第28話「ベスト8進出――去年を越えたその先で、準々決勝の相手が決まる」
第28話では、大阪桐蔭高校との一対〇という死闘を終えた翌日から始まります。
九回裏。
高橋肇が放ったサヨナラ本塁打。
その一打によって、肇たちはついに昨年越えることのできなかった甲子園三回戦を突破しました。
しかし、一条昴監督が選手たちへ伝えたのは、
「昨日の勝利で手に入れたのは、次の試合をする権利だけ」
という言葉。
全国制覇までは――あと三勝。
そして今回は、激戦を戦い抜いた肇の身体を休ませることも重要になります。
前薗晃大と軽くキャッチボールをしながら、肩、肘、腰の状態を確認。
打撃練習も一条監督から十五球だけに制限されます。
そんな中、甲子園では他校の三回戦が進行。
マネージャーたちから、
東海大相模高校。
健大高崎高校。
浦和学院高校。
次々と強豪校の勝ち上がりが報告されます。
そして肇は昼休み、崇道君彦、橘川玲央との三人だけのチャットグループで、大阪桐蔭戦や白峰蓮司について話すことに。
敵として戦った選手たちとのつながりも、少しずつ広がり始めました。
一方、応援組では――。
吹奏楽部の練習を続ける千鶴と真悠。
三回戦突破について語り合う千鶴と由紀子。
そして父親、真悠、眞衣の家族三人。
それぞれが違う場所から、肇たちの全国制覇を願っています。
そして午後。
ついに発表される準々決勝の相手。
東海大相模高校。
全国評価SS。
最速155kmの投手――神代颯真。
昨年見ることのできなかった甲子園ベスト8の景色。
ここから先は、肇にとっても仲間たちにとっても未知の領域です。
全国制覇まで――あと三つ。
大阪桐蔭高校との死闘から、一夜が明けた。
一対〇。
九回裏。
高橋肇が放った、たった一本のサヨナラ本塁打。
全国屈指の強豪・大阪桐蔭高校を破り、肇たちはついに甲子園ベスト8へ進出した。
昨年。
高校二年生だった肇たちは、三回戦で敗退。
あと一歩。
その先を見ることはできなかった。
だから今年。
三回戦を突破した瞬間。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
しかし――。
「全員集合!」
翌朝。
甲子園から少し離れた地方球場。
一条昴監督の声に、野球部七十人とマネージャー十一人が集まった。
三年生。
二年生。
一年生。
全員。
一条監督は選手たちをしばらく見た。
「昨日」
少し間。
「大阪桐蔭に勝った」
「はい!」
「一対〇」
「はい!」
「去年越えられなかった三回戦を越えた」
「はい!」
三年生たちの表情が少しだけ緩む。
前薗晃大。
鈴木和誠。
高橋肇。
三人とも。
昨日の光景を思い出していた。
だが。
一条監督はすぐに言った。
「で?」
部員たちが止まる。
「全国制覇したのか?」
「してません!」
「決勝まで行ったのか?」
「行ってません!」
「まだベスト8だ」
「はい!」
一条監督は指を一本立てる。
「昨日の勝利で手に入れたのは」
「はい」
「次の試合をする権利だけだ」
「はい!」
肇は大きく頷いた。
その言葉。
一回戦からずっと同じだった。
横浜高校に十二対三で勝っても。
智辯和歌山高校に十四対十三で勝っても。
大阪桐蔭高校に一対〇で勝っても。
次は必ず〇対〇。
過去の得点は持ち越せない。
本塁打も。
160kmも。
昨日のサヨナラも。
次の試合の一点にはならない。
一条監督が言う。
「今日は身体の確認を最優先する」
「はい!」
「特に昨日フルで投げた高橋」
「はい」
「キャッチボールだけ」
「え」
「何だ」
「打撃は?」
「軽くだ」
「何球?」
「十五」
「少なっ!」
周囲から笑い声。
前薗がすぐに。
「監督、正解です」
肇が前薗を見る。
「お前最近ずっと監督側だな」
「お前の身体を守るためだよ」
一条監督も言う。
「昨日何球投げたと思ってる」
「覚えてません」
「だから止めるんだ」
「はい……」
「不満そうな返事するな」
また笑い。
昨日までの緊張が少しだけ和らいだ。
◇◇◇
ウォーミングアップ開始。
軽いランニング。
ストレッチ。
キャッチボール。
肇は前薗と短い距離でボールを投げ合っていた。
パシッ。
「肩どう?」
前薗。
「張ってる」
「痛い?」
「痛くはない」
「肘は?」
「大丈夫」
「腰?」
「少し重い」
前薗がすぐに。
「監督に言った?」
「言った」
「トレーナーにも?」
「言った」
「本当に?」
「何回聞くんだよ」
前薗が笑う。
「前のお前なら全部『大丈夫』で済ませるから」
肇も少し笑った。
「もうやらない」
「本当に成長したな」
「昨日もそれ言われた」
「誰に?」
肇は危うく答えそうになった。
「……家族」
「怪しい」
「何が?」
「最近たまに変な間がある」
「気のせい」
前薗はそれ以上追及しなかった。
当然。
前薗は知らない。
肇と東雲千鶴が恋人同士であること。
二人が一緒に暮らしていること。
甲子園優勝を約束していること。
学校でそれを知っているのは、一条監督や校長、教頭など、ごく一部だけ。
◇◇◇
午前九時半。
打撃練習。
「高橋!」
「はい!」
「十五球!」
「分かってます!」
一条監督から念を押される。
肇が打席。
投げるのは二年生投手・久我直哉。
「先輩」
「何?」
「昨日のホームラン、すごかったです」
「ありがとう」
「白峰さんから打てなかったの、悔しいですか?」
肇は少し考える。
「悔しい」
「やっぱり」
「でも」
「はい」
「負けなくてよかった」
久我が少し驚く。
肇は続ける。
「前なら多分、白峰から打ちたかったってことばっかり考えてた」
「今は?」
「チームが勝てばいい」
久我が笑った。
「それ、俺たちには助かります」
「だから」
肇がバットを構える。
「遠慮なく投げろ」
「はい!」
一球目。
ストレート。
カァン!
右方向。
二球目。
変化球。
ファウル。
三球目。
センター前。
四球目。
見送り。
五球目。
強烈なライナー。
久我が笑う。
「昨日あれだけ投げたのに普通に振れるんですね」
「身体は重いよ」
「見えません」
「見せないだけ」
十球。
十一球。
十二球。
十三球。
十四球。
そして十五球目。
久我が少し笑う。
「最後、ホームラン打ちます?」
肇も。
「言うなよ」
「狙ってる」
「狙ってない」
久我が投げる。
肇が振る。
カキィン!
打球は左中間。
フェンス手前。
キャッチ。
肇が悔しそうな顔。
「入らなかった」
久我が笑う。
「狙ってたじゃないですか!」
「打ったら入りそうだっただけ!」
一条監督が遠くから。
「終了!」
「はい!」
「追加するなよ!」
「しません!」
「本当に?」
「監督まで!」
周囲に笑いが広がった。
◇◇◇
その頃。
甲子園球場では、別ブロックの三回戦が続いていた。
ベスト8。
準々決勝へ進む学校が次々に決まっていく。
マネージャー十一人も、相手候補の試合を細かく確認していた。
そして。
午前十時過ぎ。
二年生マネージャー・森下結菜が、グラウンドへ走ってきた。
「監督!」
「どうした?」
「三回戦の結果です!」
一条監督が練習を止める。
「全員、聞け」
部員たちが集まる。
結菜がノートを見る。
「東海大相模高校対履正社高校は――四対三で東海大相模高校が勝利しました!」
「一点差……」
鈴木和誠が呟く。
「内容は?」
一条監督。
「七回終了まで三対三。八回表に東海大相模が一点勝ち越しです」
「神代颯真は?」
「先発して七回一失点。その後は継投です」
一条監督が頷く。
全国評価SS。
最速155km。
東海大相模高校の投手・神代颯真。
また有力選手が勝ち残った。
肇が前薗へ小声。
「神代、残ったな」
「うん」
「白峰の次は神代とか勘弁してほしい」
「お前が言うなよ」
「何で?」
「相手も『高橋と当たりたくない』って思ってるだろ」
肇は少し笑った。
「そうかな」
「絶対」
◇◇◇
次の試合。
健大高崎高校対報徳学園高校。
結果――。
六対四。
健大高崎高校が勝利。
全国評価SSの中堅手・成瀬迅が三安打。
さらに盗塁二つ。
一条監督はその結果を聞くと、すぐ選手たちへ言った。
「聞いたな?」
「はい!」
「ホームランだけが攻撃じゃない!」
「はい!」
「足で一点を取れるチームは強い!」
「はい!」
そしてなぜか肇を見る。
「高橋!」
「何で俺を見るんですか!」
部員たちが笑う。
「お前、甲子園入ってからホームランばっかりだから」
「俺だって走れます!」
「なら次見せろ」
「はい!」
◇◇◇
第三試合。
浦和学院高校対京都国際高校。
五対二。
浦和学院高校が勝利。
そして。
これでベスト8の学校がほぼ出揃った。
高橋肇たちの学校。
東海大相模高校。
健大高崎高校。
浦和学院高校。
そのほか別ブロックから勝ち上がった四校。
全国の頂点まで。
残り三勝。
準々決勝。
準決勝。
決勝。
たった三試合。
しかし。
その一試合一試合が、これまで以上に厳しくなる。
◇◇◇
昼休み。
肇は食事を終え、スマートフォンを確認した。
三人のチャットグループ。
『高卒プロ候補三人組』
崇道君彦。
橘川玲央。
そして肇。
すでに通知が何件も入っていた。
橘川玲央
『大阪桐蔭に勝った人』
崇道君彦
『昨日のサヨナラ見た』
橘川玲央
『白峰からは打てなかったな』
肇は笑う。
高橋肇
『そこ言う?』
橘川
『大事』
崇道
『でも一対〇で勝った』
肇
『それが全部』
橘川
『成長したな』
肇
『何目線だよ』
崇道
『俺ら全員同い年』
三人のチャット。
昨日までなら。
試合の技術。
ドラフト候補。
球速。
本塁打。
そんな話が中心だった。
だが今日は少し違った。
橘川
『白峰と話した?』
肇
『試合後に』
崇道
『何て?』
肇
『プロで会おうって』
橘川
『また一人増えた』
崇道
『このままだとグループ増えるぞ』
肇
『白峰入れる?』
橘川
『本人に聞けば』
崇道
『そのうちドラフト候補グループになる』
肇が思わず笑う。
そして。
崇道
『準々決勝相手まだ?』
肇
『これから』
橘川
『誰でも強い』
肇
『分かってる』
崇道
『あと三勝』
肇
『全国制覇まで』
橘川
『本当にそこしか見てないな』
肇
『約束してるから』
橘川
『また秘密の誰か?』
肇
『秘密』
崇道
『絶対何かある』
肇はスマートフォンを見ながら少しだけ笑った。
千鶴。
もちろん。
二人には言えない。
◇◇◇
その頃。
甲子園から少し離れたホテル。
吹奏楽部三十人も練習を続けていた。
千鶴が前に立つ。
「もう一度、最初からお願いします」
「はい!」
真悠も楽器を構える。
大阪桐蔭戦。
〇対〇。
九回裏。
最後に兄・肇が打ったサヨナラ本塁打。
今でも鮮明に覚えている。
演奏中。
真悠は一瞬だけ昨日の景色を思い出していた。
「真悠さん」
「はい!」
千鶴の声。
「少し入りが遅れています」
「すみません!」
「考え事?」
「少し……」
千鶴は何となく分かる。
「昨日の試合ですか?」
真悠が笑う。
「はい」
「私もまだ思い出します」
教師として答えた。
それでも真悠は、本当の意味も分かっている。
兄の恋人。
大切な人。
「先生」
「何ですか?」
「お兄ちゃん、本当に去年越えたね」
千鶴は少し微笑む。
「はい」
「嬉しかった?」
千鶴は周囲を見る。
部員たちがいる。
だから。
「先生として、とても嬉しかったですよ」
真悠は少しだけ笑う。
「先生として?」
千鶴が小さな声で。
「……それ以上は、今は聞かないでください」
真悠がニヤッとする。
「分かりました」
「真悠さん」
「はい」
「練習に戻りますよ」
「はーい」
◇◇◇
昼過ぎ。
ホテルの休憩スペース。
由紀子と千鶴が二人で座っていた。
「昨日」
由紀子が言う。
「泣いてたでしょう?」
千鶴が少し困る。
「少しだけです」
「少し?」
「少しです」
「私より泣いてた」
「由紀子先輩」
二人が笑う。
由紀子は紙コップの飲み物を手にする。
「三回戦」
「はい」
「ずっと肇が越えたがってた場所だったから」
「はい」
「去年の敗戦、帰ってきてからしばらく引きずってたのよ」
「聞きました」
「家でもほとんど話さなくて」
千鶴は静かに聞く。
「でも」
由紀子が笑う。
「今年は帰ってこないわね」
「まだですよ」
「全国制覇してから?」
千鶴の頬が少し赤くなる。
「……そう言っています」
「千鶴に?」
「はい」
由紀子はその反応だけで分かる。
「例の約束ね」
「はい」
「優勝したら、その先の話」
千鶴は小さく頷く。
高校卒業後。
そして肇自身が考えている未来。
千鶴への正式なプロポーズ。
「本当にあの子」
由紀子が少し笑う。
「高校三年生なのに未来まで全部決めようとする」
千鶴も。
「一度決めると一直線ですから」
「困る?」
「少し」
「でも?」
千鶴は柔らかく笑う。
「嬉しいです」
由紀子も笑った。
◇◇◇
少し離れた場所。
父親。
真悠。
眞衣。
三人で昼食後の休憩をしていた。
眞衣が言う。
「お父さん」
「何?」
「昨日のホームラン、何回見た?」
父親が即答。
「ニュースで?」
「うん」
「五回くらい」
真悠が笑う。
「見すぎ!」
「ニュースつけたらやってるんだよ」
「お兄ちゃん全国ニュース?」
「そりゃ大阪桐蔭相手のサヨナラだしな」
眞衣が少し得意そう。
「兄貴すごい」
父親が娘を見る。
「お前が打ったわけじゃないぞ」
「分かってる」
真悠が聞く。
「次、準々決勝だよね」
「そう」
「あと何回勝ったら優勝?」
「準々決勝」
父親が指を一本。
「準決勝」
二本。
「決勝」
三本。
「あと三つ」
双子が少し静かになる。
真悠が言う。
「近くなったね」
父親は首を横に振る。
「そう思うと危ない」
「何で?」
「一試合ずつだ」
「監督と同じこと言ってる」
「野球はそういうもの」
眞衣が聞く。
「お兄ちゃん、優勝できるかな」
父親は少し考える。
「できるかどうかは分からない」
「えー」
「でも」
二人を見る。
「優勝するために必要な力はある」
真悠。
眞衣。
二人が父親を見る。
「仲間もいる」
「うん」
「監督もいる」
「うん」
「応援してる人もいる」
「うん」
父親は少し笑った。
「だからあとは、グラウンドでやるだけ」
真悠が笑う。
「私、吹奏楽もっと頑張る」
眞衣も。
「私もチア」
「父さんも声出す」
眞衣が笑う。
「次はもっと大きく」
「昨日でも相当叫んだぞ」
三人が笑った。
◇◇◇
午後二時。
地方球場。
練習再開。
守備。
走塁。
バント。
エンドラン。
そして。
一条監督へ、マネージャーリーダーが一枚の紙を渡した。
「監督」
「来たか?」
「はい」
準々決勝。
正式な組み合わせ。
一条監督が紙を見る。
数秒。
そして。
「全員集合!」
七十人が走る。
十一人のマネージャーも集まる。
肇。
前薗。
和誠。
全員。
一条監督がゆっくり言った。
「準々決勝の相手が決まった」
静寂。
「相手は――」
一条監督が紙を掲げる。
「東海大相模高校」
部員たちがざわついた。
「東海大相模……」
「神代だ」
「SSの投手」
肇も少し笑う。
「来たか」
前薗が見る。
「また有力投手」
「甲子園だからな」
一条監督が言う。
「東海大相模高校」
「はい!」
「全国屈指の強豪」
「はい!」
「そしてエース」
ホワイトボードへ名前を書く。
『神代颯真』
全国評価SS。
最速155km。
高い制球力。
縦に大きく落ちるフォーク。
スライダー。
そして打者の内角へ投げ切る度胸。
「白峰とは違うタイプだ」
「はい」
「球速だけなら白峰より少し下」
「はい」
「だが制球はかなりいい」
「はい!」
「四球をほとんど出さない」
「はい!」
一条監督が肇を見る。
「高橋」
「はい」
「またホームラン勝負する気か?」
「しません」
「本当か?」
「……打てるなら打ちます」
部員たちが笑う。
「お前な」
肇も笑った。
「でも」
表情を変える。
「勝つことが一番です」
一条監督が頷く。
「それでいい」
◇◇◇
東海大相模高校。
投手・神代颯真だけではない。
捕手・安堂悠河。
一塁手・白川健。
遊撃手・相沢拓真。
中堅手・藤宮蓮。
複数の有力選手がいる。
一条監督が続ける。
「ここまで来たら」
「はい」
「相手に弱点があると思うな」
「はい!」
「一つずつ作るんだ」
「はい!」
「走塁」
「はい!」
「バント」
「はい!」
「守備」
「はい!」
「一球」
「はい!」
「全部で一点を作る」
「はい!」
肇は昨日の大阪桐蔭戦を思い出す。
九回まで。
〇対〇。
あれだけ攻めても。
一点が取れなかった。
だからこそ分かった。
甲子園では。
一点がどれだけ重いか。
「監督」
「何だ?」
肇が言う。
「俺」
「うん」
「次、ホームラン打てなくてもいいです」
部員たちが少し驚く。
前薗も。
「肇が?」
「何だよ」
「いや、珍しい」
肇は続ける。
「ヒットでも」
「四球でも」
「送りバントでも」
「一点入ればいい」
一条監督はしばらく肇を見る。
そして少し笑った。
「やっと四番らしくなったな」
「前から四番です」
「そういう意味じゃない」
和誠も笑う。
「分かってないな」
「何が?」
前薗が肇の肩を叩く。
「そのうち分かる」
「何なんだよ」
七十人の間に笑い声。
◇◇◇
夕方。
練習終了。
肇は一人、ベンチに座っていた。
目の前のグラウンド。
そこへ一条監督がやってくる。
「高橋」
「はい」
「何考えてる?」
「あと三つ」
「何が?」
「全国制覇まで」
一条監督が隣へ座る。
「さっき父親からも同じようなこと言われた気がする」
「父さん?」
「いや、会ってない」
「じゃあ何ですか」
「そういう顔してるってことだ」
肇が笑う。
そして。
「監督」
「何だ?」
「去年」
「うん」
「三回戦で負けて」
「うん」
「絶対戻るって思った」
「知ってる」
「昨日越えた」
「うん」
「でも」
肇は前を見る。
「思ってたより嬉しくない」
一条監督が肇を見る。
「何で?」
「まだ終わってないから」
一条監督が少しだけ笑った。
「それでいい」
「はい」
「全国制覇した瞬間」
「はい」
「全部喜べ」
肇も笑う。
「そうします」
◇◇◇
夜。
宿泊先。
肇はスマートフォンを見る。
千鶴からメッセージ。
『準々決勝の相手、決まりましたね』
肇。
『東海大相模』
すぐ返信。
『神代君という投手ですね』
『知ってる?』
『真悠さんたちが話していました』
肇は少し笑う。
『強いよ』
千鶴。
『甲子園ですからね』
『うん』
少しして。
千鶴から。
『でも、昨日大阪桐蔭に勝ったことは忘れてください』
肇が驚く。
『監督と同じこと言う』
『大切だからです』
『分かってる』
そして。
肇は入力する。
『千鶴』
『はい?』
『あと3つ』
少し間。
返信。
『はい』
『絶対そこまで行く』
『焦らなくていいです』
『うん』
『まず準々決勝です』
『分かってる』
そして最後。
『応援してる』
肇は画面を見る。
それだけで十分だった。
『ありがとう』
送信。
スマートフォンを置く。
準々決勝。
東海大相模高校。
全国評価SS。
神代颯真。
これまで。
横浜高校。
智辯和歌山高校。
大阪桐蔭高校。
どの学校も強かった。
そして次も。
当然強い。
それでも。
全国制覇するなら。
全部倒すしかない。
高橋肇は目を閉じた。
甲子園。
ベスト8。
昨年は見ることのできなかった景色。
しかし。
ここもまだ途中。
「あと三つ」
静かな部屋で、肇はもう一度呟く。
準々決勝。
準決勝。
決勝。
全国の頂点まで――。
残り三勝。
高橋肇たちの高校最後の夏は、いよいよ最終盤へ入ろうとしていた。
第28話「ベスト8進出――去年を越えたその先で、準々決勝の相手が決まる」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
前回は、大阪桐蔭高校との〇対〇の投手戦。
そして九回裏。
高橋肇が放ったサヨナラ本塁打によって、一対〇で三回戦を突破しました。
今回描いたのは、その翌日。
三回戦突破という大きな喜びがありながらも、すぐに次の戦いへ気持ちを切り替えていく一日です。
昨年。
高校二年生だった肇たちは、甲子園三回戦で敗退しました。
だからこそ、
「三回戦を突破する」
ことは、ずっと一つの大きな目標でした。
しかし、実際にその壁を越えた肇が感じたのは――。
「まだ終わっていない」
という思い。
全国制覇を目標にしている以上、三回戦突破はゴールではありません。
一条監督も、
「昨日の勝利で手に入れたのは、次の試合をする権利だけ」
と選手たちへ伝えました。
そして今回、もう一つ重要だったのが肇の変化です。
これまでの肇なら、
「自分が投げる」
「自分が打つ」
「本塁打を打つ」
という気持ちが非常に強い選手でした。
しかし大阪桐蔭戦を経験し、少しずつ考え方が変わっています。
準々決勝を前に肇自身が口にした、
「ホームランを打てなくてもいい」
「ヒットでも、四球でも、送りバントでも、一点入ればいい」
という言葉。
四番打者として。
エースとして。
そしてチームの一員として。
全国大会を勝ち進む中で、肇自身も成長しています。
また今回は、身体の状態についても描きました。
大阪桐蔭戦では九回まで投げ抜いた肇。
そのため一条監督はキャッチボールを軽めにし、打撃練習も十五球まで。
肇本人はもっと練習したそうでしたが、全国制覇を目指すからこそ、休ませることも必要になります。
そして他校の三回戦。
東海大相模高校。
健大高崎高校。
浦和学院高校。
全国の強豪が次々と勝ち残ります。
甲子園も、いよいよベスト8。
ここからは、
「強豪校と当たる」
のではなく、
「強豪校しか残っていない」
世界へ入っていきます。
さらに、崇道君彦と橘川玲央とのチャット。
そこでは大阪桐蔭の白峰蓮司についても話題になりました。
地区大会決勝で戦った崇道。
甲子園二回戦で戦った橘川。
甲子園三回戦で戦った白峰。
戦った時には敵。
しかし全員、高校卒業後にはプロ野球の世界を目指す選手たちです。
「プロで会おう」
この約束が、少しずつ肇の周囲へ広がってきました。
そして応援組。
吹奏楽部では、真悠と千鶴。
人前では当然、
「高橋君」
と呼ぶ千鶴。
真悠から、
「お兄ちゃん、本当に去年越えたね」
「嬉しかった?」
と聞かれても、千鶴は教師として答えなければなりません。
学校一の高嶺の花と呼ばれる美人教師・東雲千鶴。
そして野球部エース・高橋肇。
二人が恋人同士であり、一緒に暮らしていることは今も学校では秘密です。
だからこそ千鶴は、
「先生として、とても嬉しかったですよ」
と答えました。
しかし、本当の気持ちはそれだけではありません。
そして由紀子との会話では、甲子園優勝後に待っている二人の約束についても触れました。
肇は甲子園で優勝する。
高校卒業後は大学へ進学せず、プロ野球の世界へ進む。
そして高校を卒業したら――千鶴へ正式にプロポーズする。
まだ誰にでも話せる未来ではありません。
それでも、肇の中では少しずつその未来が現実へ近づいています。
全国制覇まで――あと三勝。
準々決勝。
準決勝。
決勝。
そして、その最初の相手が決まりました。
東海大相模高校。
全国評価SS。
最速155km。
高い制球力を持つ投手――神代颯真。
大阪桐蔭の白峰蓮司とは、また違うタイプの強敵です。
昨年は見ることのできなかったベスト8の景色。
ここから先は、すべてが初めて。
高橋肇たちの高校最後の夏。
全国の頂点まで――残り三試合です。




