第42話「160kmと70本塁打――スカウトが見たい本当の高橋肇」
第42話「160kmと70本塁打――スカウトが見たい本当の高橋肇」
甲子園全国制覇。
U-18日本代表として世界一。
最速160km。
高校通算70本塁打。
甲子園決勝でのサイクルヒット。
そしてU-18世界大会決勝では、日本代表で唯一となる二本の本塁打。
数字と実績だけを並べれば、高校球界でも屈指のドラフト候補となった高橋肇。
しかし、プロ野球十二球団のスカウトたちが本当に見たいものは、それだけではありません。
今回チェックされるのは――。
走力。
ベースランニング。
遠投。
守備。
投手としてのフィールディング。
牽制。
木製バットへの対応。
そして練習中の態度や、仲間・後輩との接し方。
「160kmを投げられる」
「70本塁打を打っている」
それだけでは、プロで長く活躍できる保証にはなりません。
さらに今回は、主将・鈴木和誠や三年間バッテリーを組んできた前薗晃大にも、スカウトたちから質問が飛びます。
仲間から見た「普段の高橋肇」とは、どんな選手なのか。
そして練習終了後。
一条昴監督から肇へ伝えられる、プロへ進むために最も大切なこと。
十二球団が見つめる中、高橋肇という一人の高校生の「本当の評価」が始まります。
翌朝。
富山第二高等学校の野球部グラウンドには、まだ朝の涼しい空気が残っていた。
「おはようございます!」
「おはよう!」
朝練へ向かう野球部員たちの声が響く。
高橋肇もユニフォーム姿でグラウンドへ入ると、いつものように帽子を取って深く頭を下げた。
「お願いします!」
甲子園全国制覇。
U-18日本代表。
世界一。
最速160km。
高校通算70本塁打。
これだけの実績を持って帰ってきても、肇の日常は変わらない。
グラウンドへ入る時は挨拶。
道具を運ぶ。
仲間とアップをする。
後輩が困っていれば手伝う。
練習が終われば、自分が使った場所を整備する。
一条昴監督は、その姿を少し離れた場所から見ていた。
そして今日も――。
バックネット裏には、見慣れない大人たちがいた。
プロ野球球団のスカウト。
昨日とは別の顔もある。
一度視察へ来た球団から、別の担当者が来ているケースもあった。
「高橋」
「はい!」
一条が呼ぶ。
「今日はブルペンだけじゃないぞ」
「分かっています」
「本当に分かってるか?」
「身体能力も見るって昨日聞きました」
「そうだ」
一条は肇を見る。
「今日は、お前の野球選手としての総合力を見る」
「総合力……」
「球速だけなら、もう160kmを出した記録がある」
「はい」
「本塁打も70本打っている」
「はい」
「だから今日は、それ以外だ」
肇はバックネット裏を見る。
スカウトたちは、すでに手元の資料を確認していた。
「緊張するな……」
その横から。
「昨日も同じこと言ってたぞ」
前薗晃大だった。
「だって見られすぎなんだよ」
「甲子園で何万人に見られたんだ?」
「それとこれとは違う」
主将の鈴木和誠も近づいてくる。
「高橋」
「何?」
「変に良く見せようとするなよ」
「分かってる」
「いつも通りやれ」
その言葉に。
肇は少し笑った。
「監督と同じこと言うなよ」
鈴木も笑う。
「主将だからな」
「はいはい」
一条の笛が鳴った。
「集合!」
「はい!」
練習が始まった。
◇◇◇
スカウトが最初に見ていたのは――。
走る肇だった。
短距離走。
ダッシュ。
ベースランニング。
単純な50メートル走だけではない。
一塁到達までの時間。
スタート時の反応。
加速。
走塁時の身体の使い方。
ベースを回る技術。
一条が指示を出す。
「高橋! 一本目!」
「はい!」
肇が構える。
合図。
一気に走り出した。
「速い」
スカウトの一人がストップウォッチを見る。
隣のスカウトも。
同じように計測している。
肇が走り抜ける。
「もう一本!」
「はい!」
二本目。
今度は一塁まで。
バットを振る動作からスタート。
肇が走る。
一塁ベースを駆け抜ける。
「身体が大きい割に動けるな」
「投手として見るとかなり高い運動能力ですね」
「野手としても十分」
スカウトたちは。
球速を測っていない。
ホームランも見ていない。
それでも。
ペンは動き続ける。
続いて。
一塁から三塁。
打球を想定する。
「スタート!」
肇が走る。
二塁を蹴る。
身体を傾けながら。
三塁へ。
「ストップ!」
肇が止まる。
一条。
「高橋!」
「はい!」
「今の二塁の回り方、少し膨らんだぞ!」
「はい!」
「もう一回!」
「はい!」
スカウトの一人が笑った。
「世界一になっても普通に怒られるんですね」
隣のスカウトも笑う。
「高校生ですから」
もう一度。
今度は。
より小さく二塁を回る。
三塁へ。
一条。
「今の方がいい!」
「はい!」
肇は。
一度注意されれば。
次で修正する。
それも。
スカウトたちは見ていた。
「修正力」
一人が小さく呟き。
資料へ書き込んだ。
◇◇◇
次は。
遠投。
「前薗!」
「はい!」
「高橋と組め!」
「はい!」
肇と前薗が距離を取る。
徐々に。
遠くなる。
前薗が投げる。
肇が捕る。
肇が投げ返す。
ボールは。
ほとんど失速することなく前薗へ届く。
スカウト。
「肩は言うまでもないですね」
「160km投げる投手ですから」
「ただ」
別のスカウトが言う。
「投手の肩と野手の送球は別ですよ」
「確かに」
肇は。
さらに距離を取る。
投げる。
ボールが。
一直線に近い軌道で飛んでいく。
前薗。
「ナイスボール!」
肇。
「まだいける?」
「俺が嫌だ!」
「何でだよ!」
「お前の遠投に付き合ったら肩なくなるわ!」
周囲の部員が笑う。
肇も笑った。
スカウトたちも。
その様子を見ている。
「前薗君とは仲がいいですね」
一条。
「三年間バッテリーを組んでいますから」
「前薗君もU-18でしたね」
「はい」
「彼もドラフト候補でしょう?」
「本人がどういう進路を選ぶかも含め、これからです」
一条はそれ以上言わなかった。
今は。
肇だけではない。
高校三年生たちにとって。
進路を決める大切な時期だった。
◇◇◇
続いて。
守備。
肇は一塁へ入った。
ノック。
「高橋!」
「はい!」
打球。
正面。
捕球。
一塁。
次。
右方向。
肇が動く。
捕る。
ベースカバーへ入った投手役へトス。
次。
強い打球。
肇が身体を低くする。
捕球。
「よし!」
一条が声を出す。
今度は。
バント処理。
投手としてのフィールディングだ。
肇がマウンドへ。
一塁側へ転がるバント。
肇がマウンドを降りる。
素早く捕る。
一塁へ。
アウト。
次は。
三塁側。
肇が走る。
捕球。
身体を反転。
一塁へ。
スカウト。
「速いですね」
「投げ終わった後の動きも悪くない」
「投手専門で考えても守備力は重要です」
続いて。
一塁牽制。
肇がセットポジション。
走者役。
一塁。
肇は。
一度見る。
投げない。
もう一度。
走者を見る。
そして。
素早くターン。
「アウト!」
一塁手のミットへ。
走者役の後輩。
「速っ!」
肇。
「ごめん!」
「何で謝るんですか!」
周囲から笑い声。
もう一度。
今度は。
足を上げてから。
牽制。
さらに。
二塁牽制。
スカウトたちは。
球速表示を一度も見ていない。
しかし。
高橋肇という選手について。
昨日以上に多くの情報を集めていた。
◇◇◇
昼。
午前中の練習を終え。
肇たちは休憩へ入る。
「疲れた……」
肇がベンチへ座る。
前薗が隣へ。
「世界一が疲れてる」
「世界一でも疲れるわ」
「スカウトめっちゃ見てるぞ」
「知ってる」
「走ってる時も」
「うん」
「守備も」
「うん」
「牽制も」
「うん」
「お前が水飲んでる時も」
肇が止まる。
「嘘だろ?」
前薗が笑う。
「知らん」
「おい!」
そこへ。
一年生部員が空になったボトルを運んでいた。
かなりの本数。
肇は。
自然に立ち上がる。
「半分持つよ」
「えっ?」
「それ重いだろ」
「だ、大丈夫です!」
「いいから」
肇が半分を持つ。
「ありがとうございます!」
「これどこ?」
「倉庫前です」
「分かった」
前薗は。
その姿を見ながら。
バックネット裏を見る。
やはり。
スカウトが見ている。
前薗。
「高橋」
「何?」
「それも見られてるぞ」
「何が?」
「今の」
肇。
「……もう何しても見られるじゃん」
「そういうこと」
「嫌だなあ」
「普通にしてればいいだろ」
「普通にしてるよ」
「なら問題ない」
肇は。
少し考えて。
「そうだな」
そして。
後輩と一緒にボトルを運んでいった。
◇◇◇
午後。
今度は。
打撃。
木製バット。
スカウトが見たい重要項目の一つだった。
金属バットで高校通算70本塁打。
しかし。
プロでは木製バットを使う。
金属なら多少詰まっても飛ぶ。
木製では。
そうはいかない。
「高橋」
一条が言う。
「今日は飛ばそうとするな」
「はい」
「ホームラン競争じゃない」
「分かってます」
「芯で捉えろ」
「はい!」
打撃投手。
第一球。
肇。
見送る。
第二球。
カンッ!
センター前。
第三球。
カキン!
右方向。
第四球。
内角。
肇は詰まりながらも。
左前へ落とす。
スカウト。
「今のいいですね」
「ホームランより?」
「こういう打球の方が見たい」
第五球。
外角。
肇は。
無理に引っ張らない。
逆方向。
鋭い打球。
左中間。
一条。
「よし!」
第六球。
変化球。
空振り。
肇。
「くそっ」
第七球。
また変化球。
今度は。
しっかり待つ。
カキィン!
センター。
スカウト。
「修正した」
「一球前の空振りからですね」
「タイミングを変えた」
第八球。
低め。
見送る。
第九球。
高め。
ファウル。
第十球。
真ん中。
カキィィィン!
打球。
ライト方向。
フェンス。
越えた。
部員たち。
「おお!」
肇は。
特に喜ばない。
次の球を待つ。
スカウト。
「ホームラン打っても反応しない」
「フリーですからね」
「本人も分かってるんでしょう」
さらに。
センター。
ライト。
レフト。
打ち分ける。
一条は。
途中で止めた。
「高橋!」
「はい!」
「今度は走者一塁を想定!」
「はい!」
「右方向を意識しろ!」
「はい!」
打球。
一、二塁間。
一条。
「よし!」
次。
「走者三塁! 一死!」
肇。
「はい!」
犠牲フライを想定。
外野へ。
十分な飛距離。
スカウト。
「チーム打撃もできますね」
「四番だからと全部ホームラン狙いではない」
「高校通算70本という数字だけ見ると長距離砲の印象が強いですが」
「実際は違いますね」
肇は。
最後の一球まで。
一条から与えられた状況を意識して打った。
◇◇◇
そして。
走塁。
今度は。
実戦形式。
一塁走者。
肇。
投手役。
前薗が捕手。
一条。
「高橋!」
「はい!」
「盗塁してもいいぞ!」
肇。
「え?」
前薗。
「来いよ」
「何で嬉しそうなんだよ」
「刺すから」
「絶対走る」
「来い」
投手。
セット。
肇。
リード。
一歩。
二歩。
前薗。
「大きいぞ!」
肇。
「うるさい!」
投手が投げる。
肇。
スタート。
前薗が二塁へ送球。
クロスプレー。
「セーフ!」
肇。
「よし!」
前薗。
「今のセーフか?」
審判役の部員。
「セーフです!」
前薗。
「もう一回!」
一条。
「試合じゃないんだから喧嘩するな!」
部員たちが笑う。
スカウトも。
少し笑っていた。
しかし。
時計はしっかり確認している。
「初速がいい」
「盗塁専門というタイプではないでしょうけど」
「走れる長距離打者ですね」
「二刀流以前に、野手として面白い」
別のスカウトが。
その言葉に反応する。
「私は投手だと思いますけどね」
「160km?」
「それだけじゃない」
「では?」
「身体の使い方です」
「私は打者」
「理由は?」
「木製であれだけ広角に打てる高校生は魅力があります」
「二刀流は?」
三人。
少し黙る。
「……難しいですね」
これこそ。
高橋肇という選手を評価する上で。
最大の問題だった。
◇◇◇
練習終了後。
スカウトたちは。
すぐには帰らなかった。
一条監督へ。
質問が続いた。
「監督」
「はい」
「高橋君は、普段からあんな感じですか?」
「どの部分でしょう?」
「後輩との接し方です」
一条はグラウンドを見る。
肇は。
一年生と一緒にボールを集めている。
「はい」
「世界一になった後も?」
「変わっていません」
「怒ることは?」
「ありますよ」
「どんな時に?」
「自分が打てなかった時」
「他人には?」
「基本的に自分へ向くタイプですね」
「負けず嫌い?」
一条は笑う。
「相当です」
「練習を休みたがらない?」
「むしろ休ませるのが大変です」
スカウトたちが笑う。
「やはり」
「ただ」
一条の表情が真剣になる。
「そこはプロへ行くなら変えなければならないと思っています」
「身体管理?」
「はい」
「本人も理解し始めていますか?」
「U-18でかなり」
「世界大会は大きかった?」
「大きかったと思います」
別のスカウト。
「チーム内で孤立するようなことは?」
「ありません」
「甲子園で注目されてからも?」
「ありません」
「メディア対応は?」
「まだ高校生です。そこはこれからでしょう」
「勉強面は?」
「学校生活に支障が出るような問題はありません」
「遅刻や無断欠席?」
「ありません」
「挨拶?」
一条が笑う。
「聞く必要あります?」
ちょうど。
遠くから。
「お疲れさまでした!」
肇の大きな声。
スカウトも笑う。
「ないですね」
◇◇◇
しかし。
スカウトの調査は。
一条監督だけでは終わらなかった。
「鈴木君」
主将。
鈴木和誠。
「はい」
「高橋君について聞いてもいい?」
「はい」
「チームメイトから見て、どんな選手?」
鈴木は。
少し考える。
「野球馬鹿です」
一条。
「おい」
スカウトが笑う。
鈴木も笑う。
「いい意味です」
「具体的には?」
「練習が好きです」
「ストイック?」
「はい。でも」
「でも?」
「普通にふざけますよ」
「そうなんだ」
「前薗とはしょっちゅう言い合ってます」
少し離れた場所。
前薗。
「聞こえてるぞ!」
肇。
「前薗のせいだろ!」
前薗。
「お前だ!」
鈴木。
「……あんな感じです」
スカウトたちは笑う。
「チーム内で特別扱い?」
「ないです」
「甲子園の後も?」
「ないですね」
「U-18世界一の後も?」
「昨日も一年生と球拾いしてました」
「主将として高橋君をどう評価する?」
鈴木は。
少し真剣になる。
「頼りになります」
「どういうところ?」
「絶対に諦めないところです」
「…………」
「負けていても」
鈴木は続ける。
「高橋がマウンドにいると、まだいけるって思える」
「打席でも?」
「はい」
「甲子園では?」
「何回も助けられました」
「世界大会を見て?」
鈴木は笑う。
「やっぱり高橋だなって」
◇◇◇
次は。
前薗。
「前薗君」
「はい」
「三年間バッテリーを組んで、一番変わったところは?」
前薗は。
即答した。
「球速を気にしなくなったことです」
スカウトの表情が変わる。
「詳しく聞かせて」
「昔は」
前薗が肇を見る。
「速い球投げたら喜んでました」
肇。
「今も嬉しいよ!」
前薗。
「黙ってろ!」
スカウトが笑う。
「続けて」
「160出たら、やっぱり嬉しいと思います」
「はい」
「でも今は」
前薗。
「140km台でも、打者を抑えればいいって考えるようになりました」
「U-18から?」
「かなり変わりました」
「捕手としては?」
「楽です」
「どうして?」
「配球の幅が増えるからです」
「高橋君はサインに首を振る?」
「振ります」
「多い?」
「たまに」
「揉める?」
前薗。
「しょっちゅうです」
肇。
「嘘つけ!」
前薗。
「お前この前スライダー嫌だって首振っただろ!」
肇。
「あれはストレート投げたかったから!」
「ほら!」
また笑い。
しかし。
スカウトは。
そこからも情報を得ていた。
捕手任せではない。
自分で考える。
意思を持つ。
それでも。
最終的には捕手と話し合える。
◇◇◇
夕方。
ほとんどのスカウトが帰った後。
一人のスカウトが。
グラウンドを見ながら言った。
「160km」
隣のスカウト。
「はい」
「70本塁打」
「はい」
「甲子園優勝」
「はい」
「サイクル安打」
「はい」
「U-18世界一」
「はい」
「決勝二本塁打」
「すごい経歴ですね」
「でも」
「はい?」
最初のスカウトは。
グラウンドを見る。
肇が。
後輩と一緒に。
トンボをかけている。
「今日一日見て」
「はい」
「一番印象に残ったの、そこかもしれません」
「トンボ?」
「違います」
「では?」
「普通なんですよ」
「…………」
「世界一になった高校生が」
「はい」
「普通に監督に怒られて」
「はい」
「仲間と笑って」
「はい」
「後輩を手伝って」
「はい」
「自分でグラウンド整備して帰る」
隣のスカウトも。
静かに頷く。
「プロへ入ったら」
「はい」
「160kmでも打たれる」
「70本打った高校生でも打てなくなる」
「そうですね」
「その時」
スカウトは。
肇を見る。
「また一からやれる選手かどうか」
「…………」
「私は、そこを見たい」
◇◇◇
夕暮れ。
練習終了。
肇は。
一人でベンチへ座っていた。
そこへ。
一条が来る。
「疲れたか?」
「疲れました」
「走って、投げて、守って、打って」
「全部やりました」
「どうだった?」
肇は。
少し考える。
「昨日より緊張しました」
「何で?」
「160km投げろって言われた方が楽かもしれません」
一条は笑う。
「そうか?」
「だって」
肇は指を折る。
「走塁」
「うん」
「遠投」
「うん」
「一塁守備」
「うん」
「バント処理」
「うん」
「牽制」
「うん」
「木製バット」
「うん」
「最後には鈴木と前薗に俺のこと聞いてるし」
「全部評価だからな」
肇。
「監督」
「何だ?」
「プロって」
「うん」
「本当に全部見るんですね」
一条。
「見るよ」
「球速だけじゃない」
「当たり前だ」
「ホームランだけでもない」
「当たり前だ」
肇は。
自分の手を見る。
「じゃあ」
「うん?」
「俺は何を伸ばせばいいんですか?」
一条は。
すぐには答えなかった。
「全部だ」
肇。
「全部?」
「投手なら」
一条は言う。
「球速だけじゃない」
「はい」
「制球」
「はい」
「変化球」
「はい」
「フィールディング」
「はい」
「牽制」
「はい」
「身体管理」
「はい」
「打者なら」
「はい」
「長打力」
「はい」
「ミート」
「はい」
「選球眼」
「はい」
「走塁」
「はい」
「守備」
「はい」
そして。
一条は。
肇の胸を軽く叩いた。
「最後はここだ」
「ここ?」
「人間として成長しろ」
肇。
「…………」
「プロへ行けば」
「はい」
「今まで経験したことのない失敗をする」
「はい」
「二軍に落ちるかもしれない」
「はい」
「打てなくなるかもしれない」
「はい」
「球速が出なくなる時もあるかもしれない」
「はい」
「怪我する可能性だってある」
肇は。
黙って聞く。
「その時に」
一条。
「160kmも70本塁打も、お前を助けてはくれない」
「…………」
「また練習できるか」
「はい」
「人の話を聞けるか」
「はい」
「自分を変えられるか」
「はい」
「そこがプロで長くやれるかどうかだ」
肇は。
ゆっくり頷いた。
「分かりました」
「高橋」
「はい」
「今日のスカウトは」
「はい」
「お前の数字を確認しに来たんじゃない」
「…………」
「高橋肇という野球選手が」
一条は言った。
「どんな人間なのかを見に来たんだ」
肇は。
しばらく黙っていた。
そして。
「だったら」
「うん?」
「これからも普通にやります」
一条が笑う。
「それでいい」
「変に良く見せても意味ないですよね」
「そういうことだ」
肇は立ち上がる。
「ありがとうございました!」
「おう」
そして。
グラウンドを出る前。
いつものように振り返る。
帽子を取る。
「ありがとうございました!」
深く。
頭を下げる。
その姿を。
まだ一人だけ残っていたスカウトが。
遠くから見ていた。
手元の評価表。
投球。
最高球速。
変化球。
制球。
打撃。
長打力。
木製バット対応。
走力。
守備。
肩。
フィールディング。
牽制。
身体能力。
そして。
最後の欄。
「人物・将来性」。
スカウトは。
そこへ。
ゆっくり書き込んだ。
――極めて高い。
だが。
十二球団が。
同じ結論へ辿り着いたわけではない。
160kmを投げる右腕として欲しい球団。
70本塁打を放った長距離打者として欲しい球団。
そして。
その両方を捨てず。
二刀流として育てたい球団。
高橋肇をどう育てるべきなのか。
その議論は。
各球団の内部で。
本格的に始まろうとしていた。
そして次に。
一条昴監督のもとへ届くことになるのは――。
十二球団それぞれの。
まったく異なる「高橋肇の未来」だった。
第42話「160kmと70本塁打――スカウトが見たい本当の高橋肇」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、これまでとは少し違う「高橋肇の凄さ」を描きました。
160km。
高校通算70本塁打。
もちろん、この二つはドラフト候補として非常に大きな武器です。
しかし今回、スカウトたちは肇に160kmを要求したわけでも、何本もホームランを打つことを要求したわけでもありません。
見ていたのは――野球選手としての総合力。
走ればストップウォッチが動く。
守れば送球や捕球を確認される。
マウンドではバント処理や牽制まで見られる。
木製バットを持てば、ホームランだけではなく逆方向への打撃や状況に応じたチームバッティングまで評価される。
さらには、練習中の何気ない行動まで。
一年生が運んでいた荷物を自然に手伝う。
後輩と一緒に球を拾う。
仲間と冗談を言い合う。
監督から注意されれば次のプレーで修正する。
世界一になった後も、これまでと同じようにグラウンド整備をして帰る。
そうした姿も、プロのスカウトは見逃していませんでした。
そして今回は、鈴木和誠と前薗晃大から見た肇についても語られました。
鈴木から見た肇は――。
「負けていても、高橋がマウンドにいると、まだいけると思える選手」
前薗から見た最大の変化は――。
「球速を気にしなくなったこと」
以前なら160kmという数字そのものを意識していた肇。
しかしU-18を経験した現在は、140km台でも150km台でも、打者を抑えるために必要なら使う。
速球。
スライダー。
カーブ。
シュート。
制球。
緩急。
投手・高橋肇は、単なる「速い球を投げる高校生」から変わり始めています。
そして最後に一条監督が伝えた言葉。
プロへ進めば、160kmでも打たれるかもしれない。
高校通算70本塁打の打者でも、まったく打てなくなる時期が来るかもしれない。
怪我や不調もある。
そんな時に必要なのは、過去の数字ではありません。
もう一度練習できること。
人の話を聞けること。
自分自身を変えられること。
だから一条監督が肇へ求めたのは――。
「人間として成長しろ」
ということでした。
そして、十二球団の評価は少しずつ分かれ始めます。
160km右腕として育てたい。
70本塁打の長距離打者として育てたい。
それとも――二つの才能を残したまま、二刀流として挑戦させたい。
同じ高橋肇を見ていても、十二球団が描く未来は同じではありません。
次回――。
第43話「十二球団の評価――投手か、打者か、それとも二刀流か」
十二球団それぞれのスカウト会議や評価が、より具体的になっていきます。
「投手一本で育てたい」
「野手として将来の主軸にしたい」
「今の段階で、どちらかを捨てさせるべきではない」
そして一条監督にも、それぞれの球団から高橋肇についてさらに踏み込んだ質問が。
プロ野球十二球団は――高橋肇の未来をどう見ているのか。
ドラフト一位候補を巡る動きが、さらに大きくなっていきます。




