第14話「決勝当日――三十一人で交わす最後の言葉、甲子園へ向かう九人」
第14話では、地区大会決勝当日。
試合そのものが始まる直前、部室の中で交わされた選手たちとマネージャーたちの最後の言葉を中心に描きました。
スターティングメンバー九人。
一番・遊撃手、神谷悠斗。
二番・二塁手、藤堂拓海。
三番・中堅手、主将の鈴木和誠。
四番・投手、高橋肇。
五番・捕手、前薗晃大。
六番・一塁手、宮坂大智。
七番・三塁手、桐生翔。
八番・左翼手、長谷川颯太。
九番・右翼手、相馬健吾。
さらにベンチには、黒崎蓮、早川慶介、久我直哉、松岡亮平、橘優成、西川陸斗、安西航、倉田陽向、森川駿、大野蒼真、榎本悠生の十一人。
そして選手たちを支えてきたマネージャー十一人も、全員が部室へ集まりました。
マネージャーたちは一人ずつ約二分間、自分たちがこれまで感じてきたこと、三年生への感謝、去年の準決勝敗退の記憶、そして甲子園へ行きたいという気持ちを選手たちへ伝えます。
中でも最後に話したマネージャーリーダー・小宮山美月。
彼女は肇を前へ呼び、
「今日、一人で勝とうとしないで」
と改めて伝えました。
そして最後には肇の背中を強く叩き、手を当てながら勝利の念を送り、
「頑張ってきて」
「甲子園に連れていって」
と送り出します。
決勝を戦うのはグラウンドへ立つ九人だけではありません。
ベンチの十一人。
マネージャー十一人。
野球部七十人。
一条昴監督。
そして学校全体。
試合開始前だからこそ描ける、仲間たちの想いが詰まった一話です。
地区大会決勝当日の朝。
球場の外には、まだ試合開始までかなり時間があるにもかかわらず、多くの観客が集まり始めていた。
勝てば甲子園。
負ければ、高校三年生にとって最後の高校野球が終わる。
高橋肇たちがここまで勝ち上がってきた最後の地区大会。
初戦。
二回戦。
三回戦。
四回戦。
準々決勝。
準決勝。
六つの試合を勝ち抜き、ついに最後の一試合までやってきた。
しかし――。
まだ球場の歓声は、彼らにはほとんど聞こえていなかった。
決勝戦直前。
野球部の部室。
そこには今日ベンチ入りする選手たちと、十一人の女子マネージャーだけが集まっていた。
一条昴監督は、最後の準備のため一度部室を離れている。
だから今、この部屋にいるのは選手とマネージャーだけ。
高校三年間を一緒に過ごしてきた仲間たちだけだった。
壁際には今日使用するユニフォームや予備の道具。
中央には長椅子。
そして一枚のホワイトボード。
そこには、今日のスターティングメンバーが書かれていた。
一番・遊撃手――神谷悠斗。
二番・二塁手――藤堂拓海。
三番・中堅手、主将――鈴木和誠。
四番・投手――高橋肇。
五番・捕手――前薗晃大。
六番・一塁手――宮坂大智。
七番・三塁手――桐生翔。
八番・左翼手――長谷川颯太。
九番・右翼手――相馬健吾。
そしてベンチには十一人。
投手・黒崎蓮。
投手・早川慶介。
投手・久我直哉。
捕手・松岡亮平。
捕手・橘優成。
内野手・西川陸斗。
内野手・安西航。
内野手・倉田陽向。
外野手・森川駿。
外野手・大野蒼真。
そして万能型の内外野手としてベンチ入りした二年生・榎本悠生。
計二十人。
さらに彼らを支えてきたマネージャー十一人。
三年生。
マネージャーリーダー・小宮山美月。
佐々木梨花。
水野琴音。
青木菜々美。
白石美羽。
二年生。
森下結菜。
小泉杏奈。
坂口莉央。
一年生。
山岸ひなた。
川島咲良。
本田紗季。
全員が揃っていた。
◇◇◇
部室内は、不思議なくらい静かだった。
誰もふざけない。
誰も大声を出さない。
準決勝までなら、多少の冗談もあった。
しかし今日は――決勝。
しかも勝てば甲子園。
三年生にとっては、高校野球人生で最も大きな一日になるかもしれない。
肇は自分のスパイクの紐を確認していた。
右。
左。
もう一度締め直す。
隣では晃大がキャッチャーミットを何度も開閉している。
和誠は主将らしく全員を見渡していた。
「……静かすぎない?」
最初に言ったのは宮坂大智だった。
桐生翔が答える。
「お前が何か面白いこと言えよ」
「無茶言うな」
長谷川颯太が少し笑う。
「決勝前だぞ」
相馬健吾も。
「逆に笑えない」
一瞬だけ小さな笑い。
しかしすぐにまた静かになる。
和誠が肇を見る。
「肇」
「何?」
「緊張してる?」
「してる」
即答。
晃大が横から言う。
「こいつ、朝からずっと言ってる」
「だって決勝だぞ」
「分かってる」
「勝ったら甲子園だぞ」
「それも分かってる」
和誠が笑った。
「でもな」
全員が主将を見る。
「俺も緊張してる」
宮坂が反応する。
「主将も?」
「当たり前だろ」
「何か和誠だけ冷静に見える」
「見えるだけ」
和誠は自分の手を見る。
「手汗すごい」
近くにいた藤堂が笑った。
「本当だ」
「触るな!」
今度は少し大きな笑いが起きる。
緊張で固まっていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
◇◇◇
その時。
マネージャーリーダーの小宮山美月が前へ出た。
「ちょっといい?」
選手たちが顔を上げる。
「うん」
和誠が答えた。
美月は十一人のマネージャーを見る。
全員が小さく頷いた。
「今日」
美月が言う。
「試合前に、私たち十一人からみんなに話したいことがあります」
肇が少し驚く。
「マネージャーから?」
「うん」
「何?」
「それを今から話すの」
佐々木梨花が笑う。
「一人ずつね」
「一人ずつ?」
晃大が聞き返す。
水野琴音が頷く。
「二分くらいずつ」
宮坂が思わず時計を見る。
「十一人だから二十二分?」
「細かい計算しない」
青木菜々美に突っ込まれる。
再び笑いが起きる。
しかし美月は真剣だった。
「ずっと言いたかったことがあるから」
その一言で、選手たちも姿勢を正した。
◇◇◇
最初は一年生の山岸ひなた。
まだ入部して数か月。
三年生たちと過ごした時間は短い。
それでも彼女は前へ出た。
「私からでいいんですか?」
美月が頷く。
「一年生から行こう」
ひなたは選手たちを見る。
「正直に言うと……私、入部したばかりの頃、野球のルールも全部は分かってませんでした」
選手たちの何人かが微笑む。
「でも、毎日グラウンドに来て、先輩たちが練習してるのを見て……野球部ってこんなに大変なんだって初めて知りました」
ひなたは少し緊張しながら続ける。
「特に三年生の先輩たちは、練習が終わって疲れてても、一年生の私たちに『ありがとう』って言ってくれました」
和誠たちが黙って聞く。
「私たちはまだ一年生だから、来年も再来年もあります。でも三年生の先輩たちには、今日が最後になるかもしれない」
その言葉で空気が変わる。
「だから……最後にしたくありません」
ひなたは少し声を震わせた。
「私も甲子園に行きたいです」
「先輩たちと一緒に」
「だから絶対勝ってください」
深く頭を下げる。
「お願いします」
選手たちから拍手。
「ありがとう」
和誠が言った。
◇◇◇
次は川島咲良。
「私は……」
少し考えてから口を開いた。
「最初、野球部のマネージャーって、飲み物とかタオルを準備するだけだと思ってました」
笑いが起きる。
「全然違いました」
「道具も多いし」
「試合の日は朝早いし」
「選手によって必要なもの違うし」
「スコアも覚えないといけないし」
晃大が笑う。
「今さら辞めたくなった?」
「ならないです」
即答。
「むしろ楽しいです」
咲良は続ける。
「準決勝で勝った時、選手じゃない私も本当に嬉しかった」
「だから決勝でも、みんなと同じ気持ちで喜びたいです」
「甲子園に行って、もっと忙しくなってもいいです」
部室に笑い。
「覚悟してます」
「だから、勝ってください」
最後に笑顔。
「今日も全部準備して待ってます」
◇◇◇
一年生最後は本田紗季。
「私は二人より緊張してます」
いきなりの言葉。
「何で?」
久我が尋ねる。
「だって決勝ですよ?」
「俺たちも決勝だよ」
「選手は試合で動けるじゃないですか」
「私はベンチで見てるしかないんですよ!」
久我が少し困る。
「確かに」
紗季は笑った。
「でも、一つだけできることがあります」
「何?」
「最後まで声を出すこと」
「選手がミスしても」
「点を取られても」
「負けそうになっても」
「最後のアウトまで絶対諦めないこと」
紗季の顔が真剣になる。
「だから選手の皆さんも、最後まで諦めないでください」
「最後の一球まで」
「最後の一打席まで」
「お願いします」
◇◇◇
次は二年生。
森下結菜。
「私たち二年生は」
結菜は三年生を見た。
「去年の夏も知っています」
空気が変わる。
「先輩たちがまだ二年生だった時」
「去年の三年生の先輩たちと一緒に準決勝まで進んで」
「そこで負けた」
肇の表情が少し変わる。
「私、あの日の部室覚えてます」
誰も話さない。
「誰も喋らなかった」
「去年の三年生の先輩たちが泣いて」
「今の三年生の皆さんも泣いてました」
結菜は小さく息を吸う。
「だから、この前の準決勝で勝った時……本当に嬉しかったです」
「去年の場所を越えたんだって」
そして。
「でもまだ終わりじゃない」
「去年の先輩たちが行けなかった甲子園へ」
「今度は私たちが行きたいです」
「三年生と一緒に」
結菜は笑った。
「あと一つ」
「お願いします」
◇◇◇
小泉杏奈。
「私は、三年生の皆さんには感謝しています」
「急だな」
森川が言う。
「本当にそうだから」
杏奈は続ける。
「私たちがミスした時も、怒鳴ったりせずに教えてくれました」
「特に最初の遠征」
二年生マネージャーたちが苦笑する。
「あれは本当に大変だった」
選手たちも笑う。
「飲み物の数を間違えて」
「タオルも足りなくなって」
「でも、三年生の先輩たちが『次気をつければいい』って」
杏奈は少し声を詰まらせた。
「今日勝ったら、まだこのチームでいられる」
「甲子園に行けば、まだみんなのマネージャーでいられる」
「だから私は」
少しだけ涙。
「まだ終わりたくないです」
選手たちの表情も変わる。
「お願いします」
「甲子園に連れていってください」
◇◇◇
坂口莉央。
「私はちょっと違うこと言います」
全員が見る。
「今日、失敗してもいいと思います」
一瞬、選手が驚く。
「もちろん失敗しない方がいいですよ」
「でも決勝だからって、完璧にやろうとしすぎないでください」
一条監督が何度も言ってきたことと似ていた。
「高橋先輩も」
肇が顔を上げる。
「はい?」
「全部三振にしなくていいです」
晃大が吹き出す。
「聞いたか肇」
「分かってるよ」
莉央が続ける。
「鈴木先輩も、全部ヒット打たなくていい」
「前薗先輩も、全部盗塁刺さなくていい」
「野手のみんなも、全部スーパープレーじゃなくていい」
「普通にやってください」
「今まで通り」
そして笑う。
「それでここまで勝ってきたんだから」
選手たちが静かに頷いた。
◇◇◇
いよいよ三年生マネージャー。
白石美羽が前へ。
「三年生になると」
少し笑う。
「この部活、長かったようで短かったです」
「一年生の頃は、三年生なんてずっと先だと思ってました」
「それが今日」
選手たちを見る。
「地区大会最後の試合」
「私たちも今日負ければ、最後です」
美羽は自分の手を見る。
「マネージャーだから打席には立てません」
「マウンドにも行けません」
「でも、三年間同じ部活でやってきたから」
「私たちも同じチームだと思ってます」
和誠が静かに、
「もちろん」
と答える。
美羽が笑う。
「ありがとう」
「だから」
「最後にしたくない」
「甲子園でまたみんなの飲み物作らせてください」
「タオル準備させてください」
「スコア書かせてください」
「お願いします」
◇◇◇
青木菜々美。
「私は一番言いたかった人がいます」
選手たちが少しざわつく。
菜々美が見る。
「西川君と森川君」
二人が驚く。
「俺たち?」
「そう」
三回戦。
肇が一条監督へお願いし、普段ベンチだったメンバーを五回まで起用した試合。
西川陸斗。
森川駿。
二人の三年生もグラウンドに立った。
森川は同点タイムリーまで放った。
「三回戦の時」
菜々美は言う。
「二人が試合に出た時、私すごく嬉しかった」
西川と森川が黙る。
「ベンチにいても」
「いつ出るか分からなくても」
「ずっと準備してました」
「その姿、マネージャーは見てます」
そしてベンチの十一人を見る。
「今日も誰が出るか分からない」
「でも」
「ベンチメンバーも絶対必要です」
「最後まで準備してください」
黒崎。
早川。
久我。
松岡。
橘。
西川。
安西。
倉田。
森川。
大野。
榎本。
全員が頷いた。
「もちろん」
西川が答えた。
◇◇◇
水野琴音。
「私は主将に」
和誠が少し驚く。
「俺?」
「はい」
琴音は笑う。
「鈴木君」
「一年生の頃からずっと声出してたよね」
「まあね」
「誰より声大きかった」
「それ褒めてる?」
「褒めてます」
笑い。
「主将になってから、もっと大変そうだった」
「高橋君が投げすぎようとしたら止める」
「前薗君と高橋君が言い合ってたら間に入る」
晃大が言う。
「俺らそんな言い合ってる?」
肇と和誠が同時に、
「言ってる」
と答える。
部室に笑い。
琴音も笑ってから続ける。
「でも」
「今日も最後まで、みんなをまとめてください」
「負けそうな時ほど」
「鈴木君が声を出してください」
「三年間最後の地区大会」
「主将として甲子園へ連れていってください」
和誠は真剣に頷いた。
「任せて」
◇◇◇
佐々木梨花。
「私は前薗君に話したい」
晃大が顔を上げる。
「俺?」
「はい」
梨花は肇と晃大を交互に見る。
「高橋君の球を、一番たくさん受けてきたのは前薗君だよね」
「そうだな」
「高橋君が調子悪い日も」
「投げすぎようとした日も」
「打たれて落ち込んだ日も」
「全部見てたと思う」
晃大は黙っている。
「今日」
「高橋君がもし力んだら」
「いつも通り止めてあげてください」
肇が苦笑する。
「何で俺、みんなから止められる前提なの?」
全員が一斉に、
「だって肇だから」
「高橋だから」
「高橋先輩だから」
と答える。
「ひどいな!」
大笑い。
梨花も笑ってから続ける。
「でも本当に」
「決勝だからって特別なバッテリーにならなくていい」
「いつもの高橋君と前薗君で」
「お願いします」
晃大が肇を見る。
「いつも通りだって」
「分かった」
「本当に?」
「分かったって!」
◇◇◇
そして三年生マネージャー最後から二人目。
小宮山美月ではなく――その前に佐々木梨花から順番を受けた水野琴音、青木菜々美、白石美羽に続き、最後の一人として三年生の佐々木梨花たちとともに支えてきた小宮山美月の前に、もう一人。
だが美月は、
「私が最後」
と決めていた。
残るは――マネージャーリーダーただ一人。
部室内の空気がさらに静かになった。
◇◇◇
小宮山美月が前へ出る。
三年間。
選手たちを一番近いところから見続けてきたマネージャーリーダー。
一年生の頃から道具を運び。
二年生では後輩を教え。
三年生では十一人のマネージャーをまとめてきた。
美月はすぐには話さなかった。
二十人の選手を、一人ずつ見る。
そして後ろにいる十人のマネージャーを見る。
「……何話そうかなって、昨日ずっと考えてた」
誰も口を挟まない。
「二分って決めたけど」
少し笑う。
「たぶん二分じゃ終わらない」
宮坂が、
「いいよ」
と言う。
美月も笑う。
「ありがとう」
そして――。
「私ね」
声が少し震える。
「一年生の時、野球部に入ったこと、一回だけ後悔したことがあります」
選手たちが驚く。
「本当に大変だったから」
「朝早い」
「帰るの遅い」
「夏は暑い」
「冬は寒い」
「選手の人数も多い」
「何で私こんなところ入ったんだろうって」
美月は笑う。
「でも」
「次の日にグラウンド来たら」
「みんな野球してた」
「当たり前だけど」
「楽しそうに」
「悔しそうに」
「必死に」
美月は三年生たちを見る。
「それ見たら、もう辞めようと思わなくなりました」
少し涙。
「去年」
「先輩たちが準決勝で負けた時」
「私たちも泣きました」
「今年」
「準決勝で勝った時」
「また泣きました」
「でも」
美月は涙を拭く。
「まだ泣くの早いよね」
和誠が頷く。
「うん」
「次は嬉しくて泣きたい」
「甲子園決まって」
「みんなで泣きたい」
そして美月はベンチメンバーを見る。
「今日出る人」
「出ないかもしれない人」
「関係ないです」
「二十人全員ベンチ入りメンバー」
さらにマネージャーを見る。
「十一人全員マネージャー」
「それ以外の野球部員も」
「みんなでここまで来た」
「だから――」
美月は一度息を吸う。
「今日、勝ってきてください」
静かな声。
しかし強かった。
「お願いします」
全員が美月を見る。
◇◇◇
すると美月が、
「高橋君」
と呼んだ。
肇が顔を上げる。
「俺?」
「うん」
「ちょっと前来て」
「何で?」
「いいから」
肇が立ち上がる。
部室中央へ。
美月が肇を見る。
「エース」
「はい」
「四番」
「はい」
「高校通算六十本」
「……はい」
「全部すごいと思う」
「ありがとうございます」
「でも」
美月は肇の目を見る。
「今日、一人で勝とうとしないで」
肇の表情が変わる。
「はい」
「前薗君がいる」
「はい」
「鈴木君がいる」
「はい」
「スタメン八人がいる」
「はい」
「ベンチ十一人がいる」
「はい」
「私たちマネージャーもいる」
「はい」
「一条監督もいる」
「はい」
「七十人の野球部員もいる」
「はい」
「だから」
美月は肇の背中へ回る。
「高橋君」
「はい?」
パンッ!
肇の背中を両手で強く叩いた。
「いてっ!」
思わず声。
全員が笑う。
美月はそのまま肇の背中へ手を当てた。
目を閉じる。
「……何してるの?」
肇が尋ねる。
「念送ってる」
「念?」
「勝てる念」
「本当に?」
「黙って」
肇も少し笑う。
美月は数秒。
十秒。
さらに。
本当に祈るように手を置いた。
そして静かに言った。
「高橋君」
「うん」
「頑張ってきて」
肇の表情から笑みが消える。
真剣になる。
「……うん」
「甲子園」
「うん」
「連れていって」
肇は一度目を閉じる。
そして振り返った。
美月を見る。
「任せて」
たった四文字。
しかし誰も冗談だとは思わなかった。
◇◇◇
肇が元の場所へ戻る。
部室内には、何とも言えない空気があった。
涙を拭く者。
笑っている者。
緊張している者。
静かにグラブを握っている者。
そして和誠が立ち上がった。
「じゃあ」
全員が主将を見る。
「今度は俺たちから言わせて」
マネージャーたちが見る。
「三年間」
和誠は頭を下げた。
「ありがとう」
続いて肇。
晃大。
神谷。
藤堂。
宮坂。
桐生。
長谷川。
相馬。
ベンチメンバー十一人。
全員が立ち上がった。
二十人がマネージャー十一人へ向かう。
「ありがとうございました!」
一斉に頭を下げる。
今度はマネージャーたちが泣き始めた。
「まだ終わってないよ!」
美月が涙を拭きながら言う。
和誠が笑う。
「分かってる」
「じゃあ何で過去形なの!」
「確かに」
「甲子園でもお願いします!」
「それ!」
十一人が笑った。
空気が柔らかくなる。
◇◇◇
そして、和誠がホワイトボードの前へ立った。
「改めて確認するぞ」
スターティングメンバー九人。
「一番、ショート」
神谷悠斗が立つ。
「神谷悠斗!」
「おう!」
「二番、セカンド」
藤堂拓海。
「藤堂拓海!」
「おう!」
「三番、センター」
和誠が自分を指差す。
「鈴木和誠!」
全員が笑う。
「自分で言うな!」
「主将だからいいだろ!」
そして。
「四番、ピッチャー」
全員が肇を見る。
「高橋肇!」
「おう!」
「五番、キャッチャー」
「前薗晃大!」
「おう!」
「六番、ファースト」
「宮坂大智!」
「おう!」
「七番、サード」
「桐生翔!」
「おう!」
「八番、レフト」
「長谷川颯太!」
「おう!」
「九番、ライト」
「相馬健吾!」
「おう!」
九人。
今日、最初にグラウンドへ立つ九人。
◇◇◇
和誠は次にベンチを見る。
「そして」
十一人。
「黒崎蓮!」
「はい!」
「早川慶介!」
「はい!」
「久我直哉!」
「はい!」
「松岡亮平!」
「はい!」
「橘優成!」
「はい!」
「西川陸斗!」
「おう!」
「安西航!」
「はい!」
「倉田陽向!」
「はい!」
「森川駿!」
「おう!」
「大野蒼真!」
「はい!」
「榎本悠生!」
「はい!」
和誠は言う。
「全員いつでも行けるように準備」
「はい!」
「特に投手陣」
肇が見る。
「俺が何回まで投げるか分からない」
黒崎。
早川。
久我。
全員頷く。
「任せて」
久我が言う。
肇も頷いた。
「頼む」
◇◇◇
そしてマネージャー十一人。
美月。
梨花。
琴音。
菜々美。
美羽。
結菜。
杏奈。
莉央。
ひなた。
咲良。
紗季。
十一人も並ぶ。
和誠が言う。
「今日もお願いします!」
「はい!」
力強い返事。
◇◇◇
その時。
部室の扉が開いた。
一条昴監督だった。
「準備できたか?」
全員が監督を見る。
「はい!」
一条は少し部室の空気を察した。
何人か目が赤い。
「……何してた?」
晃大が笑う。
「秘密です」
「また秘密か?」
一条監督が苦笑する。
準決勝では自分が吹奏楽部と秘密の応援曲を作った側だった。
「まあいい」
一条は全員を見渡す。
「もうすぐ外へ出る」
部屋が静かになる。
「最後に一つだけ言う」
全員が監督を見る。
「楽しめ」
意外な言葉。
肇も驚く。
「決勝だ」
「緊張する」
「甲子園がかかっている」
「負ければ終わり」
「当然怖い」
一条は続ける。
「でもお前たちは、この試合をするために三年間野球してきたんだ」
三年生の表情が変わる。
「怖がるだけじゃもったいない」
「高校最後の地区大会決勝」
「思い切り楽しんでこい」
「はい!」
◇◇◇
和誠が中央へ手を出した。
最初に肇。
次に晃大。
神谷。
藤堂。
宮坂。
桐生。
長谷川。
相馬。
ベンチメンバー十一人。
その上へ手が重なる。
マネージャー十一人も加わった。
最後に一条監督。
合計三十二人の手。
和誠が叫ぶ。
「甲子園行くぞ!」
「おおおおおおおおお!」
部室が揺れるほどの声。
そして一度離れる。
九人がそれぞれグラブを持つ。
肇が最後に自分のグラブを見る。
ここまで何度も握ってきた。
今日も特別なグラブではない。
特別なボールでもない。
いつもの球。
いつもの仲間。
ただ一つ違うのは――。
勝てば甲子園ということ。
晃大が肇へ言う。
「行くぞ、エース」
「おう」
「最初から全部投げようとするなよ」
「分かってる」
「本当に?」
「今日何回目だよ」
和誠が笑う。
「みんな心配してるんだよ」
「信用ないなぁ」
宮坂が肇の肩を叩く。
「信用してるから言うんだろ」
肇が少し黙る。
そして笑った。
「そっか」
「そうだよ」
◇◇◇
部室を出る直前。
肇が振り返った。
マネージャー十一人。
ベンチメンバー十一人。
スターティングメンバー八人。
そして一条監督。
全員を見る。
「俺」
少し言葉を選ぶ。
「高校一年の頃は、自分が投げて自分が打てば勝てるって思ってた」
晃大が笑う。
「思ってたな」
「でも違った」
肇は続ける。
「ここまで来られたのは、全員のおかげ」
誰も口を挟まない。
「だから」
肇は笑う。
「今日も全員で勝とう」
和誠が拳を出す。
「当然」
晃大も。
「甲子園まであと一個」
久我。
「後ろは任せてください」
黒崎。
「いつでも行けます」
早川。
「準備してます」
西川。
「俺たちも出番来たら行く」
森川。
「最後まで終わらせない」
美月が言う。
「甲子園、連れていって」
肇は大きく頷いた。
「行こう」
◇◇◇
廊下。
外から歓声が聞こえ始める。
吹奏楽部三十人。
チアリーディング部。
生徒。
卒業した十五人の先輩。
元マネージャー五人。
そして家族。
多くの人たちが待っている。
しかし今はまだ、部室を出たばかり。
試合は始まっていない。
決勝の一球目すら投げられていない。
スターティングメンバー九人。
ベンチメンバー十一人。
マネージャー十一人。
合計三十一人。
そして一条昴監督。
決勝戦前。
最後に交わした言葉を胸に、全員が球場へ向かって歩き始める。
肇は自分の背中を一度触った。
先ほど美月に強く叩かれた場所。
まだ少しだけ痛い。
そして――そこに託された想いも残っている気がした。
「頑張ってきて」
「甲子園に連れていって」
肇は小さく呟く。
「……任せろ」
高校通算六十本塁打。
野球部のエース。
四番打者。
そんな肩書きは今、この瞬間には必要ない。
今日はただ、二十人の選手の一人。
七十人の野球部員の一人。
仲間と一緒に甲子園を目指す高校三年生。
地区大会決勝。
勝てば――甲子園。
試合内容は、まだ誰にも分からない。
ただ一つ決まっているのは。
高橋肇たちは、今までで一番多くの仲間の想いを受けながら――最後の地区大会のグラウンドへ向かっていった。
第14話「決勝当日――三十一人で交わす最後の言葉、甲子園へ向かう九人」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回はあえて決勝戦そのものを描かず、試合直前の部室だけに焦点を当てました。
ここまで勝ち上がってきた肇たちにとって、地区大会最後の試合。
勝てば甲子園。
負ければ三年生の高校野球は終了。
そんな大一番を前にすると、普段は明るい選手たちでさえ自然と口数が少なくなります。
しかし、そんな張り詰めた部室の空気を少しずつ変えていったのが、十一人のマネージャーでした。
一年生マネージャーは、入部してまだ数か月。
それでも毎日、先輩たちが野球へ向き合う姿を見てきました。
「先輩たちと一緒に甲子園へ行きたい」
という純粋な想い。
二年生マネージャーたちは、昨年の夏を知っています。
当時二年生だった肇たちと、昨年の三年生十五人が準決勝で敗れたあの日。
静まり返った部室。
涙を流した先輩たち。
その記憶を知っているからこそ、
「今年こそ、その先へ」
という想いがあります。
そして三年生マネージャーにとっては、自分たちにも次の地区大会はありません。
選手だけではなく、マネージャーにとっても高校最後の夏。
だからこそ、
「まだ終わりたくない」
「甲子園でもみんなを支えたい」
という言葉には、三年間分の気持ちが込められています。
中でもマネージャーリーダー・小宮山美月が肇へ伝えた言葉。
「エースだから」
「四番だから」
「高校通算六十本だから」
一人ですべてを背負う必要はない。
前薗晃大がいる。
鈴木和誠がいる。
スターティングメンバーがいる。
ベンチメンバーがいる。
マネージャーがいる。
一条監督がいる。
野球部七十人がいる。
これまでの大会を通して肇が何度も学んできた、
『全員で勝つ。』
という言葉を、今度はマネージャー側から改めて伝えてもらう場面となりました。
そして美月が肇の背中を叩き、そのまま手を当てて送った「勝てる念」。
「頑張ってきて」
「甲子園に連れていって」
その言葉に対して肇が返したのは、
「任せて」
でした。
ただし、今回は「自分一人で勝つ」という意味ではありません。
仲間全員と一緒に甲子園へ行く。
そんな覚悟を込めた言葉です。
さらに試合直前、一条昴監督から選手たちへ送られたのは、
「楽しめ」
という意外な言葉でした。
決勝だからこそ緊張する。
甲子園が懸かっているからこそ怖い。
負ければ終わる。
それでも、高校三年間この舞台へ立つために練習してきたのなら、怖がるだけではもったいない。
高校最後の地区大会決勝を、仲間と一緒に思い切り楽しんでほしい。
それが監督からの最後の言葉でした。
そして最後に確認されたスターティングメンバー九人。
神谷悠斗。
藤堂拓海。
鈴木和誠。
高橋肇。
前薗晃大。
宮坂大智。
桐生翔。
長谷川颯太。
相馬健吾。
その九人だけではありません。
ベンチで出番を待つ十一人も。
マネージャー十一人も。
全員が同じ決勝を戦います。
これまで肇の練習ノートには、
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
『準々決勝突破 ○』
『準決勝突破 ○』
六つの丸が並んでいます。
そして最後に残されたのは、
『決勝突破――甲子園』
ただ一つ。
試合はまだ始まっていません。
得点も〇対〇。
高校通算六十本塁打という記録も、決勝では一度リセット。
肇たちは、部室で交わした三十一人の言葉と、一条監督の想いを胸に、最後の地区大会のグラウンドへ向かいました。
次はいよいよ第15話。
地区大会決勝。
甲子園への切符を懸けた、最後の九イニングです。




