第15話「地区大会決勝――九回裏、甲子園を決めたサヨナラの一打」
第15話では、ついに地区大会決勝。
勝てば甲子園。
負ければ、高校三年生としての最後の夏が終わる――。
そんな大一番を迎えました。
試合開始直前。
仲間たちが最後の準備を進めている中、高橋肇が向かったのは少し離れた場所。
そこで肇が電話を掛けた相手は、恋人でもあり、学校では教師でもある東雲千鶴でした。
「愛してるよ」
「大好きです」
「地区大会、優勝するね」
「甲子園へ連れていく」
決勝直前とは思えないほど真っ直ぐに想いを伝える肇。
電話越しにその言葉を聞いた千鶴は、思わず顔を真っ赤にしてしまいます。
そして、そのやり取りを偶然聞いていたのは、肇の双子の妹――真悠と眞衣。
「ラブラブだね」
そう笑われながらも、千鶴は誰よりも強く肇の勝利を願います。
そして始まった地区大会決勝。
相手には、最速152kmを誇るドラフト上位候補・崇道君彦。
すでにプロ球団から高い評価を受け、ドラフト2位から3位級の候補として注目されている強敵です。
高校通算六十本塁打の四番・高橋肇。
最速152kmのドラフト候補・崇道君彦。
全国を目指す二人の高校生が、地区大会決勝という舞台で真正面からぶつかります。
そして試合は――八対八で九回裏。
二死一、二塁。
打席に立つのは、四番・高橋肇。
甲子園への切符を懸けた、最後の一打席です。
地区大会決勝。
試合開始まで、あとわずか。
球場の空気は、これまでのどの試合とも違っていた。
勝てば甲子園。
負ければ、高校三年生としての最後の夏はここで終わる。
ベンチ裏では、スターティングメンバーの九人がそれぞれ最後の準備を進めていた。
神谷悠斗。
藤堂拓海。
鈴木和誠。
高橋肇。
前薗晃大。
宮坂大智。
桐生翔。
長谷川颯太。
相馬健吾。
そしてベンチには黒崎蓮、早川慶介、久我直哉、松岡亮平、橘優成、西川陸斗、安西航、倉田陽向、森川駿、大野蒼真、榎本悠生。
十一人のマネージャーも忙しく動いている。
小宮山美月。
佐々木梨花。
水野琴音。
青木菜々美。
白石美羽。
森下結菜。
小泉杏奈。
坂口莉央。
山岸ひなた。
川島咲良。
本田紗季。
一条昴監督も、最後のメンバー表と相手校のデータを確認していた。
その中で――。
肇だけが、少し離れた場所へ移動した。
「肇?」
晃大が気づく。
「ちょっと電話」
「誰に?」
「……秘密」
「決勝直前に?」
「五分だけ」
晃大は呆れながら笑った。
「すぐ戻れよ」
「分かってる」
肇はスマートフォンを取り出す。
登録されている名前。
『千鶴』
少しだけ息を吸う。
そして電話を掛けた。
◇◇◇
一方。
応援席。
吹奏楽部三十人は、すでに楽器の準備を終えていた。
東雲千鶴は顧問として部員たちを見ている。
その中には真悠もいる。
少し離れたチアリーディング部には眞衣。
さらに一般席には、美琴と莉奈。
昨日母校へ来ていた十五人の先輩と、五人の元マネージャーもそろっていた。
その時。
千鶴のスマートフォンが震えた。
画面を確認する。
「……肇?」
一瞬、周囲を確認する。
学校では教師と生徒。
しかし今は電話。
千鶴は少し離れた場所へ移動して電話に出た。
「もしもし?」
『千鶴』
その一言。
千鶴の表情が一気に柔らかくなる。
「どうしたの? もうすぐ試合でしょう?」
『うん』
「大丈夫?」
『緊張してる』
「やっぱり?」
『かなり』
千鶴は少し笑った。
「それなら普通でしょう」
『でもさ』
「うん?」
『試合前に声聞きたかった』
千鶴が一瞬黙る。
「……肇」
『あと五分くらいなら話せる』
「だったらチームのみんなと話してた方がいいんじゃない?」
『もう話した』
「そう」
『だから最後に千鶴』
「最後って言い方しないの」
『ごめん』
千鶴は小さく息を吐く。
「今日、勝つんでしょう?」
『勝つ』
「甲子園へ行くんでしょう?」
『行く』
「だったら堂々としてなさい」
『はい、先生』
「今は千鶴でいい」
肇が少し笑う。
『千鶴』
「何?」
『愛してるよ』
「……っ」
完全に予想していなかった。
千鶴の顔が一気に赤くなる。
『聞こえた?』
「聞こえたわよ……」
『返事は?』
「試合前に何言わせるの」
『聞きたい』
千鶴は周囲を確認する。
誰も聞いていない――。
そう思った。
「……私も」
『何?』
「大好き」
『もう一回』
「嫌です」
『千鶴』
「もう!」
頬が真っ赤。
肇は電話の向こうで笑っている。
『俺も大好きです』
「……分かりました」
『あと』
「何?」
『地区大会、優勝するね』
その声は、さっきまでとは違った。
エースの声だった。
四番打者の声だった。
高校三年生として、最後の夏へ挑む肇の声。
千鶴は静かに答える。
「うん」
『甲子園へ連れていく』
「約束ね」
『絶対』
「無茶だけはしない」
『分かってる』
「前薗君のサインをちゃんと見る」
『はい』
「一条先生に交代って言われたら従う」
『はい』
「全部一人で背負わない」
『はい』
「そして」
千鶴は少しだけ笑った。
「楽しんできて」
肇も笑う。
『行ってきます』
「行ってらっしゃい」
『千鶴』
「何?」
『愛してる』
「もう分かったから!」
電話が切れた。
千鶴はスマートフォンを胸元へ押し当てたまま、しばらく動けなかった。
頬が真っ赤だった。
◇◇◇
「ラブラブだね」
「本当に」
突然、背後から聞こえた二つの声。
千鶴が飛び上がりそうになる。
「えっ!?」
振り返る。
真悠。
そして眞衣。
二人がニヤニヤしながら立っていた。
「い、いつからいたの?」
真悠が答える。
「『愛してるよ』くらいから」
「ほとんど最初じゃない!」
眞衣も笑う。
「お兄ちゃん、試合前なのに何してるの?」
千鶴は真っ赤なまま、
「二人とも、誰にも言っちゃ駄目よ」
と小声で言った。
真悠が笑う。
「言わないよ」
眞衣も。
「私たち知ってるし」
「でも……」
真悠が少し優しい顔になる。
「千鶴先生」
「何?」
「お兄ちゃん、たぶん怖いんだと思う」
千鶴が真悠を見る。
「決勝だもん」
眞衣も頷く。
「勝ったら甲子園。でも負けたら終わり」
真悠は続ける。
「だから最後に千鶴先生の声聞きたかったんじゃない?」
千鶴は少し黙った。
そして笑う。
「そうかもしれないね」
眞衣が言う。
「でも本当にラブラブ」
「眞衣さん!」
「怒られた」
三人が小さく笑った。
千鶴は最後に一度、グラウンドを見る。
「……頑張って、肇」
◇◇◇
ベンチへ戻った肇。
晃大がすぐ近づいてくる。
「長かったな」
「五分」
「誰?」
「秘密」
「東雲先生?」
肇が止まる。
「何で分かる?」
「顔」
「顔?」
和誠も言う。
「お前、電話前より落ち着いてる」
「そう?」
「そう」
一条監督が近づいてくる。
「高橋」
「はい」
「電話終わったか?」
肇が驚く。
「知ってたんですか?」
「決勝前に抜けたエースがいたら気づくだろ」
「すみません」
「誰に掛けたかは聞かない」
一条監督は少しだけ笑った。
肇も、
「ありがとうございます」
と答える。
監督には、おそらく分かっている。
だが、それ以上は何も言わなかった。
「集合!」
全員が集まる。
一条監督が言った。
「いよいよ決勝だ」
「はい!」
「相手にもドラフト候補がいる」
全員の表情が変わる。
今日の対戦校には、一人の注目投手がいた。
崇道君彦。
身長百七十二センチ。
右投右打。
最速百五十二キロ。
高校生離れしたストレートと鋭く落ちるフォークが武器。
さらに制球力も高い。
以前からスポーツニュースでも取り上げられ、あるプロ球団から非常に高い評価を受けていると報じられていた。
ドラフトでは二位から三位あたりでの指名候補。
一部ではすでに一つの球団が強い関心を示し、指名を検討しているとも報道されている。
一条監督が言う。
「崇道は速い」
「はい」
「だが百五十二キロだから打てないわけじゃない」
「はい!」
「高橋」
「はい」
「プロ候補同士とか考えるな」
肇が少し笑う。
「考えてません」
「本当に?」
「今日は甲子園に行くための決勝です」
「それでいい」
一条は全員を見る。
「相手の名前も肩書きも関係ない」
「はい!」
「九回終わった時に一点多い方が勝ちだ」
「はい!」
「行くぞ!」
「おおおおおおお!」
◇◇◇
決勝戦。
プレイボール。
一回表。
肇がマウンドへ。
スタンドから大歓声。
吹奏楽部三十人の新しい応援。
チアリーディング部。
生徒。
保護者。
そして卒業した十五人と元マネージャー五人。
多くの人が見守る。
肇の初球。
バシィィン!
「ストライク!」
決勝が始まった。
相手も強かった。
一回表。
ヒット。
送りバント。
タイムリー。
いきなり一点を失う。
〇対一。
しかし一回裏。
崇道君彦がマウンドへ。
百五十キロ台のストレート。
一番・神谷。
空振り三振。
二番・藤堂。
ファウルで粘るもショートゴロ。
二死。
三番・和誠。
センター前ヒット。
二死一塁。
そして――。
『四番、ピッチャー、高橋君』
肇が打席へ向かう。
崇道がじっと見る。
初めて本格的に向き合う二人。
高校通算六十本塁打。
高橋肇。
最速百五十二キロのドラフト候補。
崇道君彦。
崇道の初球。
ストレート。
「ストライク!」
肇は見送った。
「速い……」
二球目。
百五十一キロ。
ファウル。
追い込まれる。
三球目。
フォーク。
肇がギリギリでバットを止める。
「ボール!」
四球目。
スライダー。
ファウル。
五球目。
百五十二キロ。
肇が振る。
カキィィン!
レフト前。
和誠が二塁へ。
肇も一塁へ。
初対決は――ヒット。
崇道が少し笑った。
肇も一塁上から見る。
「……すげえ投手」
しかし点にはつながらなかった。
一回終了。
〇対一。
◇◇◇
二回。
相手打線が再び肇を攻める。
連打。
犠牲フライ。
一点追加。
〇対二。
だが二回裏。
宮坂がヒット。
桐生が送りバント。
長谷川のタイムリー。
一点。
一対二。
三回表。
今度は相手の四番に二ラン本塁打を浴びる。
一対四。
球場がざわつく。
晃大がマウンドへ。
「肇」
「分かってる」
「何が?」
「力んでる」
「その通り」
肇が息を吐く。
「決勝ってやっぱり違うな」
「そりゃな」
「でも」
晃大が笑う。
「まだ三回」
「うん」
「あと六回もある」
「そうだな」
「取り返そう」
「おう」
後続を抑える。
三回裏。
肇へ第二打席。
崇道との対戦。
初球。
フォーク。
空振り。
二球目。
百五十キロ。
ファウル。
三球目。
外角。
ボール。
四球目。
百五十二キロ。
肇が振る。
カキィン!
センター後方。
外野手が追う。
フェンス手前。
捕球。
「アウト!」
肇は少し悔しそうに戻る。
崇道のストレートは、本当に重かった。
◇◇◇
四回。
さらに試合が動く。
相手打線がタイムリーで一点。
一対五。
しかし四回裏。
こちらも反撃。
晃大が二塁打。
宮坂が四球。
桐生がタイムリー。
二対五。
長谷川の犠牲フライ。
三対五。
相馬のタイムリー。
四対五。
一気に一点差。
球場の空気が変わった。
「行ける!」
「追いつけるぞ!」
ベンチが沸く。
五回表。
相手も黙っていない。
スクイズ。
四対六。
さらに一死三塁。
犠牲フライ。
四対七。
再び三点差。
一条監督が肇を見る。
「高橋」
「はい」
「どうだ?」
「行けます」
「無理してないか?」
「してません」
晃大も頷く。
「球威は落ちてません」
一条は少し考える。
「五回までは行け」
「はい!」
「六回以降は状態を見て決める」
「はい」
◇◇◇
五回裏。
先頭・和誠。
ヒット。
そして肇。
第三打席。
崇道が初球。
百五十一キロ。
ボール。
二球目。
フォーク。
空振り。
三球目。
ストレート。
肇が振り抜く。
カキィィン!
右中間。
抜けた。
和誠が三塁へ。
肇は二塁。
二塁打。
無死二、三塁。
晃大。
犠牲フライ。
五対七。
宮坂。
タイムリー。
六対七。
一点差。
再び追いつく。
◇◇◇
六回表。
肇は一死からヒットを許す。
続く打者に四球。
一死一、二塁。
一条監督がベンチを出る。
晃大が先にマウンドへ。
「肇」
「まだ行ける」
「そうじゃない」
「え?」
「監督来てる」
一条監督が到着。
「高橋」
「はい」
「ここまで」
肇が一瞬黙る。
しかし――。
「はい」
素直に頷いた。
一条監督が少し笑う。
「成長したな」
「決勝だからこそです」
「後ろ信じられるか?」
「はい」
「黒崎」
「はい!」
黒崎蓮が走ってくる。
肇はマウンドでボールを渡す。
「蓮」
「はい」
「頼む」
「任せてください」
肇は一塁へ回る。
しかし黒崎も簡単ではなかった。
犠牲フライ。
六対八。
それ以上は許さず。
六回表終了。
◇◇◇
六回裏。
こちらも一点を返す。
七対八。
一点差。
七回。
黒崎が三者凡退。
七回裏。
崇道もまだ投げていた。
投球数は増えている。
それでも百四十キロ台後半。
二死走者なし。
肇。
第四打席。
初球。
百四十九キロ。
ファウル。
二球目。
フォーク。
ボール。
三球目。
スライダー。
ファウル。
四球目。
百五十キロ。
肇が振る。
カキィン!
ライト前。
ヒット。
しかし後続倒れる。
七対八。
◇◇◇
八回表。
黒崎から早川慶介へ。
早川は無失点。
八回裏。
相手も崇道を交代させる。
投球数の限界。
崇道はベンチへ。
肇は一塁からその姿を見る。
崇道も肇を見る。
一瞬だけ目が合う。
まだ試合は終わっていない。
八回裏。
一死二塁。
代わった投手から和誠がタイムリー。
八対八。
ついに同点。
球場全体が揺れる。
「追いついた!」
「八対八!」
「あと一つ!」
しかし追加点はならない。
九回表。
早川が先頭打者をヒットで出す。
送りバント。
一死二塁。
一条監督が動く。
「久我!」
「はい!」
二年生・久我直哉。
準々決勝を締めた投手。
久我がマウンドへ。
「直哉!」
肇が一塁から声を掛ける。
「はい!」
「怖いか?」
久我が笑う。
「めちゃくちゃ怖いです!」
「俺も!」
「じゃあ一緒ですね!」
肇が笑う。
「頼んだ!」
久我が後続を二人連続で打ち取る。
無失点。
九回表終了。
八対八。
そして――。
九回裏。
サヨナラのチャンス。
◇◇◇
球場の緊張感は最高潮。
先頭・相馬。
四球。
「よし!」
無死一塁。
神谷。
送りバント。
一死二塁。
藤堂。
ショートゴロ。
二死二塁。
主将・和誠。
申告敬遠。
二死一、二塁。
そして――。
場内アナウンス。
『四番、一塁、高橋君』
球場が爆発するような歓声。
「肇ー!」
「高橋ー!」
「決めろ!」
吹奏楽部三十人。
新しい応援曲。
真悠は必死に演奏する。
眞衣は声を張る。
美琴と莉奈も立ち上がる。
十五人の先輩。
五人の元マネージャー。
七十人の部員。
十一人の現役マネージャー。
全員が見ている。
そして千鶴。
真っ赤になった電話の時とは違う。
今は、ただ一人の教師として。
吹奏楽部顧問として。
しかし心の中では――。
「肇……」
祈っていた。
二死一、二塁。
八対八。
九回裏。
勝てば甲子園。
肇が打席へ。
相手投手も緊張している。
初球。
外角。
ボール。
二球目。
ストレート。
ファウル。
三球目。
低め。
ボール。
ツーボール、ワンストライク。
肇はバットを一度下ろす。
深呼吸。
甲子園。
ずっと言い続けてきた。
高校一年。
高校二年。
秋には一度行った。
でも三回戦で負けた。
最後の夏。
今度は最後まで。
四球目。
外角ストレート。
「ストライク!」
ツーボール、ツーストライク。
五球目。
フォーク。
肇がバットを止める。
「ボール!」
フルカウント。
二死。
一、二塁。
フルカウント。
次の一球。
スタンドの音が大きい。
だが肇には、不思議と何も聞こえなくなった。
晃大の言葉。
一条監督の言葉。
先輩の言葉。
マネージャーの言葉。
そして。
『地区大会、優勝するね』
自分が千鶴へ言った言葉。
投手がセット。
肇が構える。
六球目。
ストレート。
少し外。
肇がバットを出す。
カキィィィン!
強烈な打球。
センター前。
「抜けた!」
二塁走者・相馬が三塁を回る。
「回れ!」
一条監督が腕を回す。
センターからバックホーム。
相馬が走る。
ホームへ。
送球。
捕手が捕る。
相馬が滑り込む。
一瞬。
球審。
両腕を広げた。
「セーフ!」
九対八。
サヨナラ。
地区大会優勝。
甲子園出場決定。
◇◇◇
一瞬。
肇は一塁ベース上で何が起きたのか分からなかった。
次の瞬間。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
ベンチから全員が飛び出す。
「肇!」
「高橋!」
「甲子園!」
「決まった!」
晃大が最初に抱きつく。
「やったぞ!」
和誠も。
宮坂も。
神谷も。
藤堂も。
桐生も。
長谷川も。
相馬も。
黒崎。
早川。
久我。
全員。
肇はもみくちゃになった。
「ちょっと待て!」
「甲子園だ!」
「本当に甲子園だ!」
マネージャーも泣いている。
小宮山美月は両手で顔を覆っていた。
「勝った……」
佐々木梨花。
水野琴音。
青木菜々美。
白石美羽。
森下結菜。
小泉杏奈。
坂口莉央。
山岸ひなた。
川島咲良。
本田紗季。
全員が泣きながら笑っている。
一条監督は少し離れたところから選手たちを見ていた。
そして目元を押さえる。
昨年。
準決勝敗退。
今年。
ついに――地区大会優勝。
◇◇◇
スタンド。
真悠は演奏できなくなっていた。
涙で。
「お兄ちゃん……!」
眞衣も泣きながら抱きつく。
「甲子園!」
「うん!」
美琴と莉奈も。
「勝った!」
「サヨナラ!」
十五人の先輩たちも立ち上がっている。
昨年度主将・藤崎将吾。
「やったな……」
神谷拓海。
「高橋……」
榊原健吾。
瀬戸口悠斗。
大学野球へ進んだ六人。
就職した六人。
元マネージャー五人。
全員が拍手を送る。
そして――。
千鶴。
頬を涙が流れていた。
「……本当に」
小さく呟く。
「甲子園へ連れていってくれた」
あの日。
風呂の中で交わした約束。
地区大会で優勝する。
甲子園へ連れていく。
その一つが――今日、本当になった。
◇◇◇
試合終了後。
整列。
両校の選手が向かい合う。
「ありがとうございました!」
深い礼。
相手選手たちは悔しそうだった。
特に――崇道君彦。
最後までベンチから試合を見ていたドラフト候補。
肇が整列を終えた後、崇道へ歩いていく。
崇道も気づいた。
二人が向かい合う。
「高橋」
「崇道」
肇から手を出す。
「すごかった」
崇道も握る。
二人はがっしりと握手した。
「お前も」
崇道が笑う。
「最初のヒット、百五十二投げたのに普通に打たれた」
肇も笑う。
「めちゃくちゃ速かった」
「でもホームラン打たれなくて良かった」
「今日は六十一号なかったな」
「それだけは守った」
二人が笑う。
しかし崇道の目には悔しさがある。
「甲子園、行けよ」
「うん」
「俺たちの分まで……とは言わない」
肇が少し驚く。
昨日、藤崎先輩からも聞いた言葉と似ていた。
崇道は続ける。
「お前たちの甲子園だから」
「うん」
「でも」
握手した手に少し力が入る。
「優勝してこい」
肇も握り返す。
「する」
「言い切るんだ」
「約束してるから」
崇道が笑う。
「誰と?」
肇は一瞬だけ千鶴の方を見る。
しかし答えない。
「秘密」
「何だよ」
二人が笑う。
崇道はすでにプロ球団から高い評価を受けている。
ドラフト二位か三位候補。
そして肇もまた、プロを目指している。
来年。
あるいはもっと先。
今度は高校野球ではなく、プロのグラウンドで再会する可能性もある。
崇道が言う。
「プロで会おう」
肇は即答した。
「うん」
二人は最後にもう一度、強く握手した。
◇◇◇
表彰式。
優勝旗。
優勝杯。
主将の和誠が受け取る。
大きな拍手。
そしてアナウンス。
『地区大会優勝――』
学校名が呼ばれる。
七十人の野球部。
十一人のマネージャー。
一条昴監督。
全員が並ぶ。
甲子園出場決定。
肇は優勝旗を見ながら、しばらく言葉を失っていた。
晃大が横から言う。
「肇」
「何?」
「本当に行くぞ」
「どこ?」
「甲子園」
肇が笑う。
「うん」
「最後打ったのお前」
「うん」
「サヨナラ」
「うん」
「もっと喜べよ!」
晃大が肇の背中を叩く。
「痛い!」
「マネージャーにも昨日叩かれてたな」
「背中壊れる!」
二人が笑った。
◇◇◇
その夜。
家。
玄関の扉が開く。
「ただいま」
千鶴が待っていた。
「おかえり」
肇は少しだけ黙る。
二人が見つめ合う。
そして――。
肇が笑った。
「優勝したよ」
千鶴の目にまた涙が浮かぶ。
「うん」
「九対八」
「うん」
「最後、俺が打った」
「見てた」
「甲子園」
「うん」
「連れていくって言っただろ?」
千鶴が涙を拭く。
「本当に連れていってくれたね」
肇は静かに頷いた。
「でも」
千鶴が言う。
「まだ約束、全部じゃないでしょう?」
肇も笑う。
「甲子園優勝」
「そう」
「その後は?」
千鶴が少し顔を赤くする。
「……知らない」
「知ってるくせに」
「今は言いません」
肇が笑う。
甲子園で優勝したら。
プロポーズ。
その約束は、まだ先に残っている。
◇◇◇
肇は練習ノートを開いた。
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
『準々決勝突破 ○』
『準決勝突破 ○』
そして――。
最後。
『決勝突破――甲子園』
肇はペンを持った。
大きく。
ゆっくり。
丸をつける。
『決勝突破――甲子園 ○』
七つ目。
全部に丸がついた。
肇はしばらくノートを見つめる。
そして下へ新しく書く。
『甲子園 一回戦突破』
『甲子園 二回戦突破』
『甲子園 三回戦突破』
さらに――。
『甲子園優勝』
一番最後の言葉だけ、少し大きく書いた。
千鶴が隣から見る。
「もう次?」
「うん」
「今日くらい優勝喜んだら?」
「喜んでる」
「本当に?」
「めちゃくちゃ」
肇は笑う。
「でも、これで終わりじゃない」
「そうね」
「秋の甲子園は三回戦で負けた」
「うん」
「今度はその先へ行く」
「うん」
「最後まで」
千鶴が優しく頷く。
「待ってる」
地区大会決勝。
九対八。
サヨナラ勝利。
最後の一打を放ったのは――高橋肇。
地区大会優勝。
甲子園出場決定。
昨年の夏には届かなかった場所。
秋には三回戦で終わった全国の舞台。
そこへもう一度挑む。
そして今度は――。
最後まで。
高校三年生。
高橋肇。
高校通算六十本塁打。
エース。
四番。
地区大会優勝。
次なる舞台は――甲子園。
高校最後の夏は、ついに全国へ進んだ。
第15話「地区大会決勝――九回裏、甲子園を決めたサヨナラの一打」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
地区大会決勝。
結果は――
九対八。
肇たちはサヨナラ勝ちで地区大会優勝を決め、ついに甲子園への切符を手にしました。
簡単な試合ではありませんでした。
一回に一点を先制され。
二回にも追加点。
三回には二ラン本塁打を浴びて一対四。
さらに中盤にも点を奪われ、一時は四対七まで離されます。
それでも、誰一人として諦めませんでした。
肇。
前薗晃大。
鈴木和誠。
宮坂大智。
そしてスターティングメンバー。
さらに黒崎蓮、早川慶介、久我直哉たちベンチメンバー。
十一人のマネージャー。
野球部七十人。
全員で一つずつ点差を縮めていきます。
そして八回裏。
ついに八対八。
試合は振り出しへ。
九回表を久我直哉が無失点で切り抜け、迎えた九回裏。
先頭の相馬健吾が四球。
神谷悠斗が送りバント。
藤堂拓海が倒れ、二死二塁。
さらに主将・鈴木和誠が敬遠され――。
二死一、二塁。
そこで打席へ向かったのは、
四番・高橋肇。
地区大会準決勝までに高校通算六十本塁打。
決勝でも三安打を記録していた肇ですが、ここで必要なのは本塁打ではありません。
一本のヒット。
それだけです。
フルカウント。
六球目。
外角寄りのストレート。
肇が振り抜いた打球はセンター前へ。
二塁走者・相馬が三塁を回り、ホームへ。
センターから返球。
捕手とのクロスプレー。
そして球審の判定は――
「セーフ!」
九対八。
サヨナラ。
その瞬間。
高橋肇たちの甲子園出場が決まりました。
これまで肇の練習ノートには、
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
『準々決勝突破 ○』
『準決勝突破 ○』
六つの丸が並んでいました。
そしてついに――
『決勝突破――甲子園 ○』
七つ目。
地区大会のすべての目標に、大きな丸がつきました。
また、今回の決勝では相手投手・崇道君彦との対決も大きな見どころとなりました。
身長172cm。
最速152km。
高校野球界でも注目されるドラフト候補。
すでにプロ球団から強く評価され、ドラフト2位から3位候補として名前が挙がっている投手です。
肇もその速球をヒットにする場面がありましたが、崇道も最後まで簡単には打たせませんでした。
試合終了後。
二人は互いの健闘を称え、しっかりと握手。
「甲子園、優勝してこい」
「する」
そして、
「プロで会おう」
という新しい約束まで交わしました。
高校野球では敵。
しかし、将来は同じプロ野球という舞台で再び向き合うかもしれない二人です。
さらに今回忘れてはいけないのが、試合前の千鶴との電話。
「愛してるよ」
「大好きです」
「地区大会、優勝するね」
そう言って試合へ向かった肇。
そして本当に地区大会を優勝しました。
千鶴が応援席で涙を流しながら、
「本当に甲子園へ連れていってくれた」
と感じた瞬間。
以前二人で交わした約束の一つが、ついに現実になりました。
ただし――。
二人の約束は、まだ終わっていません。
地区大会優勝。
甲子園出場。
ここまでは達成。
残る大きな約束は、
『甲子園優勝』
そして、その先に肇が自ら口にした――
千鶴へのプロポーズ。
さらに高校卒業後には、ドラフト指名を受けてプロ野球の世界へ進むという夢もあります。
しかし、ここでも一試合ずつ。
肇は新しく練習ノートへ、
『甲子園 一回戦突破』
『甲子園 二回戦突破』
『甲子園 三回戦突破』
そして最後に――
『甲子園優勝』
と書き加えました。
高校三年生。
高橋肇。
エース。
四番打者。
高校通算六十本塁打。
地区大会優勝。
そして――甲子園出場決定。
昨年は届かなかった夏の甲子園。
秋に一度立ちながら、三回戦で敗れた全国の舞台。
今度は高校最後の夏として、その場所へ戻ります。
地区大会編は、ついに大きな目標を達成。
しかし高橋肇の最後の夏は――まだ終わりません。
次なる舞台は、
甲子園。
全国制覇を懸けた、高校野球最後の戦いが始まります。




