075. 秘密の入り口
「では、ガルクス様。案内をお願いしましょうか」
エドナがガルクスを縛る蔓縄を解くと、イクスが剣の柄に手を掛けたまま、ガルクスの背後に付く。逃げる素振りや攻撃してくるようものなら、容赦なく切り捨てるつもりだ。
その後ろを、パンを齧りながらホビット達が続き、アエラウェや女性陣が続く。殿はバルドだ。マリールとルルナはまるで木の枝で休み食事する小栗鼠のように、バルドの両肩に座ってパンを齧っている。そこだけ見ると、何ともほのぼのとする光景だった。
暫く無言で固パンに齧りついていたサルムが、ぽつりと呟く。
「……マリーちゃんが焼いたパンが食べたい」
「ふわっふわのな~!」
「俺、マリーちゃんのパン食べてから、パン屋で売ってるパン食べれなくなったかも……」
「……嬢ちゃん来てから一週間も経ってないだろうに、随分と贅沢になったもんだねぇ」
もそもそと口を動かしながら文句を言うホビット達に、エドナは目を眇めた。
バターを使う柔らかな白パンは多少値が高くなるが、買うことは出来る。だが、常に肉しか食べていなかったホビット達が、いっちょ前にパンについて語るようになるとは、よほどマリールの焼くパンが美味しかったのだろう。
いつの間にか野菜も食べれるようになっているし、良い変化だと思う反面。マリールをこの国から逃がした後、この面々は一体どうなってしまうのだろうかと、エドナは顔を曇らせた。一度向上した生活水準を覚えてしまうと、元に戻すのが難しくなる事を知っているからだ。
「エドナおばさん、パン無くなっちゃったわ……」
「――は? あんなにあったのに?」
今後のホビット達の食生活を心配していると、戸惑うエレンの声が聞こえた。エレンの言葉に目を瞬かせながら振り返れば、両手で抱える程の大きさはあるパン籠の中身が、見事に空になっている。男が多いとは言え、余るくらいには量があった筈だ。
「随分早く食べ切ったもんだねぇ……」
エドナが感心したように呟けば、エレンが困ったように眉根を寄せる。
「それが、まだ足りないみたいなの……」
「は!?」
「一籠だけじゃなく、あるだけ全部出したんだけど……」
「はあぁぁぁ!?」
固パンは日持ちがするからと、常に店に出す三日分はストックしてあるのだ。具沢山スープに添えて出して浸して食すのが定番で、スープもない今は食べるのにも相当時間が掛かる筈だ。それがこんなに早く、三日分。一日分が籠三つだから、合計九つのパン籠がこの短時間に消費されてしまった。
一体誰がそんなに食べたのかと、エドナが信じられない思いでメンバーを見回せば、バルドの肩にマリールと一緒に乗っていたルルナが、申し訳なさそうに長い耳を前に垂らしていた。
「ご、ごめんなさい……」
「え!? ええぇ!? アンタが全部!?」
エドナは顎が外れる勢いで口を開けて、ルルナを凝視した。確かに腹はやたらぽっこりしているが、この小さい身体のどこに、あの量が収められたというのか。
「驚きの食欲でしょ? 私も初めて見た時は驚いたのよねぇ……」
「ルルナちゃん、凄く燃費悪いんです……うっぷ」
ゾゾゾと音を立てて、みるみるルルナの口に消えていく山盛りの水母料理を思い出し、アエラウェとマリールは顔色を青くして口元を手で押さえた。ルルナの食いっぷりは、見ているだけで胸やけする程だ。
「あんた……そんな胃袋で、今まで孤児院でどうしてたんだい!?」
孤児院では最低限か、それ以下の食事にしか在りつけない筈だ。あの量を消費して、それでも足りないとなると常に飢餓感に苛まれていただろう。
エドナの問いに、ルルナは恥ずかしそうに口を開いた。
「私、兎の獣人だから……。歯が伸び過ぎないように、木を齧るの」
『木!?』
孤児院に入る前。食べれるものが無くて木の皮を齧っていたのは、伸び続ける歯を削る為でもあった。木によっては渋くてとても食べれないものや、樹液で被れてしまうものもある。そうやって命懸けで獲得した、齧っても安全な木の見分けにはちょっとした自信があるのだが、その自信は齧歯類の獣人でもない限り、恐らく共感は得られないだろう。
孤児院のマルク達に見られでもしたら、きっとからかわれるし、恥ずかしくて死んでしまう。だからずっと隠れてこっそり木を齧っていたのに、こんなところで憧れのアエラウェの前で告白する事になろうとは。
ルルナは羞恥心で目を潤ませた。
「か、齧ってるとね、削りカスを少し食べちゃうの。その後お水飲むとおなか一杯になる気がして。削った木の屑を取っておいて、こっそり少しだけ……」
「まじか……」
「なんか俺、切なくなってきた……」
「俺も……」
ホビット達どころか大人達の目が揃って憐れんでくるものだから、ルルナは益々顔を赤くして俯いてしまった。だがマリールだけは違った。マリールは落ちないようにバルドの首にしがみ付きながら、ルルナの方を覗き込んだ。その瞳は興奮しているのか、きらきらと輝いている。
「ルルナちゃん、それどんな木なのか詳しく!」
「え!?」
「どんな大きさの木ですか? 幹の色とか、樹皮の裏側の色とか……!」
「え、えっとね。孤児院の中庭に一本だけあってね、凄く大きな木なの」
葉っぱはどんな形と色なのか、枝はどんな風に広がっているのか、削りカスや樹液の色、樹皮の割れ方等、矢継早に質問してくるマリールに、ルルナは戸惑いながらも覚えている事を一生懸命に答えた。
そんなルルナの辿々しい説明を聞き終えたマリールは、唸る様に声を漏らす。
「これは……。痩せ薬が簡単に作れちゃうかもですね……」
殆どの植物には不溶性食物繊維が含まれていて、それは水を吸って膨らみ、消化されないのでそのまま排出される。この性質を利用すれば満腹感を与え、尚且つ排便を促す事が出来るのだが、その繊維を取り出し加工するにも大量の植物と技術が必要だ。
だが、ルルナの話では少しの大鋸屑で相当膨らむらしい。一体どんな木なのか、マリールは未知の植物に胸ワクだった。
「な、なんだって――!?」
「ほんとですか!?」
痩せ薬と聞いて、エドナとエレンが食いついた。食事処を経営していると、繰り返される試食で体重が増えやすい。その分忙しく働いているが、時には運動量を上回る試食も続く。
年頃のエレンは勿論、エドナも怪我をしてから特に太ったのを、実はちょっとだけ気にしていたようだ。
「まあ、こういったものは摂取し過ぎると危険なので、容量用法を守らないとなんですが……って、あ~……」
マリールにはルルナの底なしの胃袋の秘密が解った気がした。長年その木を齧り大鋸屑を食べることを繰り返すうちに、ルルナの胃袋は少しづつ大きく伸び、そしてすぐに消化し排出しようと胃液も大量に出るようになってしまったのではないだろうか。
これを改善するには時間をかけて少しづつ胃を小さくしていくか、最悪伸びた胃を切除するくらいしかない。
それにいくら便秘に効くと言っても、便秘の時に摂り過ぎればさらに便秘になってしまうし、排出速度が速くなる分、必要な水分まで下痢となって排出されてしまう。これでは内臓に負担が掛かり過ぎている筈だ。
だが、ルルナのお通じ事情については、今ここで聞くのは憚られるので触れないでおく事にした。
「ルルナちゃん、無事戻ったら対策考えましょう!」
「対策……?」
「だって、その木がないと何時もおなかが空いてしまうなら、孤児院を出て生活する時に困っちゃいますよ?」
「あ……」
孤児院は成人したら直ぐに出て行かなくてはならない。成長速度や寿命が異なる種族毎に違うのが本来正しい在り方なのだが、ここゴルデア国ではどんな種族も女は十二歳、男は十五歳が成人とみなされる。ルルナは十一歳だから、来年には成人とみなされて強制的に出て行かされることになる。
しかし、街の周辺やギルドの採取依頼で訪れる森でも同じ木を見掛けたことが無いから、あの木はもしかしたら珍しい木なのかもしれない。マリールに言われて漸く危機感を覚えたのか、ルルナは青い顔で何度も頷いた。
「嬢ちゃん。ついでに痩せ薬も作ってくれないかねぇ?」
「是非お願いします……!」
ルルナと話し終わるのを待っていたのか、エドナがあわよくばと願い出る。エレンに至っては祈る様に両手を組んで、バルドの肩に座るマリールを見上げていた。
「うーん。痩せ薬と言っても、満腹感を一時的に得て食べる量を減らすタイプですよ? もし便秘でお困りなら良く効くお薬ありますし」
「なんだ、そうなのかい……」
「試食減らす訳にもいかないから、無理ね……便秘薬はちょっと気になるけど」
あからさまにかっぐりと肩を落とす二人を見て、マリールが首を傾げる。
「エレンさんは後ほど相談に乗るとして。エドナさんは腰が治ったから、これから痩せてくと思いますけど……」
「そうなのかい!?」
途端に、がばりと顔を上げ期待を込めて見上げてくるエドナに、マリールは頷く。
「辛い物や野菜好きですし……。運動能力の高さから見ると、エドナさん元々は痩せていたのではないですか?」
「そうねぇ。確かに昔のエドナは痩せてたわね」
エドナの性格に嗜好と冒険者だった事を思うと、若かりし頃のエドナは恐らくエレンよりも引き締まった身体だっただろう。そう考えての発言だったのだが、アエラウェがそれを肯定してくれた。
マリールは「ああ、やっぱり」と頷いて、はた、と、あることに気付く。
「……ん? どうした、マリール?」
急にじっと見つめてくるマリールを不思議そうにバルドが見返すと、マリールはわなわなと震えだした。
痩せたエドナを想像してみると、その豊かな胸はそのままに、健康的に引き締まった腰と脚が魅力的な女性が出来上がる。年齢と共に経験も積んだ、見事な美熟女の完成だ。それにあろうことか、愛しの旦那様はパイラーだ。そして恐らくマリールよりも年上がお好みだ。八歳児がお好みだったらとんだ事案なのだが。
マリールはみるみる悲壮な顔になったかと思うと、急回転で首をエドナに向け、震える唇を開いた。
「エ、エエエエ……エドナさんっ!! 痩せないでくださいぃぃぃぃ!」
「はぁ!?」
「後生ですからあぁぁぁぁ!!!」
「えぇぇ? 何でだい??」
突然号泣しながら叫びだしたマリールに、エドナも周りも吃驚だ。皆が足を止めてマリールを見る。
「だって旦那様が……! 旦那様が熟女好きだからぁぁぁぁぁ!!」
「はぁぁ!?」
一体何時、熟女好きになったのか。身に覚えがない熟女好きのレッテルを貼られ困惑するバルドに、アエラウェ達がどん引き始める。
「バルド、アンタ……」
「「「え……。そうだったの……? ギルマス」」」
「違う!!」
「小さい子お嫁さんにする、変態のおじさんだと思ってた……」
「私もギルマスさんペドだと思ってたわ……」
「私も……」
「ちが……!!」
「貴様……アエラウェ様とこんな幼い少女だけでなく、老婦人までとは……」
「とんだ変態だな!」
「老婦人って何だい!? あたしゃまだまだ現役だよ!!」
「違うと言ってるだろう……!!」
「つーか、そろそろ着くぞ~」
トートの言葉に、皆が一瞬で表情を引き締める。雑談しながら進んでいたせいで、何時の間にか地下道の突き当りに到着していた。
精神力がゴリゴリ削られてしまったバルドも、先程まで大騒ぎしていたマリールもびたりと泣き止み、気を引き締める。この先は何が起こるかわからない。
「――ガルクス様、わかっていますね?」
ガルクスの背後で、イクスが剣の鍔と鞘を合わせてチキリと鳴らせる。
「……ふん。わかっておるわ」
ガルクスは忌々し気にイクスを一瞥してから扉に手を掛ける。中には部下が詰めている筈だ。揃っている数が多ければイクス達に嗾けて、隙を見て領主の元へ逃げるつもりだった。
ギィっと錆び付いた音を立てて扉が開く。だが、中には数人は詰めている筈の部下が誰一人居ない。タイミング悪く領主に呼ばれ、使われているのかもしれない。森に捨てさせに行った部下も、まだ戻っていないのだろう。
ガルクスは小さく舌打ちをしてから部屋を抜けた。怖いくらいに静まりかえった仄暗い廊下には、常に配置されている筈の屋敷の警備兵や使用人達の気配も何もない。嫌な予感が頭を過るが、まさかそんな、と、ガルクスはそのまま地上階へと続く階段を上がった。
階段を上がり、道なりに行けば大開口のエントランスが広がっていた。だが、天井からぶら下る豪華な照明器具は煌々と照らしているのに、人の気配だけが消えている。
物音一つしない屋敷に、ラルムとサルムの声が大きく響く。
「なんだよ~。もう逃げた後かよー!」
「やっぱ遅かったか~……」
「そんな、馬鹿な……!!」
ガルクスは叫んだ。見捨てられ置いて行かれたのが信じられないのだろう。きょろきょろと館の中に視線をさ迷わせたかと思えば、遂には自分の爪先を見詰め、「ばかな……ばかな……」と、ぶつぶつと呟き続ける。
エドナはその姿を鼻白んで見てから、そっとバルドに耳打ちをした。
「アタシがちぃと、見てきますよ」
「頼む」
エドナが頷いて駆けて行くのを見送ってから、マリールは先程から静かなルルナに視線を向けた。眠いと言っていたから、もう寝てしまったのかもしれない。
と、思えば。ルルナはどこを見ているのか、見ていないのかもわからない感情の抜けた表情で、ただピンと長い耳を立てていた。
「ル、ルルナちゃん……?」
その異様な表情に、一体どうしたのかと不安になったマリールが声を掛ける。するとルルナはすっと腕を持ち上げ、ある方向へと指差した。
「……あっちから、人の声がする」
「声……?」
「――行ってみましょう。獣人の聴覚は我々よりも秀でてるって言うわ」
エルフであるアエラウェも、小耳の尖ったホビット達も聴覚範囲は広い。だが、恐らくルルナはそれ以上だ。
ぶつぶつと呟き続けて動かなくなってしまったガルクスを小突きながらもルルナが指差す方向へと慎重に進めば、一階の海側に面した部屋の、角部屋へと辿り着いた。
けれどやはり、部屋の中を隅々まで探しても誰一人残ってはいない。
「……誰もいない」
「やっぱ聞き間違えじゃない?」
「そうだよ。ガルクスさっきからうっせえしなー」
壊れたようにずっとぶつぶつと何か言葉を口にしているガルクスに、うんざりとした表情でラルムが言い放つ。だが、ルルナは違うと首を横に振って、バルドの肩から、ぴょん、と床に降り立った。それから懸命に長い耳で音を拾い集め、きょろきょろと部屋の中を見回したかと思うと、唐突に床に這いつくばってしまった。
「君、何をして……?」
「しっ」
驚いたイクスがルルナを助け起こそうと手を伸ばせば、アエラウェがその腕にそっと手を添えて留めさせる。それから自分の唇に指を当てて、皆にしゃべらないようにと目配せをした。
ルルナが床に耳を当てたまま移動していくと、部屋の奥角に突き当る。そこにあるのは華美な装飾が施された花器と灯り石の飾り台が置かれたコンソールテーブルで、その下には諄い程に高級そうな赤い絨毯が敷かれていた。
「……っ! この下から聞こえる!!」
ルルナの言葉に、トートがコンソールテーブルをどかして絨毯を捲る。現れたのはやはり、何の変哲もない床石だ。だが、トートがその場所に両の手を当て土魔法で感知してみると、確かにこの部屋の壁の下を通り、壁の向こう側の床に空間が開いているのが分かった。
トートは眉を顰めた。
「――入ってきた地下とは、繋がってないのか?」
「あ……。何かここだけ小さな隙間ありません?」
エレンが指差した石床の一枚に、確かに小さな欠けがあった。エレンが指を入れて引っ掛ける様に持ち上げると、一枚でも重い筈の床石は数枚が板のようにくっついていて、驚くほど軽く持ち上がってしまった。
まさかの秘密の入り口の発見にエレンが固まっていると、その手から蓋となっていた床石を引き取り、バルドが呟く。
「隠し扉か……」
「うっわ。どんだけ地下開発してんだよ」
「悪いことするのは大体地下か海上って、相場が決まってるのよ」
「それって暗殺業の経験則?」
「経験則」
冗談めかしてサルムが聞けば、フレスカが肩を竦めて見せた。




