05. 書類上の夫婦
マリールとバルドのじゃれあいを眺めながら、トートはふと思い当たる事があった。メルクまで薬の情報が届いていない。ならば他の情報はどうなのだろうか。
「……なあ、そういえば実家に送った手紙の返事、来た?」
トートの問いに、ラルムが「はて」と首を傾げる。
「いや、そういや来てないな」
「俺のとこも来てない」
「変、だな」
サルムまで来ていないと言い出したものだから、トートは途端に違和感を覚える。
ホビット族は手紙を書くのが大好きで、トートが実家に一枚手紙を出せば、直ぐに返事を書いて送ってくる。何故か遠い親戚まで返事を書いてくるものだから、その量は毎回ぶ厚い束になる程だ。近況を知らせる手紙を書かずにいると、催促の手紙が次から次へと送られてくるのが常で、長い期間トート達の元へ手紙が届かない事は、今までに無い事だった。
「手紙はいつ出したんだ?」
「ん――。四か月くらい前かな?」
バルドの問いに、ラルムが答える。四か月と聞いて、バルドもアエラウェも僅かに眉間に皺を寄せた。
「あんた達の実家って、ランドールのホビット荘でしょ? うちの実家の近くの」
「ランドールからなら、返信に一月半もかからないな……」
しんと静まり返るギルド内に、マリールはただオロオロするしかない。
なんだかどんどん妙な話になっている気がする。まさか旅の三か国目で早くも躓くことになろうとは思ってもみなかった。これまでの二か国が、あまりに平和でのほほんとしていたものだから。
「私も連絡取ってみるべきなんでしょうけど……。ごめんなさい、無理だわ」
「ああ、無理はしなくて良い。俺の方で実家に連絡してみよう」
「ギルマスの実家って、海渡って隣のザンザ帝国?」
「ああ。今まで出して三週間も掛らず返信が来てたからな。ここ暫く連絡していなかったから丁度いい。マリールの受け入れも頼んでおく」
「他の奴らにも聞いとこうか?」
「いや……」
この冒険者ギルドには、一応ホビット達の他にも常連がいる。但し皆が皆、人目が無い早朝か夜にしかギルドに来ないのだが。
トートに言われ、バルドは考えるように自分の顎を摩りながらマリールに視線をやると、軽く首を振った。
「どこに耳があるか分からない。連絡が来るまで大人しくしていよう。マリールを逃がす方法もそれまでに考える」
「そうね……。それがいいわね」
バルドの意見には、アエラウェも賛成だ。だがホビット達はどこか不安そうな顔でバルドを見上げた。
「……なあ、ギルマス。せめて、この国に居る間だけでも、マリーちゃんの安全確保出来る様にした方がいいんじゃねーかな?」
「勿論、保護はするつもりだ」
「保護するだけじゃ甘いって!」
「そうだよ! うっかり攫われたりしたらさ、他人だと捜索願いの届出も出せないじゃん?」
「……ああ、なるほど」
赤の他人が捜索願いを出せるようでは、反って犯罪を助長してしまう事になる。その辺りのルールは身分証明証のタグと同様に厳しくなっていた。きっとそれでも、隙間を突いて悪用する輩は居るだろうが、縁者であれば手続きもスムーズに行く。
「一時的に養子でも伴侶でも身内になってればさ、いざと言う時には守れるし、堂々と探せる。それにギルマスの身内なら、手も出し辛くなるんじゃない?」
「アエラウェさんでも良いだろうけど、エルフって異種族との縁繋ぎは一族から反対されるんでしょ? それにアエラウェさんの場合、異性が対象外なの知れ渡ってるし……」
「俺等じゃ力も肩書きもないしな……。いざと言うとき守ってやれないからさ」
そう結論付けると、ホビット達は眉を下げ、縋るようにバルドをじっと見上げた。
いつになく殊勝な態度のホビット達に、バルドが思わずという体でたじろげば、アエラウェも少し考えるように頬に手を当てる。
「……そうねぇ。相手に貴族も絡んで居た場合、養子だと妻にって求められて結果、監禁コースだろうし……。どうせバルドはこの先お嫁さん貰える事なんて無いんだし、いいんじゃない? 」
「うぐっ……」
「ひぃぃぃぃぃ! 監禁コースぅ!?」
アエラウェの言うように、バルドはその見た目で、女も子供も寄って来ないどころか泣き叫ばれる始末。故にバルドも結婚を諦めて、継ぐべき家を出たのだ。
書類上の婚姻など屁でもないが、相手がこの子供だ。『異界の迷い子』とはいえ、身体は子供だ。只でさえ人攫いと勘違いされて毎日警備兵に捕まっているのに、これからは小児愛好家のレッテルも貼られてしまう。
諦めたと言いつつも、微かに心の奥底で幸せな結婚生活を夢見ていたバルドは、何か大きなものを飲みこむようにぎゅっと目を瞑った。
「――わかった。マリール、それでいいか?」
「へ……?」
再び開かれた目は覚悟が決まったのか、それともようやく諦めがついたのか。バルドはアエラウェの恐ろしい話に再び震え上がっているマリールを、じっと見つめた。
バルドのお嫁さんにして欲しいと一目見た時から願い、押せ押せで嫁になる気満々だったマリールからしてみれば、棚ボタ的にバルドの嫁の座が手に入ってしまう形だ。だが、バルドは本当にそれで良いのだろうか。こんな事務的に、それも仕方なく嫁に貰ってもらう事に、マリールは不安気な表情でバルドを見上げる。
瞳がゆらゆらと揺れるマリールを安心させるように、バルドは片膝を付き背中を丸めて、マリールに視線を合わせた。
「隣国のザンザ帝国に手紙を出して、返信が来るまで約三週間。俺が形式上の夫となって、保護者になる。――まあ、肩書きに×がついちまうが、無事この国から出て好きな相手と結婚する時は、ちゃんと事情を理解してくれる相手を選べ」
「な?」と、恐らくバルド的には微笑んでいるのだろう、歪に歪む鬼顔を見詰めながら、マリールは小さく、搾り出すように声を出した。
「……私、バルドさんと結婚したい」
「ああ。じゃあいいんだな?」
マリールの言葉にほっとするバルドに、マリールは視線を逸らす事無く首を横に振る。バルドだけを映したマリールの大きな瞳は潤んで光を弾き、バルドも思わず魅入る程に美しかった。バルドがその瞳をじっと見ていると、マリールはくしゃりと顔を歪ませて、叫ぶように訴えた。
「……違うの! バルドさんと本当の夫婦になりたいの! 他の国に行けなくてもいいから、ずっとバルドさんと一緒にいたい……!」
「いや、それは……」
さっき出会ったばかりなのに、この執着は一体何故だろうと、マリール自身も不思議になる。唯、一目見たその瞬間に、この人の側に居たいと、マリールの身体に流れる血潮が叫んだのだ。大きな身体で、小さなマリールに時折怯えている瞳。優しい声。匂いも、痛々しい傷痕も全て。吐息でさえも愛しく感じる。
危険を考えればこの国からは早々に出なくてはならないし、ギルド長をしているバルドはそう簡単にこの国を出られないだろう。この国から逃がそうとしてくれているバルドを困らせているのは分かってはいるが、それでもマリールはバルドを諦めたくなかった。世界に薬術士としての名を轟かせる夢を諦めて、このままこの何だかきな臭い国に留まろうかと思う程に。
この先、マリールを好きになってもらう可能性は、これっぽっちも無いのだろうか。そう考えただけで、みるみると視界が歪み、堰き止めていた涙がとうとうぽろぽろと零れ落ちた。
子供に泣き叫ばれるのには慣れている筈のバルドだが、こんなに静かに泣かれた事は無い。マリールの無く姿に固まって、何も言えなくなってしまったバルドに代わって、アエラウェが唇を開いた。
「……そうねぇ。言わばこの結婚は、貴族の様に書類上だけ。貴族同士の結婚って、殆どが書類上の愛の無いものよ? だけど中には愛を育んで、本当の夫婦になる二人も居る……」
愛ある貴族夫婦なんて吟遊詩人の語る物語の中でしか知らないが。アエラウェは最近観劇で見た、擦違い後にどろっどろの愛憎劇のちにハッピーエンドの貴族恋物語を思い出し、マリールに優しく語り掛けた。
「アエラウェさん……」
アエラウェの言葉に、マリールは、はっと目を見開く。
二人は目を合わせると、意思が通じたかのようにコクリ、と頷き合った。
「目指せ、ロマンス!」
ぐっと拳を握るオネエルフことアエラウェの二頭筋は、男らしくボコリと盛り上がる。どうやら力を入れると男の筋肉を押さえられないらしい。
「目指せ、ハー○クイーン!!」
マリールも負けじと拳を握るが、ぽこりともぷくりとも二頭筋が盛り上がらない。戦闘値10は伊達ではないようだ。
「……晴れ女王?」
「ん?」と首を傾げるアエラウェを達を置きざりに、マリールは決起する。そうしてまるでワンなピースの王にならんばかりに、力いっぱい拳を天へと突き出した。
「バルドさんと本物の夫婦に、私はなる!!」
「その意気よ、マリーちゃん!!」
「ぶはっ……!」
「ぷっ…くくくくっ!!」
「マリーちゃん、がんばれー!!」
釣られたようにアエラウェも拳を一緒に突き上げれば、笑いを堪えてマリールを応援するホビット達。
成り行きとは言え、とんでもない事になったと、バルドは只々深く溜息を吐いた。そんなバルドをじとりと半目で睨み、アエラウェはバルドの鼻先に、美しくも骨ばった長い人差し指を突き立てる。
「……バルド。分かっているとは思うけど、手は出しちゃ駄目よ?」
「出すか!」
「私はいつでもウエルカムですよ! 旦那様!!」
「出さん!!」
「「「ぎゃはははははは!!」」」
翌日、度重なるバルドの叫びとホビット達の爆笑に近隣から苦情が来て、バルドは只管謝罪をする羽目になる。
それにマリールもくっ付いてきて、バルドは今までとは別の意味で、子供を近づけてはいけない人物として街中に知れ渡り、信頼を回復する為に相当な年月がかかる事になるのだった。




