080. 逃げた男
「……はあっつ、はあ、はあ……」
マリール達が懸命に救助活動をしている隙に、それまで廃人のようになっていたガルクスは、そっと部屋から遠ざかり、館と森を繋ぐ薄暗い地下道を走っていた。
「くそっ……冗談じゃない……!!」
領主はガルクスを切り捨てた。使い捨ての冒険者達と同じように。自分だけは見捨てられる筈はないと信じ切っていたガルクスは、早急にこの危機を乗り越える事を考えねばならなくなった。
警備兵が詰める砦に戻っても、ガウェインが待ち構えている。ならば、門を通らずに森を抜け、隣街のカロルクへ助けを求めるしかない。
図体ばかりでかいメルクの冒険者ギルド長は中身も木偶だから使えなかったが、カロルクの冒険者ギルド長は奴とは違い、融通が利く男だ。
あの街の冒険者に護衛をさせて、王都へと戻るのだ。実家へ帰りさえすれば、親が何とかしてくれるだろう。今までもそうであったように。
逃げ切れると確信しているガルクスが地下道から地上へ出た姿を、黒い影がじっと見ていた。ガルクスが森へと入るのを見届けてから、影は興味を失くしたようにゆらりと揺れる。
大きな黒い影は、ばさりと羽音を立てて、海の方角へと飛び立っていった。
領主館の裏手は森だ。この森はピピ角牛の生息する山と繋がっている。山側に入らずに森の中を下っていけば、メルクの入り口である門の前に出る。
メルクからカロルクへと繋がる道は森の中を通っていて、ガルクスは部下達に商人を襲わせ森の中へ追い立てては、その命と財産を奪っていた。
その森の中間部を進みながら、ガルクスは最近の収穫を思い出す。カロルクの冒険者ギルドで護衛を雇った豪商一家が小賢しい事に、潰れそうなメルクの冒険者ギルドから、わざわざ冒険者を指名して呼び寄せていた。
大した事がない只の冒険者の分際で、女に持て囃され、人に好かれ調子に乗っていた男だった。あの男を散々甚振り倒し、磔にしてやった事を思い出す。確か丁度、この辺りだ。
ガルクスの口元が自然と歪む。目の前で護衛対象者を嬲り、犯した時の怒りと無力感に苛まれるあの男の顔は、何度思い出しても愉快だ。
「……ふん。奴の拡張鞄から出た獲物くらい、持ち出せば良かったか」
負かして奪った拡張鞄は、勝利者の戦利品だ。持ち主が死ねば外へと掃き出される物の中で、相手が愛用していた武器をコレクションする事は、特にガルクスの自尊心を満たしてくれた。
「まあ、いい。後で回収させて……」
「――よぉ、ガルクス。殺されに戻ってくるとは、なかなか殊勝な事じゃねえか」
突然目の前に立ち塞がる様に現れた男に、ガルクスは信じられない思いで目を瞠った。己が散々嬲り殺し、磔にした男が目の前に立っている。
「な、何故だ……? 何故そこに居る!? 鞄は確かに、解除された……!!」
ハウノから奪い取った収納鞄は持ち主のハウノが死んだ事により、空間魔法が解除され、中身は全てぶちまけられた。ハウノの愛用していた双剣は今、領主館にあるガルクスの部屋で、一等目立つ位置に戦利品として飾られている。
「地獄から戻されちまったんだよぉ。おまえを野放しにするなとな!!」
ハウノが振りかぶったナイフの切っ先が、ガルクスの眼球を霞める。醜い悲鳴を上げながら、ガルクスは転がる様にハウノから逃げ出した。
「な、何なんだ、あれは……! 確かに死んだ筈だ!! ――まさか!」
ハウノを殺す少し前、襲わせた商人が何故か生きてメルクに辿り着いていた。拷問にかければ、生き返った時に子供に薬を貰ったと言っていた。
「そうだ……! あの子供じゃないか!! 何故俺は気付かなかったのだ!!」
領主の指示でモルガの店に回収に行ったエルフと子供。あの子供がガルクスに飲ませた飴で、傷も痛みも瞬時に治ってしまった。薬というからポーションだと思い込んでいたが、あの子供の飴が商人を生き返らせた薬なのだ。
「あの子供を手に入れれば――!!」
あの子供の価値を知っていたから、領主はモルガに仕入れさせたのだろうか。否、知っていたなら競りにかける筈がない。例え知っていたとしても、領主は既に逃げている。今手に入れられるのは自分だけだ。
あの飴のような薬を子供に作らせ貴族達に見せれば、王族ですらガルクスに膝を付き頭を下げて、薬を売ってくれと懇願するだろう。
このまま森を出ればメルクとカロルクを繋ぐ道に出る。カロルクで手勢を揃えて、直ぐにあの子供を奪いに戻らなければ。そう考え付いた時、何者かが逃げるガルクスの行く手を塞いだ。
「――おいおい。俺はハウノが居るって聞いて来たんだ。なんでガルクスの野郎がここに居る?」
何故と聞きたいのはガルクスの方だ。ガルクスは突然現れた男に、また目を見開いた。確かこの男は片足を失くして冒険者から肉屋になった、情けない男だ。
「――邪魔だ肉屋! そこを退……け?」
片足を失くした男の脚が、二本揃って立っている。唖然とハンスの脚に見入っていると、ガルクスの背後から声が増える。
「ハンスじゃねえか! お前、足!……そうか、あの子か!!」
「兄貴。こいつに殺されたって聞いたんだが……嘘だよな?」
「ああ本当だ。殺された。護衛してた商人家族と一緒にな……」
ハウノが憎しみを隠さず、ガルクスを睨目付ける。会話する兄弟に挟まれたガルクスは、だらだらと冷たく嫌な汗を流し、身動きが取れずに居た。
兄弟がにやりと笑い、ガルクスを見る。兄弟とは言え顔つきは違うのに、笑い顔はそっくりだった。
「――あの子にバレる真似すんじゃねぇぞ。きれいに、跡形も無くだ」
「ああ、わかってるよ。スライムで、だろ?」
「ひ……!!」
何時も弱者を甚振る時の、ガルクスと同じ獰猛な目だ。その目向けられて、ガルクスは腰を抜かしてべしゃりと地面に尻をついた。ガタガタと震え蒼褪める様も、じわりと広がるシミも、かつて己が見下し屠って来た弱者と同じだ。
「その前に、散々甚振られた礼はしねえとな? まさか、自分だけがいつまでも無事でいられるなんて、思ってねえだろぅ?」
「わ、悪かった……! 命だけは……!!」
「……ハっ! 命乞いした商人に、お前はどうしたよ?」
「薬……! そうだ、あの薬で助かったのだろう? ならば商人達もあの子供に薬を作らせて……!!」
死んだ筈のハウノが目の前に居るのだ。一緒に死んだ商人も生き返っている筈だ。まだならば、あの子供に薬を作らせ生き返らせれば良い。あの子供の居場所を教えるから。
そう言って無様に命乞いするガルクスに、ハウノは暗い笑みを作り、こう言った。
「――残念だが、ここにあの子の薬はねえんだよ」
腰を抜かし、みっともなくも地べたに這いつくばるガルクスの顔を、濃く伸びた影が二つ重なり、覆っていく。
二つの影を作るのは、あの子供の髪と同じ、淡金に輝く月だった。




