第32話「夏休み明け――富山凱旋、そして全校生徒へ届けた日本一の報告」
第32話では、甲子園という長い夏を終えた高橋肇たちが、ついに富山へ帰ってきます。
富山県代表・私立富山第二高等学校。
学校創立以来初となる甲子園全国制覇を成し遂げた野球部。
夏休みも終わり、全国から注目される存在となった肇も、再び一人の高校三年生として学校生活へ戻ることになります。
久しぶりに訪れる学校。
テニスコート。
サッカー場。
校舎。
そして、いつもの仲間たち。
まず一条昴監督、主将・鈴木和誠、捕手・前薗晃大、エース兼四番・高橋肇の四人は校長と教頭へ全国制覇を報告します。
甲子園優勝。
決勝でのサイクルヒット。
高校通算70本塁打。
最速160km。
数々の記録を残した肇に、校長から伝えられたのは、
「君はまだ、本校の生徒です」
という言葉でした。
そして学校周辺を回る凱旋の途中。
大勢の生徒や学校関係者に囲まれた人混みの中で――肇と千鶴は、ほんのわずかな時間だけ「教師と生徒」ではなくなります。
誰にも見えないように重ねられる手。
絡み合う指。
約十分間だけの秘密の恋人繋ぎ。
二人の関係を知っているのは、校長、教頭、一条監督、真悠、眞衣、そして肇の父親と母・由紀子など、ごく限られた人たちだけ。
人混みが途切れれば、何事もなかったように自然に手を離す二人。
その後は、いつも通りの授業へ。
そして最後の時間には、バスケットボール部も使用する第一体育館へ全校生徒が集まります。
一条監督。
主将・鈴木和誠。
捕手・前薗晃大。
そして最後に――高橋肇。
全国制覇を成し遂げた彼らは、全校生徒へ何を伝えるのでしょうか。
甲子園の英雄から、再び一人の高校生へ。
高橋肇、高校生活最後の季節が始まります。
夏休みが終わった。
甲子園という、高橋肇にとって一生忘れることのできない夏も終わった。
富山県代表。
私立富山第二高等学校。
学校創立以来初となる――甲子園優勝。
全国制覇。
甲子園決勝で肇が残した記録も、すでに全国へ知れ渡っていた。
投手として何度も160kmを記録。
打者としては五打席五安打。
第一打席、二塁打。
第二打席、三塁打。
第三打席、満塁本塁打。
第四打席、単打。
これによって甲子園決勝では史上二人目となるサイクルヒットを達成。
そして第五打席では3ラン本塁打。
高校通算本塁打も70本へ到達した。
全国ニュース。
スポーツ新聞。
インターネットニュース。
高校野球専門誌。
あらゆるところに、
『私立富山第二高等学校 高橋肇』
という名前が掲載された。
しかし。
夏休みが終われば。
肇もまた、一人の高校三年生へ戻る。
そして――。
久しぶりに学校へ登校する朝を迎えた。
◇◇◇
富山の朝。
立山連峰の方向には、青い空が大きく広がっていた。
夏の盛りは過ぎたとはいえ、まだ暑さは残っている。
遠くには雄大な山々。
学校周辺には住宅地。
そして広いグラウンド。
テニスコート。
サッカー場。
校舎。
体育館。
その風景の中へ、久しぶりに多くの生徒たちが戻ってきていた。
「おはよう!」
「久しぶり!」
「夏休み何してた?」
「宿題終わった?」
そんな声。
しかし今年。
いつもの夏休み明けとは、明らかに違うことが一つあった。
「来た!」
「野球部!」
「高橋だ!」
「本物だ!」
「いや、同じ学校だろ!」
「甲子園優勝したんだぞ!」
肇が校門へ近づいただけで、生徒たちがざわつく。
「高橋!」
「優勝おめでとう!」
「サイクルヒットすごかった!」
「160kmやばすぎ!」
「高校通算70本!」
肇は少し困ったように笑いながら。
「ありがとう」
「ありがとう」
何度も答える。
隣を歩いていた主将・鈴木和誠が笑った。
「人気者」
「やめろよ」
前薗晃大も。
「全国区だからな、高橋さん」
「前薗までやめろ」
「サインください」
「お前昨日まで一緒にいただろ」
「じゃあボールに」
「絶対書かない」
三人が笑う。
甲子園では全国制覇を目指して戦った仲間。
しかし学校へ戻れば。
いつもの高校生だった。
◇◇◇
登校後。
野球部の代表として。
一条昴監督。
主将・鈴木和誠。
捕手・前薗晃大。
そしてエース兼四番・高橋肇。
四人は職員室ではなく、校長室へ向かった。
コンコン。
「失礼します」
「どうぞ」
扉を開ける。
校長。
そして教頭。
二人とも立ち上がった。
「お帰りなさい」
一条監督が頭を下げる。
「ただいま戻りました」
和誠。
「ありがとうございました」
前薗。
「応援ありがとうございました」
肇も深く頭を下げた。
「全国制覇できました。本当にありがとうございました」
校長はしばらく四人を見る。
そして。
「一条監督」
「はい」
「本当に、お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
「鈴木君」
「はい」
「主将として七十人をまとめるのは大変だったでしょう」
和誠は少し照れながら。
「自分一人では何もできませんでした」
「前薗君」
「はい」
「捕手として、高橋君を最後まで支えてくれましたね」
「肇だけじゃなく、投手全員と戦ったつもりです」
そして。
校長の視線が肇へ。
「高橋君」
「はい」
「君には……何から言えばいいのでしょうね」
教頭が笑う。
「多すぎますからね」
「160km」
「はい」
「サイクルヒット」
「はい」
「高校通算70本」
「はい」
「そして全国制覇」
「はい」
校長は笑顔になる。
「おめでとう」
肇は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「しかし」
校長の声が少し変わる。
「甲子園優勝が、高校生活の終わりではありません」
肇。
「はい」
「君はまだ、本校の生徒です」
「はい」
「卒業まで」
「はい」
「高橋肇という一人の高校生として、最後まで学校生活を大切にしてください」
肇はしっかりと答えた。
「はい!」
その様子を。
校長も。
教頭も。
一条監督も。
静かに見守っていた。
そして校長と教頭には。
もう一つ。
肇について知っている秘密がある。
東雲千鶴。
学校一の美人教師。
生徒たちから「高嶺の花」と呼ばれる教師。
そして。
肇の恋人。
もちろん。
そのことを学校中へ明かすつもりはない。
◇◇◇
その後。
学校では、甲子園優勝を祝う特別な時間が設けられていた。
野球部七十人を中心に、生徒たちが学校周辺を歩くことになった。
校舎を出る。
まず見えてくるのはテニスコート。
テニス部員たちがフェンス越しに手を振る。
「野球部ー!」
「おめでとう!」
和誠。
「ありがとう!」
前薗。
「ありがとう!」
さらに進む。
広いサッカー場。
サッカー部員たちも集まっていた。
「日本一!」
「おめでとう!」
「次は俺たちも全国行くぞ!」
野球部からも声が返る。
「頑張れよ!」
「全国行こうぜ!」
部活動の垣根を越えた声。
さらに。
学校の敷地周辺には大勢の生徒。
保護者。
学校関係者。
甲子園優勝を祝う人たち。
富山の青空。
遠くに見える山々。
夏の終わりを感じさせる風。
肇は歩きながら。
「帰ってきたんだな」
と小さく呟いた。
前薗。
「何?」
「いや」
「富山帰ってきたって、やっと実感した」
和誠も。
「分かる」
「甲子園にいる間、ずっと別世界だったもんな」
「うん」
学校の周辺をぐるりと一周。
そして。
その途中。
人が特に多くなる場所があった。
生徒たち。
教師。
保護者。
野球部員。
人と人との間隔が近い。
肇は。
ある人物を見つけた。
東雲千鶴。
目が合う。
しかし。
二人とも何も言わない。
教師と生徒。
それが学校での二人。
千鶴はいつも通り。
「高橋君」
「はい、東雲先生」
それだけ。
ところが。
人の流れが一気に重なった。
周囲からは二人の手元がほとんど見えない。
肇の右手。
千鶴の左手。
指先が触れる。
一瞬。
離れそうになる。
しかし。
肇の指が。
千鶴の指の間へ。
千鶴も。
拒まない。
五本の指が。
静かに絡み合った。
恋人繋ぎ。
誰にも見られてはいけない。
学校の中。
大勢の人。
教師と生徒。
それでも。
ほんの少しだけ。
二人は恋人へ戻った。
肇は前を見る。
千鶴も前を見る。
会話もしない。
視線も合わせない。
でも。
手だけは。
しっかりつながっている。
一分。
二分。
三分。
人混みの中。
そのまま歩く。
肇は小さな声で。
「……久しぶり」
千鶴も前を向いたまま。
「学校では、高橋君です」
「分かってる」
「誰かに見られますよ」
「今は見えない」
千鶴は困ったように。
「もう……」
それでも。
手は離さない。
五分。
六分。
七分。
八分。
肇。
「千鶴」
「ここでは先生」
「東雲先生」
「はい」
「甲子園、応援ありがとう」
千鶴の指に少し力が入る。
「……どういたしまして」
九分。
そして。
約十分。
人混みが少しずつ分散し始めた。
二人は同時に気づく。
もう。
離さなければならない。
肇が力を緩める。
千鶴も。
絡んでいた指が。
一本ずつ。
自然に離れていく。
そして。
完全に離れた。
何事もなかったように。
肇は野球部員たちの方へ。
千鶴は教師たちの方へ。
誰も気づいていない。
――ように見えた。
しかし。
実際には。
少数だけ。
校長。
教頭。
一条監督。
真悠。
眞衣。
そしてその場にはいなかったものの、二人の関係を知っている肇の父親と母・由紀子。
それだけ。
真悠が遠くから。
「……見た?」
眞衣。
「見た」
「十分くらい?」
「それくらい」
真悠。
「ラブラブだね」
眞衣。
「学校でやるとは思わなかった」
二人は顔を見合わせる。
「秘密」
「当然」
◇◇◇
そして。
その後は。
いつもの学校生活へ戻った。
一時間目。
授業。
二時間目。
授業。
休み時間。
「高橋!」
「何?」
「甲子園のサイクルの時って緊張した?」
「したよ」
「嘘つけ!」
「本当だって」
三時間目。
授業。
先生からも。
「高橋、甲子園優勝したからって寝るなよ」
「寝てません!」
クラスが笑う。
四時間目。
昼休み。
肇は和誠や前薗たちと昼食。
「普通に学校って疲れるな」
和誠。
「甲子園より?」
「それはない」
前薗。
「数学と160km、どっちが難しい?」
肇。
「数学」
「即答かよ!」
笑い声。
午後。
五時間目。
六時間目。
夏休み前と変わらない授業。
ノート。
黒板。
教科書。
チャイム。
それが妙に懐かしかった。
そして。
本来なら最後の時間割。
しかし。
この日だけは違った。
全校生徒が――第一体育館へ移動する。
◇◇◇
第一体育館。
普段はバスケットボール部が使用している大きな体育館。
そこへ全校生徒が集まった。
ステージ。
その横。
甲子園優勝旗。
そして。
野球部七十人。
マネージャー十一人。
大きな拍手。
「おおおおお!」
「野球部ー!」
「優勝おめでとう!」
拍手が鳴り止まない。
教師席。
そこには千鶴もいる。
しかし。
肇は見ない。
千鶴も。
特別な視線は送らない。
ここでは。
教師と生徒。
それだけ。
最初に校長から祝辞。
続いて教頭。
そして。
一条昴監督。
マイクを受け取る。
「皆さん」
体育館が静かになる。
「甲子園期間中、本当にたくさんの応援をありがとうございました」
大きな拍手。
「野球部七十人」
「マネージャー十一人」
「吹奏楽部」
「チアリーディング部」
「そして学校から応援してくれた全校生徒」
一条監督はゆっくり頭を下げた。
「皆さんの力がなければ、全国制覇はありませんでした」
再び拍手。
「しかし」
監督は後ろに並ぶ選手たちを見る。
「この優勝は、三年生だけのものではありません」
一年生。
二年生。
三年生。
全員を見る。
「次は後輩たちの番です」
体育館が静かになる。
「甲子園優勝校という名前に縛られる必要はありません」
「自分たちの野球をしてください」
そして。
「最後に」
監督は微笑む。
「私自身も、この七十人に多くのことを教えてもらいました」
深く。
頭を下げた。
大きな拍手。
続いて。
主将。
鈴木和誠。
マイクを受け取る。
「野球部主将、鈴木和誠です」
拍手。
「正直、地区大会が始まる前は」
少し笑う。
「本当に全国制覇できるとは思っていませんでした」
野球部から。
「おい!」
体育館が笑う。
和誠も笑う。
「いや、本当にです」
そして。
「でも」
表情が変わる。
「一試合勝って」
「また一試合勝って」
「甲子園へ行って」
「全国の強豪校と戦って」
「気づいたら」
後ろを見る。
「この仲間たちなら、本当に日本一になれると思うようになりました」
拍手。
「ベンチ入りした二十人だけではありません」
「スタンドから応援してくれた五十人」
「マネージャー十一人」
「応援してくださった皆さん」
「本当にありがとうございました」
深く一礼。
次。
前薗晃大。
「捕手の前薗晃大です」
拍手。
「俺は……」
教師から。
「『俺』?」
体育館が笑う。
前薗。
「あ、僕は」
さらに笑い。
「すみません」
肇も後ろで笑う。
前薗は続ける。
「僕は捕手なので、甲子園ではずっと投手の球を受けていました」
「特に」
肇を見る。
「こいつ」
また笑い。
「高橋肇の球を受けるのは大変でした」
肇。
「おい!」
前薗。
「160kmですよ?」
体育館。
「ははははは!」
「手、痛いんですよ!」
さらに笑い。
「でも」
前薗の表情が変わる。
「最後の一球」
「決勝戦」
「あと一人」
「あと一球」
「俺が……僕が出したサインに」
また少し笑い。
「肇が頷いて」
「最後、スライダーで空振り三振」
体育館が静かになる。
「その瞬間」
前薗は少し声を詰まらせる。
「三年間、捕手をやってきて良かったと思いました」
拍手。
大きな。
大きな拍手。
前薗は頭を下げた。
そして。
最後。
司会の教師が言う。
「それでは最後に」
体育館がざわつく。
「野球部エース兼四番」
一気に歓声。
「高橋肇君から、全校生徒の皆さんへ挨拶です」
「うおおおおおお!」
「高橋ー!」
「肇ー!」
「70本!」
「160km!」
肇は。
ゆっくり前へ。
マイクを受け取る。
全校生徒。
教師。
野球部。
マネージャー。
一条監督。
校長。
教頭。
真悠。
眞衣。
そして。
千鶴。
全員が見ている。
肇は一度。
深く頭を下げた。
「高橋肇です」
拍手。
「まず」
「甲子園まで応援に来てくださった皆さん」
「富山から応援してくださった皆さん」
「本当にありがとうございました」
もう一度。
頭を下げる。
「僕たちは」
少し間を置く。
「学校創立以来初めて、甲子園で優勝することができました」
大歓声。
「でも」
肇は続ける。
「僕一人では絶対に無理でした」
前薗を見る。
和誠を見る。
野球部員たちを見る。
「僕が160kmを投げても」
「前薗が捕ってくれなかったら、ただの暴投です」
体育館が笑う。
前薗。
「おい!」
「僕がホームランを打っても」
「その前にランナーがいなかったら、満塁ホームランにはなりません」
「僕が三振を取れなくても」
「後ろの八人がアウトを取ってくれました」
「ベンチから声をかけてくれる仲間がいました」
「スタンドには五十人の仲間がいました」
「マネージャー十一人がいました」
そして。
「僕たちは」
肇が七十人を見る。
「七十人で日本一になりました」
拍手。
野球部員の何人かが目元を押さえる。
「甲子園決勝でサイクルヒットを達成できたことも」
「高校通算70本になったことも」
「160kmを投げられたことも」
「もちろん嬉しいです」
「でも」
肇ははっきり言った。
「一番嬉しかったのは」
静寂。
「最後のアウトを取った瞬間に、仲間たちがマウンドへ走ってきてくれたことです」
和誠が下を向く。
前薗も笑う。
一条監督は腕を組みながら頷く。
「高校野球は」
「僕一人ではできません」
「だから」
「甲子園優勝は、僕の優勝じゃありません」
そして。
「富山第二高校のみんなで取った優勝だと思っています」
その瞬間。
第一体育館。
大歓声。
「おおおおおおおおおおっ!」
「富山第二ー!」
「日本一!」
拍手。
歓声。
肇はしばらく。
その光景を見る。
そして最後に。
「僕はまだ高校三年生です」
校長が微笑む。
「卒業まで」
「残された学校生活を大切にします」
「そして」
肇は少しだけ息を吸う。
「これから先」
「どんな道へ進むことになっても」
千鶴が静かに肇を見る。
「富山第二高校で野球をしたこと」
「この仲間たちと日本一になったこと」
「絶対に忘れません」
そして。
深く。
頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました!」
大歓声。
拍手。
野球部七十人も。
マネージャー十一人も。
全校生徒も。
教師たちも。
一斉に拍手した。
その中。
千鶴も。
教師として。
ゆっくりと手を叩いていた。
でも。
その胸の奥では。
ほんの少しだけ。
違う言葉を呟いていた。
――お帰りなさい。
――肇さん。
甲子園優勝投手。
高校通算70本塁打。
最速160km。
全国から注目されるドラフト候補。
それでも。
今日からまた。
肇はこの学校の三年生。
そして千鶴は。
この学校の教師。
約十分間だけ交わした、誰にも言えない恋人繋ぎ。
人混みが途切れれば。
自然に離した二人の手。
まだ。
それでいい。
高校卒業まで。
残された時間を。
教師と生徒として。
そして誰にも見えないところでは、大切な恋人として。
二人は歩いていく。
甲子園の夏を終え。
全国制覇を胸に富山へ帰ってきた高橋肇。
高校生活最後の季節が――。
ここから、静かに始まった。
第32話「夏休み明け――富山凱旋、そして全校生徒へ届けた日本一の報告」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
甲子園優勝という大きな目標を達成し、ようやく富山へ帰ってきた肇たち。
全国大会では強豪校を相手に戦い続け、最後には学校創立以来初となる全国制覇。
しかし夏休みが終われば、彼らは再び高校生です。
今回、校長が肇へ伝えた、
「甲子園優勝が、高校生活の終わりではありません」
「君はまだ、本校の生徒です」
という言葉は、これからの肇にとって大切なものになります。
ドラフト候補。
高校通算70本塁打。
最速160km。
甲子園決勝でサイクルヒット。
どれほど全国から注目されても、卒業するその日までは私立富山第二高等学校の高校三年生。
残された高校生活も、肇にとって二度と戻ってこない大切な時間です。
そして今回は、久しぶりに学校で再会した肇と千鶴の秘密の時間も描きました。
学校では「高橋君」と「東雲先生」。
しかし人混みの中で、ほんの約十分間だけ――二人は指を絡ませて恋人繋ぎをしました。
言葉を交わさなくても、手から伝わってくるものがある。
そして人混みが途切れる頃には、自然に手を離す。
二人の秘密を守るためにも、それ以上は求めません。
まだ教師と生徒。
二人が以前から決めているように、本当の意味で次の段階へ進むのは、肇が高校を卒業して「元生徒」となり、さらにプロへの道が正式に決まってからです。
そして物語後半。
第一体育館で行われた全校集会。
一条監督から始まり、
主将・鈴木和誠。
捕手・前薗晃大。
そして最後を締めた高橋肇。
特に肇が伝えた、
「僕たちは七十人で日本一になりました」
という言葉。
甲子園で実際にグラウンドへ立てる人数には限りがあります。
それでも、ベンチにいた仲間。
スタンドから声を出し続けた仲間。
マネージャー十一人。
吹奏楽部。
チアリーディング部。
全校生徒。
教師。
家族。
誰か一人だけでつかんだ優勝ではありません。
だから肇にとって一番嬉しかったものも、個人記録ではありませんでした。
160kmでもない。
70本塁打でもない。
サイクルヒットでもない。
最後の空振り三振を奪った瞬間、仲間たちが一斉にマウンドへ走ってきてくれたこと。
それこそが、肇にとって甲子園で最も忘れられない瞬間になりました。
甲子園編は終わりました。
しかし、高橋肇の高校生活はまだ終わっていません。
U18日本代表。
ドラフト。
プロ野球への進路。
高校卒業。
そして――東雲千鶴との未来。
全国制覇という大きな夢を一つ叶えた肇は、残された高校生活の中で、次の未来へ向かって歩き始めます。




