054. ハウノ
「そんな……ウソだろう……?」
バルドは震える手で、ハウノの冷たくなった頬に触れる。血が固まりこびり付いた髪は元の色も判らぬ程で、その身体の前面ばかり執拗に多く付けられた傷は、ハウノが最後まで戦い抜いた事を物語っていた。
傷を確かめる内に、バルドはある事に気付いた。腹から流れる血は、まだ固まっていない。
確かアエラウェは、四日前の早朝に出掛けたと言っていた。カロルクまで一日半、護衛対象にも依るが一泊してからカロルクを出発したとしてメルクに戻って来たならば、もしかしたら間に合うかもしれない。
(――マリールに預かっていた、あの薬なら)
バルドはハウノを磔にしているナイフを引き抜き、地面へと下ろしてやった。だが、薬瓶を取り出そうと鞄に手を掛けたバルドに、突如鳥型の魔物が襲い掛かる。
バルドがイラ立ちを隠さず振り上げた手の甲でその魔物を叩き落すと、魔物は炎に包まれてあっという間に燃え尽きた。空を見上げれば先程まで相手をしていた鳥の魔物がじわじわと集まり、バルドに襲い掛かる隙を狙って旋回している。
この場から獣型の魔物が逃げた途端、鳥型の魔物が集まって来ていた。
「――これか!?」
ハウノの首には、常ならば付けていなかった袋が掛かけられていた。バルドはハウノの首に掛けられている袋の紐を、ぶちりと乱暴に引きちぎる。
百合の花のような強い香りは、この袋から発せられている。恐らくこれが魔物寄せの香だ。
バルドは怒りに任せて香り袋を燃やしてやろうと、手に力を込めた。だが、ここで焼いてしまえば煙が焚かれ、さらに香りが広がってしまうだろう。
危険な物だが持ち帰り、マリールに確認して貰った方が良いかもしれない。そう考えたバルドは、忌々しい魔物寄せの香り袋を匂いが漏れぬように革袋へと入れ、拡張鞄に仕舞った。
これで漸く落ち着いて薬瓶を取り出せる。
バルドの指程しかない小さな瓶に入れられた、赤青黄の飴のように小さな薬の粒。バルドはその赤色だけをひとつ選び、慎重に太い指で摘んだ。
「……頼むぞ、マリール」
バルドは薬を飲ませる為にハウノの鼻を空いた手で摘むと、僅かに硬直が始まっている口を強引に開かせて、薬を摘んだ指ごと喉の奥へと押し込んだ。
確か喉や腹が無くなっていた従者は、助ける事が出来なかった。ハウノは喉も腹も傷は多いが無事だから、きっと助かる筈だ。時間が間に合ってくれさえすれば。
バルドは手を祈りの形に組み、額に当てる。そして教会の教えに出て来る女神でもなく、小さなマリールを思い浮かべ、祈りを捧げた。
「頼む……!!」
バルドが祈ると願いは聞き遂げられたのか、ハウノの指がピクリと動く。そして信じられないものを見るようにバルドが見守る中、ハウノの傷は新旧問わずにみるみると癒えていく。ナイフで磔られていた穴も、見事に塞がっていた。
暫く呆然と眺めていれば、ハウノの瞼がゆっくり開かれて、そのブルーグレーの瞳にバルドの姿が映り込む。数回瞬きしたハウノは、渇いた喉から絞り出すように声を振るわせた。
「……ぐっ……ぬ。――こ、こは……?」
「っハウノ! ハウノ、ハウノ、ハウノ……!!」
バルドは感極まってハウノの名を何度も呼びながら、大きな身体の岩みたいな筋肉で全力でぶつかって行く。そうして生還を果たしたハウノを、思う存分抱き締めた。
ハウノは目覚めるなり受けた熱苦しい抱擁に目を丸くしながら、ばらばらになった記憶の断片を必死で掻き集めていた。何故己がここに居るのかを思い出そうともがく。
(確か俺は指名依頼が入って、カロルクから護衛対象の商人一家とその従者達を連れてメルクに戻った。門付近の森で他の護衛に襲われて、それから――)
ハウノが記憶を辿る様に視線を彷徨わせると、バルドの肩越しに何かが見えた。ぼろ雑巾のようになった塊にこびり付くのは、護衛対象者の着ていた服と同じ色。
「俺は奴に、負けたのか……」
「――ハウノ?」
ハウノはバルドを押し退け立ち上がると、山と積まれた遺骸を漁る。獣に粗方食い尽くされた遺骸は、食いでがある馬から骨となっていた。初夏の暑さで、たった一晩で腐敗が進んでいる。
人の遺骸は七体。商人一家は夫婦と娘に小さな息子、それと祖母。四台の馬車を操縦する従者が四人、メイドが一人。国外へ出るとかで、かなりの荷物を三台の幌馬車に積んでいた。
そして護衛は自分の他にも十六人。たった一日半の距離でも財産とも言える商品を運ぶ際は、豪商であればある程、多くの護衛を雇う。
だがそれでも十六人という数は護衛としては十分過ぎる数で、ハウノはカロルクでその数を知らされるなり断ろうとした。だが、商人に真剣な眼差しで是非にと縋る様に頼まれて、引き受けざるをえなかったのだ。
恐らく商人は疑っていたのだろう。カロルクの冒険者ギルドで薦められた護衛達が、盗賊ではないかと言う事を。そして商人の予想通りに裏切った護衛が一斉にハウノに襲い掛かり、数でも勝てないと判ると商人達を盾にした。
(――それから、そうだ。奴が出てきて無抵抗の俺を甚振るだけ甚振った後に、まるでコレクションを標本するように木に磔た。そして目の前で商人一家と従者達を甚振り始めて……)
起きた事を鮮明に思い出し、ハウノはギリリと拳を握る。せっかく身体中の傷が治ったというのに、食い込んだ爪が新たに傷を作り、ぽたぽたと鮮血を落とす。
「……遺骸の数が合わない。恐らく荷物と共に連れて行かれたのは、商人の妻と娘に小さな息子。残る商人とその祖母、従者とメイドは嬲られ殺された」
その時の凄惨な場面を思い出しているのだろう。助けてやれなかった悔しさが、ハウノを苦悩の表情に染めている。
バルドは辛そうに眉を寄せ、遺骸の山に視線を落としたままのハウノの隣に並び立つ。
「……そうか。うちにも殺されて助かった商人と従者を二人、匿っている」
「――俺の命がまだあるのと、同じ理由か?」
バルトの言葉に、ハウノがぴくりと片眉を上げた。あの時、確かに自分は命を落とした筈だ。殺されて助かったなんて事は、普通なら考えられない。
「……薬売りの子供がメルクに来た。恐らくハウノがカロルクへ向かった前日だ。その子供の薬が、何故かこの国でだけ販売許可が下りなかったそうだ。――この薬がそうだ」
「……飴か?」
バルドが手にしていた小さな瓶には、赤色が一つ、黄色が二つ、青色が五つ。赤一つは先程ハウノに使い、青一つはピピ角牛狩りの際、マリールに使っている。
飴玉にしか見えないそれに、ハウノは意外そうに目を見開いた。この世界で出回っている薬と言えば、瓶に入った液体の、ポーションタイプと言われる物ばかりだ。こんなに小さな薬は見たことも無い。
「色々と効果があるようだが、青いのは傷も軽度の病も治る。それと黄色は欠損修復。赤は蘇生だ。信じられないだろうが……」
バルドも己の目で見るまでは信じていなかった。それどころか薬術士組合で販売許可が貰えず、困り果てて冒険者ギルドへ買取希望に来たマリールを、最初は断ろうとさえしたのだ。
「……いや、確かに俺は死んだんだ。信じるさ。――その子供と、奴が商人を襲っている事と何か関係するのかは判らんが。……それともただの偶然か?」
ハウノも俄かには信じ難い。だが実際死んで蘇っているのだから、信じぬ訳にもいかないだろう。
それに妙な事を口走る老人が居た。メルクからカロルクに行く途中出会った年老いた農夫が、天使が現れて奇跡を起こしたのを見たと、興奮して話し掛けてきたのだ。
その場はボケた老人の戯言かと適当に相槌を打って逃げたが、恐らくあの農夫は、その子供が薬で誰かを救ったのを目撃したのかもしれない。
そして以前から時折あった盗賊の被害が、ここ最近頻度を増している。しかもそれを奴が指揮していたなら、その上にいる何者かの指示があっての事だろう。
奇跡の薬を売る子供と、どう繋がるのか。それとも唯の偶然か。分かっているのは、情報に敏感な商人達が国外へ逃げようとする程の嫌な空気が、メルク周辺に立ち込めている事だけだ。
何やら考え込んでしまったハウノに、バルドが尋ねる。
「奴とは誰だ?」
「居るだろう。図体ばかり無駄にでかくて、いつも重い騎士鎧を身につけて偉そうにしているのが」
「……ガルクスか」
履き捨てるように言うハウノの出した名前に、バルドも嫌そうに眉を顰める。バルドやハウノ等、自分よりも強い者には近付きもしないくせに、弱い者は執拗に甚振るのが好きな嫌な男だ。
今回ガルクス自らが出て来たのも、自分より格上のハウノを甚振れる算段があったからだろう。そして自分が強者だと知らしめる為に磔にした、卑怯な男だ。
「流石に警備兵全部が奴の手下とは思わんが……。襲ってきた盗賊は護衛としてカロルクの冒険者ギルドで薦められたと、商人が言っていた。この国の冒険者ギルドも警備兵も、信用しない方がいい」
ハウノの忠告に、バルドも頷く。
「……これからどうする、ハウノ」
「出国するにも他の街に行くにも、俺は死んだ事になっているからな……。メルクに戻る事も出来ん。さて、どうするか……」
バルドとハウノが頭を悩ませていると、重く暗いこの場所に、明るい子供の声が響いてきた。バルドとハウノは、はっと顔を上げて、声のする方向へと視線を向ける。
「ギルマスー! 大丈夫か~?」
「あれ、ハウノのおっさんじゃん!」
「うわっ、なんだこの遺骸の山……」
「ハウノおじさんだー!」
「「「おじさーん!」」」
待っていろと言った筈のホビット達が、子供達と共に探しに来てしまったようだ。時間が掛かっているから心配になったのだろう。
「おう。ちびども! 元気か?」
ハウノが遺骸の山を見せないように、両手を広げて子供達の元へと駆けて行けば、子供達も嬉しそうにして、わらわらとハウノに飛び付いた。
きっとバルドが同じ事をしても、子供達は泣き叫びながら、わらわらと逃げていくだろう。
子供達から全幅の信頼を受けるハウノに、バルドは羨望の眼差しを送るのだった。




