030. 置いてかないで
地べたに這い蹲って花柄スライムとマリールの追跡をしていたバルド達は、微かに聞こえてくる子供の泣き声に気付く。
「マリール!?」
「マリーちゃん泣いてる……!」
「あっち! ギルマス早く!!」
「マリーちゃーん!!」
その泣き声を耳にするなり、ホビット達は声のする方へと速度を上げ駆けて行った。すばしっこいホビット達の背は、あっという小さくなっていく。
何時もならば見失っていても可笑しくはない速さだ。けれどバルドはマリールの元へ一秒でも早く行かなければと、見失わないように懸命に後を追った。
バルドがやっとホビット達に追いつけば、ホビット達は泣きじゃくるマリールを見つめ、途方に暮れた表情で呆然と立ち尽くしていた。
「……っ置いてかないで……! お願い、置いてかないで……!! 私も……!!」
ボロボロになったマリールが、泣きじゃくりながら倒れている人物に縋っている。
スライムに捕食されたのだろう、その倒れている人物の身体は、腹と喉が溶けて無い。だがスライムが溶かした箇所以外にも、あちこちに深く傷があった。獣の牙や爪で受けた傷ではなく、明らかに剣と鞭で傷付けられた跡だ。何かを押し付けられ焼かれた跡までもある。
バルドはその遺体の損傷を素早く確認すると、マリールの傍にそっと屈み込んだ。
誰かに重ねて見ているのだろうか、マリールは虚ろな目を涙で濡らしながら、頻りに「置いていかないで」と口にしている。
「っマリール!! しっかりしろ!!」
「置いてかないで……行っちゃやだあぁぁ……!!」
「置いてかない!! 置いてかないから!!」
遺体から引き離すようにバルドがマリールを抱え込む。泣いて暴れるマリールを、バルドはその胸に抱きしめ、宥めるように背中を撫でた。
それからマリールの額に自分の額をくっつけて、焦点の合わないマリールの目を見詰めて誓う。
「……置いていかない。何があっても俺はずっとお前の傍に居る。だから安心しろ、マリール。」
バルドの穏やかな声がそう囁けば、マリールの虚ろな瞳には、次第に光が戻り始める。
光を取り戻した翡翠色の瞳は、バルドの金色の瞳をじっと見詰め、それからほっとしたようにへにゃりと笑った。
マリールは安心し切った表情で、その意識を手放した。
「――ギルマス、こっちにも人倒れてる」
「多分マリーちゃんの薬で傷は治ってるけど……どうする?」
「生きてるけど、連れて帰ったら不味いよね……?」
バルドがマリールを抱えたままホビット達の示す方向を見れば、マリールの薬で二人が生き残れたようだった。
助からなかった人物の傷にはホビット達も気付いているのだろう。せっかく助かった二人をどう扱うか考えあぐねていた。
「――なあ、これって……」
トートが「これ」と指差したのは、助かった人物が何かを握りしめている右手だ。
握り締めたまま固く強張ったその手には、バルド達が貰ったものと同じ、マリールが作った獣避けの布玉が握り締められていた。
この三人が何故マリールの獣避けを持っているのかは分からないが、この獣避けのお陰で獣には食い荒らされずに済んだのだろう。
スライムに捕食されてはいたが、捕食がゆっくりなお陰で、二人は運良く助かる事が出来たのだ。
バルドは助からなかった人物の遺体から、その身元を証明するタグを漁った。この人物の所属ギルドに、このタグと共に報告すれば、家族にも死を伝えて貰えるだろう。
その遺体の下の土を、ホビット達が土魔法で凹ませると、バルドはその穴に炎を放ち、遺体を燃やして天へと送った。
遺体を焼く為に凹ませた穴を挟むように、ラルムとサルムがその穴の淵に手を当てた。土魔法で隆起させた石の柱が、合掌合わせの屋根のように、その穴を塞いだ。
ラルムとサルムが、遣り切れない表情でそれを眺める。
「……墓標があればさ、家族が見つけやすいじゃん?」
「死んだら終わりだけど、残された家族にとっては終われないもんな……」
「……優しいよなぁ、お前等」
「トートだって優しいじゃん。花なんかいつの間に摘んで来ちゃってさ」
トートが手にしていた花を墓標の前にそっと手向けると、一筋の風が花を巻き上げ、花びらを散らしながら、空のどこかへと浚って行った。
ホビット達と共に、バルドも暫らくしんみりと遠ざかる花を眺めていたが、腕の中に眠るマリールのボロボロの身体を見れば、そうのんびりしては居られない。
バルドはまだ空を見上げているホビット達に向かい、声を掛けた。
「――まずはマリールに薬を飲ませる。それからその二人はピピ角牛の皮を被せて、俺が担いで降りよう。手伝ってくれ」
「わかった」
「ギルマス。手、血だらけだから、薬飲ませるなら洗わないと」
「俺、水出すよ。苦手だけど」
ホビット達も一応は水を出せるが、せいぜい洗濯や洗物に使える程度だ。だがそれもアエラウェのように澄んだ美味しい水ではなく、飲み水としてはなんとか我慢して飲める程度の味だった。
バルドもそうだ。近くに水があるならわざわざ自分で出そうとは思わない程度に、水魔法が苦手だった。
マリールをそっと地面に寝かせ、サルムが出した水で血を洗い流すと、バルドはマリールから預かっていた薬の小瓶を腰の拡張鞄から取り出した。
酸の火傷はあちこち負っているが、骨も見えていない。恐らく青い薬で大丈夫だろう。
バルドはそう判断して、掌に小瓶を振り中身を出した。その中から青い一粒だけを摘まんで、残りは再び小瓶へと戻す。
薬の粒はバルドの太い指で摘むには小さ過ぎて、摘み難い。貴重な薬だ。落として失くさないようにしなくては。
バルドは眠るマリールの背に手を添えて、上体だけを起こしてやった。それから眠るマリーるの顔を、じっと見詰める。
「――え、口移し?」
「まさかの口移し前にマリーちゃん起きるやつ再び?」
「ギルマスの顔面効果の方が、薬より凄い説が確証されちゃうやつ?」
ホビット達が揃って頬に手を当てて、まるで乙女のようにドキドキとバルドの一挙手一投足を見守る。
だがバルドはホビット達の期待を裏切り、マリールの小さな鼻を摘まんで口を開けさせると、躊躇いも無く太い指で薬を喉奥へと押し込んだ。
意識の無いマリールがちょっと嘔吐く。
「うっわー……ギルマス鬼かよ」
「めちゃくちゃ苦しそうじゃん!」
「あ、でも飲めたみたいだぞ。火傷が消えてく……」
あちこち火傷を負って痛々しかったマリールの身体は、服以外が見事にきれいに治っている。
年頃の女性であればラッキースケベなくらい露出が多くなっているが、マリールなのでホビット達も無反応だ。
バルドはと言うと。
「このままでは風邪を引いてしまうな。何か着せられるものは……」
親の心境でマリールの体調を本気で心配していた。
バルドの印象では、子供は腹を冷やすとすぐに風邪を引く。
孤児院の子供達も夏場暑いからと薄着で腹を冷やし、しょっちゅう風邪を引いて依頼を受けにやって来る。
バルドを怖がるので子供には近付けないが、その度にアエラウェに頼んで自腹で買った低級ポーションを渡してやったりもしていた。
尤も、その低級ポーションは全く効かない詐欺ポーションだったのだが。
バルドは拡張鞄から旅装用のマントを引きずり出して、マリールをぐるぐると厳重に包みこんだ。
しかしこれでは暑苦し過ぎるだろう。
案の定、マリールは眉を顰めて苦しそうに魘され始めてしまった。
「ちょ、ギルマス。マリーちゃん苦しがってる!」
「巻き付けすぎだよ! 掛けるくらいで丁度いいって!」
「あーもう、貸して!」
見兼ねたサルムがマントでマリールを包み直してやると、魘されていたマリールの寝顔も穏やかなものへと変わる。
それを見てバルドもホビット達も胸を撫で下ろしたのだが、ほっとしたせいか、ホビット達の腹が盛大に鳴り出し、主張し始めた。
せっかく朝マリールが作っていた弁当も、マリールでなければ背負い鞄から取り出す事が出来ない。
「……腹減り過ぎて早く帰りたいよ。マリーちゃん起こす訳にもいかないし」
「んじゃ、さっさとピピ角牛の毛皮剥いじゃおうぜ」
「ギルマス、肉出して肉」
ホビット達に急かされて、バルドは拡張鞄に仕舞っていたピピ角牛の輪切りを取り出した。
二人の人間に被せる為に、中でも大きく切られた絨毯ほどの大きい部分を選び出すと、ホビット達は器用にもあっという間に毛皮を剥ぎ取ってしまう。
「もう既に切られてるから、肉と皮の間にナイフを入れて引っ張るだけできれいに剥けちゃうんだよねー」
「一応血は洗い落とした方がいいか?」
「つーかこの人たちマジ起きないな……。助かるけど」
ホビット達は剥ぎ取った毛皮を、未だに意識を取り戻さない二人を包むように被せてやった。
ちょっと生臭かったり獣臭かったりするだろうが、臭さで目が覚めない事を祈るしかない。帰る途中で目覚められたら面倒だ。
それをバルドが軽々と肩に担げば、一見して毛皮の巻き物を担いでいるようにしか見えなかった。
門番に見咎められれば、獲物が大き過ぎて毛皮が拡張鞄に入りきらなかったとでも言えばいい。
仕上げにトートが罠に使っていた鋼蜘蛛の撚り縄で、寝ているマリールを背負い鞄で支えるようにして、バルドの胸に固定した。
「――やべ、俺凄くない? この完成度!」
「すげえ! まじ抱っこ紐じゃん……!!」
「商品化して売ろうぜ! ギルマスに!!」
「……」
トートが仕上げた即席抱っこ紐と肩に担がれた毛皮(二人入り)で、バルドの姿は正に山で猟師をしながら男手ひとつで子育てをしている男寡だった。
嫁はなくとも子供は育つ。頑張ってほしいものである。




