番外編⒁❷「十五個に増えた好きなところ――千鶴が自分の言葉で伝える『大好き』」
番外編⒁❷「十五個に増えた好きなところ――千鶴が自分の言葉で伝える『大好き』」
番外編⒁❶から続く、東雲千鶴と一条昴監督の会話。
プロ野球十二球団から注目されるようになった高橋肇について語り合っていた二人ですが、一条監督が職員室を離れる直前、ふと思い出したように千鶴へ一つの質問をします。
以前、一条監督から聞かれた――。
「高橋の好きなところを十個答えてください」
という質問。
しかし甲子園全国制覇、U-18日本代表、世界一という大きな経験を経て、千鶴が知った肇の新しい一面はさらに増えていました。
「増えました?」
その質問に顔を真っ赤にした千鶴の答えは――。
「……五個」
つまり今では、十五個。
そしてその日の夜。
今度は一条監督にではなく、肇本人へ。
千鶴が自分の口から、一つずつ「肇の好きなところ」を伝えていきます。
野球に真っ直ぐなところ。
努力を人に見せようとしないところ。
家族や仲間を大切にするところ。
大きな結果を残しても変わらないところ。
離れていても千鶴を大切にしてくれるところ。
そして十五個目は――二人の未来に関わる大切な理由。
普段は肇の方から甘えることも多い二人ですが、今回は珍しく千鶴の方から気持ちを思い切り伝えます。
学校では決して言えない。
「大好きです」
「愛してます」
という言葉を、二人だけの家で何度も。
プロ野球へ向かって進み始めた肇と、その未来を支えようとする千鶴。
番外編⒁の締めくくりとなる、二人の気持ちを確かめ合う一話です。
放課後の職員室。
一条昴監督と東雲千鶴の会話は、まだ少しだけ続いていた。
一条が野球部のグラウンドへ戻ろうとして、数歩進んだところで――。
「あ、そうだ。東雲先生」
「はい?」
千鶴が振り返る。
一条は何かを思い出したような顔をしていた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「高橋君についてですか?」
「まあ……そうですね」
「何でしょう?」
一条は周囲を確認する。
職員室にはまだ何人かの教師が残っている。
当然、大きな声では話せない。
そこで一条は千鶴の近くまで戻り、声を落とした。
「以前、私が聞いたことを覚えています?」
「以前?」
「高橋の好きなところを十個答えてください、って」
「――っ!」
その瞬間。
千鶴の顔が一気に赤くなった。
「い、一条先生!」
「覚えていましたね」
「何で今それを聞くんですか!」
「いや、ふと思い出しまして」
「ここ職員室ですよ!」
「だから小声です」
「小声でも駄目です!」
一条は笑いを堪える。
千鶴は周囲を見る。
幸い。
他の教師たちは自分の仕事をしていて、二人の会話までは聞こえていないようだった。
千鶴は胸元へ手を置いて、小さく息を吐く。
「……びっくりしました」
「すみません」
「本当に気をつけてください」
「はい」
一条は頷く。
しかし。
質問そのものを取り下げるつもりはないらしい。
「それで?」
「まだ聞くんですか?」
「増えました?」
「…………」
千鶴は黙る。
一条が首を傾げる。
「増えていません?」
「…………増えました」
「やっぱり」
「もう……」
「いくつ?」
千鶴は。
ものすごく恥ずかしそうに。
小さな声で答えた。
「……五個」
一条。
「五個?」
「はい」
「じゃあ今は十五個?」
千鶴の顔がさらに赤くなる。
「……そうなります」
「世界大会へ行っている間に?」
「それだけじゃありません」
「と言うと?」
千鶴は少し考える。
「甲子園も」
「はい」
「U-18の代表候補に選ばれてからも」
「はい」
「十八人に選ばれてからも」
「はい」
「世界大会へ行ってからも」
「はい」
「帰ってきてからも」
千鶴は。
照れながらも微笑んだ。
「少しずつ……増えました」
一条はその表情を見て。
「なるほど」
とだけ答えた。
「何ですか、その反応」
「いや」
「はい?」
「東雲先生、本当に高橋のこと好きなんですね」
「――っ!」
千鶴。
「一条先生!」
「すみません!」
「もう!」
一条は笑いながら謝る。
だが。
千鶴も。
完全には否定しなかった。
むしろ。
小さな声で。
「……好きですよ」
一条が見る。
千鶴は。
今度は逃げなかった。
「大好きです」
そして。
「学校では絶対に言えませんけど」
一条は静かに頷いた。
「卒業まで、あと少しですね」
「はい」
「それまでは?」
「教師と生徒です」
「東雲先生と高橋君」
「はい」
千鶴は少し笑う。
「だから今の話は絶対に秘密ですよ」
「もちろん」
「十五個になったことも」
「高橋本人は知っているんですか?」
千鶴。
「…………」
一条。
「知らない?」
「言ってません」
「それなら」
一条は少し笑った。
「本人に言った方がいいんじゃないですか?」
「十五個全部?」
「はい」
「無理です!」
「どうして?」
「恥ずかしいからです!」
「でも高橋なら喜ぶと思いますよ」
「それは……」
千鶴にも。
容易に想像できた。
絶対に喜ぶ。
おそらく。
何度も聞き返してくる。
そして。
「もう一回言って」
と頼んでくる。
千鶴。
「……考えておきます」
「ぜひ」
「一条先生」
「はい?」
「楽しんでません?」
「少しだけ」
「もう!」
今度こそ。
一条はグラウンドへ戻っていった。
千鶴は自分の席へ戻る。
そして。
仕事を再開しながら。
頭の中で考えてしまう。
――好きなところ、十五個。
以前は十個だった。
それが。
いつの間にか。
十五個になっていた。
◇◇◇
その日の夜。
学校での仕事を終えた千鶴は帰宅していた。
そして。
家には肇もいた。
「千鶴」
「何ですか?」
「今日の一条監督、何か変じゃなかった?」
千鶴の動きが止まる。
「……どうしてですか?」
「練習中、俺の顔見て笑ってた」
「知りません」
「絶対何かある」
「ありません」
「千鶴?」
「ありません」
「目を合わせて」
「嫌です」
「あるじゃん!」
肇が笑う。
千鶴は顔を赤くして、肇から視線を逸らす。
「一条先生……」
「監督が何?」
「余計なことを……」
「何言われたの?」
「秘密です」
「気になる!」
「教えません」
「千鶴!」
「教えません!」
そんなやり取りが。
しばらく続いた。
そして。
二人で夕食を食べ。
片付けも終え。
リビング。
テレビの音だけが静かに響いていた。
肇はソファへ座る。
千鶴も隣へ。
しかし。
千鶴は先ほどから落ち着かない。
肇が気づく。
「千鶴」
「はい」
「やっぱり何かあるでしょ?」
「…………」
「一条監督?」
「……はい」
「何?」
千鶴は。
しばらく黙っていた。
しかし。
職員室で言われた言葉を思い出す。
――本人に言った方がいいんじゃないですか?
千鶴は。
一度。
深呼吸した。
「肇さん」
「うん」
「以前」
「うん?」
「一条先生から、私が質問されたことがあるんです」
「何を?」
千鶴は。
また顔が赤くなる。
「……肇さんの好きなところを十個答えてください、と」
肇。
「えっ?」
数秒。
「何それ!」
「だから言いたくなかったんです!」
「監督そんなこと聞いたの?」
「以前ですよ」
「千鶴、答えたの?」
「……はい」
肇の目が輝く。
「十個?」
「はい」
「聞きたい!」
「嫌です」
「何で!」
「恥ずかしいからです!」
「お願い!」
「嫌です!」
「世界一のお願い!」
「それを便利に使わないでください!」
肇が笑う。
千鶴も。
つられて少し笑った。
そして。
「でも」
「うん?」
千鶴の表情が変わる。
「今日、一条先生から聞かれたんです」
「何て?」
「増えましたか?って」
肇。
「好きなところ?」
「はい」
「増えた?」
千鶴。
「…………」
「千鶴?」
小さく。
「五個」
「え?」
「五個増えました」
肇の動きが止まる。
「じゃあ」
「はい」
「十五個?」
「……はい」
肇は。
明らかに嬉しそうな顔になる。
「聞きたい」
「…………」
「千鶴」
「…………」
「十五個」
「…………」
「お願い」
千鶴は。
しばらく肇を見つめた。
そして。
「分かりました」
「本当?」
「一回だけです」
「うん!」
「途中で笑わないでください」
「笑わない」
「茶化さない」
「茶化さない」
「最後まで黙って聞いてください」
「分かった」
千鶴は。
肇の方へ身体を向けた。
「では……」
「うん」
千鶴は。
一つ目。
「野球に対して、誰より真っ直ぐなところ」
肇は黙って聞く。
「二つ目」
千鶴は指を折る。
「努力を、人に見せようとしないところ」
三つ目。
「家族をとても大切にしているところ」
四つ目。
「真悠さんと眞衣さんのお兄さんとして、二人を大事にしているところ」
五つ目。
「由紀子先輩とお父様への感謝を忘れないところ」
肇の表情が。
少しずつ変わっていく。
最初は嬉しそうだった。
しかし。
千鶴が本当に一つずつ言葉にするにつれて。
真剣に聞くようになった。
「六つ目」
千鶴。
「仲間を大切にできるところ」
「…………」
「甲子園でも、U-18でも、自分一人で勝ったなんて一度も言わなかったでしょう?」
肇は小さく頷く。
「七つ目」
「うん」
「後輩にも偉そうにしないところ」
八つ目。
「ありがとうと、ごめんなさいをちゃんと言えるところ」
九つ目。
「怖い時に、無理に強がらず『怖い』と言えるところ」
肇。
「それも?」
「好きですよ」
「…………」
十個目。
千鶴は。
少し微笑む。
「私の話を、最後までちゃんと聞いてくれるところ」
肇。
「十個」
「以前はここまででした」
「じゃあ」
「ここからが増えた五個です」
肇は。
さらに真剣になる。
十一個目。
「大きな結果を残しても、変わらなかったところ」
「…………」
「甲子園で全国一になっても」
「うん」
「U-18で世界一になっても」
「うん」
「家へ帰ってきたら、いつもの肇さんでした」
肇は少し照れる。
十二個目。
「自分の身体と向き合うようになったところ」
「前は違った?」
「160kmばかり気にしていました」
「……はい」
「でも今は違います」
「うん」
「抑えるための投球を考えられるようになりました」
十三個目。
「自分の夢を、自分の言葉で言えるところ」
千鶴は続ける。
「プロ志望届を出す」
「うん」
「大学ではなくプロへ行く」
「うん」
「怖くても挑戦する」
「うん」
「そういうことを、自分で決められるところが好きです」
十四個目。
千鶴の声が。
少しだけ小さくなる。
「離れていても……私を大切にしてくれたところ」
肇が千鶴を見る。
「世界大会中」
「うん」
「疲れているはずなのに、テレビ電話をしてくれました」
「俺も話したかったから」
「最後まで聞いてください」
「あ、ごめん」
千鶴は笑う。
「毎日、声を聞かせてくれたこと」
「…………」
「会いたいと言ってくれたこと」
「…………」
「帰ったら一番に会いたいと言ってくれたこと」
千鶴は。
少し恥ずかしそうに。
「嬉しかったです」
そして。
十五個目。
千鶴は。
一度言葉を止めた。
肇。
「千鶴?」
「十五個目は」
「うん」
千鶴は。
真っ直ぐ肇を見る。
「未来の話をする時」
「…………」
「そこに私がいることです」
肇の表情が止まった。
「プロへ行って」
「うん」
「高校を卒業して」
「うん」
「その先のことを話す時も」
「うん」
「肇さんは、当たり前みたいに私との未来を考えてくれる」
千鶴の目が。
少し潤む。
「それが」
「…………」
「十五個目」
静かになった。
テレビの音だけが。
小さく聞こえる。
肇は。
しばらく何も言わなかった。
千鶴。
「……何か言ってください」
肇。
「言葉出ない」
「どうして?」
「嬉しすぎる」
千鶴は。
照れながら笑った。
「一回だけですからね」
「もう一回」
「嫌です」
「十五個全部」
「絶対嫌です」
「録音すればよかった」
「駄目です!」
「じゃあ十六個目は?」
「ありません!」
「本当に?」
「今は十五個です!」
肇が笑う。
「じゃあ増える?」
千鶴。
「……知りません」
「増えてほしい」
「肇さん次第です」
「頑張る」
「野球みたいに言わないでください」
二人で笑った。
◇◇◇
その直後。
今日は。
珍しく。
千鶴の方から動いた。
「肇さん」
「ん?」
千鶴は肇を抱き寄せる。
突然だったため。
肇は驚いた。
「千鶴?」
「今日はいいんです」
「何が?」
「世界大会から帰ってきて」
千鶴は。
肇をしっかり抱き締める。
「ちゃんと言えていなかったので」
そして肇の頭を自分の胸元へ抱き寄せるようにして、ぎゅっと包み込んだ。
肇。
「ちょ、千鶴……」
「動かないでください」
「はい」
普段なら。
肇の方から甘えることが多い。
膝枕をお願いするのも。
抱き締めてほしいと言うのも。
肇。
しかし。
今夜だけは。
千鶴からだった。
「肇さん」
「うん」
「愛してます!」
肇が驚く。
家は防音。
周囲を気にする必要はない。
千鶴は。
いつもより大きな声で。
「大好きです!」
肇。
「千鶴?」
「大好き!」
「…………」
「愛してます!」
一度ではない。
「大好きです!」
二度。
「愛してます!」
三度。
「本当に、本当に大好きです!」
何度も。
何度も。
今まで学校では絶対に言えなかった言葉。
職員室では。
教師として。
廊下では。
東雲先生として。
教室では。
高橋君の教師として。
ずっと隠してきた言葉。
だから。
二人しかいない家では。
千鶴は。
全部。
言葉にした。
「肇さん」
「うん」
「大好きです」
「うん」
「愛してます」
「俺も」
「……はい」
肇も千鶴を抱き締め返す。
「俺も大好き」
千鶴の表情が。
柔らかくなる。
「ありがとう」
「十五個もありがとう」
「もう言いませんよ」
「絶対増やす」
「何をですか?」
「好きなところ」
千鶴が笑う。
「では」
「うん?」
「プロでも頑張ってください」
「もちろん」
「怪我をしない」
「はい」
「無理をしすぎない」
「はい」
「身体を大切にする」
「はい」
「一人で抱え込まない」
「はい」
「そして」
千鶴は。
肇の顔を見る。
「夢を叶えてください」
肇。
「叶える」
「プロ野球選手?」
「それも」
千鶴。
「それも?」
肇は。
意味深に笑う。
「次の夢もあるから」
「またそれですか」
「まだ秘密」
「教えてくれないんですね」
「その時が来たら」
千鶴は。
肇の言葉の意味を。
なんとなく感じながら。
それ以上は聞かなかった。
「分かりました」
「待ってて」
「はい」
千鶴は微笑む。
「待っています」
◇◇◇
その夜。
一条昴監督の何気ない質問から始まった。
「高橋の好きなところ、増えました?」
答えは。
五個。
十個だったものが。
十五個になった。
野球に真っ直ぐなところ。
努力家なところ。
家族を大切にするところ。
妹たちを大事にするところ。
両親への感謝を忘れないところ。
仲間を大切にするところ。
後輩にも偉そうにしないところ。
感謝と謝罪を言葉にできるところ。
怖い時に怖いと言えるところ。
千鶴の話を最後まで聞くところ。
大きな結果を残しても変わらないところ。
自分の身体と向き合えるようになったところ。
自分の夢を自分で決められるところ。
離れていても千鶴を大切にするところ。
そして。
未来を語る時。
そこに千鶴がいること。
十五個。
けれど。
これが最後とは限らない。
高校卒業。
プロ野球。
そして。
肇がまだ千鶴には明かしていない。
その次の夢。
二人の時間が続いていく限り。
千鶴が好きになる「高橋肇の好きなところ」は。
これからも。
十六個。
十七個。
十八個と――。
少しずつ。
増えていくのかもしれなかった。
番外編⒁❷「十五個に増えた好きなところ――千鶴が自分の言葉で伝える『大好き』」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これにて――番外編⒁、完結です。
❶では、一条昴監督と千鶴が職員室で肇について語り合いました。
そして❷では、その会話から少し違った方向へ。
以前は十個だった「千鶴が好きな肇のところ」。
それが今では――十五個。
甲子園全国制覇やU-18世界一という「結果」が増えたから好きになったのではありません。
大きな結果を残しても態度が変わらなかったこと。
仲間への感謝を忘れなかったこと。
160kmという数字だけにこだわらず、自分の身体や投球と向き合えるようになったこと。
怖い時には「怖い」と素直に言えること。
そして、離れていても千鶴を大切にしてくれたこと。
世界大会を経験したからこそ千鶴が改めて気づいた、肇の内面的な部分が新しい五個へとつながりました。
中でも十五個目。
「未来の話をする時、そこに私がいること」
これは今後の二人にとって、とても大切な言葉になっていきます。
肇が目指しているのは、プロ野球選手になることだけではありません。
以前から千鶴へ伝えている――。
「次の夢も叶える」
その「次の夢」が何なのか、千鶴はまだ本人から正式には聞いていません。
ですが、高校卒業後に待っている二人の未来を、少しずつ感じ始めています。
そして今回は珍しく、千鶴から肇へ積極的に愛情を伝えました。
学校では東雲先生と高橋君。
教師と生徒。
周囲には絶対に明かせない関係です。
だからこそ、二人きりになれる場所では、
「大好きです」
「愛してます」
と、普段学校では絶対に言えない言葉を何度も伝える。
そんな千鶴の姿を描きました。
十五個になった好きなところ。
しかし、それが最終的な数とは限りません。
十六個。
十七個。
そして、その先へ。
肇と千鶴が一緒に過ごす時間が増えるほど、千鶴が見つける「好きなところ」も増えていくことでしょう。
そして物語は、本編へ戻ります。
次回――。
第42話「160kmと70本塁打――スカウトが見たい本当の高橋肇」
十二球団が知りたいのは、甲子園やU-18で残した華々しい記録だけではありません。
走力。
守備力。
遠投。
フィールディング。
牽制。
ベースランニング。
木製バットへの適応。
練習態度。
性格。
仲間や後輩との関係。
プロ野球選手として長く成長していける人間なのか――。
高橋肇という一人の高校生を、プロのスカウトたちがさらに細かく見始めます。




