番外編⑻❷「二万羽に込められた願い――千鶴に伝えた、仲間たちの想い」
番外編⑻❷では、甲子園ベスト4進出を決めた日の夜――。
高橋肇が、東雲千鶴へ昼間明かされた「千羽鶴の秘密」を詳しく話します。
マネージャー十一人。
そして、レギュラー九人とベンチメンバー十一人を除いた野球部員五十人。
合計六十一人が地区大会前から密かに折り続けていた、二十人分の千羽鶴。
その数――合計二万羽。
試合へ出場できない部員たちも、マネージャーたちも、同じ野球部の仲間として一緒に甲子園を戦っています。
千鶴は肇からその話を聞き、改めて伝えます。
「マネージャーの皆さんの想いも、試合に出られない部員の皆さんの想いも、託さなきゃいけませんね」
そして千鶴自身もまた、教師として、吹奏楽部顧問として――そして誰にも言えない恋人として、肇を応援する一人です。
全国制覇まで、あと二勝。
さらに二人は、この夜にもう一つ新しい約束を交わします。
それは――高校卒業とドラフト会議を終え、肇の未来が正式に決まった後の約束です。
その日の夜。
甲子園準々決勝を終え、ベスト4進出を決めた高橋肇は、東雲千鶴と二人で過ごしていた。
昼間、肇たちを驚かせた二十個の千羽鶴。
地区大会が始まる前から、マネージャー十一人とベンチ入りしていない野球部員五十人――合計六十一人が秘密で折り続けていたものだった。
ベンチ入り二十人。
一人につき千羽。
合計二万羽。
肇の分も、その中の一つだった。
部屋に置かれた千羽鶴を、千鶴はしばらく黙って見つめていた。
中央には、はっきりと書かれている。
『高橋肇』
そしてもう一つ。
『全国制覇』
「……これが、今日言っていた千羽鶴なんですね」
「うん」
肇は千鶴の隣へ座った。
「俺も本当に驚いた」
「とても綺麗です」
千鶴は壊さないように、そっと手を添える。
色とりどりの小さな鶴。
一羽だけなら、小さな折り紙。
だが千羽集まれば、そこには圧倒されるほどの存在感があった。
「これ、一個だけじゃないんだ」
「聞きました。二十個なんですよね?」
「うん」
「ということは……」
「二万羽」
千鶴が改めて驚いた。
「二万羽……」
「レギュラー九人とベンチメンバー十一人。一人一個ずつ」
「それを全部……?」
「マネージャー十一人と、ベンチ入りしてない五十人で作ってくれた」
千鶴は言葉を失った。
肇は今日聞いた話を、一つずつ千鶴へ話し始めた。
◇◇◇
「最初はさ」
肇が千羽鶴を見ながら言った。
「マネージャーだけで作ろうとしてたらしい」
「十一人で?」
「うん」
「二万羽をですか?」
「そう」
千鶴は目を丸くする。
「それは大変ですよ」
「俺も思った」
「一人あたりでも相当な数です」
「だから途中で、ベンチに入ってない部員たちに気づかれたんだって」
千鶴は静かに聞いている。
「それで?」
「そいつらが『俺たちも手伝います』って」
「……そうだったんですね」
「一年生も二年生も、三年生も」
肇は少しだけ俯いた。
特に忘れられなかったのは、三年生の言葉。
「三年生の中にも、ベンチに入れなかった奴がいる」
「はい」
「高校最後の夏なのに」
「……はい」
「俺は四番で、ピッチャーで、毎試合出てる」
「そうですね」
「でも同じ三年生でも、甲子園のグラウンドに立てない奴もいる」
千鶴は何も挟まず、肇の話を聞いた。
「そいつらが今日言ったんだ」
「何と?」
肇は思い出す。
『俺たち、グラウンドでは一緒に戦えないから』
『でも、同じ野球部だから』
『何かしたかった』
肇は、そのまま千鶴へ伝えた。
千鶴の表情が変わった。
「……素敵な仲間ですね」
「うん」
「本当に」
「俺さ」
肇は自分の手を見る。
「今日、それ聞いて何も言えなくなった」
「当然だと思います」
「ずっと折ってたんだって」
「地区大会前から?」
「うん」
地区大会。
甲子園出場を決める前。
まだ肇たちが全国大会へ進める保証など何もなかった時期。
そこから始まった。
「地区大会の試合中も、応援しながら攻守交代の時間とかに折ってたって」
「そこまで……」
「甲子園に来てからも」
一回戦。
二回戦。
三回戦。
準々決勝。
選手たちが戦っている間にも、仲間たちは少しずつ完成へ近づけていた。
「俺、全然気づかなかった」
「気づかれないようにしていたのでしょうね」
「多分」
「肇さんたちを驚かせたかったんでしょう」
「見事に驚いた」
千鶴が小さく笑った。
しかし、すぐに千羽鶴へ視線を戻す。
「一羽折るだけでも時間がかかります」
「うん」
「それを二万羽」
「うん」
「六十一人が」
「うん」
「ずっと肇さんたちの勝利を願いながら」
その言葉を聞いた瞬間。
肇は黙った。
千鶴は肇を見る。
「重いですか?」
「前薗にも同じこと言われた」
「何と?」
「『重いな』って」
千鶴は少し心配そうな表情になる。
しかし。
肇は首を横に振った。
「でもプレッシャーじゃない」
「では?」
「力」
千鶴の目が少し柔らかくなる。
「これ持ってたら」
肇は千羽鶴を見る。
「まだ頑張れる気がする」
「そうですね」
「あと二試合」
「はい」
「準決勝と決勝」
「はい」
「全部勝ったら全国制覇」
「はい」
肇は静かに拳を握った。
「絶対勝ちたい」
◇◇◇
その時。
千鶴が肇へ近づいた。
「肇さん」
「何?」
「こっちへ」
「え?」
千鶴は肇を優しく抱き寄せた。
そして。
肇の顔を、自分のJカップの胸元へそっと受け止めた。
「千鶴……?」
突然だったため、肇は少し驚く。
だが千鶴はそのまま、肇の頭へ手を添えた。
優しく。
ゆっくり。
髪を撫でる。
「少しだけ、このままで」
「……うん」
肇も抵抗しなかった。
千鶴の温かな抱擁。
その腕の中で、張り詰めていたものが少しずつ緩んでいく。
千鶴が静かに言った。
「肇さん」
「うん」
「マネージャーの皆さんの想いも」
「うん」
「試合に出られない部員の皆さんの想いも」
「うん」
「託さなきゃいけませんね」
肇は千鶴の言葉を聞いていた。
「グラウンドに立てる人だけが、野球部ではありません」
「……うん」
「マネージャーの皆さんも」
「うん」
「スタンドから応援している部員も」
「うん」
「練習を手伝ってくれた人も」
「うん」
「全員で、ここまで来たんですよ」
肇は目を閉じる。
「監督にも似たようなこと言われた」
「一条先生に?」
「七十人で勝つぞって」
「その通りだと思います」
千鶴はもう一度、肇の頭を撫でる。
「でも」
「何?」
「今は七十人だけではありませんね」
肇が少し顔を上げる。
千鶴は微笑んだ。
「マネージャーの皆さんもいます」
「そうだな」
「吹奏楽部もいます」
「うん」
「チアリーディング部も」
「うん」
「学校の皆さんも」
「うん」
「ご家族も」
そして。
少しだけ頬を赤くしながら。
「……私も」
肇が千鶴を見る。
「千鶴も?」
「もちろんです」
「そっか」
「私も応援しています」
肇は笑った。
「一番応援して」
「それは……」
千鶴も笑う。
「教師としては、全員を平等に応援します」
「教師としては?」
千鶴の頬がさらに赤くなる。
「……それ以上は言いません」
「分かってる」
「もう」
二人は小さく笑った。
◇◇◇
少しして。
肇が千鶴の腕の中から顔を上げた。
二人の距離が近くなる。
千鶴は肇の顔を見る。
肇も千鶴を見る。
しばらく。
誰も言葉を発しなかった。
千鶴は一瞬、肇の唇へ視線を向けた。
そして。
ほんの少しだけ顔を近づけようとして――。
止まった。
肇が気づく。
「千鶴?」
「……何でもありません」
「今」
「何でもありません」
「キスしようとした?」
千鶴の顔が一気に赤くなる。
「していません」
「本当に?」
「……少しだけ」
「やっぱり」
肇が笑う。
千鶴は恥ずかしそうに目を逸らした。
「でも」
「うん?」
「今はしません」
肇が少し意外そうな顔をする。
「しないの?」
「はい」
千鶴は肇を真っ直ぐ見る。
「約束したいんです」
「何を?」
「高校を卒業して」
「うん」
「ドラフト会議も終わって」
「うん」
「肇さんの進む道が正式に決まったら」
千鶴は微笑んだ。
「その時にしましょう」
肇はしばらく千鶴を見ていた。
「それまで?」
「我慢です」
「長いな」
「長くありません」
「俺には長い」
「もう少しです」
千鶴は教師らしく言う。
「まずは高校生として、最後までやるべきことをしてください」
「甲子園?」
「それもです」
「卒業?」
「もちろん」
「ドラフト?」
「はい」
肇は少し考える。
そして。
「分かった」
「約束できますか?」
「約束する」
千鶴が小指を差し出した。
「では」
肇も小指を絡める。
「高校卒業して」
「はい」
「ドラフト会議で俺の進路が決まったら」
「はい」
「その時」
千鶴は頬を赤くしながら。
「キスしましょう」
肇が嬉しそうに笑う。
「絶対?」
「絶対です」
「忘れない?」
「忘れません」
「俺は覚えてるから」
「私も覚えています」
二人は指を離した。
キスはしない。
その代わり。
千鶴はもう一度、肇を抱きしめた。
肇も千鶴の背中へ腕を回す。
「千鶴」
「はい?」
「ありがとう」
「何がですか?」
「色々」
千鶴は少し笑う。
「どういたしまして」
◇◇◇
その後。
二人は並んで千羽鶴を見ていた。
中央。
『高橋肇』
そして。
『全国制覇』
千鶴が指を差す。
「この言葉」
「うん」
「叶えてください」
「もちろん」
「でも」
「何?」
「怪我をしてまで叶えようとはしないでください」
「分かってる」
「無理も駄目です」
「分かってる」
「一人で全部背負うのも」
「分かってるって」
千鶴が肇を見る。
「本当に?」
「本当」
「前薗もいる」
「はい」
「和誠もいる」
「はい」
「監督もいる」
「はい」
「七十人いる」
「はい」
「マネージャーもいる」
「はい」
「千鶴もいる」
千鶴が少し笑った。
「はい」
「だから」
肇は千羽鶴へ手を添える。
「みんなで勝つ」
「それが一番です」
全国制覇まで。
あと二勝。
準決勝。
決勝。
その先には。
高校卒業。
ドラフト会議。
プロ野球。
そして――。
千鶴との新しい約束。
肇は二万羽のうち、自分へ託された千羽を見つめた。
六十一人が折り続けた願い。
グラウンドへ立てない仲間たちの想い。
マネージャーたちの想い。
そして。
自分の隣には、ずっと応援してくれている千鶴がいる。
「絶対、全国制覇する」
肇が言った。
千鶴は静かに頷いた。
「はい」
そして優しく肇を抱きしめながら。
「みんなの想いを、甲子園へ連れていってください」
「うん」
キスはまだしない。
それは高校を卒業し、ドラフト会議で肇の未来が決まった時まで取っておく。
今はただ。
二人で同じ千羽鶴を見つめる。
そこに込められた六十一人の願いを胸に。
高橋肇は――。
全国制覇まで残された二試合へ、改めて心を向けた。
番外編⑻❷「二万羽に込められた願い――千鶴に伝えた、仲間たちの想い」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は甲子園での試合から少し離れ、肇と千鶴の二人の時間を中心に描きました。
昼間、突然渡された千羽鶴。
肇自身も、それが地区大会前から作られていたことを知りませんでした。
マネージャー十一人。
ベンチ入りしていない野球部員五十人。
合計六十一人。
しかも作ったのは一つではなく、ベンチ入り二十人それぞれに千羽ずつ。
合計二万羽です。
特に肇の心へ残ったのは、同じ三年生でありながらベンチ入りできなかった部員たちの存在でした。
高校最後の夏。
自分もグラウンドへ立ちたかったはずです。
それでも、
「同じ野球部だから」
「自分たちにもできることをしたい」
そんな気持ちで仲間のために鶴を折り続けました。
千鶴もその話を聞き、肇へ大切なことを伝えます。
甲子園で実際にプレーする選手だけが戦っているのではありません。
ベンチ。
スタンド。
マネージャー。
吹奏楽部。
チアリーディング部。
学校の仲間。
家族。
監督。
そして千鶴。
たくさんの人たちの想いが、今の肇たちを支えています。
だからこそ千羽鶴の「重さ」は、プレッシャーではありません。
肇が表現した言葉は――「力」。
全国制覇へ向かうための、新しい力になりました。
そして今回、もう一つ描いたのが肇と千鶴の約束です。
二人の距離が近づき、千鶴もキスをしたい気持ちを見せました。
しかし、今はまだしません。
「高校を卒業して、ドラフト会議も終わって、肇さんの進む道が正式に決まったら」
その時まで待つ。
二人はそう約束しました。
今の肇が最優先するものは、高校最後の夏を最後まで戦い抜くこと。
準決勝。
決勝。
全国制覇。
そして高校卒業。
その先に待っているドラフト会議。
プロ野球選手としての未来。
さらにその向こうには、甲子園で優勝したら千鶴へプロポーズするという、肇自身が以前から胸に秘めている大きな約束もあります。
まずは――あと二勝。
次なる相手は、仙台育英高校。
六十一人が折った二万羽の鶴。
七十人の野球部員。
十一人のマネージャー。
そして千鶴をはじめとする多くの人たちの想いを胸に。
高橋肇の高校最後の夏は、いよいよ甲子園準決勝へ進みます。




