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7 お姫様と侵入者

 どれほどの時間、海に揉まれていたのか…。

 激しい潮の飛沫と耳元の「カチカチ」という不快な音がリンの意識を引き戻した。


 腕の中を確認すると、そこには、カイルの自信作『清涼纏う空色の甲殻機(クリア・エア・シェル)』が作り出した空気の膜に包まれ、一切濡れていないマリーナの姿があった。


 打ち付けられた体の痛みに堪えながら、小さな体を引き寄せてホッと息を吐く。


「……チッ。役に立ったら立ったで、腹立つな、このカニ」


 忌々しげに舌打ちしたリンに制作者(イカれた研究者)への感謝など微塵もない。ただ不本意だと、悪態をつきながら、マリーナを抱えて岩場へと這い上がった。


 濁った潮の匂いと、低い波の音に支配された空間。

 断崖の直下にぽっかりと口を開けたその薄闇は、海賊の隠れ家となっている巨大な海蝕洞(かいしょくどう)だった。


「……運がいいんだか悪いんだか」


 警戒しながら、気配を消し壁伝いに進んだ先に、横付けされた小舟と、武器を構える海賊たちの姿を認め、苦い顔をする。


 中心には、頑丈な檻に閉じ込められた少年、マリウスがいた。


「お兄様!!!」


 飛び出そうとするマリーナを後ろから羽交い締めにして口を塞ぐ。


「大人しくしろ!」


 マリーナの目が不満げにリンを突き刺すが、リンはそのまま耳元で低く囁く。


「数が多い。今はまだ無理だ」


「なんで?リンの魔法だったら!!」


 マリーナはしっかりとその目に焼き付けていた。『るるなるペン』で、凄まじい攻撃を放つリンの姿を。あの魔法なら数など問題ではないはずだ。


「いいか、良く聞け」


 低い声で、正面を見据えたままリンが静かに告げる。


「俺は魔法は使えない。魔力を持ってるのはガイだ」


 マリーナは困惑する。


 まだ幼い彼女に魔法理論など分かるはずもない。しかし、リンの表情から深刻な空気を読み取り、僅かに首をかしげた。


「え、役立たずってこと?」


「お前ほどじゃねぇけどな!!」


 立場の分かってないクソガキを引き摺るように、一度その場を離れる。


 丁度、死角となる場所に身を潜めると、声を押さえたままマリーナに目を合わせる。


「いいか、必ずガイが来る。それまでに兄ちゃんを確保して、できるだけ時間を稼ぐ」


「ガイ…、ここ、分かるかな?」


「分かる。絶対に来る。だからそこは心配すんな」


 揺るぎ無い強い目に、マリーナは訳もなく。ただ頷いた。きっと、「絶対」来るんだろう。


「でも、リンは役立たずなんでしょ?どうやってお兄様を助けるの?」


「…クソガキめ。いいか、魔法が使えなくたって、運動神経は良いんだよ、俺は」


 思わずマリーナから笑みが溢れる。こんな状況でも偉そうなリンの態度が頼もしい。


「お前の目から見て、兄ちゃんはどうだ、ビビって動けないタイプか?」


「お兄様をバカにしないで。あんなことで怖じ気づいたりしない!」


 噛みつくように反論したマリーナの頭に手を乗せてリンが猫のように目を細める。


「悪くねぇ。兄ちゃん、根性あるじゃねぇか」


 自慢の兄を褒められてマリーナも胸を張る。賊に押し入られた時だって、マリーナを守ってくれた勇敢な兄なのだ。


「そうだ、リボン!マリーナのリボンをリンの右腕に結ぶの。お兄様にはそれでリンが味方だって伝わるから」


 幼い兄妹が考えた二人の合図である。


 利き手に、二人にしか分からない結び方で付けたリボンなら、見て分かるからと、マリウスがマリーナに覚えさせたという。


「でかした!兄ちゃん、最高か!」


 これで、マリウスに自分が味方だと伝える手間が省ける。


 リンは右腕に結ばれたピンクのリボンを、場違いな勲章のように一瞥した。


「いいか、マリーナ。絶対にここから動くなよ。一番難しい仕事だ、出来るな?」


 マリーナは強く頷いた。


「死んでも動かない!」


「ばか、死なねぇよ。いいな、お姫様の仕事はそこでじっとしてることだ、任せたぜ」


 お守りだと『るるなるペン』をマリーナに握らせる。そして不敵に笑ったリンは、低く身を沈めると、影に紛れるように滑り出した。


 重いブーツの音を一切立てず、岩の凹凸を指先で捉えて移動するその姿は、確かに魔法に頼り切った軟弱な魔導師のそれではない。


 右腕のリボンをひらめかせ、リンが海賊達に、獲物を狙う豹のように忍び寄る。その滑らかな動きに、マリーナは思わず魅入ってしまう。


 絶対に見つかるはずの無い自分達の隠れ家。しかも幼い子どもの監視という状況は、完全に海賊達を油断させていた。


 檻の前に陣取った見張りの背後になんなく回り込み、素早く一撃を与え意識を刈り取る。


 音も立てず、その男を打ち捨て、檻の中のマリウスに右手をかざした。


 ピンクのリボンに目を丸くした少年は、悲鳴を上げる代わりに、唇を噛んで小さく頷いた。


「物分かりが良くて助かるぜ。走れるか?」


 靴裏に常に仕込んでいる針を器用に檻の鍵穴に差し込む。カチリと小さな音と共に錠が外れる音がした。


「あの岩場の影だ、分かるか?」


 少年は声を出さず、ただ力強く足元を指した。準備はできている、という意思表示だった。


 リンは背中をポンと叩いて、行けと促した。静かな足音と共に走り出したマリウスはまだ気付かれていない。


 マリーナのいる岩影に、マリウスが滑り込んだのを確認して、リンが薄く笑った。


 ここからが本番だ。


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