、きっと…もしかしたら、そこにいるかもしれない。頼めるか?』
「河原…わかった!ありがとう、カッちゃん!!」
電話を切り、千代子はその足を早める。友の為に…河原へと急ぐ。
「待っててね……早雲!!」
千代子との電話を終えた忠勝は、ポケットに携帯をしまった。その表情は実に険しい。
「三河くん…新聞部室に行って、どうするんだい?」
隣にいた明良が、おずおずと言葉をかける。
忠勝の手の中でくしゃくしゃにされた新聞を見ると、相当の怒りが込められているのがわかる。
「新聞部の中に織田軍がいるか、それとも誰かに脅されてるかだろ…こんな卑怯な真似をするならどっちかだ。榊原先輩や虎徹にも連絡してるが、ぜんぜん繋がらねぇ……だったらオレが動かねぇと。」
「僕にも、何か出来ないかな?手伝えることがあればやりたい。」
「土御門……じゃあ、お前はこの学校中の新聞、できるだけ多く剥がしてくれるか?いつまでもこんなの貼ってられねぇ…頼むぜ!」
「わ、わかった。気をつけてね、三河くん!」
明良は走り去る忠勝の背に、そう声をかけた。しかし、新聞を剥がすようにと言われた彼は、動かない。
かわりに、明良の隣にある水飲み場の蛇口が動いた。誰の手も借りず、蛇口がひとりでに動き…水が流れる。
「――旦那様。」
水飲み場から声が聞こえた。透き通った女性の声だ。ぴちゃぴちゃと流れ続ける水は、錆び付いた銀色の上で広がり続ける。人などいない。
しかし、そこから彼女は現れた。流れ出た水は人の形を成していく。
やがて現れたのは、明良と同じ銀髪に、海のようなブルーの瞳の少女だった。肩口までの髪をとめる涙の形をしたヘアピンが特徴的である。
「式、西の状況はどうなってる?」
「はっ、奮導寺にて反逆を起こした島津 京四郎…現在、彼の行方を追っています。逃亡の際に将武パンツを身代わりにして、石田 九曜の攻撃を免れたものかと……」
「往生際の悪い男だ……だが、私が出るまでも無い。彼の処理は、西の将武パンツ使いに任せればいい。」
式と呼ばれた少女は、水飲み場から降りながら
校内を見渡す。彼女の小石を投じた水面のような瞳が映したのは、やはり学校中に貼られた新聞だ。
「これは…?旦那様…酒井 忠次の将武パンツ使いが、何故このような仕打ちを?」
その問いに、明良は独り言の様に言葉を口にする。
「これは試練だ…乗り越えなくてはいけないぞ、酒井 早雲……君のアゲパンは、その境地に至ったと言うだけで…まだ不完全なのだから。」
「……旦那様、それともうひとつ。袴ヶ原からこちらへ、強力な将武パンツ使いの反応が二つ近付いています。一人は、奮導學院の連隊長のものです。」
「……ならば、それは私が抑えよう。余計な邪魔をされないようにしなくてはいけないな。」
「これは一体どういうことですか、部長!!」
一方、新聞部室では朝日が部長に詰め寄っていた。新聞の原本を握り潰しながら突きつける朝日は、怒り心頭といった様子で彼へ怒鳴りつける。部長は椅子に座って両肘をつき頭を抱えながら朝日の言葉を受け止める。その表情は、何かに怯えているようだ。
「こんな…一個人を貶めるような記事をどうして…っ!なんでですか、答えてくださいよ!…ねぇ、部長ってば!!」
「仕方ないじゃあないかっ…!ボクだって、こんなことしたくなかったさ!でも従わなかったら織田軍に…酷い目に合わされるかもしれなかったんだぞ!すごく怖かったんだからな!!」
部長はたまらず声を張り上げた。閉め切ったドアを破りそうな怒鳴り声。
そして本当にドアがぶち破られた。
バコン!!と…外側から。部長は怯えきって、部室の隅に逃げるように席を立つが、バランスを崩して椅子から転げ落ちてしまう。
部室に押し入ってきたのは、鉄パイプを持った朱色の髪の男。
森 永吉だ。彼が蹴り破ったドアは、くっきりと彼の上履きの形に凹んでいる。
「……」
「ひぃっ!!ぼ、僕は言う通りにしただろ…なんだよぉ!!」
「テメェら……今の話、詳しく聞かせろ。」
鋭く睨みつけながら、永吉はそう言った。
その時だった。
部室の前にある窓から、鋭い何かが永吉の後ろから迫る。
振り向きながら素手でそれをキャッチした永吉は、飛んできた物体の正体を確かめると共に立ち上がると、ギリィッと歯を軋ませた。
彼の手に握られたアイスピックと同じ大きさの穴が空いた窓の方に走ると…永吉の目に映るのは、向かい側の窓越しに見える理科室。そして……その中に入っていく黒髪の男。
「蜂須賀ァ…!!!」
メキィ、と手の中でアイスピックの針を折ると…弾かれたように、永吉は部室を飛び出した。
「ヒヒ……」
部室内の、グラウンド側にある窓の上から聞こえる笑い声には、誰も気付かなかった。
「せいぜい頑張れよ、森。ワガハイは忙しいんだ。」
蜂須賀は、小馬鹿にするように笑いながら…新聞部室の上にある教室の窓枠に立っている。支えもなく、命綱も無い。素肌に着た半袖のワイシャツは風が吹いているのに、何かに阻まれているようにフワリとも靡かない。
「これで酒井は織田軍以外に居場所をなくし、ワガハイ達に従わざるを得ない。お前も、アタマを使わなくちゃあな?」
手に持ったアイスピックの先端には、落ちることなく飴玉が乗っている。スナップをきかせてアイスピックを自分側に回せば、開いた口にカロンッと飴玉が入る。ハニーミルクの味が、蜂須賀の口の中に広がる前に…ボリッとギザギザの歯で噛み砕いた。
「コイツらも少し甚振っておかんとなぁ。要らんことを吹き込まれる前に…悪く思うなよ?ワガハイは……面倒事を後回しにすることが嫌いなんでなぁ。ヒッヒッヒ…」
永吉は、開けっ放しの理科室の中へと入り込む。鉄パイプを握る手には、自然に力が籠った。この中に逃げたことは確かだ…と周囲を見渡す。
理科室内には、気配がない……ならば準備室か?
「クソ野郎が…ちょこまかと逃げ回りやがって。」
苛立ちを抑えることなく永吉は理科準備室の扉へと手を掛け…開こうとしたその時だった。
ガン!!と扉が強く、硬く閉ざされて閉まった。退路を塞ぐためか。もっとも、彼にとっては意味もないことだが……
永吉は閉まった入口の扉に構わず、理科準備室の扉を開くと、そこに居たのは黒髪にシャツ姿の…顔が風船でできた蜂須賀のダミー人形だった。
風船の頭には、マジックでこう書かれている…
"ハズレだ、単細胞!!"
永吉が怒りを露わにして風船の頭に目掛けて鉄パイプに力を込めると、それは突然ひとりでに一気に膨れ上がった!
蜂須賀 転助の将武パンツの能力で、風船内の将気が混ぜ合わされた空気が一気に膨張したか。
新聞部室で隠れる蜂須賀は、自分の将気の反応を感じ取って、笑う。
「ビィーンゴォ。」
パァン!!!と風船は割れて、中に仕込まれたガラス片や画鋲、釘が永吉に迫った。
その頃の、東乱楠旧校舎。
鈍色の曇天の下…織田軍の縄張りである旧校舎は人気が全くない。
校舎前に立っているのは、榊原と虎徹。その後ろには宇佐見と樺地がいた。榊原の表情は、いつになく険しい。彼は三年。織田の事件は、よく知っている。
「あの事件から、何も変わってないわね…」
「再来年には取り壊し予定だっけか……それにしても、君たちまでついてくるなんてね。」
虎徹は煤けた校舎の外壁を見つめ、続いて二人に声をかける。将武を持たない忠勝よりかは戦力になるだろうが……織田軍と戦うには心もとない。しかし彼らは退く気はないらしい。
「酒井さんにあれだけひっでぇ事しといて…しかも、三天女を使ってコソコソ卑怯な真似しやがったんだ。黙ってられねぇぜ…織田軍のヤツらをボコボコにしてやらねぇと、オレたちの気がすまねぇんだ!」
「井伊っ!帰れなんて言われても、テコでも動かねぇからな!……ところでバラさん、タケの兄貴は?」
樺地の言葉に、榊原は振り向きながら質問に答える。普段ふざけた様子の彼は、今回ばかりはとても真剣だ。
「あの子のことだから、学校ほっぽり出して酒井を探しに行ってるはずよ。心配しなくても、あの二人が一緒なら大丈夫。」
もっとも、今の竹康は居らず、千代子が早雲を探している。しかし榊原は大丈夫と言った。
竹康をよく知っているからこそ、千代子に負けたからこそ、彼はそう言える。
(あの子ならきっと大丈夫……そうよね?タケちゃん…)
不気味な旧校舎の校門を潜り、不気味な焼け跡が残る昇降口に入ろうとすると、榊原は不意に宇佐見の方向へと振り返って鼓帝架を伸ばした。
「いっ!?バラさん!?」
榊原は、宇佐見の背後から飛んできた5発のパチンコ玉を弾いた。この威力だと、エアガンで撃ったか…深く地面にめり込んだ8mm程度のパチンコ玉を見ると、榊原は大きく声を張り上げた。
「物騒なことするわね…これも織田の指示なの!?隠れてないで答えなさい!!」
その声と共に現れたのは鉄パイプや木製バット、改造エアガン等…それぞれ違う得物を持った集団。全員が、鼻から口にかけてを隠すように黄色と黒のボーダーが入ったバンダナをつけていた。
「…険蜂術数…蜂須賀 転助か。」
虎徹は自分達を囲む集団の特徴から、犯人を暴く。蜂須賀 転助、織田軍の策略家である男の仕業だと。
そして、いま自分達を襲おうとする彼らは…蜂須賀の手下だ。
「ケケケッ、蜂須賀さんの言った通りだ。」
「カシラの為にも、少し大人しくしててもらうぜ、葵ヤンキーズよぉ!」
「宇佐見、樺地!!あんた達はイイコちゃんを守りながら暴れなさい、イイコちゃんは言われなくてもわかってるわね!?」
「まかせてくれ、榊原先輩。倒した奴らは僕が何とかする!」
「「葵 竹康の懐刀が相手だァーッ!!」」
それぞれが戦いを始める中、千代子はようやく早雲を見つけた。
竹康の格好をした彼女は、ひたすら濡らしたタオルで愛車、獲飛巣喰を拭いている早雲の背を見つめる。
声を掛けるのに、時間が掛かった。
早雲のバイクは…その黒馬のような色に、何色ものカラースプレーで落書きをされていた。それをここで一人、ずっと拭いていたのか…汚れは落ちる気配もない。
そしてその落書きは、色こそ違えど書いてある文字は同じ。
轢ッ殺し。轢ッ殺し。轢ッ殺し。轢ッ殺し。
早雲は、一度学校に来たのだ。だが轢ッ殺しの酒井の名を、その噂を聞いた心無い生徒によって…
「……早雲。」
千代子の声は、竹康の時に出す凛としたものとは、遠くかけ離れた弱々しいものだった。
「…!タケさん…?どうしたんだよ、こんな所で。学校は?」
「……早雲…そのバイクは…」
「……あァ、気にしてねェさ。ホントの事だからよ。そう呼ばれてたのはさ。織田軍にいた時に他の学校でやらかした事だって…過去の事は、ついてくるもんだからよ。さっさとコレ、綺麗にしちまわないと。」
そう言って、早雲は再びバイクを拭き始める。
何度も、何度も、なんども、なんども……
どうして?
どうして、笑ってるの。早雲?
辛いんでしょう?なのにどうして……
轢ッ殺しの時の早雲なんて、知らない。
でもわかるよ。
どうして……
どうして、無理して笑ってるの?
見ていられなかった。
だから、千代子は彼に…こう言った。
「早雲…バイク、買い換えようぜ。」
ぴたり。
早雲の手が、止まる。千代子は口を止めない。
「ずっと使い込んでるんだろ?それも…だいぶ古くなってるだろうし…今回の件を機に…新しいのをさ。オレも手伝っ……!!」
俯いていた千代子の視線に早雲の足が見えた。続いて自分は早雲に襟首を掴まれ、顔を向けさせられる。
早雲の表情は、怒り。しかしそれ以上に…
泣き出してしまいそうなほど、悲しげだった。
「なんで……ッそんなこと言うんだよ、竹康…!!」
「え……」
「なあッ…竹康……お前そんなこと言う奴じゃなかったろ!?」
早雲の悲しみが混ざった怒声が、千代子の鼓膜を震わせた。
雨が、もうすぐ降る。
過去の罪を、叩きつけるような雨が。
「遅いなー……千代子。」
いつまで経っても、先生が来ない……
千代子の帰りを待っていた桔梗は、クラスメイトから借りたノートの内容を写していた。
例の新聞のせいだろうか?先生も来る気配がない。桔梗も、集中することができなかった。
早く戻ってこないだろうか…千代子の幸せそうにパンを食べている姿をしばらく見ていない。
「……男子校舎かな?呼んでこよう。」
彼女はザワつく教室から出て、男子校舎への連絡通路へと走った。
千代子にも忠勝という幼馴染がいる。なら、この新聞の内容を伝えるはずだと思って、桔梗は千代子を探すことにした。
連絡通路へ辿り着き足を早めると、桔梗は男子にぶつかった。バランスを崩して、尻もちをついてしまう。
「きゃっ!」
「すまない、大丈夫か?」
差し伸べられた、薄い褐色の手。
「は、はい…大丈夫…」
手を握り、立ち上がってぶつかったことを謝ろうと見上げる。
あれ…?この人、うちの生徒じゃないよね?
黒のライダースジャケットに黒のレザーパンツ。インナーに赤いTシャツと、深く被った黒のキャップ。
松永 八雲。彼は桔梗を立ち上がらせると、砂埃をはたいて落とし、ほっとした様子で口角を小さく上げた。
「怪我は無いようだな、良かった。…そうだ、ちょうどいいから聞いておこう……君、酒井 早雲がどこにいるか、知ってるか?」
「い、いえ…わからないです。話したこともないし…」
「そうか……ありがとう、急いでる中呼び止めて済まないな。」
と言って、松永は踵を返した。携帯に着信があることに気付いて、彼はスマートフォンを耳に当てる。
「忠光か、お前の方から連絡が来るなんてな……どうした?」
「……!!」
「河原に?…酒井も一緒にいるんだな、わかった。すぐに向かう。」
通話をしながら校門へ向かう松永は、片手をレザーパンツの中へ入れて、将武をパチンと鳴らした。
すると駐車場のある方向から、バイクがひとりでに排気音を立てて松永の前へと走って、止まる。
そのまま松永はバイクに乗って去ってしまった。
「……忠光。」
その名を聞いた桔梗は、きゅっと唇を噛み…
走り去った松永と同じ、河原のほうへと走る。彼女にとっての、大切なものがいるであろう場所に。
松永 八雲は、自身のバイク…火進孤路の上で、こう口にする。
それは彼の過去の罪を、乗り越えるために。
「酒井 早雲…過去に誇りを捨て、抜け殻となったオレの前に、お前が現れた時…お前はオレにとっての目標となったんだ。なんとしてでも…オレと勝負をしてもらうぞ…将武パンツを持った走り屋同士の誇りをかけた戦い…ライディング将武を。」
過去の罪は、蜘蛛の戦意を震わせる。
そして雨がもうすぐ降るだろう曇り空の下。
この二人も到着した。
蒸し暑ささえ感じるその風はまとわりつくようで、嵐の前の不快な風を運ぶ。しかしすぅぅっと、彼は大きく深呼吸をした。
「はぁ〜、一時はどうなるかと思ったが…やっと東乱楠に戻ってこれたぜ!」
「……」
羽柴 夜一郎と、浅井 一。
駅前で故郷の空気を胸いっぱいに吸う夜一郎の隣で、一の表情は緊張しているような様子だった。
夜一郎は、一に視線を向けて気遣う言葉をかける。
「ん?どした 一、腹でもいてぇのか?」
「い、いえ!そんな…大丈夫です……ただ
兄者と話すのは"あの日"の面会の時以来だから、会って何から話そうか…それが思いつかなくて。」
「"あの日"か…へへっ、俺とお前が初めて出会った日のことだよな?」
コクリ…と静かに一は頷く。夜一郎は"あの日"を思い出しながら、曇天を見上げた。自慢のリーゼントは上を向いても重力に逆らって、しっかりと立っている。一は、未だに緊張した面持ちだ。
「あん時ゃホントビックリしたぜ。ミッちゃんから弟の話は聞いちゃいたが、まさかあんな場所でばったり会うなんて思わなかったからよ。」
しかもパッと見、全然似てねぇしな!
そう言った夜一郎に、一は苦笑いで返す。
しかし、気まずい沈黙。
「……」
「……」
ゆっくりと 一に近づく夜一郎。ぽすん、と彼の大きな手が一の頭に置かれた。赤い前髪が手の重みで視界に映った。
「…?夜一郎さんどうし…うわっ!」
わしわし、がしがしと一の頭を撫で回す夜一郎。一は目を丸くしながら戸惑う。
「ちょっ…何ですか夜一郎さん!やめて下さいよ。」
わしゃわしゃ、わしゃわしゃ。手は止まらないし、止める気もない。夜一郎の手は乱暴だが、暖かかった。
「…ったくよォ、その一人で何でも抱え込んじまうトコはホントそっくりだな。お前ら兄弟は。」
「夜一郎さん…」
髪がボサボサになったのを直しながら目をぱちくりと瞬きする一に対して、夜一郎は白い歯を見せて笑った。
「へっ!大丈夫だ 一。体の弱かったお前がむこうでめっちゃ鍛えて、努力し続けて…そんでもって誰よりも真っ直ぐに"テメェ自身"を貫いてきた…そんなお前をミッちゃんが簡単に突っぱねるわけねぇだろ?」
その言葉を聞いた一は、じわりと熱くなる目頭を堪え、にっと笑った。
「…はい!ありがとうございます夜一郎さん!」
そして気を引き締め直し東乱楠高校を目指す二人…だが、二人の道中にはトラブルが付き物らしい。
一と、夜一郎の目の前に……数十人のヤンキー集団が立ち塞がる。一は凛として、彼らへ物怖じせずに声をかけた。
「何者ですか?」
いつでも対処できるように小さく構える 一。
その言葉に答えることも無く、集団の内の一人は口を開いた。
「間違いねぇ、羽柴 夜一郎だ。」
「宇佐見と樺地に言われて織田軍を探してみりゃあドデカイ獲物に巡り会えたぜ!」
「すぐに旧校舎に向かってるあいつらにも知らせねェと…たしか井伊の坊っちゃんと"解体屋"の旦那も一緒にいるっつってたな?」
旧校舎と解体屋、その言葉に反応する夜一郎。
彼にとって、最も因縁深い名前に、その表情と……巨躯からは昂った様子で将気が漏れ出す。
だが、通行人もいるのだ。一はここで争うことを望まない。彼らが、仕掛けるまでは……
「そこを退いて下さい。他の人達の迷惑です。それに僕たちはあなた方と争う理由は…」
その言葉を遮る集団のひとり。
「うるせぇ!卑怯な手使ってタケの兄貴を陥れようとしたテメェら織田軍を許せるかっ!!!」
「悪く思うなよ羽柴ァ、テメェら織田軍全員に俺たち葵ヤンキーズを敵にまわしたらどうなるか、たっぷりと教えてやるぜ!」
まさに一触即発。
彼ら葵ヤンキーズは、周りを顧みず織田軍を一人残さず叩き潰すつもりだ。
「仕方ありません。夜一郎さん!」
僕も戦います。そう言って前に進もうとする 一を夜一郎が遮る。彼の特攻服が、東乱楠の風に靡いた。
「これは俺たちの問題だ。お前は手を出すな 一。」
夜一郎はゴルフクラブに手をかけ、大きくしならせる。金属棒はビヨヨンッとゴムのようにしなり、重々しい先端が硬いアスファルトを凹ませた。
「夜一郎さん…でも!」
「ハァ…まったくよォ、あいつら俺が西に行ってる間に何をやらかしたんだか…にしても葵ヤンキーズか…へへっ、葵のヤツいつの間にこんなに手下を集めてたとはな。」
「なにぶつくさほざいてんだ!余裕かましてんじゃあねェ!!!」
やっちまえ!!!
葵ヤンキーズの舎弟たちが一斉に襲いかかる!!
この戦い、退くことは出来ないのか…?否!!
退くつもりなど、この男にはない!!
「夜一郎さんっ!!」
「心配すんな 一。一瞬で終わる。」
そう言って彼は、ポケットから小さな丸い物体を取り出す。それは…エリート気質な生徒ばかりの奮導學院で夜一郎と気が合った数少ない人物から譲り受けたもの。
「それは…まさか大友様の国崩!?」
「お前から貰った餞別、早速使わせてもらうぜ!」
ゴルフクラブを構え、強大な将気を一気に放出する夜一郎。左手に持ったそれは、花火玉のようだ。
国崩は夜一郎の将気を注ぎ込まれ、通常の花火玉の大きさになる。
将気に反応して大きさを自由自在に変え、小さくして持ち歩くことが出来る代物だ。
その男は、花火職人だった。
祭りが大好きで、ぶっ飛んだことに目がない。すぐ夜一郎と気が合ったし、その男は、夜一郎に恩がある。
一は、信じられない…といった様子で夜一郎を見つめる。
學院の生徒である前に花火職人の男が、恩があるとはいえ、夜一郎に自らの命とも言える花火玉を託すとは…
「教えてやるぜ、一ッ!これが東乱楠流の挨拶ってヤツだ!!!」
ゴルフクラブを使い国崩を打つ夜一郎。
フルスイングで振るわれたそれは湿った風を切り、空気そのものをスマッシュするような轟音を立てた!!
その風圧だけで数十人いた葵ヤンキーズは一瞬で吹き飛ばされる!
国崩は将武使いの頭に浮かんだイメージを読み取り、その通りの絵柄に花火が上がる。
また花火玉の大きさも将気を注いだ量によって変わるのだ。
打ち上がった花火が上空に咲き誇った。
それは、葵ヤンキーズと織田軍の開戦の合図。
"猿 仁 全 開 "
「た〜まや〜、ってな!!」
過去の罪を持つ者は、明るく空へと言葉を投げた。
そして過去に罪を背負った者たちが、ここに集う。
そう、彼もまた…同じように…
雨を灼く焔が、黄金と相見える時は、ここに。
鉛の空が、重く垂れ込む。
八の字をなぞる燕は、焔の風を連れた男を避けるように高く飛んだ。
灼けつく戦意は、男の胸に募り続ける。
喧騒と乱舞の間に、燃え盛る紅。
「答えてくれ……竹康。オレは…どうしたら…!!」
千代子に詰め寄る早雲の束ねた長い銀髪が、熱風に揺れた。
もうすぐ雨が。
あの日の 罪を 骨身の髄に刺す雨がふる。
『千代子…!!こ、この将気…まさか…!』
炎髪を揺らし、燻る魂を、瞳に宿す。
火傷を顔に負った彼は、羽織った龍の紋様が入った消炭色のブルゾンを炎風に揺らしながら、一歩一歩、彼らへと近付いていた。
「…なんだ…!?」
「ど、どうして…なんで、こんな所にっ!?」
誰か俺の火をつけて燃やしてくれ。
燻るこの思いを、余すことなく。
「随分と意外そうだな?早雲。遅かったんで、こっちから来てやったが…ハッ、懐かしい顔だな。」
満たしてくれ、この渇きを。
序章は、すでに終わっているのだから。
『この男こそが……織田軍総長…!!』
家康は、膨大に燃え盛る彼の将気を…内に秘めたる力を感じる。それを言葉に表すならば…
圧倒的。
総てを焼き尽くす、魔の炎。
「織田……!!」
「忠光、さん……!!」
「久しぶりだな、葵。」
魔王、邂逅――。
次回も尋常に……将武…!!




