第30話「準決勝――仙台育英、決勝進出を懸けた九回の攻防」
第30話では、いよいよ甲子園準決勝。
対戦相手は――仙台育英高校。
ここまで勝ち上がってきた高橋肇たちにとって、全国制覇まで残された試合はあと二つ。
しかし一条昴監督が伝えた通り、見るべきなのは決勝ではありません。
まずは目の前の準決勝。
仙台育英高校との一戦だけです。
今回の相手は、強力なレギュラー九人だけではなく、十一人のベンチメンバーまで揃った総合力の高いチーム。
先発・伊達航平。
左腕・宮城大河。
技巧派の瀬戸陽介。
ロングリリーフもできる岩渕直人。
さらに、俊足の水沢颯斗、長打力を持つ佐伯龍之介、強肩捕手・菅原蒼士を中心に、一人一人が役割を持っています。
一方の肇たちも、
高橋肇。
前薗晃大。
鈴木和誠。
神谷悠斗。
藤堂拓海。
宮坂大智。
桐生翔。
長谷川颯汰。
相馬健吾。
レギュラー九人だけではありません。
黒崎蓮。
早川慶介。
久我直哉。
松岡亮平。
橘優成。
西川陸斗。
安西航。
倉田陽向。
森川駿。
大野蒼真。
榎本悠生。
ベンチメンバー十一人も含めた二十人。
そして野球部七十人全員で準決勝へ挑みます。
さらに今回も、東雲千鶴と肇の関係は学校では秘密のまま。
前薗も。
鈴木も。
他の野球部員たちも。
二人が恋人同士であることは知りません。
学校ではあくまで教師と生徒。
だからこそ、試合前に交わした一瞬の視線だけでも二人には十分な意味があります。
六十一人が折った二万羽の千羽鶴。
家族。
仲間。
マネージャー。
吹奏楽部。
チアリーディング部。
そして千鶴。
すべての想いを胸に――。
甲子園決勝進出を懸けた準決勝が始まります。
甲子園球場。
準決勝当日。
高橋肇たちを乗せたバスが球場へ到着した時には、すでに周辺を大勢の高校野球ファンが埋め尽くしていた。
残された高校は、わずか四校。
第一試合では健大高崎高校と青森山田高校。
そして第二試合――。
高橋肇たちの高校と、仙台育英高校。
勝った方が決勝へ進む。
負けた方は、その瞬間に高校最後の夏が終わる。
バスを降りた肇は、甲子園球場を見上げた。
「……あと二つ」
すると、すぐ後ろから声が飛んだ。
「肇」
「ん?」
振り返ると、捕手の前薗晃大だった。
「監督が言ってただろ」
肇は苦笑する。
「分かってるよ」
「本当に?」
「今日は仙台育英だけ」
「それでいい」
前薗が拳を出す。
肇も拳を合わせた。
「勝とう」
「ああ」
二人は、そのまま球場内へ向かった。
◇◇◇
ロッカールーム。
一条昴監督を中心に、ベンチ入り二十人が集まった。
ホワイトボードには、仙台育英高校のスターティングメンバーが書かれている。
一条監督が全員を見渡した。
「昨日も確認したが、もう一度やる」
「はい!」
「仙台育英の先発九人だ」
一番・中堅手――水沢颯斗。
俊足を武器とする右打者。塁へ出れば積極的に次の塁を狙う。
二番・二塁手――三上拓海。
バント、進塁打、右打ちを得意とするつなぎ役。
三番・遊撃手――黒川悠真。
広角に打ち分ける好打者。守備範囲も広い。
四番・一塁手――佐伯龍之介。
高校通算38本塁打。仙台育英打線最大の長距離打者。
五番・捕手――菅原蒼士。
強肩捕手。投手陣をまとめながら勝負強い打撃も見せる。
六番・三塁手――早坂慶。
長打と小技の両方を使える右打者。
七番・左翼手――及川翔馬。
粘り強く、追い込まれてから簡単には三振しない。
八番・右翼手――相原蓮。
俊足で外野守備にも定評がある。
九番・投手――伊達航平。
最速151kmの右腕。ストレート、スライダー、フォーク、カットボールを操る。
さらに。
ベンチメンバー十一人。
控え投手――宮城大河。
最速149kmの左腕。
控え投手――瀬戸陽介。
右の技巧派。
控え投手――岩渕直人。
ロングリリーフも可能な右腕。
控え捕手――小野寺海斗。
強肩が持ち味。
内野手――成田晴紀。
二塁・遊撃を守れる。
内野手――庄司大翔。
一塁・三塁を守る右の強打者。
内野手――柴崎琉生。
守備力の高いユーティリティープレーヤー。
外野手――千葉隼人。
俊足を生かした代走起用が多い。
外野手――大友圭吾。
左の代打として勝負強い。
外野手――赤坂颯真。
守備範囲の広さが特徴。
外野手――石森陽向。
終盤の守備固めや代走で起用される。
二十人。
一条監督は全員の名前を確認してから言った。
「仙台育英は、この二十人全員を使ってくると思え」
肇が頷く。
「はい」
「先発の伊達だけじゃない。宮城も瀬戸も岩渕もいる」
前薗。
「継投前提ですね」
「ああ。特に高橋」
「はい」
「お前の第二打席、第三打席あたりで投手を替えてくる可能性もある」
「分かりました」
「相手は高橋一人を抑えればいいとは考えていない。しかし、四番のお前を徹底的に警戒するのは間違いない」
肇はホワイトボードを見る。
「だったら俺が歩かされたら、前薗が打って」
「おう」
「前薗が歩かされたら宮坂が打って」
宮坂大智が頷く。
「任せろ」
「俺だけじゃないです」
一条監督が少し笑う。
「ようやく分かってきたな」
「遅かったですか?」
「少しな」
仲間たちから笑いが起こった。
◇◇◇
続いて一条監督が、自分たちのスターティングメンバーを書く。
一番・中堅手――鈴木和誠。
二番・二塁手――神谷悠斗。
三番・遊撃手――藤堂拓海。
四番・投手――高橋肇。
五番・捕手――前薗晃大。
六番・一塁手――宮坂大智。
七番・三塁手――桐生翔。
八番・左翼手――長谷川颯汰。
九番・右翼手――相馬健吾。
そしてベンチ。
黒崎蓮。
早川慶介。
久我直哉。
松岡亮平。
橘優成。
西川陸斗。
安西航。
倉田陽向。
森川駿。
大野蒼真。
榎本悠生。
一条監督は二十人を見渡した。
「いいか」
全員が監督を見る。
「昨日、千羽鶴をもらったな」
空気が変わった。
「はい!」
「二十人分」
「はい!」
「二万羽」
「はい!」
「だが、それをプレッシャーにするな」
肇が静かに聞いている。
「千羽鶴を折った六十一人は、お前たちに『絶対失敗するな』という意味で折ったんじゃない」
一条監督は言った。
「『頑張れ』だ」
短い一言。
「はい」
「だから楽しんでこい」
「はい!」
「甲子園準決勝だぞ」
一条監督が笑った。
「高校野球をやっている人間の中で、ここまで来られる奴が何人いる?」
誰も答えない。
「緊張して当然だ」
「はい」
「怖くてもいい」
「はい」
「でも、その感情まで全部持ってグラウンドへ行け」
「はい!」
そして。
「二十人だけじゃない」
全員が顔を上げる。
「七十人で戦うぞ!」
「はい!」
◇◇◇
その頃。
アルプススタンドでは、吹奏楽部三十人が楽器の準備を始めていた。
チアリーディング部。
学校の生徒。
保護者。
OB。
そして。
真悠。
眞衣。
父親。
由紀子。
東雲千鶴。
千鶴は吹奏楽部顧問として部員たちの状態を確認していた。
「チューニング、大丈夫ですか?」
「はい!」
「暑くなっています。水分補給を忘れないようにしてください」
「はい!」
「演奏していない時は無理に楽器を持ち続けなくても大丈夫です」
「はい!」
教師としていつも通り。
だが。
時折、その視線はグラウンドへ向かっていた。
肇はまだ出てきていない。
由紀子が気づく。
「千鶴」
「はい?」
「探してる?」
「え?」
「肇」
千鶴の頬が少し赤くなる。
「……まだ選手たちは出てきていませんから」
由紀子が笑う。
「やっぱり探してるじゃない」
「由紀子先輩……」
真悠と眞衣も近くにいる。
眞衣が笑う。
「ラブラブだね」
「眞衣さん」
「お兄ちゃんも絶対探すよ」
真悠も。
「昨日も言ったけど」
千鶴は小声で言った。
「学校の人が近くにいるんですから、その話は駄目です」
「分かってます」
二人もそこは理解していた。
肇と千鶴の関係。
それを知る者は限られている。
そして――。
当然ながら前薗晃大は知らない。
鈴木和誠も知らない。
神谷悠斗も。
藤堂拓海も。
宮坂大智も。
桐生翔も。
長谷川颯汰も。
相馬健吾も。
他の野球部員たちも知らない。
彼らにとって東雲千鶴は、
学校一の高嶺の花と呼ばれる美人教師。
吹奏楽部顧問。
そして野球部を学校側から応援してくれている教師の一人。
それだけだった。
肇と同じ家で暮らしていることも。
二人が恋人同士であることも。
甲子園優勝後の未来を約束していることも。
誰も知らない。
◇◇◇
しばらくして。
選手たちがグラウンドへ姿を現した。
歓声が一気に大きくなる。
「来た!」
眞衣が声を上げる。
「お兄ちゃん!」
真悠も身を乗り出す。
「肇ー!」
肇は仲間たちとランニング。
その後。
前薗とのキャッチボールを始めた。
パシンッ。
パシンッ。
まだ力は入れない。
「肇」
「ん?」
前薗が返球する。
「肩は?」
「大丈夫」
「張りは?」
「昨日よりいい」
「本当に?」
「何回聞くんだよ」
「試合終わるまで聞く」
肇が笑った。
「分かったよ」
返球。
パシンッ!
前薗が受ける。
「でも」
「何?」
「今日は最初から150後半とか要らないぞ」
「分かってる」
「七回、八回、九回がある」
「うん」
「俺のミットだけ見ろ」
「分かった」
その時。
肇は何気なくアルプスを見る。
大勢の観客。
吹奏楽部。
チアリーディング部。
生徒。
その中から。
千鶴を探す。
見つけた。
一瞬。
目が合った――ような気がした。
千鶴は小さく頷く。
肇もほんの少しだけ頷いた。
前薗が気づく。
「何見てんの?」
「応援席」
「誰かいた?」
肇は一瞬だけ止まった。
「真悠と眞衣」
「妹さんか」
「うん」
嘘ではない。
二人も確かにそこにいる。
前薗は何の疑いも持たず。
「お前の妹たち、今日も応援すごそうだな」
「多分ね」
「じゃ、集中」
「おう」
再びキャッチボール。
千鶴はその様子を見ながら、胸元でそっと手を握った。
誰にも聞こえない声で。
「頑張ってください、肇さん」
◇◇◇
一方。
仙台育英側。
先発投手・伊達航平がブルペンで投球練習をしていた。
捕手・菅原蒼士。
「いいよ」
ズバンッ!
「もう一球」
伊達。
「高橋、どうする?」
菅原は返球しながら答える。
「まともに勝負しすぎない」
「やっぱり?」
「でも逃げすぎない」
「難しいな」
「高橋だけじゃないから」
菅原が言う。
「前薗もいる」
「うん」
「鈴木もいる」
「うん」
「宮坂も藤堂もいる」
「分かってる」
「高橋の前後で切る」
伊達が頷いた。
「それで行こう」
仙台育英も。
肇だけを見ているわけではない。
ここは甲子園準決勝。
どちらも全国制覇を目指している。
◇◇◇
試合開始直前。
両校のスターティングメンバーが場内アナウンスで読み上げられる。
仙台育英高校。
一番、センター、水沢颯斗。
二番、セカンド、三上拓海。
三番、ショート、黒川悠真。
四番、ファースト、佐伯龍之介。
五番、キャッチャー、菅原蒼士。
六番、サード、早坂慶。
七番、レフト、及川翔馬。
八番、ライト、相原蓮。
九番、ピッチャー、伊達航平。
そして。
肇たち。
一番、センター、鈴木和誠。
二番、セカンド、神谷悠斗。
三番、ショート、藤堂拓海。
四番、ピッチャー、高橋肇。
大歓声。
「高橋ー!」
「今日も頼むぞ!」
「決勝連れてってくれ!」
五番、キャッチャー、前薗晃大。
六番、ファースト、宮坂大智。
七番、サード、桐生翔。
八番、レフト、長谷川颯汰。
九番、ライト、相馬健吾。
九人がグラウンドへ。
肇はマウンドへ向かう。
前薗がホームへ。
内野陣。
外野陣。
それぞれの守備位置。
肇はマウンドの土を踏む。
軽くならす。
甲子園準決勝。
今までとは違う緊張。
しかし。
昨日、一条監督から言われた。
――怖くてもいい。
――緊張してもいい。
――全部持ってグラウンドへ行け。
肇は息を吐く。
前薗がサインを出す。
一条監督はベンチから見ている。
マネージャー十一人も。
美月。
琴音。
七海。
彩花。
美羽。
結菜。
杏奈。
真帆。
ひなた。
莉子。
美琴。
そしてスタンド。
千鶴。
由紀子。
父親。
真悠。
眞衣。
六十一人が作った千羽鶴。
二万羽。
すべてを背負うのではない。
すべてを力にする。
◇◇◇
「プレイ!」
試合開始。
一番・水沢颯斗。
俊足。
肇は最初から分かっていた。
この打者を出したくない。
だが。
三振を狙いすぎない。
第一球。
ストレート。
ズバンッ!
「ストライク!」
表示。
149km。
前薗が返球。
水沢が少し驚いた。
もっと速いと思っていたのだろう。
第二球。
カーブ。
水沢が合わせる。
カンッ!
三塁線。
桐生翔。
「俺!」
前へ。
捕球。
一塁。
宮坂。
「アウト!」
一死。
肇が桐生を見る。
「ナイス!」
「任せろ!」
二番・三上拓海。
初球。
ストレート。
151km。
見送り。
ストライク。
二球目。
シュート。
三上が打つ。
一、二塁間。
神谷悠斗が横っ飛び。
捕った。
立ち上がる。
一塁へ。
「アウト!」
二死。
肇は小さく笑った。
――これだ。
一人で三振を取らなくていい。
仲間がいる。
三番・黒川悠真。
初球。
スライダー。
空振り。
二球目。
150km。
ファウル。
三球目。
外角。
黒川が打つ。
センターフライ。
鈴木和誠。
「オーライ!」
捕球。
三者凡退。
肇はマウンドから降りる。
前薗が横へ。
「何球?」
「少ない」
「それでいい」
「楽だな」
「だろ?」
二人が笑う。
◇◇◇
一回裏。
仙台育英の伊達航平。
一番・鈴木和誠。
初球。
149km。
ストライク。
二球目。
カットボール。
和誠が打つ。
ショートゴロ。
黒川。
アウト。
二番・神谷悠斗。
粘る。
ファウル。
ボール。
ファウル。
ボール。
七球目。
フォーク。
見送った。
四球。
「よし!」
ベンチから声。
一死一塁。
三番・藤堂拓海。
伊達が一塁を警戒。
神谷が大きくリードする。
藤堂。
初球。
送りバントの構え。
しかし引く。
ボール。
二球目。
ヒッティング。
カキン!
ライト前。
一死一、二塁。
そして。
四番。
高橋肇。
球場が沸く。
伊達が一度ロジンへ触れる。
捕手・菅原がマウンドへ。
「勝負する?」
伊達。
「する」
「無理するなよ」
「分かってる」
「低く」
「うん」
菅原が戻る。
肇が打席へ。
第一球。
外角低め。
カットボール。
肇は見送る。
ボール。
第二球。
ストレート。
150km。
内角。
肇が振る。
ファウル。
第三球。
フォーク。
肇は止める。
2ボール1ストライク。
第四球。
外へ。
ボール。
3ボール1ストライク。
肇は思う。
――無理に来ない。
第五球。
外角。
際どい。
肇は見送る。
「ボール!」
四球。
一死満塁。
仙台育英側から大きな声。
そして。
五番・前薗晃大。
前薗が打席へ。
肇が一塁から見る。
前薗はこちらを見ない。
ただ伊達を見る。
第一球。
ストレート。
149km。
ストライク。
第二球。
スライダー。
ボール。
第三球。
前薗が振る。
カァン!
打球はセンター。
水沢が下がる。
捕球。
「タッチアップ!」
三塁走者・神谷がスタート。
ホームへ。
送球。
「セーフ!」
一点。
前薗晃大。
犠牲フライ。
一対〇。
ベンチが沸く。
「前薗!」
「ナイス!」
一塁の肇が拳を握る。
前薗はベンチへ戻りながら小さく笑った。
肇が歩かされた。
なら。
次の打者が返す。
それでいい。
◇◇◇
二回表。
四番・佐伯龍之介。
肇との最初の対決。
前薗は内角へ構える。
第一球。
150km。
ストライク。
第二球。
カーブ。
佐伯が見送る。
ボール。
第三球。
152km。
佐伯が振る。
カキィン!
大きい。
レフト方向。
千鶴も思わず立ち上がる。
「……!」
長谷川颯汰が下がる。
フェンス手前。
捕った。
「アウト!」
肇が大きく息を吐く。
「危な……」
前薗がマウンドへ。
「甘い」
「うん」
「今のは持っていかれてもおかしくなかった」
「次気をつける」
「頼むぞ」
「はいはい」
五番・菅原。
センターフライ。
六番・早坂。
三塁ゴロ。
三者凡退。
◇◇◇
三回。
四回。
試合は一対〇のまま進んだ。
肇は球速を追わない。
149km。
151km。
153km。
時折154km。
変化球を混ぜる。
仙台育英は何度も塁へ出ようとする。
しかし守備陣が守る。
四回表。
一死一塁。
佐伯。
強烈な打球。
藤堂拓海が横っ飛び。
捕球。
二塁。
神谷。
一塁。
宮坂。
「アウト!」
ダブルプレー。
肇が叫ぶ。
「藤堂!」
藤堂も。
「守るって言っただろ!」
◇◇◇
五回表。
ついに仙台育英が仕掛けた。
先頭・菅原がセンター前。
無死一塁。
代走は出さない。
早坂。
送りバント。
一死二塁。
及川。
ライト前。
一死一、三塁。
相原。
スクイズ。
「来た!」
前薗が立つ。
肇が投げる。
相原がバント。
一塁線。
肇が捕る。
三塁走者・菅原がホームへ。
肇は前薗へ。
「前薗!」
送球。
前薗がタッチ。
「セーフ!」
一対一。
同点。
仙台育英アルプスが沸騰する。
肇は悔しそうに唇を噛んだ。
だが。
前薗がすぐにボールを返す。
「切り替えろ!」
「うん!」
一条監督もベンチから。
「高橋! 一点はくれてやれ!」
肇が監督を見る。
「次を取れ!」
「はい!」
その後を抑える。
一対一。
◇◇◇
六回裏。
仙台育英は投手交代。
伊達航平から。
左腕――宮城大河。
最速149km。
「ピッチャー、伊達君に代わりまして、宮城君」
肇がベンチから見る。
「来たか」
前薗。
「左」
一条監督。
「高橋」
「はい」
「宮城はクロスファイアがある」
「はい」
「踏み込め」
「分かりました」
二死。
走者なし。
四番・肇。
第一球。
外角。
147km。
ストライク。
第二球。
内角。
肇が避ける。
ボール。
第三球。
スライダー。
ファウル。
1ボール2ストライク。
第四球。
外角。
肇が振る。
カキィン!
打球は右中間。
「抜けろ!」
センター水沢。
ライト相原。
二人が追う。
間に落ちる。
肇は一塁。
二塁へ。
「セカンド!」
二塁打。
二死二塁。
前薗。
打席。
宮城の初球。
スライダー。
ボール。
二球目。
ストレート。
前薗が打つ。
センター前。
肇が三塁を回る。
「回れ!」
一条監督。
水沢からバックホーム。
肇が滑る。
菅原がタッチ。
判定。
「アウト!」
甲子園がどよめく。
肇はホーム付近でしばらく座った。
前薗が一塁から見ている。
一条監督は腕を組んだ。
一対一。
勝ち越せない。
◇◇◇
七回。
八回。
両校とも譲らない。
仙台育英は八回から瀬戸陽介へ継投。
肇も八回まで投げ続ける。
球数は増えていた。
八回終了。
一対一。
ベンチ。
前薗が肇へ水を渡す。
「どう?」
「まだ行ける」
一条監督が来る。
「高橋」
「はい」
「九回どうする?」
肇は監督を見る。
「行かせてください」
「痛みは?」
「ありません」
「張り」
「あります」
「正直でよろしい」
一条監督は前薗を見る。
「どうだ?」
「球威は少し落ちてます」
肇。
「おい」
前薗。
「嘘言ってどうする」
一条監督。
「150前後でも抑えられるか?」
前薗は即答。
「抑えます」
「高橋は?」
肇も。
「抑えます」
「よし」
一条監督。
「九回、行ってこい」
「はい!」
◇◇◇
九回表。
仙台育英。
二番・三上から。
肇。
初球。
149km。
三上が打つ。
セカンドゴロ。
神谷。
アウト。
一死。
三番・黒川。
粘る。
八球。
九球。
そして十球目。
スライダー。
空振り。
三振。
二死。
四番・佐伯龍之介。
甲子園が沸く。
前薗がマウンドへ。
「最後かもしれない」
「うん」
「でも力むな」
「分かってる」
「ホームランだけは駄目」
「うん」
「歩かせてもいい」
肇が少し笑う。
「勝負したい」
「駄目」
「即答?」
「チームで勝つんだろ」
肇は少し黙る。
そして。
「分かった」
佐伯。
初球。
外角スライダー。
ボール。
二球目。
外角ストレート。
151km。
ファウル。
三球目。
カーブ。
ボール。
四球目。
外角。
佐伯が見送る。
3ボール1ストライク。
前薗は無理をしない。
五球目。
外角低め。
佐伯が振る。
カンッ!
セカンド正面。
神谷。
捕球。
一塁へ。
「アウト!」
三者凡退。
九回表終了。
一対一。
◇◇◇
九回裏。
勝てば決勝。
仙台育英は投手をもう一度替えた。
右腕。
岩渕直人。
一番・鈴木和誠。
初球。
センター前。
「よし!」
無死一塁。
二番・神谷悠斗。
送りバント。
一死二塁。
三番・藤堂拓海。
仙台育英ベンチが動く。
申告敬遠。
一死一、二塁。
そして。
四番。
高橋肇。
球場全体が揺れるような歓声。
しかし。
仙台育英ベンチは再び動いた。
申告敬遠。
「えっ?」
肇が一瞬止まる。
満塁。
一死満塁。
肇は一塁へ。
そして。
打席に立つのは。
五番。
前薗晃大。
前薗は肇を見る。
肇も前薗を見る。
東海大相模戦。
最後に試合を決めたのも前薗だった。
肇が三塁打。
前薗がタイムリー。
そして今日。
また。
相手は肇との勝負を避けた。
前薗が小さく呟く。
「また俺かよ」
一塁から肇が叫ぶ。
「前薗!」
前薗が振り返る。
「頼んだ!」
前薗が笑う。
「任せろ!」
第一球。
岩渕。
ストレート。
148km。
ファウル。
第二球。
スライダー。
ボール。
第三球。
フォーク。
前薗は止める。
2ボール1ストライク。
第四球。
内角。
前薗が振る。
カァン!
打球。
三塁方向。
早坂が飛びつく。
弾いた。
ボールがレフト方向へ転がる。
「走れ!」
三塁走者・鈴木和誠。
ホームへ。
「セーフ!」
二対一。
サヨナラ。
一瞬。
静寂。
そして。
甲子園が爆発した。
「うおおおおおおおおおっ!」
前薗が一塁を回る。
肇が全速力で前薗のところへ。
「前薗おおおお!」
「肇!」
二人が抱き合う。
仲間たちが殺到する。
鈴木。
神谷。
藤堂。
宮坂。
桐生。
長谷川。
相馬。
ベンチメンバー。
全員。
一条監督が拳を握る。
「よしっ!」
マネージャー十一人も。
美月が涙を流す。
「決勝……」
琴音。
「行った……!」
七海。
「あと一つ……!」
そして。
アルプス。
真悠と眞衣が抱き合う。
父親も大きく拍手。
由紀子は涙を拭う。
千鶴も。
教師として周囲にいる生徒たちと拍手する。
だが。
胸の奥では。
誰よりも伝えたい言葉があった。
――肇さん。
――決勝進出、おめでとうございます。
◇◇◇
整列。
仙台育英高校。
肇たち。
「ありがとうございました!」
深く頭を下げる。
仙台育英の選手たちの目には涙。
伊達航平。
宮城大河。
瀬戸陽介。
岩渕直人。
水沢颯斗。
三上拓海。
黒川悠真。
佐伯龍之介。
菅原蒼士。
早坂慶。
及川翔馬。
相原蓮。
そしてベンチメンバー。
全員の夏が終わった。
肇は相手ベンチへもう一度頭を下げた。
勝った喜び。
しかし。
その向こうには、負けた者たちの悔しさがある。
それも甲子園だった。
◇◇◇
ロッカールーム。
全員が戻ってくる。
まだ興奮が収まらない。
前薗が椅子へ座った。
「疲れた……」
肇が隣へ。
「ヒーロー」
「やめろ」
「二試合連続じゃん」
「お前が敬遠されるからだろ」
「俺のせい?」
「半分くらい」
「じゃあ半分俺の功績」
「それは違う」
二人が笑う。
前薗は何も知らない。
肇と千鶴が恋人同士であることも。
二人が一緒に暮らしていることも。
甲子園で優勝したら、肇が千鶴へプロポーズすると決めていることも。
他の仲間たちも同じだった。
それでいい。
今は。
高橋肇はただのエースで。
四番で。
仲間の一人。
千鶴は学校の教師。
吹奏楽部顧問。
その秘密を明かす時ではない。
一条監督が入ってくる。
「全員、聞け!」
二十人が立つ。
「今日の勝利」
一条監督が全員を見る。
「よくやった」
「はい!」
「前薗」
「はい!」
「ナイスバッティング」
「ありがとうございます!」
「高橋」
「はい!」
「九回までよく投げた」
「ありがとうございます!」
「守備陣」
「はい!」
「よく守った」
「はい!」
そして。
一条監督は少しだけ笑った。
「ついに来たぞ」
全員が静かになる。
「甲子園決勝だ」
その言葉。
誰もすぐには声を出さなかった。
地区大会前。
甲子園へ行く。
そう誓った。
地区大会優勝。
甲子園出場。
そして。
一回戦。
二回戦。
三回戦。
準々決勝。
準決勝。
全部を勝った。
残り。
一試合。
一条監督が言う。
「全国制覇まで」
全員を見る。
「あと一勝」
肇は拳を握る。
前薗。
鈴木。
神谷。
藤堂。
宮坂。
桐生。
長谷川。
相馬。
ベンチメンバー十一人。
全員が同じ顔をしていた。
「だが!」
一条監督の声。
「今日と同じだ!」
「はい!」
「全国制覇を考えるのは試合が終わってから!」
「はい!」
「最後の二十七個!」
「はい!」
「七十人で取りに行くぞ!」
「おおおおおおおおおっ!」
その声がロッカールームへ響いた。
◇◇◇
その少し後。
肇はスマートフォンを開いた。
千鶴から一件。
『決勝進出、おめでとうございます』
肇は笑う。
返信。
『ありがとう』
少し考えて。
『あと一つ』
千鶴。
『はい』
肇。
『約束、覚えてる?』
しばらくして。
『もちろんです』
それ以上は書かない。
千鶴との約束。
甲子園で優勝したら。
そして高校を卒業したら。
さらにその先。
ドラフト会議。
プロ野球。
二人にはいくつもの未来が待っている。
だが。
今はまだ。
その未来へ行くために。
最後の一試合が残っている。
高橋肇はスマートフォンを閉じた。
甲子園決勝。
全国制覇まで――。
あと一勝。
第30話「準決勝――仙台育英、決勝進出を懸けた九回の攻防」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回の結果は――二対一。
またしても最後の最後まで勝敗が分からない接戦となりました。
仙台育英高校は、これまで戦ってきた強豪校とはまた違うチームでした。
一発の長打だけではなく、
送りバント。
スクイズ。
進塁打。
走塁。
継投。
守備。
すべてを使って一点を取りに来るチーム。
だからこそ、五回表。
一死一、三塁からスクイズで一対一に追いつかれた場面は、仙台育英らしい攻撃だったと思います。
そして肇自身も、これまでとは違いました。
この試合では160kmを追いません。
149km。
151km。
153km。
時折154km。
必要な場面だけ力を上げながら、後ろの守備を信じる投球。
藤堂拓海。
神谷悠斗。
宮坂大智。
桐生翔。
鈴木和誠。
長谷川颯汰。
相馬健吾。
仲間たちが次々とアウトを取ってくれました。
「一人で投げない」
準決勝前夜に肇が言った言葉を、そのままグラウンドで実行した形です。
そして打撃。
一回裏。
肇が四球で満塁になった後、五番・前薗晃大が犠牲フライ。
まず一点。
さらに六回には肇が二塁打。
前薗もセンター前へ運びましたが、本塁でタッチアウト。
簡単には勝ち越せません。
八回終了時点で一対一。
そして九回裏。
鈴木和誠が出塁。
神谷悠斗が送りバント。
藤堂拓海が敬遠。
さらに肇まで敬遠され――一死満塁。
打席へ立ったのは、またしても前薗晃大。
東海大相模戦では、肇の三塁打を前薗が返しました。
そして今回も。
三塁方向への強い打球。
野手が弾き。
鈴木和誠がホームへ。
二対一。
サヨナラ。
甲子園決勝進出が決まりました。
今回も、最後に決めたのは肇ではありません。
前薗です。
それでも、そのことを肇は素直に喜んでいます。
以前なら、
「自分が決めたい」
という気持ちがもっと強かったかもしれません。
しかし今は違います。
自分が歩かされたなら、次の仲間を信じる。
前薗が返してくれる。
仲間が守ってくれる。
だから勝てる。
まさに七十人で戦う野球になっています。
そして今回、改めて大切なのが千鶴との秘密です。
前薗晃大は知りません。
鈴木和誠も知りません。
他のレギュラーもベンチメンバーも知りません。
彼らにとって千鶴は、
学校一の高嶺の花と呼ばれる美人教師。
吹奏楽部顧問。
それだけです。
肇と同じ家で暮らしていることも。
恋人同士であることも。
甲子園優勝後の未来を約束していることも。
今はまだ秘密。
だからこそ、試合前。
肇が応援席を見た時も、
「真悠と眞衣を見ていた」
と前薗には答えました。
嘘ではありません。
でも、その視線の先には千鶴もいました。
学校では言葉にできなくても、一瞬目が合うだけで伝わるものがあります。
そしてついに――。
一条監督から告げられた、
「甲子園決勝だ」
という言葉。
地区大会優勝。
甲子園出場。
一回戦。
二回戦。
三回戦。
準々決勝。
準決勝。
すべてを勝ち抜きました。
残された試合は――あと一つ。
六十一人が折った二万羽の千羽鶴。
野球部七十人。
マネージャー十一人。
家族。
学校。
吹奏楽部。
チアリーディング部。
そして千鶴。
すべての想いを胸に。
高橋肇たちは、ついに高校最後の夏の最終戦――甲子園決勝へ向かいます。
全国制覇まで。
あと一勝。




