第37話「世界の強打者――160kmだけでは越えられない壁」
第37話「世界の強打者――160kmだけでは越えられない壁」
U-18日本代表は国際大会初戦を7対2で勝利。
高橋肇も日本代表として初めて先発マウンドへ上がり、五回無失点、七奪三振。
さらに打者としても二点タイムリーツーベースを放ち、投打で世界大会デビューを飾りました。
しかし――。
肇の頭に最も強く残ったのは、成功した場面ではありません。
初回。
153kmのストレートを世界の打者に完璧に捉えられた、あの一球。
甲子園では大きな武器となった150km台のストレート。
最速160kmを誇る肇にとって、速球は間違いなく最大級の武器です。
それでも世界には――その速球へ普通に対応してくる同世代の強打者がいます。
そして迎える国際大会第二戦。
前日に先発した肇は、この日は投手として休養。
日本の先発マウンドには白峰蓮司が上がります。
甲子園では敵だった白峰。
そして最後のマウンドには崇道君彦。
その球を受けるのは、肇と長年バッテリーを組んできた前薗晃大。
富山第二の仲間だけではありません。
甲子園で別々の学校を背負って戦った選手たちが、今は一つの「JAPAN」のユニフォームを着て戦います。
肇自身も打者として出場。
今回はホームランではなく、「勝つための一打」を求められます。
そして夜にはもちろん――。
日本で待つ千鶴とのテレビ電話。
離れていても毎日のように顔を見て、試合について語り合える二人だけの大切な時間です。
甲子園では、自分が抑えて、自分が打つ。
そんな戦い方もできた肇。
しかし日本代表では違います。
十八人全員が全国トップクラス。
自分が投げない試合でも勝てる。
自分がホームランを打たなくても、仲間が繋いで点を取ってくれる。
そして前薗も、肇だけの捕手ではなく――日本代表の捕手へ。
160kmだけでは越えられない世界の壁。
その壁を越えるために必要なのは、一人の圧倒的な力なのか。
それとも――十八人の力なのか。
U-18日本代表、第二戦です。
国際大会初戦を7対2で勝利した翌朝。
高橋肇は、まだ外が薄暗いうちに目を覚ました。
「……朝か」
身体を起こす。
肩をゆっくり回す。
昨日は五回無失点。
七奪三振。
打者としても二点タイムリーツーベース。
結果だけを見れば、十分すぎる国際大会デビューだった。
だが。
肇の頭から離れなかったのは――。
カキィィンッ!
初回。
153kmのストレートを、相手の三番打者に完璧に捉えられた場面。
「……世界では、普通に打ってくるんだよな」
その時。
コンコン。
ドアが鳴る。
「肇、起きてる?」
「前薗?」
扉を開ける。
前薗晃大だった。
「おはよう」
「早くない?」
「お前も起きてるじゃん」
「昨日のこと考えてた」
「153?」
「……分かる?」
「何年お前の球受けてると思ってるんだよ」
前薗は部屋へ入った。
「気にしてる?」
「気にしてるっていうか……」
肇は自分の右手を見る。
「嬉しい」
「は?」
「153kmをあんなに綺麗に打たれたんだぞ」
「普通、悔しがるところだろ」
「もちろん悔しいよ。でも」
肇は笑った。
「もっと上がいるってことじゃん」
前薗は数秒黙る。
そして。
「やっぱりお前、野球馬鹿だわ」
「褒めてる?」
「半分」
「残り半分は?」
「呆れてる」
二人は笑った。
◇◇◇
朝食後。
日本代表十八人はミーティングルームへ集まった。
今日の相手は、初戦以上の強豪国。
特に打線。
上位から下位まで身体が大きく、150km台のストレートにも対応できる。
スタッフが映像を止める。
「ここを見てください」
映像には相手の三番打者。
内角高め。
154km。
それを。
カキンッ!
左翼スタンドへ運ぶ。
「うわ……」
誰かが呟いた。
続いて四番。
外角。
151km。
逆方向へ本塁打。
白峰蓮司が腕を組む。
「速球だけじゃ駄目ですね」
「そうです」
スタッフが頷く。
「高橋君」
「はい」
「昨日、経験しましたね」
「はい」
「世界では150kmを超えているというだけでは、それほど大きな優位性にならない相手もいます」
肇は真剣に画面を見る。
「球速を落とせという意味ではありません」
「はい」
「160kmを投げられるなら、それは大きな武器です。ただし――」
映像が切り替わる。
「160kmを待っている打者に160kmを投げ続ければ、いずれ対応される」
一条昴監督も後方から言った。
「高橋」
「はい」
「甲子園でも言ったな」
「球速を競う大会じゃない」
「そうだ」
肇は頷く。
「今日は投げないんですよね?」
「ああ。昨日先発したからな」
「分かりました」
「ただし」
一条監督は肇を見る。
「打者では使う可能性がある」
肇の顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「嬉しそうにするな」
「だって試合出たいです」
白峰。
「休めよ」
崇道君彦。
「こいつ、昨日五回投げたんだよな?」
前薗。
「こいつに休むという概念ないから」
肇。
「あります!」
一条監督。
「だったら今日は肩を休ませろ」
「……はい」
十八人から笑いが起こった。
◇◇◇
球場。
第二戦。
日本代表の先発は――白峰蓮司。
捕手は成田蓮。
前薗はベンチスタート。
肇も投手としては完全休養。
しかし。
試合前。
白峰がブルペンで投げ始めると。
肇は近くから見ていた。
ズバンッ!
「速っ」
白峰。
「高橋に言われたくない」
「今何キロ?」
スタッフ。
「151」
肇。
「綺麗なストレートだな……」
白峰。
「お前の方が速いだろ」
「速さと綺麗さは別だよ」
白峰が少し笑う。
「ちゃんと見てるんだな」
「当たり前」
次。
スライダー。
バシッ!
肇。
「それ打ちにくそう」
白峰。
「昨日、お前のスライダーもかなり良かった」
「ありがとう」
「でも」
白峰はボールを握り直す。
「今日は俺の試合だから」
肇は笑った。
「任せる」
◇◇◇
試合開始。
一回表。
日本代表。
先頭打者が出塁。
しかし後続が倒れ、無得点。
そして一回裏。
白峰がマウンドへ。
初球。
151km。
ストライク。
二球目。
スライダー。
ファウル。
三球目。
150km。
打球は二塁正面。
一アウト。
二番打者。
三振。
二アウト。
「いいじゃん」
肇がベンチから言う。
前薗。
「白峰、落ち着いてるな」
「うん」
だが。
三番。
初球。
149km。
カキィィンッ!
左中間。
二塁打。
四番。
スライダー。
見送る。
二球目。
150km。
ファウル。
三球目。
外角低め。
151km。
カキンッ!
右翼前。
一点。
日本。
0対1。
肇の表情が変わる。
「……やっぱり打つ」
前薗。
「昨日より明らかに対応速い」
「150が普通みたいになってる」
「だから世界なんだろ」
◇◇◇
三回。
日本は1対2。
白峰は悪くない。
それでも相手打線が粘る。
ファウル。
ファウル。
ファウル。
簡単に三振しない。
そして。
日本代表の攻撃。
一死二塁。
スタッフがベンチを見る。
「高橋」
「はい!」
「代打」
「はい!」
肇はすぐにヘルメットを被る。
前薗。
「肩は?」
「大丈夫」
「打つだけだからな」
「分かってる」
一条監督。
「高橋」
「はい」
「ホームランはいらない」
「……先に言われた」
「右方向でもいい。走者を返せ」
「はい!」
肇はバットを握る。
球場アナウンス。
名前が呼ばれる。
ざわめき。
初戦で五回無失点。
そして二点適時二塁打。
投手でありながら、高校通算70本塁打。
甲子園決勝ではサイクルヒット。
海外スカウトたちも一斉に視線を向ける。
相手投手。
右腕。
初球。
151km。
内角。
肇は見送る。
ストライク。
「速い」
二球目。
外角へ変化球。
ボール。
三球目。
152km。
肇が振る。
カンッ!
ファウル。
1ボール2ストライク。
追い込まれる。
前薗がベンチから見つめる。
「肇……」
四球目。
低め。
ボール。
2ボール2ストライク。
五球目。
149km。
ファウル。
六球目。
変化球。
肇は止める。
3ボール2ストライク。
フルカウント。
そして。
七球目。
外角低め。
151km。
肇は。
無理に引っ張らなかった。
カキンッ!
打球は一、二塁間。
「抜けろ!」
ライト前。
二塁走者が三塁を回る。
ホームへ。
セーフ!
2対2。
同点。
肇は一塁上で拳を握った。
「よし!」
本塁打ではない。
派手な長打でもない。
しかし。
世界の投手から七球粘って放った同点適時打。
一条監督がベンチで頷いた。
「それでいい」
◇◇◇
試合は。
そこから完全な接戦になった。
四回。
2対2。
五回。
3対3。
六回。
日本が一点を勝ち越す。
4対3。
しかし七回裏。
相手四番。
日本の二番手投手から。
カキィィィンッ!
同点本塁打。
4対4。
球場が大きく沸く。
肇はベンチから打球を見送った。
「……すげえ」
君彦。
「完全に捉えたな」
前薗。
「失投じゃなかったぞ」
白峰。
「世界トップクラスってこういうことか」
甲子園では。
自分たちが強者だった。
だが。
世界へ出れば。
同じ年代に。
同じような怪物がいる。
肇は。
嬉しそうだった。
「高橋」
一条監督が気づく。
「何で笑ってる」
「いや」
「何だ?」
「もっと野球上手くなりたいなって」
一条監督は一瞬黙る。
「……帰ってからにしろ」
「はい」
◇◇◇
八回表。
日本。
4対4。
一死一塁。
肇の二打席目。
今度は代打ではなく、前の打席から守備にも入っていた。
相手投手は交代。
左腕。
球速は146km前後。
だが。
変化球が鋭い。
初球。
外角スライダー。
ストライク。
二球目。
内角。
ボール。
三球目。
チェンジアップ。
空振り。
1ボール2ストライク。
肇はバットを短く持った。
「ホームランじゃない」
自分に言い聞かせる。
「勝つために打つ」
四球目。
外角低め。
スライダー。
肇は逆らわない。
カキンッ!
左前。
ヒット。
一死一、二塁。
続く橘川玲央。
初球。
送りバントの構え。
しかし。
バスター。
カキンッ!
三遊間を破る。
満塁。
「玲央!」
肇が二塁から叫ぶ。
玲央。
「決めろよ!」
次打者。
犠牲フライ。
日本。
5対4。
さらに。
水城拓真。
タイムリーヒット。
6対4。
甲子園では別々のユニフォームだった選手たち。
今は。
同じJAPAN。
繋いで。
繋いで。
二点を奪った。
◇◇◇
九回裏。
日本。
6対4。
マウンドには。
崇道君彦。
捕手。
前薗晃大。
肇は守備位置から二人を見る。
「前薗……」
富山第二で。
自分の球を受けてきた捕手。
今は。
横浜高校のエース・崇道君彦とバッテリーを組んでいる。
初球。
君彦。
153km。
ストライク。
二球目。
フォーク。
空振り。
三球目。
153km。
ファウル。
四球目。
変化球。
空振り三振。
一アウト。
次打者。
セカンドゴロ。
二アウト。
最後。
相手四番。
この日、本塁打を放っている強打者。
前薗がタイムを取る。
マウンドへ。
君彦と話す。
肇には内容は聞こえない。
しかし。
何となく分かった。
前薗が。
君彦を落ち着かせている。
「……あいつ」
肇は少し笑う。
「ちゃんと日本代表の捕手やってる」
初球。
150km。
ファウル。
二球目。
カーブ。
ボール。
三球目。
フォーク。
空振り。
1ボール2ストライク。
そして。
四球目。
154km。
外角高め。
相手四番。
振る。
空振り!
三振!
試合終了。
日本。
6対4。
二連勝。
◇◇◇
十八人がグラウンドへ集まる。
「よっしゃああ!」
「勝った!」
「二連勝!」
肇は前薗のところへ走る。
「前薗!」
「肇!」
「最後すごかった!」
「君彦の球が良かった」
君彦。
「前薗の配球もな」
肇。
「俺以外と組んでも普通にやってる」
前薗。
「当たり前だろ!」
白峰。
「高橋、ちょっと寂しそうじゃん」
「寂しくない!」
玲央。
「本当に?」
「本当に!」
全員が笑った。
◇◇◇
その日の夜。
ホテル。
ミーティング終了。
身体のケア。
夕食。
そして。
肇は自室へ戻る。
時刻を確認する。
昨日。
千鶴と約束した。
今日も。
テレビ電話。
肇から発信する。
数秒後。
画面が繋がった。
「こんばんは」
千鶴だった。
肇の顔が自然と笑顔になる。
「千鶴!」
「お疲れさまでした、肇さん」
「見てた?」
「見ていました」
「今日も?」
「もちろんです」
「俺、投げてないけど」
「それでも日本代表の試合でしょう?」
「そっか」
千鶴は微笑む。
「二連勝、おめでとうございます」
「ありがとう」
「今日は二安打でしたね」
「そこまで見てたの?」
「見ていますよ」
「ホームランなかった」
「ホームランを打たなければいけないんですか?」
「いや」
「なら十分です」
肇は笑う。
「一条監督にも同じこと言われた」
「一条先生が正しいです」
「千鶴、完全に監督側じゃん」
「肇さんが無茶をするからです」
「してないよ」
「甲子園で何度160kmを投げました?」
「…………」
「昨日も投げようとしたでしょう?」
「投げようとは……」
「したんですね?」
「……ちょっとだけ」
千鶴は画面越しにじっと肇を見る。
「駄目です」
「はい」
「身体は一つしかありません」
「はい」
「プロも目指しているのでしょう?」
「うん」
「なら、大切にしてください」
肇は少し黙る。
そして。
「心配してくれてる?」
「当然です」
「嬉しい」
「喜ぶところではありません」
「でも嬉しい」
千鶴は困ったように笑った。
◇◇◇
肇はベッドへ座る。
「千鶴」
「はい?」
「今日さ」
「はい」
「世界ってすごい」
「昨日も言っていましたね」
「昨日より思った」
「どうして?」
「150km台の球を普通に打つし」
「はい」
「いい球でもホームランにするし」
「はい」
「俺より身体大きい奴ばっかりだし」
千鶴。
「肇さんは身体の大きさではありませんから」
「分かってる」
「高校通算70本塁打でしょう?」
「うん」
「甲子園決勝でサイクルヒット」
「うん」
「160km」
「うん」
「十分変わっています」
肇。
「褒めてる?」
「半分」
「残り半分は?」
「心配しています」
肇は笑った。
「前薗と同じこと言う」
「前薗君も?」
「昨日からずっと『160いらない』って」
「では、前薗君の言うことを聞いてください」
「はい」
少し間。
肇。
「でも今日、前薗が君彦と組んだんだ」
「見ました」
「最後」
「はい」
「ちょっと不思議だった」
「嫉妬ですか?」
「違う!」
千鶴が笑う。
「冗談です」
「でも」
肇は少し考える。
「嬉しかった」
「どうして?」
「前薗がさ」
「はい」
「俺専用の捕手じゃなくて、日本代表の捕手になってるんだなって」
千鶴の表情が優しくなる。
「肇さんも同じですよ」
「俺?」
「富山第二だけの高橋肇ではなくなっています」
肇は黙る。
「今は日本代表の高橋肇です」
「……うん」
「だから」
「うん」
「いろいろな選手と一緒に戦ってください」
「分かった」
◇◇◇
そこから。
学校の話になった。
「今日も学校で試合見てた?」
「休み時間に結果を確認している生徒は多かったですよ」
「授業中は?」
「当然、授業です」
「俺の試合より?」
「授業です」
「即答……」
「当たり前です」
肇が笑う。
「真悠と眞衣は?」
「二人ともかなり応援しているみたいですよ」
「そっか」
「由紀子先輩も」
「母さんからメッセージ来た」
「何て?」
「『怪我だけはしないで』」
千鶴。
「私と同じですね」
「みんなそればっかり」
「それだけ心配されているんですよ」
肇は。
少しだけ照れた。
「帰りたいな」
「ホームシックですか?」
「ちょっと違う」
「では?」
「千鶴に会いたい」
千鶴は一瞬黙る。
「……まだ大会中ですよ」
「分かってる」
「世界一を取るのでしょう?」
「うん」
「なら、集中してください」
「でも会いたい」
「私も」
肇が顔を上げる。
「今、何て?」
「一回しか言いません」
「もう一回」
「言いません」
「千鶴!」
「ふふっ」
「ずるい!」
千鶴は笑った。
◇◇◇
テレビ電話は続く。
肇。
「帰ったら膝枕」
「昨日も言いましたね」
「あと抱きしめて」
「それも昨日聞きました」
「あと胸元で休みたい」
千鶴は少し呆れた顔をする。
「それも聞きました」
「全部覚えてる?」
「覚えていますよ」
「じゃあ約束」
「大会が終わって帰ってきてからです」
「世界一になったら?」
「それとこれは関係ありません」
「ご褒美」
「駄目です」
「じゃあ普通に」
「それなら考えます」
「やった」
千鶴は画面越しに笑う。
そして。
「肇さん」
「何?」
「今日の試合」
「うん」
「私は昨日より好きでした」
「え?」
「昨日は肇さんが投げて、肇さんが打っていました」
「うん」
「でも今日は」
千鶴は続ける。
「白峰君が投げて」
「うん」
「橘川君が繋いで」
「うん」
「水城君が返して」
「うん」
「最後は崇道君彦君と前薗君」
「うん」
「日本代表全員で勝った試合に見えました」
肇は。
静かに聞いていた。
「肇さん」
「うん」
「世界一になるなら」
「うん」
「一人で英雄にならなくていいんです」
昨日も。
似た言葉を言われた。
全部を一人で背負わなくていい。
肇は。
今日、その意味を少し理解した。
自分が投げなくても。
日本は勝てる。
自分がホームランを打たなくても。
仲間が繋いでくれる。
前薗は自分以外の投手とも戦える。
「千鶴」
「はい」
「俺さ」
「はい」
「甲子園では、自分が抑えて、自分が打てば勝てるって思う時があった」
千鶴は黙って聞く。
「でも日本代表は違う」
「はい」
「みんなすごい」
「はい」
「俺が休んでも白峰が投げる」
「はい」
「君彦もいる」
「はい」
「神城もいる」
「はい」
「打つ奴もいっぱいいる」
千鶴は微笑む。
「いいチームですね」
「うん」
肇も笑った。
「すっごくいいチーム」
◇◇◇
時間は遅くなっていた。
千鶴が時計を見る。
「そろそろ終わりです」
「また?」
「また、ではありません」
「あと五分」
「昨日四分にしましたよね?」
「今日は五分」
「三分」
「昨日より減ってる!」
「明日のためです」
「四分」
「三分」
「三分半」
千鶴が吹き出した。
「三分半って何ですか」
「妥協案」
「仕方ありませんね」
「やった」
短い時間。
二人は。
何でもない話をした。
そして。
終了の時間。
「肇さん」
「うん」
「明日も頑張ってください」
「うん」
「ただし」
「無理しない」
「そうです」
「分かってる」
「世界の強打者に160kmを見せつけなくてもいいんですよ」
肇は笑う。
「今日分かった」
「何がです?」
「160だけじゃ世界には勝てない」
千鶴。
「なら?」
肇は答えた。
「考えて勝つ」
「はい」
「前薗や十八人と一緒に」
「はい」
「世界一になる」
千鶴は優しく頷いた。
「応援しています」
「ありがとう」
「では、おやすみなさい」
「千鶴」
「はい?」
「大好き」
少し間。
千鶴。
「……私も、肇さんのことを大切に思っています」
「昨日と同じ!」
「おやすみなさい」
「また逃げた!」
千鶴は笑いながら。
「明日もテレビ電話しましょう」
肇が止まる。
そして笑う。
「うん!」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
通話終了。
◇◇◇
肇はベッドへ横になる。
二連勝。
だが。
今日の試合で分かった。
世界には。
150km台を普通に打つ打者がいる。
失投でなくても。
本塁打にできる選手がいる。
160kmという数字だけでは。
世界一にはなれない。
それでも。
怖くはなかった。
むしろ。
もっと戦いたい。
もっと知りたい。
もっと強くなりたい。
そして何より。
今の日本代表には。
一人ではないという強さがある。
白峰蓮司。
崇道君彦。
神城颯真。
甲斐悠成。
成瀬迅。
前薗晃大。
成田蓮。
北条悠真。
橘川玲央。
水城拓真。
駿河大和。
名古屋悠成。
桐谷蒼生。
飛騨悠人。
大河内蓮。
瀬戸蒼空。
比嘉龍之介。
そして。
高橋肇。
十八人。
日の丸を背負った仲間たち。
甲子園では。
全国の頂点。
今度は。
世界の頂点。
160kmだけでは越えられない壁。
だからこそ。
十八人で越える。
日本代表の戦いは――さらに熱くなっていく。
第37話「世界の強打者――160kmだけでは越えられない壁」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
日本代表――二連勝。
しかし今回は、勝敗以上に高橋肇の考え方が少しずつ変わり始める一戦となりました。
初戦で153kmを捉えられた肇。
そして第二戦では、白峰蓮司の150km台のストレートにも世界の強打者たちが食らいつきます。
さらに日本の投手が投じた決して悪くない一球を、相手四番が本塁打。
「速ければ抑えられる」
そんな単純な世界ではありません。
肇には160kmという、高校生として規格外の武器があります。
しかし、その数字だけを追い求めていては世界一には届かない。
だから今回、肇が自分自身に言い聞かせた、
「ホームランじゃない」
「勝つために打つ」
という言葉も一つの成長です。
二打席で二安打。
派手な本塁打こそありませんでしたが、仲間へ繋ぎ、日本の得点へ結びつける。
そして橘川玲央が続き、水城拓真が返す。
甲子園では敵だった選手たちが、一つの得点を一緒に作りました。
さらに最終回。
マウンドには崇道君彦。
その球を受けたのは――前薗晃大。
肇にとって、ずっと自分の球を受け続けてきた大切な捕手です。
そんな前薗が君彦をリードし、最後の強打者を三振に仕留める。
肇自身も、
「俺専用の捕手じゃなくて、日本代表の捕手になってる」
と、その成長を感じました。
そして夜。
第36話に続き、今回も千鶴とのテレビ電話。
試合について語り。
学校や家族について話し。
会いたいという気持ちも伝え合う。
離れているからこそ、何でもない会話が二人にとって大切な時間になっています。
そして千鶴から肇へ伝えられた、
「一人で英雄にならなくていいんです」
という言葉。
甲子園では七十人で全国一。
U-18では十八人で世界一。
白峰が投げる。
君彦が抑える。
前薗がリードする。
玲央が繋ぐ。
水城が返す。
そして肇も、その中の一人として戦う。
高橋肇がすべてを背負う必要はありません。
160kmだけでは越えられない世界の壁なら――十八人で越えればいい。
二連勝。
しかし世界一への道は、まだ途中です。
そして次の試合でも、戦いを終えた夜には日本で待つ千鶴とのテレビ電話が待っています。
世界の強豪を相手に、高橋肇はさらに何を学ぶのか。
U-18日本代表十八人の戦いは、ここからさらに激しくなっていきます。




