023. 初めては夕日が見える丘がイイ
バルドは今、昨日の度重なるホビット達の爆笑とバルドの叫び声に、早朝から苦情を言いに来た近所の主婦達の前で、地面に正座していた。
そして何故かマリールも、バルドと同じように神妙な表情で、一緒になって正座している。
バルドの膝の上で。
「――んじゃ、その子が暫くバルドの旦那の嫁って事かい。……本当に形式上なんだろうねぇ?」
「あ、ああ」
「新参者の嫁ですが、ご近所の皆さん、どうぞ宜しくお願いします!」
「……本当に、形式上なんだろうねぇ?」
形式上と言い張るバルドに、真の嫁だと主張するマリール。
噛み合わない二人の言葉に、近所の主婦達はひそひそと話しながらバルドに疑いの目を向ける。
見た目のせいで子供に泣かれては毎日捕まっているバルドに同情していたのが、まさか本当に幼児趣味の変態だとは。そう、目が語っていた。
「……本当なんですかね? アエラウェ様」
冒険者ギルドの扉の内側からは、小さな隙間を開けてホビット達とアエラウェが覗いていた。ホビット達は今日も朝から腹筋が捩れまくっているようだ。
それに気付いていた野菜売りの女店主が、扉の向こうのアエラウェに声を掛けた。
アエラウェが仕方なく扉を開ければ、ホビット達も転がるように外へ出て、驚きの俊敏さでバルドの隣に並んで正座し始める。
主婦達の怒りには、ホビット達の爆笑も含まれているからだ。
尤も、エドナにバレなければ、一緒に怒られようとは思いもしなかったが。
「ええ、本当よ。エドナ」
「……そうかい。それじゃ見守るしかないね。――いいね、アンタらも?」
エドナと呼ばれた野菜売りの女店主は、アエラウェの肯定に仕方なさそうに溜息をつき、後ろにいた主婦達に同意を求めた。
それに主婦達も頷くと、バルドに冷たい視線を投げてから、それぞれ自分の家へと戻っていった。
主婦達は皆、野菜の入った籠を片手に抱えている。これから家族の為に朝食の支度をしなくてはならないのだから、のんびりしている暇はない。
自分も帰ろうと背を向けたエドナを、アエラウェが呼び止めた。
「待って、エドナ。お願いがあるの」
「お願い? アエラウェ様のお願いなら、そりゃ喜んで聞きますけどねぇ」
「良かったわ。野菜を売って欲しいのと、……この子について」
「野菜を? こりゃ珍しい。……込み入った話なら、ギルドに持って来ましょうか?」
「ええ、お願い。助かるわ」
「えぇ!? お野菜見たかったのに……」
野菜を直接見て買いたかったマリールは、残念そうに溜息をつく。
そんなマリールに、エドナは面白そうに笑った。
「お嬢ちゃん、野菜が好きなのかい?」
「はい! 新鮮な野菜って甘くて美味しいから大好きです! 野菜は健康にも美容にも良いから欠かせませんしね!!」
「へえ、嬉しいことを。それじゃアタシが今朝採れたての野菜を選りすぐって持ってきてやるから、楽しみにしてな」
「わーい! ありがとうございます!」
その遣り取りを見ていたアエラウェは、ふ、と口元を緩ませる。
エドナはマリールを気に入ったようだ。ならばこれから頼む厄介事も、きっと承諾してくれる事だろう。
直ぐに艶々と輝く美味しそうな野菜を山々と籠に入れて、エドナが冒険者ギルドに戻って来てくれた。会計は勿論バルド持ちだ。
「うわぁ、こんなに沢山……! どれも美味しそう!! あ、これ何ですか?」
エドナが持ってきてくれた野菜籠を見るなり、マリールは大興奮だ。
その中に見慣れない果実を見つけ、摘み上げる。マリールの小さな手の平くらいの大きさの、楕円型の果実だ。柑橘類の実のような上皮は濃い緑色をしている。
「ああ、それ珍しいんだよ。割ってごらん?」
エドナに促されて、マリールは果実を割ろうとするのだが、如何せん、戦闘値10の握力では果実を割ることは出来なかった。
見兼ねたバルドが片手の人差し指と親指で挟み、パキリと折る。すると、割れた断面から小さく粒々とした果肉が溢れ出て来た。
「わ、わわ! これ、『フィンガーライム』ですね!?」
「おや、そんな名前なのかい?」
自分でも知らない果実の名を言い当てたマリールに、エドナは驚いて眉を上げる。
「んーと、詳しくはちょっと違いますが、似た果実を知ってるんです」
まだ『異界の迷い子』だとエドナに知られていないので、マリールは詳しい事は濁しておいた。
実際、マリールの居た世界に存在する『フィンガーライム』とは少し違う。此方の物は皮が厚く、実も大きかった。
思いがけず手に入ったこの『フィンガーライム』で、何を作ろうか。
マリールは嬉しそうにエドナに礼を伝えると、籠を持ってくれたバルドと一緒に、バーカウンターのキッチンへと向かう。
アエラウェはエドナと話があるからと、先に桶二つ分たっぷりと水を出してくれた。
「――それで? お願いとは何でしょう、アエラウェ様」
「飲食組合に、あの子の作るもののレシピ登録をして欲しいの。それと此処で食堂を開く許可を」
「へえ。そりゃ構いませんが、でもなんで商業ギルドの飲食組合に行かずに、アタシに直接?」
「……訳有なのよ。あの子、本当は薬術士なんだけど、目を付けられそうな薬が作れるの」
「薬術士組合ですか……」
話に薬術士組合が出てきて、エドナも嫌そうに顔を顰める。
回復術士に頼れる程の金を持たない病人や、怪我人の弱みに付け込んで、効くか効かないのかも分からない薬を高額で売りつけては儲けている薬術士組合の連中は、商業ギルド長にも領主にも金で擦り寄り、権威を笠に来てやりたい放題だった。
高い金を払い薬を買っても効かず、家族を失った者は多い。
効かなかったと訴える者には、ならば回復術士に頼れば良いと突き放し、それでも食って掛かる者は営業妨害だと警備兵に連れて行かれてしまう。
普段は市民を守ってくれている警備兵だが、薬術士組合に楯突いて連れて行かれてしまった者だけは、何故か悉く無事に帰って来なかった。
「それにあの子、エスティリア共和国から来た『異界の迷い子』なのよ」
「――っ!? それは本当に!? だとしたら、不味いじゃないですか……」
ゴルデア国の国民の誰もが、口には出せないが疑問に思っている事がある。
他国では数年に一度、下手すると同じ年に何人も現れる事もある『異界の迷い子』が、この国だけで現れていないのだ。
その上、この国では人買いや人攫いも平気で横行しているし、特にこのメルク付近ではここ最近、富豪商人が頻繁に盗賊に襲われている。『異界の迷い子』が居ると知れれば、あっという間に攫われてしまうだろう。
「あの子に何かあったら、あの子を『異界の迷い子』として保護しているエスティリア共和国が黙っていないだろうけれど。それでも馬鹿をしてしまう連中だから……」
「はあ……。それでその、『異界の迷い子』が作った薬が凄い代物なんですね?」
「ええ。低ランクの薬で深い傷も跡を残さず治してしまうし、切り落とした腕もくっつくらしいの。ランクが上の薬は、失ってしまった身体の一部を再生させる事も、亡くなって直ぐなら運が良ければ蘇生出来るらしいわ」
「回復術士いらないじゃないですか……」
アエラウェの言葉に、エドナも目を見開き、呆れるように驚いた。
そんな薬の効果はとても信じられない、夢物語だ。だがもしそれが本当ならば、この国どころか教会までもがマリールに目を付けるだろう。
エスティリア共和国から薬を売りながらやって来たのだとすれば、もうとっくに目を付けられているかもしれない。
「それでその薬をね、この国にも売りに来たらしいの。彼女の夢が『世界に名を轟かせる薬術士』なんですって」
「そりゃあ……豪胆な事ですが。この国で売ったら即――待ってくださいよ? まだばれていない?」
「話が早くて助かるわ、エドナ。そう、子供の見た目というだけで、彼女、薬術士組合から追い返されたらしいの」
「……呆れて言葉もない。――それでその薬が、飲食組合でも通用しそうな代物なんですね?」
「ええ。ちょっと待ってね、見せてもらいましょう」
アエラウェはそう言うと席を立ち、朝食を作っているマリールの元へ向かう。
朝食はもうすぐ出来るようだ。焼けた良い香りの腸詰肉とニンニクの香りが、少し前からエドナの元へも届いていた。
バーカウンターからエドナにも聞こえるように、アエラウェが少し大き目に声を掛ける。
「エドナ! 良ければ一緒に朝食をどうかしら、って」
「そりゃ、ありがたいですが…宜しいので?」
「はい! エドナさんの作った美味しい野菜ですから、皆で食べたらもっと美味しくなります!」
エドナが遠慮がちに聞くと、マリールは元気良く応えてくれた。
バルドとホビット達が、出来たての料理や取り皿を、エドナの座るテーブル席へと運んでくる。
白い湯気と食欲をそそるニンニクの香りが立ち上るのは、腸詰肉と玉葱のトマトバジル煮。
それから葉野菜とフィンガーライムに似た果実のサラダには、オオアザミの葉を磨り潰したドレッシングに、紫の花も添えられている。
そして焼き立ての香ばしい匂いがする、小さくて丸いパンが山の様に詰まれた籠。
出された品数は少なかったが、先程エドナが持ってきた野菜が、見事に使われていた。緑のサラダに赤いメインと彩りも良く、食欲をそそる。
ホビット達が早く食べたくてウズウズしているのを、アエラウェが目配せして落ち着かせる。
「へぇ……。こりゃ驚いた。小さいのにやるじゃないか」
「禁断症状が出てないので、味は大丈夫だと思います!」
「なんだい、それ?」
「料理を作っていると、時々新しい味を求めて、変わった食材や調味料の組み合わせを試してみたくなるんです。それで凄く不味いものが出来ちゃって……。あ、ちゃんと責任もって自分で食べてますよ?」
「はは。そりゃ変わってる!」
マリールがエドナと話していると、アエラウェがマリールに耳打ちをする。
「……マリーちゃん。あのスープ出さない?」
「あ。そうですね! また出し忘れてました。朝食にスープは欠かせないですからね~」
マリールもそれに快く頷くと、あの黄色い粉末スープを背負い鞄から取り出して、それぞれのカップに入れた。
「……この粉は?」
「牛さんのお乳で作った玉蜀黍と玉葱のスープを粉末にしたものです。これにお湯を注いで、良く掻き混ぜて飲んでください」
エドナはマリールに言われるがままに、カップに湯を注ぐ。添えられていた木の匙で掻き混ぜれば、粉末はすぐにもったりとした黄色いスープへと変わった。
匙で一口スープを啜ると、濃厚な乳に玉蜀黍と玉葱の甘み、それに何時間もかけて取ったスープストックの塩味が、なんとも上手い具合に合わさっている。それにどこかほっとするような、そんな味だ。
舌で材料を探るように味わってから、エドナは感心したように吐息を零した。
「……うまいね。これが薬で?」
「違うわ。薬はまた別。マリーちゃん、出してくれる?」
「え? いいんですか!?」
「ええ。エドナは大丈夫よ。それに協力して貰うのに、隠すのは無理でしょう?」
「わかりました! これです~」
あれだけ昨日は薬を売っては駄目だと言われていたのに、どうやらエドナにはばらしても大丈夫らしい。
アエラウェに言われてマリールがドンとテーブルに出したのは、例の青・黄・赤の三色の薬瓶だ。
瓶を見るなり、エドナはピクリと片眉を上げた。飴にしか見えないからだろう。
予想通りの反応に、アエラウェはニコリと笑う。
「エドナ。あなた確か、腰と膝を悪くしてたわよね? この薬、試しに飲んでみない?」
「そりゃあ……。ええ、アエラウェ様が言うなら飲みますとも」
エドナは怪しい薬に一瞬躊躇したが、暗に実験台になれと言われたのだと理解して、直ぐに飲むと頷いた。他ならぬアエラウェの頼みなら、断る選択肢は無い。
そんなエドナの覚悟にも気付かずに、マリールは嬉しそうに顔を輝かせる。
「お薬あげても良いんですか!?」
「ええ、お願い。お金なら、この薬が飴として登録されてから私が払うわ。飴の値段じゃあ、割に合わないだろうけど……」
「ぃやったー! エドナさん、この青いのをおひとつどうぞ! 滋養強壮にも効きますよ~」
マリールは自分の薬が人の役に立てると喜んで、青い薬の入った瓶の蓋を開け、エドナに一つ薦めた。
瓶の中に詰められた、青とも緑とも言い難い微妙な色のその飴は、とても食べ物の色とは思えない色だった。
エドナは恐る恐る瓶の中に手を入れて、小さく丸い、飴のような薬をひとつ摘み上げる。
目を細め、見定めるように暫くじっと飴のような薬を睨んでいたが、「女は度胸ー!」と気合を入れて、エドナは一息に飲み込んだ。
いくら小さな飴とは言え、年を取って喉の動きが衰えているのに水なしでは辛い。だが、飴は何とか喉を通ってくれた。
「あ、ごめんなさい! お水で流し込んだ方が良かったかも……」
「いや、大丈……ん?」
先に言えば良かったと申し訳なさそうに眉を寄せるマリールに、エドナは大丈夫だと言いかけ、異変に気付く。
先程まで椅子に座っていても痛かった腰が、スッと消えるように無くなったのだ。
エドナは椅子から立ち上がると、冒険者ギルド内を徐に歩き出す。それから徐々に速度を上げて、仕舞いには全速力で駆け回り始めてしまった。
それはもう、壁も走る勢いで――というか、本当に壁を走り回っている。
突然のエドナの奇行にマリールが口をぽかりと開けて見守っていると、エドナはそのまま階段を一気に駆け上り、二階から大きく飛び降りた。
「……え、わ、ちょ……!?」
中年女性とは言え、二階から飛び降りるなんてことをしたら骨折か捻挫をしてしまう。
だが、マリールの心配を他所に、エドナは曲芸士のように軽やかにくるくると回転して落下の勢いを殺しながら、シュタリと見事に着地した。
とてもお年を召したご婦人の動きではない。
「……!?」
「「「すっげ~! エドナばあさん、現役の時みたいじゃん!!」」」
「ばあさんって言うんじゃないよ! まだおばちゃんだよ!!」
「あらぁ。凄い効果ね」
「また依頼頼めるな……」
マリールが突然のエドナの豹変に度肝を抜かれていると、ホビット達はやんや、やんやとエドナに拍手を送る。
エドナは凄い身体能力を持った、野菜売りのおばちゃんだった。
「――腰の痛みも、昔ドジ踏んで引退する破目になった膝の怪我も完治しちまったよ……。凄いね、この薬は!」
「あ、冒険者さんだったんですね~。どうりで納得の身体能力でゴボフゥッ」
興奮したエドナが、マリールの背中をバンっと少し強く叩く。すると叩かれた背中から受けた衝撃が肺の空気を押し出して、妙な音を作りながらマリールの口から跳び出した。
余りの痛みに息が出来なくなり、マリールはぐらりと前へ倒れ込む。
「え……!? そんな強く叩いたかい??」
「マ、マリール!!」
子供だからと手加減して叩いたつもりだったのだが、自分のせいで倒れてしまったマリールに、エドナは顔を青くした。
バルドが慌ててマリールを助け起こすが、マリールは意識が無いのか、ぐったりとしている。
「大変! マリーちゃん、お薬飲んで!!」
アエラウェは出したままだった薬瓶から青い薬を一粒摘まみ、マリールの口元へと持っていく。
だが、意識が無い者に飴のような薬を飲み込めと言っても無理な話だろう。
「自力で飲むの無理じゃないか!?」
「ギルマス! 口移しで!!」
「アエラウェさん、水! 水!!」
ホビット達に言われる通り、バルドはアエラウェが摘まんでいた青い薬を奪うと、水と共に自分の口に含み、そして――
「……ふおわおあああああ! 初めてのキッスは夕日が見える丘がイイィ!!」
バルドが薬を口移す寸前で、元気にマリールが生還したのだった。
「んぐっ、だ、大丈夫なのか、マリール!?」
「――俺、なんか昨日も似た感じの見た」
「俺も見た」
「マリーちゃんが瀕死になったらさ、ギルマスの顔持ってくればいいんじゃね?」
「何言ってんのよ。首だけ持って歩くなんて嵩張るし邪魔じゃないの」
「……一体どうなってんだい、あの嬢ちゃん」
その日、マリールには自作のとんでもない効果の薬よりも、愛しのバルドの顔どあっぷが一番効くと判明したのだった。




