第13話「決勝前日――帰ってきた十五人の先輩と、託された甲子園への夢」
第13話では、地区大会決勝を翌日に控えた肇たちのもとへ、懐かしい先輩たちが帰ってきました。
それは、肇たちが高校二年生だった昨年の夏。
ともに甲子園を目指しながら、準決勝で敗れて高校野球を終えた当時の三年生十五人です。
投手・神谷拓海。
投手・藤堂悠生。
投手・桐生颯斗。
捕手・榊原健吾。
捕手・城戸雅也。
一塁手・大河原翔。
二塁手・相沢恭平。
三塁手・水野拓斗。
遊撃手・倉橋蓮司。
左翼手・小宮山隼人。
中堅手・瀬戸口悠斗。
右翼手・成瀬航。
内野手・吉岡俊介。
外野手・片桐大河。
そして昨年度主将・藤崎将吾。
卒業後、三人は高校から直接プロ野球の世界へ。
六人は大学野球へ進み、その先のプロ入りを目指しています。
残る六人は就職という新しい道を選び、それぞれの人生を歩き始めました。
進む道は別々になっても、彼らにとって母校の野球部は大切な場所のままです。
さらに、昨年度の野球部を支え続けた元マネージャー五人も母校へ。
久しぶりに集まった先輩たちと現役野球部七十人、現役マネージャー十一人。
そして一条昴監督。
決勝前日だからこそ実現した、世代を越えた特別な再会です。
昨年、自分たちには届かなかった地区大会優勝。
その夢を今年の後輩たちへ託しながらも、先輩たちが伝えたのは、
「俺たちのために勝つんじゃない」
という言葉でした。
今のチームには、今のチームだけの甲子園がある。
地区大会決勝まで、あと一日。
甲子園まで――あと一勝です。
地区大会決勝を翌日に控えた朝。
高橋肇は、いつもより早く学校へ到着していた。
準決勝――十四対二。
昨年、自分たちが越えることのできなかった壁を、ようやく越えた。
第一打席の三点本塁打。
そして最後の打席で放った満塁本塁打。
高校通算本塁打数は、ついに六十本。
だが、一条昴監督から言われた言葉が肇の頭には残っている。
「決勝は〇対〇からだ」
その通りだった。
準決勝で何点取ったか。
自分が何本ホームランを打ったか。
それは決勝戦には関係ない。
勝てば甲子園。
負ければ、高校最後の夏が終わる。
「……あと一つ」
肇は誰もいないグラウンドを見ながら呟いた。
やがて後ろから足音がする。
「早いな」
振り返る。
正捕手・前薗晃大だった。
「晃大も」
「お前が早すぎるんだよ」
「寝られなくて」
「緊張?」
「少し」
「珍しいな」
「俺だって緊張するよ」
晃大は肇の隣へ立った。
二人でグラウンドを見る。
「去年」
肇が呟く。
「うん」
「ここまで来られなかったんだよな」
高校二年生だった夏。
当時の三年生たちと挑んだ最後の地区大会。
準決勝敗退。
先輩たちの高校野球は、そこで終わった。
「去年の先輩たち、悔しそうだったな」
「そりゃそうだろ」
「俺、あの時決めたんだ」
「何を?」
「絶対、次は甲子園行くって」
晃大が笑う。
「秋に行ったじゃん」
「そうだけど」
秋季大会では優勝。
甲子園出場。
しかし三回戦敗退。
肇は首を横に振る。
「夏に行きたい」
「俺も」
「最後の夏だから」
「うん」
その時だった。
校門の方から、何人もの声が聞こえてきた。
「懐かしいな!」
「グラウンド変わってねえ!」
「いや、ちょっと整備良くなってない?」
「俺たちの時より綺麗じゃね?」
肇と晃大が同時に振り返る。
そして――固まった。
「……え?」
そこにいたのは。
見覚えのある顔。
一人。
二人。
五人。
十人。
そして――十五人。
肇が目を見開く。
「嘘だろ……」
晃大も驚く。
先頭にいた男が笑った。
「久しぶりだな、高橋」
肇の顔が一気に明るくなる。
「先輩!」
昨年。
肇たちが高校二年生だった時の三年生。
あの夏、準決勝で一緒に涙を流した十五人が――母校へ帰ってきた。
◇◇◇
十五人がグラウンドへ入ってくる。
肇は一人ずつ顔を見る。
全員覚えていた。
昨年の主将。
捕手。
内野手。
外野手。
投手陣。
毎日のように一緒に練習した先輩たち。
昨年の三年生十五人は――。
投手・神谷拓海。
投手・藤堂悠生。
投手・桐生颯斗。
捕手・榊原健吾。
捕手・城戸雅也。
一塁手・大河原翔。
二塁手・相沢恭平。
三塁手・水野拓斗。
遊撃手・倉橋蓮司。
左翼手・小宮山隼人。
中堅手・瀬戸口悠斗。
右翼手・成瀬航。
内野手・吉岡俊介。
外野手・片桐大河。
そして昨年の主将を務めた内野手・藤崎将吾。
十五人。
全員が卒業以来、久しぶりに母校のグラウンドへ戻ってきた。
「高橋!」
藤崎将吾が肇の肩を叩く。
「でかくなったか?」
「身長はそんなに変わってません!」
「態度はでかくなったな」
「先輩!」
笑いが起きる。
榊原健吾が晃大を見る。
「前薗!」
「榊原先輩!」
「正捕手やってるんだって?」
「はい!」
「高橋の球、ちゃんと捕れてる?」
「何とか」
「何とかって何だよ」
肇が横から突っ込む。
「お前の球、昔より速くなっただろ」
「まあ……」
「ほら」
「でも俺、捕逸そんなにしてませんから!」
「頼むぞ。明日も」
「はい!」
肇は十五人を見回した。
「どうして全員で?」
藤崎が答える。
「決まってるだろ」
「え?」
「決勝だからだよ」
肇の表情が変わる。
藤崎はグラウンドを見渡した。
「俺たちが去年、行けなかった決勝」
十五人の表情も少し変わる。
昨年。
準決勝。
敗退。
それで十五人の高校野球は終わった。
藤崎が肇を見る。
「お前たちが行くんだろ?」
「……はい」
「甲子園」
肇は力強く頷いた。
「行きます」
「だったら、その前に顔くらい見せに来ないとな」
肇は少し笑った。
「ありがとうございます」
◇◇◇
その頃には、現役野球部員たちも次々とグラウンドへ集まってきていた。
三年生たちはすぐに気づく。
「先輩!」
「久しぶりです!」
「藤崎先輩!」
「神谷先輩!」
「榊原先輩!」
現役三年生にとっては、一年間一緒に戦った先輩たち。
二年生にとっても知っている顔が多い。
一方、一年生たちは少し戸惑っていた。
「誰?」
「去年の三年生らしい」
「先輩たち?」
「十五人全員来たの?」
そして一条監督がグラウンドへ姿を見せた。
十五人が一斉に反応する。
藤崎が声を掛ける。
「集合!」
久しぶりに聞く、昨年の主将の号令。
十五人が一列に並ぶ。
一条監督が歩いてくる。
「お前ら……」
少し驚いていた。
藤崎が号令する。
「礼!」
「お久しぶりです!」
十五人が一斉に頭を下げた。
一条監督はしばらく何も言わなかった。
そして――笑った。
「全員来たのか」
「はい!」
「よく予定合ったな」
神谷が笑う。
「無理やり合わせました」
「そうか」
一条監督は一人ずつ顔を見る。
「元気そうだな」
「監督も」
「俺は変わらん」
藤崎が言う。
「ちょっと老けました?」
「藤崎」
「はい」
「グラウンド十周」
「卒業生ですよ!」
現役部員たちから笑いが起きる。
一条監督も笑った。
「冗談だ」
「監督の冗談、怖いんですよ」
久しぶりだった。
この空気。
昨年まで毎日のようにあった、監督と先輩たちのやり取り。
◇◇◇
一条監督が尋ねた。
「お前ら、今はどうしてる?」
十五人がそれぞれ現在の道を話し始める。
高校卒業後、そのままプロ野球の世界へ進んだ三人。
投手・神谷拓海。
捕手・榊原健吾。
外野手・瀬戸口悠斗。
三人はドラフトで指名を受け、それぞれプロ野球選手として第一歩を踏み出していた。
まだ一軍定着には遠い。
育成や二軍での試合も多い。
それでも、すでにプロという世界に立っている。
肇は三人を見る。
「神谷先輩」
「何だ?」
「プロ、どうですか?」
神谷は少し考えた。
「厳しい」
即答だった。
「高校じゃエースだった」
「はい」
「でもプロ行ったら、そんな奴しかいない」
肇は黙って聞く。
「球速百五十キロ超える奴なんて普通にいる。変化球もすごい。制球も違う」
「……はい」
「でも」
神谷が笑う。
「楽しいぞ」
肇の目が変わった。
「本当に野球だけで勝負できる」
「はい」
「高橋」
「はい」
「来るつもりなんだろ?」
「プロですか?」
「そう」
肇は迷わなかった。
「行きたいです」
神谷が拳を出す。
「待ってる」
肇も拳を合わせた。
「はい!」
◇◇◇
大学野球へ進んだ六人。
投手・藤堂悠生。
投手・桐生颯斗。
二塁手・相沢恭平。
三塁手・水野拓斗。
遊撃手・倉橋蓮司。
右翼手・成瀬航。
六人はそれぞれ大学野球部へ進み、四年間でさらに力を伸ばしてプロを目指している。
相沢が言う。
「俺たちは遠回り組」
神谷が横から言う。
「大学経由が遠回りとは限らないだろ」
「まあね」
水野も続ける。
「大学で身体作ってからプロ行きたいんだよ」
倉橋が笑う。
「行ければだけどな」
「行くんだよ!」
「分かってるよ」
肇は六人を見る。
同じプロ野球という目標でも、進む道は一つではない。
高校から直接。
大学から。
それぞれが自分で選んだ道を進んでいる。
◇◇◇
残りの六人。
捕手・城戸雅也。
一塁手・大河原翔。
左翼手・小宮山隼人。
内野手・吉岡俊介。
外野手・片桐大河。
そして元主将・藤崎将吾。
六人は野球を職業にはせず、就職の道を選んだ。
一年目の社会人として働いている者。
研修を受けている者。
会社の野球チームや草野球で競技を続けている者もいる。
肇が藤崎へ聞く。
「先輩は、野球続けてないんですか?」
「会社の草野球はやってる」
「そうなんですね」
「でもプロ目指してるわけじゃない」
藤崎はグラウンドを見る。
「高校でやり切ったからな」
肇は少し驚く。
「準決勝で負けても?」
「負けたからって、三年間全部が失敗になるわけじゃないだろ」
肇は黙った。
「もちろん甲子園は行きたかった」
「はい」
「死ぬほど行きたかった」
藤崎は笑う。
「だから、お前らが行ってくれ」
肇が頷く。
「はい」
「俺たちが行けなかった分まで――なんて言うつもりはない」
「え?」
「お前たちの甲子園だから」
肇が藤崎を見る。
「去年の俺たちのためじゃなく、お前たち自身のために勝て」
その言葉が胸に残った。
「……はい!」
◇◇◇
練習開始。
一条監督は十五人へ言った。
「せっかく来たんだ」
「はい」
「身体動かしていけ」
神谷が笑う。
「そのつもりです」
「怪我するなよ」
「大丈夫です」
「高橋と同じこと言うな」
肇が反応する。
「監督!」
笑いが起きる。
現役高校三年生と、昨年の三年生十五人。
久しぶりのキャッチボールが始まった。
肇の相手は神谷。
昨年まで先輩投手として多くのことを教えてもらった相手。
「行きます!」
「来い!」
肇が投げる。
バシィィン!
神谷のミットが鳴る。
神谷の表情が変わった。
「……お前」
「何です?」
「球、全然違うな」
「本当ですか?」
「去年より重い」
肇が嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
神谷も投げ返す。
バシィィン!
今度は肇が驚く。
「先輩も全然違うじゃないですか!」
「プロ舐めんな」
「まだ一軍じゃないでしょう?」
「言ったな!」
「冗談です!」
二人が笑う。
少し離れた場所では、晃大と榊原。
和誠と藤崎。
それぞれが昨年の先輩とボールを投げ合っている。
「前薗!」
「はい!」
「もっと胸張れ!」
「はい!」
「決勝で高橋が暴走したら止めろ!」
「いつも止めてます!」
「おい!」
肇の声が飛んでくる。
グラウンド中に笑い声が響いた。
◇◇◇
しばらくすると一条監督もグラブを持ってきた。
「監督もやるんですか?」
藤崎が驚く。
「少しくらいな」
「肩大丈夫です?」
「お前らより元気だ」
「本当ですか?」
「藤崎、投げろ」
「はい!」
パシッ。
パシッ。
一条監督と藤崎。
やがて相手を入れ替える。
神谷。
榊原。
瀬戸口。
十五人と軽くボールを投げ合った。
「懐かしいですね」
神谷が言う。
「何が?」
「監督とキャッチボールするの」
「昔は嫌がってただろ」
「監督、球速いんですもん」
「今は遅い」
「いやいや」
一条監督が投げる。
パシッ!
神谷が笑う。
「まだ速いじゃないですか!」
現役部員たちも笑った。
決勝前。
本来なら緊張感に包まれるはずのグラウンド。
しかしこの時間だけは、昨年へ戻ったようだった。
◇◇◇
そこへ。
校舎側から一人の女性教師が歩いてきた。
東雲千鶴。
吹奏楽部顧問。
学校一の高嶺の花と呼ばれる美人教師。
三十八歳。
今日も吹奏楽部の練習があり、音楽室へ向かう途中だった。
「あら?」
千鶴が足を止める。
十五人も気づいた。
「え?」
「東雲先生?」
「マジ?」
「久しぶり!」
一条監督が笑う。
「東雲先生、去年の三年生が来てますよ」
「やっぱりそうですよね」
千鶴が近づいてくる。
十五人が自然と整列した。
「お久しぶりです!」
一斉に頭を下げる。
千鶴も笑顔になる。
「皆さん、お久しぶりです」
「先生、全然変わってない!」
「本当だ!」
「去年のままじゃん!」
「ちょっと」
千鶴が苦笑する。
「一年しか経ってませんよ?」
笑いが起きる。
「皆さんこそ元気そうですね」
藤崎が答える。
「はい!」
「それぞれ進路は?」
「プロ三人、大学野球六人、就職六人です」
「すごいですね」
千鶴は一人ずつ顔を見る。
「皆さん、それぞれ頑張ってるんですね」
「先生も元気でした?」
「もちろん」
その会話を少し離れたところから肇が聞いている。
晃大が肇の横へ来た。
「なあ」
「何?」
「やっぱり東雲先生、先輩にも人気だな」
「……だな」
肇は平静を装う。
しかし知っている。
十五人の中にも、高校時代に千鶴へ憧れていた先輩が何人かいた。
案の定――。
小宮山が言う。
「東雲先生」
「はい?」
「俺、高校の時、先生のこと好きだったんですよ」
「え?」
周囲が一気に騒ぐ。
「お前言うの!?」
「卒業したからいいだろ!」
「今さら告白!?」
千鶴が困ったように笑う。
「ありがとうございます」
小宮山は笑った。
「今はいい思い出です」
すると片桐も手を挙げる。
「俺も」
「お前もか!」
成瀬まで、
「実は俺も」
と言う。
「多いな!」
十五人が笑う。
千鶴も苦笑するしかない。
そして――。
肇だけは何とも言えない顔で立っていた。
晃大が横から肘で軽く突く。
「高橋」
「何?」
「顔」
「普通だけど」
「全然普通じゃない」
「うるさい」
もちろん十五人は知らない。
東雲千鶴と高橋肇が交際していること。
さらに二人が将来の結婚まで考えていること。
同じ家で暮らしていることも。
高校一年生の頃から肇が千鶴を好きだったことも。
何も知らない。
学校でそれを知っているのは、校長、教頭、一条監督などごく限られた人物だけ。
だから先輩たちにとって千鶴は、今でも高校時代に憧れた「高嶺の花の先生」のままだった。
一条監督だけが肇を見る。
目が合う。
一条監督が小さく笑った。
肇は、
「絶対何も言わないでくださいよ」
とでも言うような目を返す。
一条監督は何も言わなかった。
◇◇◇
千鶴は十五人へ尋ねた。
「明日の決勝も?」
藤崎が答える。
「もちろん見に行きます」
「全員?」
「十五人全員です」
「それは心強いですね」
神谷が肇を見る。
「高橋が投げるんですよね?」
千鶴は一瞬だけ肇を見る。
「一条先生次第じゃないですか?」
一条監督が即答する。
「まだ秘密」
肇が反応する。
「監督、俺ですよね?」
「だから秘密だ」
「ここまで来て!?」
「高橋」
「はい」
「決勝前に球数増やすぞ」
「すみません」
また笑いが起きる。
千鶴も笑っている。
肇はその笑顔を見ながら、心の中だけで思った。
――みんなは知らない。
高校時代から千鶴先生が好きだった先輩たちも。
今の後輩たちも。
他の生徒たちも。
誰も知らない。
学校一の高嶺の花と呼ばれる東雲千鶴と、自分が特別な関係にあることを。
そして今は、それでいい。
学校では教師と生徒。
野球部のエースと、吹奏楽部顧問。
それだけでいい。
◇◇◇
昼前。
さらに校門から声が聞こえてきた。
「懐かしい!」
「一年ぶり!」
「みんなもう来てる?」
五人の女性が歩いてくる。
現役三年生たちが一斉に気づいた。
「えっ!」
「先輩!」
昨年度の野球部マネージャー五人だった。
三年生だった選手十五人を支え続けた五人。
昨年の夏。
準決勝敗退。
選手と一緒に泣いた五人でもある。
元マネージャーは――。
佐伯美月。
長谷川琴音。
森下優奈。
白石奈緒。
そして昨年度のマネージャーリーダーだった川瀬彩花。
「久しぶり!」
現役マネージャーたちが駆け寄る。
特に二、三年生マネージャーにとっては、本当に久しぶりの再会だった。
一年生マネージャー三人だけは初対面。
現役マネージャーは現在、
一年生三人。
二年生三人。
三年生五人。
計十一人。
一年生の三人が少し緊張しながら頭を下げる。
「初めまして!」
川瀬が笑顔で答える。
「初めまして。去年までここのマネージャーやってた川瀬彩花です」
佐伯。
長谷川。
森下。
白石も順番に自己紹介する。
「よろしくね」
「そんな緊張しなくて大丈夫」
「私たちもう卒業生だから」
一年生たちも少しずつ笑顔になった。
◇◇◇
現役三年生マネージャー五人にとっては、特別な再会だった。
「彩花先輩!」
「久しぶり!」
「元気だった?」
「はい!」
「マネージャー大変?」
「めちゃくちゃ大変です!」
「分かる!」
すぐに会話が弾む。
タオルの管理。
飲料。
スコア。
備品。
救急用品。
選手の体調。
遠征準備。
試合当日の確認。
表舞台には出ない。
しかし野球部七十人を支えるため、マネージャーたちは毎日動いている。
川瀬が一年生たちへ言う。
「最初は覚えること多いでしょう?」
「はい」
「でも焦らなくていいよ」
「はい!」
「分からなかったら二年生と三年生に聞く」
「はい」
「それでも分からなかったら監督」
一条監督が遠くから、
「俺は最後か!」
と声を上げる。
笑いが起きた。
◇◇◇
やがて現役部員七十人と、卒業したマネージャー五人も話し始めた。
「高橋君!」
佐伯が肇を呼ぶ。
「はい!」
「六十本って本当?」
「はい」
「準決勝で二本?」
「はい」
「何してるの?」
「野球です」
「そういう意味じゃない!」
周囲が笑う。
川瀬も言う。
「去年何本だったっけ?」
「高校二年終了時点では、まだ六十までは全然」
「一年で伸びすぎ」
肇が少し照れる。
「でも」
川瀬の表情が変わる。
「明日だね」
「はい」
「決勝」
「はい」
「去年、行けなかった場所」
肇も真剣になる。
「絶対勝ちます」
「うん」
川瀬は微笑んだ。
「私たちも応援する」
「ありがとうございます」
◇◇◇
午後。
一条監督は、現役部員七十人。
昨年の三年生十五人。
昨年度のマネージャー五人。
全員をグラウンドへ集めた。
合計九十人。
そこへ現役マネージャー十一人も加わる。
さらに千鶴も少し離れた場所から見ていた。
一条監督が話す。
「明日」
全員が静かになる。
「地区大会決勝だ」
「はい!」
「去年は準決勝で終わった」
卒業生十五人と五人の元マネージャーたちの表情が変わる。
「その悔しさを知っている三年生も多い」
「はい」
「だが」
一条監督は現役部員を見る。
「明日は去年のために戦うんじゃない」
藤崎が少し笑う。
朝、自分が肇へ言ったことと同じだった。
「卒業した先輩のためでもない」
「はい」
「今のお前たちのために戦え」
「はい!」
「三年生」
「はい!」
「お前たちには来年はない」
空気が変わる。
「二年生」
「はい!」
「三年生を甲子園へ連れていけ」
「はい!」
「一年生」
「はい!」
「先輩たちの背中を見ろ」
「はい!」
「マネージャー」
「はい!」
「最後まで支えてくれ」
「はい!」
そして一条監督は卒業生たちを見る。
「お前ら」
十五人と五人。
「はい!」
「明日はスタンドから頼む」
藤崎が答える。
「任せてください!」
川瀬も、
「最後まで応援します!」
と続ける。
◇◇◇
そして藤崎が前へ出た。
昨年度主将。
「少しだけいいですか?」
一条監督が頷く。
藤崎は現役部員七十人を見る。
「去年」
静かな声だった。
「俺たちは準決勝で負けた」
誰も話さない。
「悔しかった」
「甲子園へ行きたかった」
「決勝まで行きたかった」
「でも行けなかった」
藤崎は肇たち三年生を見る。
「だから去年の二年生だったお前らに、その続きをやってほしい――って、最初は思ってた」
肇が聞いている。
「でも今日、久しぶりにグラウンドに来て思った」
藤崎は笑った。
「違うなって」
「……」
「今のチームは俺たちの続きじゃない」
一条監督が静かに聞いている。
「高橋がエースで」
「前薗が捕手で」
「鈴木が主将で」
「久我たち後輩がいて」
「七十人の部員がいて」
「十一人のマネージャーがいる」
「今のお前たちのチームだ」
藤崎は力強く言った。
「だから、俺たちのために甲子園へ行こうとするな」
「自分たちのために行け」
肇の胸に響く。
「そして」
藤崎が笑う。
「甲子園へ行ったら、俺たちをスタンドに呼んでくれ」
笑いが起きる。
肇が大きな声で答える。
「もちろんです!」
「十五人全員だぞ!」
「来てください!」
川瀬が横から、
「マネージャーも!」
と声を上げる。
肇が笑う。
「全員来てください!」
「よし!」
大きな拍手が起こった。
◇◇◇
練習終了後。
肇は神谷と二人でマウンド付近に立っていた。
神谷がプレートを見る。
「明日、先発?」
「まだ監督は言ってません」
「でも投げたい?」
「当然です」
「だろうな」
神谷は少し笑う。
「高橋」
「はい」
「プロ行くなら覚えておけ」
「何ですか?」
「大きな試合だからって、特別な球を投げようとするな」
肇が神谷を見る。
「特別な球?」
「決勝だから百六十キロ出そうとか」
「出ませんよ」
「例えだ」
二人が笑う。
「いつものストレート」
「いつもの変化球」
「前薗のミットを見る」
「それだけ」
肇は静かに頷く。
「はい」
「甲子園決勝でも同じ」
「……甲子園決勝」
「行くんだろ?」
肇が笑う。
「行きます」
「なら今から慣れとけ」
神谷が拳を差し出す。
「明日、勝て」
肇も拳を合わせる。
「はい」
◇◇◇
夕方。
十五人の先輩。
五人の元マネージャー。
それぞれが帰る時間となった。
校門付近。
現役三年生たちが見送りに来ていた。
藤崎が言う。
「じゃあ明日、球場で」
「はい!」
「高橋」
「はい」
「ホームラン六十一本目、期待してるぞ」
「ホームランだけ期待しないでくださいよ」
「四番だろ」
「投手でもあります!」
榊原が晃大へ。
「前薗」
「はい!」
「最後まで高橋を頼む」
「任せてください」
神谷は肇へ。
「力むなよ」
「はい」
川瀬たち元マネージャーも現役マネージャーへ。
「明日頑張って」
「はい!」
「決勝、忙しくなるよ」
「覚悟してます!」
「勝ってね」
「はい!」
十五人と五人が校門を出ていく。
肇たちはその背中を見送った。
去年の夏。
一緒に戦った仲間。
今は別々の道を歩いている。
プロ。
大学野球。
就職。
それぞれの人生。
しかし明日だけは――また同じチームのように、同じ勝利を願う。
◇◇◇
その夜。
肇は家で練習ノートを開いていた。
千鶴が隣に座る。
「今日は賑やかだったね」
「先輩十五人全員来るとは思わなかった」
「私も驚いた」
「千鶴のこと好きだった先輩もいたし」
千鶴が肇を見る。
「……そこ気にしてたの?」
「少しだけ」
「卒業生ですよ?」
「分かってる」
「しかも昔の話でしょう?」
「分かってるって」
千鶴は少し笑う。
「もしかして嫉妬?」
「……ちょっと」
「正直ね」
肇はノートへ視線を落とす。
「だってみんな知らないから」
「何を?」
「俺たちのこと」
千鶴は黙る。
「先輩たちは東雲先生に憧れてた」
「今の男子生徒にもいる」
「学校一の高嶺の花」
「美人教師」
「みんなが知ってる東雲千鶴先生」
肇は千鶴を見る。
「でも、俺が高校一年から好きだったことは誰も知らない」
「そうね」
「俺たちが付き合ってることも」
「うん」
「将来のことを考えてることも」
千鶴は静かに頷く。
「それでいいの」
「分かってる」
「今は学校では教師と生徒だから」
「うん」
「あなたには野球がある」
「うん」
「明日は決勝」
肇の表情が変わる。
「そうだった」
「嫉妬してる場合じゃありません」
「すみません」
千鶴が笑う。
「でも」
「何?」
「少しくらいなら嬉しいかな」
「え?」
「何でもありません」
「絶対何か言った」
「決勝へ集中してください」
「逃げた」
二人は笑った。
◇◇◇
しばらくして。
肇は練習ノートを見る。
六つの丸。
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
『準々決勝突破 ○』
『準決勝突破 ○』
そして最後。
『決勝突破――甲子園』
まだ丸はない。
肇はペンを持った。
しかし――書かない。
千鶴が聞く。
「丸、つけないの?」
「まだ」
「そうね」
「明日、自分でつける」
肇はその文字を見つめる。
高校二年生だった昨年。
先輩十五人。
マネージャー五人。
一条監督。
仲間たち。
全員で挑んだ夏は準決勝で終わった。
そして秋。
地区大会優勝。
甲子園出場。
三回戦敗退。
それから一年。
今度は自分たち三年生が最後の夏を迎えている。
高校通算六十本塁打。
四番。
エース。
そんな数字や肩書きよりも、今欲しいものは一つだった。
勝利。
あと一勝。
それだけ。
「千鶴」
「何?」
「明日」
肇はゆっくり言った。
「絶対、甲子園決めてくる」
千鶴は少しだけ微笑んだ。
「待ってる」
「うん」
「でも」
「何?」
「一人で勝とうとしないこと」
肇は一瞬黙る。
そして笑った。
「分かってる」
「晃大君がいる」
「うん」
「和誠君がいる」
「うん」
「久我君も、黒崎君も、早川君もいる」
「うん」
「七十人いるんでしょう?」
「いる」
「マネージャーも」
「十一人」
「吹奏楽部も」
「三十人」
「チアリーディング部も」
「眞衣もいる」
「今日来てくれた先輩たちも」
「十五人と、マネージャー五人」
「だったら」
千鶴は言った。
「みんなで甲子園へ行ってきて」
肇はゆっくり頷いた。
「うん」
一人ではない。
そのことを、最後の夏を通して何度も学んできた。
エースだから全部投げる必要はない。
四番だから全部打つ必要もない。
仲間を信じる。
託す。
支えてもらう。
そして、自分も仲間を支える。
明日。
地区大会決勝。
勝てば甲子園。
負ければ、高校野球最後の夏が終わる。
昨年、準決勝で夢を断たれた十五人の先輩たち。
五人の元マネージャー。
そのうち三人は高校からプロ野球へ。
六人は大学野球からプロを目指し。
残る六人は就職という新しい道へ。
進む道は違っても――明日は全員が母校を応援する。
現役野球部七十人。
現役マネージャー十一人。
吹奏楽部三十人。
チアリーディング部。
教師。
家族。
卒業生。
そして――東雲千鶴。
たくさんの想いを背負って。
いや。
背負いすぎるのではなく。
たくさんの想いに支えられて。
高橋肇は最後の決勝へ向かう。
練習ノートの最後に残された、まだ丸のついていない一行。
『決勝突破――甲子園』
その横に大きな丸をつけられるのか。
答えが出るまで――あと一試合。
高校三年生・高橋肇。
高校通算六十本塁打。
エース。
四番。
最後の夏。
いよいよ次は――。
甲子園への切符を懸けた、地区大会決勝だった。
第13話「決勝前日――帰ってきた十五人の先輩と、託された甲子園への夢」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は試合ではなく、決勝前日に母校へ戻ってきた昨年度の三年生十五人と元マネージャー五人を中心に描きました。
昨年の夏。
当時二年生だった肇たちは、三年生の先輩たちとともに地区大会を戦いました。
しかし結果は準決勝敗退。
十五人の高校野球は、あと一歩で決勝という場所で終わりました。
だからこそ今年、肇たちが準決勝を十四対二で突破したことで、ついに昨年越えられなかった場所へ進むことができました。
そんな後輩たちの決勝を前に、十五人全員が母校へ集合。
さらに昨年度のマネージャー五人も駆けつけ、久しぶりにかつての仲間たちが同じグラウンドへ集まりました。
高校卒業後の道は、それぞれ違います。
神谷拓海、榊原健吾、瀬戸口悠斗の三人は、高校卒業後そのままプロ野球の世界へ。
藤堂悠生、桐生颯斗、相沢恭平、水野拓斗、倉橋蓮司、成瀬航の六人は大学野球へ進み、そこからプロを目指しています。
そして城戸雅也、大河原翔、小宮山隼人、吉岡俊介、片桐大河、藤崎将吾の六人は就職の道へ。
野球を職業にする者。
大学でも野球を続ける者。
社会人として新しい人生を歩む者。
同じ高校野球部を卒業しても、未来は一つではありません。
特に、プロへ進んだ神谷拓海から肇へ語られた、
「高校じゃエースでも、プロへ行けばそんな奴ばかり」
という言葉。
プロ野球を目指している肇にとって、先にその世界へ進んだ先輩から直接聞く言葉には大きな意味があります。
そして神谷から最後に言われた、
「決勝だからって特別な球を投げようとするな」
「いつものストレート、いつもの変化球、前薗のミットを見る。それだけ」
という助言。
決勝という大舞台だからこそ、特別なことをしようとせず、これまで積み重ねてきた野球をする。
肇にとって大切な言葉になりました。
また今回、東雲千鶴がグラウンドへ姿を見せたことで、別の意味で盛り上がる場面もありました。
卒業した先輩たちにとっても、千鶴は高校時代から有名だった美人教師。
中には当時、千鶴に本気で憧れていた先輩も何人かいました。
しかし当然ながら彼らは知りません。
肇と千鶴が交際していること。
将来の結婚まで考えていること。
さらに二人が同じ家で暮らしていることも。
学校では今も、ごく限られた人物しか知らない秘密です。
だからこそ、千鶴へ昔の想いを話す先輩たちを前に、少し複雑な表情を浮かべる肇の姿も描きました。
そして、元マネージャー五人との再会。
佐伯美月。
長谷川琴音。
森下優奈。
白石奈緒。
昨年度マネージャーリーダー・川瀬彩花。
現役の二、三年生にとっては久しぶりの先輩たち。
一方、一年生マネージャーにとっては初めて顔を合わせる先輩たちです。
マネージャー同士で仕事の話をしたり、昨年の思い出を語ったり、現役部員七十人とも交流したり。
選手だけではなく、マネージャーたちにも野球部の歴史が受け継がれていることが分かる一日となりました。
そして今回、最も大切だったのは昨年度主将・藤崎将吾の言葉です。
「今のチームは俺たちの続きじゃない」
「俺たちのために甲子園へ行こうとするな」
「自分たちのために行け」
昨年の先輩たちが果たせなかった夢を背負うのではなく、今年の七十人と十一人のマネージャーが、自分たち自身の甲子園を目指す。
その言葉を受け、肇たちはいよいよ最後の一戦へ向かいます。
練習ノートには、
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
『準々決勝突破 ○』
『準決勝突破 ○』
六つの丸。
そして残っているのは、ただ一つ。
『決勝突破――甲子園』
高校通算六十本塁打。
エース。
四番。
そんな数字や肩書きも、決勝が始まれば〇対〇からです。
現役野球部七十人。
現役マネージャー十一人。
吹奏楽部三十人。
チアリーディング部。
教師。
家族。
そして卒業した先輩十五人と元マネージャー五人。
多くの人たちが見守る中で迎える、高校最後の地区大会決勝。
勝てば――甲子園。
負ければ――最後の夏は終わる。
高橋肇たちに残された地区大会の試合は、あと一つです。




