番外編⑵「響け、甲子園への応援歌――野球部と吹奏楽部、三十人の約束」
今回の番外編⑵では、野球部と吹奏楽部、そしてチアリーディング部へとつながっていく「甲子園への約束」を描きました。
地区大会を目前に控えたある日の放課後。
野球部のエース兼四番・高橋肇、正捕手・前薗晃大、そして主将・鈴木和誠の三人が向かったのは、東雲千鶴が顧問を務める吹奏楽部でした。
そこには三十人の部員と、肇の双子の妹・真悠の姿も。
肇は三十人を前に、まず地区大会で優勝すること、そして吹奏楽部のみんなを甲子園へ連れていくことを約束します。
さらに女房役である晃大が応援への感謝と決意を語り、最後は主将の和誠が野球部全員の想いを一つにまとめました。
そして三人の言葉に応えるように、自分の楽器を手にした真悠。
一人から始まった応援の音に、吹奏楽部員たちが次々と加わり、最後には三十人全員による演奏へ――。
一方、もう一人の双子の妹・眞衣もチアリーディング部の一員として、スタンドから兄たちを応援します。
野球部だけではなく、吹奏楽部、チアリーディング部、そして千鶴。
さまざまな想いを背負い、高校野球最後の夏へ挑む肇たち。
甲子園へ向かうための大切な約束の一日をお楽しみください。
放課後。
野球部の練習開始を少し遅らせてもらった肇は、捕手の前薗晃大、そして野球部主将の鈴木和誠とともに校舎を歩いていた。
三人が向かっているのはグラウンドではない。
音楽室だった。
「なんか緊張するな」
晃大が呟いた。
「試合より?」
肇が笑う。
「それはない。でも吹奏楽部に三人で行くなんて初めてだろ」
「確かにな」
和誠が頷いた。
地区大会が近づき、学校全体でも野球部を応援しようという雰囲気が少しずつ強くなっていた。
その中心になるのが吹奏楽部とチアリーディング部だった。
吹奏楽部には三十人の部員が在籍している。
そして、その中には肇にとってよく知る人物もいた。
双子の妹の一人、高橋真悠。
一方、もう一人の妹である眞衣はチアリーディング部に所属している。
「高橋」
和誠が隣を見る。
「何?」
「ちゃんと話すこと考えてきたか?」
「だいたいは」
「だいたい?」
「こういうのって原稿読んでも意味ないだろ。自分の言葉で言いたい」
晃大が笑う。
「さすがエース兼四番」
「関係ないだろ」
三人が音楽室の前まで来る。
中から楽器の音が聞こえていた。
肇は一度息を吸った。
そして扉をノックした。
◇◇◇
「はい」
扉が開く。
顔を出した吹奏楽部員が、三人を見るなり目を丸くした。
「えっ……高橋君?」
その声に、音楽室の中にいた部員たちも一斉に振り向いた。
「え?」
「野球部?」
「高橋君じゃん」
「前薗君もいる」
「鈴木主将まで?」
三十人の視線が一気に三人へ集中する。
肇は少し居心地悪そうに頭を掻いた。
「すごい見られてるな」
「そりゃ見るだろ」
晃大が小声で返す。
部員たちの中には当然、真悠もいた。
楽器を手にしていた真悠は兄を見つけると驚いた。
「お兄……」
危うくいつもの呼び方を大きな声で口にしかけ、途中で止まる。
しかし肇と真悠が兄妹であること自体は学校でも知られている。
近くにいた部員が笑った。
「真悠ちゃんのお兄さん、本当に来たね」
「聞いてなかったんだけど……」
真悠は肇を見る。
「何しに来たの?」
「ちょっと話があって」
「私たちに?」
「うん」
その時、音楽室の奥から千鶴がやって来た。
学校なので、もちろん教師の表情だった。
「高橋君、前薗君、鈴木君。どうしたの?」
「東雲先生、少し吹奏楽部のみんなに時間をもらってもいいですか?」
和誠が代表して尋ねた。
「もちろん。地区大会のこと?」
「はい」
千鶴は三人の顔を見る。
そして吹奏楽部員たちへ振り返った。
「みんな、一度練習を止めましょう」
「はい!」
「野球部の三人から話があるそうです」
部員たちが楽器を置いた。
三十人の視線が再び集まる。
肇はその前へ出た。
千鶴と一瞬だけ視線が重なる。
学校では東雲先生と高橋君。
だから特別な表情は見せない。
肇は吹奏楽部員たちを見渡した。
「今日は練習中にすみません」
音楽室が静かになる。
「もうすぐ俺たち野球部の地区大会が始まります」
三十人が真剣に聞いていた。
「俺たちは、この夏で最後です」
高校三年生にとって、負ければその瞬間に高校野球が終わる。
「俺はエースとしてマウンドに立ちます。それと、四番として打席にも立ちます」
一度、言葉を切った。
「だから責任は大きいと思っています」
千鶴は何も言わず、その姿を見つめている。
家で見せる肇とは違う。
野球部のエースとして立つ十八歳の姿だった。
「でも、一人で勝てるなんて思ってません」
肇は続ける。
「野球部全員で勝つ。そして応援してくれる人たちと一緒に勝ちたいと思っています」
真悠が兄を見つめる。
「だから――」
肇は力強く言った。
「まず地区大会、絶対に優勝します」
音楽室の空気が変わった。
「そして、吹奏楽部のみんなを甲子園へ連れていきます」
三十人の部員たちが息を呑む。
「皆さんがスタンドで演奏してくれるなら、俺たちはグラウンドで最後の一球まで戦います」
肇は頭を下げた。
「応援、よろしくお願いします」
一瞬の静寂。
そして――。
「はい!」
大きな返事が音楽室に響いた。
「絶対応援する!」
「甲子園行こう!」
「頑張って!」
部員たちから次々と声が上がる。
真悠も嬉しそうに笑っていた。
千鶴は教師として静かに拍手する。
だが、その胸の内には、あの夜に肇から聞いた言葉が蘇っていた。
――千鶴を甲子園へ連れていく。
今度は自分だけではない。
吹奏楽部三十人にも同じ約束をした。
千鶴は肇らしいと思った。
◇◇◇
続いて前へ出たのは、捕手の前薗晃大だった。
「えー……高橋の後って話しにくいんですけど」
吹奏楽部員たちから笑いが起きる。
「本当に話しにくいからな、これ」
肇も笑った。
「でも俺からも一つだけ」
晃大は表情を引き締めた。
「俺は捕手なので、試合では高橋の球を受けます」
肇が隣を見る。
「こいつがどれだけすごい投手なのか、一番近くで知っているつもりです」
「おい、急に褒めるなよ」
「最後まで聞けって」
再び笑いが起こる。
「でも、どんなに高橋がいい球を投げても、それだけでは勝てません。俺が受けて、守備のみんなが守って、打線が点を取る。そうやって全員で一試合ずつ勝ちます」
晃大は三十人を見渡した。
「スタンドから皆さんの演奏が聞こえると、本当に力になります」
真剣な声だった。
「苦しい場面になった時ほど、応援の音ってグラウンドまで届くんです」
そして頭を下げる。
「だから、俺からもお願いします」
「地区大会、俺たちと一緒に戦ってください。応援よろしくお願いします!」
「はい!」
三十人から再び大きな返事が返ってきた。
晃大は顔を上げる。
「高橋が甲子園へ連れていくって言ったので、俺もその約束に乗ります」
「乗るって何だよ」
「バッテリーだろ?」
晃大が肇の肩を軽く叩いた。
「お前一人に約束させるわけにいかないだろ」
肇は少し驚いたあと、笑った。
「そうだな」
◇◇◇
最後に主将の鈴木和誠が前へ出た。
それまで少し後ろで二人の話を聞いていた和誠は、三十人を前に深く頭を下げた。
「吹奏楽部の皆さん。いつもありがとうございます」
部員たちが静かになる。
「高橋と前薗が言ったことが、俺たち野球部全員の気持ちです」
主将らしい落ち着いた声だった。
「俺たちは三年生だけで野球をやっているわけではありません。一年生、二年生、三年生、マネージャー、監督、コーチ、そして応援してくれる皆さん。全部合わせて一つのチームだと思っています」
千鶴も静かに聞いている。
「地区大会では苦しい試合もあると思います」
和誠は続けた。
「でも、最後まで諦めません」
そして肇と晃大を見る。
「エースが抑える」
「捕手が受ける」
「打線が打つ」
「守備が守る」
「そして俺が主将として全員をまとめます」
最後に吹奏楽部員たちを見る。
「高橋が約束した通り、まず地区大会で優勝します」
力強く言った。
「そして、みんなで甲子園へ行きましょう」
大きな拍手が起こった。
三十人全員が拍手している。
「頑張れ野球部!」
「絶対甲子園!」
「応援するから!」
音楽室が一気に賑やかになった。
◇◇◇
その時だった。
真悠が突然、自分の楽器を持ち上げた。
「真悠?」
隣の部員が尋ねる。
真悠は兄を見る。
「お兄ちゃん」
「ん?」
今度ははっきり呼んだ。
「言葉だけじゃ、吹奏楽部らしくないよね」
「え?」
真悠は楽器を構えた。
千鶴が何かを察したように微笑む。
「真悠さん」
「先生、一曲だけいいですか?」
千鶴は頷いた。
「もちろん」
真悠が息を吸った。
そして――。
応援のための一曲を奏で始めた。
突然始まった演奏に、肇たちは驚く。
しかし数小節も経たないうちに、別の部員が楽器を構えた。
音が一つ加わる。
さらにもう一人。
また一人。
「じゃあ私も!」
「合わせよう!」
「せっかくだから全員で!」
次々と楽器が加わっていった。
木管。
金管。
打楽器。
最初は真悠一人だった旋律が、やがて三十人の演奏へと変わっていく。
音楽室いっぱいに響く応援曲。
「すげぇ……」
晃大が呟いた。
和誠も黙って聞いている。
肇は妹の真悠を見る。
真悠は演奏しながら、兄へ力強い視線を送っていた。
――絶対に勝って。
言葉にしなくても伝わってくる。
肇は拳を握った。
やがて曲が終わる。
最後の音が響き終わった瞬間、肇たち三人は大きな拍手を送った。
「ありがとう!」
肇が叫んだ。
「絶対勝つから!」
真悠が笑う。
「約束だからね!」
「ああ!」
「甲子園、連れていってよ!」
「任せろ!」
晃大も拳を上げる。
「俺も頑張ります!」
そして和誠が最後に声を張った。
「野球部、絶対に勝つぞ!」
音楽室にいた全員から声が返る。
「おおーっ!」
吹奏楽部三十人と野球部。
まだ地区大会は始まっていない。
それでも、この瞬間から戦いは始まっていた。
◇◇◇
その頃。
別の場所では、眞衣がチアリーディング部の練習をしていた。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
掛け声に合わせて身体を動かす。
野球部の地区大会では、眞衣たちチアリーディング部もスタンドから応援する予定になっている。
練習の休憩中。
眞衣のスマートフォンに真悠からメッセージが届いた。
『お兄ちゃんたち、吹奏楽部に来たよ』
「えっ?」
続いて、
『地区大会優勝して、みんなを甲子園に連れていくって』
眞衣は画面を見ながら笑った。
「お兄ちゃんらしい」
そしてチアリーディング部の仲間たちを見る。
吹奏楽部だけではない。
自分たちもスタンドから兄たちを支える。
「よし!」
眞衣は立ち上がった。
「もう一回やろう!」
「元気だね、眞衣!」
「だって地区大会近いもん!」
眞衣もまた、兄の最後の夏を応援する一人だった。
◇◇◇
その夜。
肇が家へ帰ると、千鶴はすでに夕食の準備を終えていた。
「ただいま」
「おかえり」
二人で夕食を食べながら、自然と放課後の話になった。
「今日は驚いたわ」
「何が?」
「三人で音楽室へ来るなんて思わなかったから」
「和誠が、ちゃんと応援してくれる人たちにも挨拶したいって」
「いい主将ね」
「うん」
千鶴は微笑んだ。
「前薗君もいいこと言ってた」
「晃大?」
「応援の音がグラウンドまで届くって」
「あいつ、普段はあんな真面目なこと言わないんだけどな」
「大切な時だからでしょう?」
「たぶん」
「それに鈴木君も、さすが主将だった」
肇は頷いた。
「あいつが主将だから、ここまで来られた部分もある」
「いいチームなのね」
「最高のチームだと思ってる」
千鶴はその言葉を聞いて嬉しそうに笑った。
「真悠ちゃんの演奏も驚いたでしょう?」
「あれは本当に驚いた」
「私も知らなかったのよ」
「いきなり始めたからな」
「でも一人が合わせて、また一人が合わせて……最後は三十人」
「鳥肌立った」
肇は素直に言った。
「あの演奏聞いたら、絶対負けられないって思った」
千鶴の表情が少し真剣になる。
「肇」
「ん?」
「負けられないじゃなくて、今までやってきたことを全部出してきて」
「千鶴……」
「もちろん私も勝ってほしい」
千鶴は肇の手を取った。
「吹奏楽部のみんなも頑張るから」
今日、三十人の部員が野球部のために音をつないだ。
地区大会が始まれば、スタンドからその音を届ける。
眞衣たちチアリーディング部もいる。
「だから――まずは地区大会優勝、頑張ってね」
「うん」
「約束したんでしょう?」
「した」
「三十人全員に?」
「うん」
「私にも?」
肇は迷わず答える。
「千鶴にも」
「なら、頑張らないとね」
「絶対優勝する」
千鶴は優しく微笑んだ。
教師としてではなく、一番近くで肇を応援している一人として。
「応援してる」
「ありがとう」
夜は静かに更けていった。
肇が吹奏楽部三十人の前で交わした、新しい約束。
地区大会優勝。
甲子園出場。
そこには吹奏楽部の三十人がいる。
チアリーディング部の眞衣もいる。
捕手の前薗晃大がいる。
主将の鈴木和誠がいる。
そして肇の一番近くには、千鶴がいる。
放課後、真悠の一音から始まり、三十人へとつながった応援の旋律。
その音を甲子園で響かせるために――。
高橋肇、高校三年生。
野球部のエース。
四番打者。
高校通算五十五本塁打。
高校野球最後の地区大会が、いよいよ目前まで迫っていた。
番外編⑵「響け、甲子園への応援歌――野球部と吹奏楽部、三十人の約束」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、これまで肇と千鶴の二人だけのものだった「甲子園へ行く」という約束が、野球部の仲間、吹奏楽部三十人、そして妹たちへ広がっていく物語となりました。
最初に決意を伝えたのは、エース兼四番の肇。
「まず地区大会で絶対に優勝する。そして、吹奏楽部のみんなを甲子園へ連れていく」
その言葉に続いたのが、肇の球を誰より近くで受け続けてきた正捕手・前薗晃大でした。
どれだけ素晴らしい投手がいても、一人だけでは試合には勝てない。
苦しい場面でスタンドから届く応援の音も、自分たちの大きな力になる。
そして最後は主将・鈴木和誠が、野球部だけではなく、応援してくれる人たちも含めて一つのチームだと全員の想いをまとめました。
さらに印象的だったのが、肇の双子の妹・真悠です。
吹奏楽部員として自ら楽器を構え、一人で始めた応援の一曲。
その音へ一人、また一人と部員が加わり、最後には三十人全員の演奏となりました。
そしてもう一人の妹・眞衣も、チアリーディング部から兄たちを支えます。
音楽で応援する真悠。
チアリーディングで応援する眞衣。
マウンドに立つ肇。
その球を受ける晃大。
チームをまとめる和誠。
そして吹奏楽部顧問として三十人を率いながら、誰より近くで肇の挑戦を見守る千鶴。
それぞれの立場は違っていても、目指す場所は同じです。
――甲子園。
まずは地区大会優勝。
そして甲子園出場へ。
真悠の一音から三十人へつながった応援の旋律が、いつか本当に甲子園のスタンドで響くのか。
いよいよ、高橋肇にとって高校野球最後の夏が始まろうとしています。




