第12話「準決勝――二年前に止まった場所を越えて、高校通算六十号」
第12話では、いよいよ地区大会準決勝。
肇にとって、この「準決勝」という舞台には特別な記憶がありました。
高校二年生だった昨年の夏。
肇たちの地区大会は、まさに準決勝で敗退。
あと一勝で決勝というところまで進みながら、高校三年生の先輩たちの最後の夏はそこで終わりました。
その悔しさを胸に迎えた秋季大会では優勝。
肇もスターティングメンバーの投手として甲子園へ出場しました。
しかし、その甲子園でも三回戦敗退。
だからこそ、高校三年生最後の夏となる今回は、去年届かなかった準決勝の先へ。
そして、秋にも届かなかった甲子園のさらに先――全国制覇を目指します。
そんな大切な準決勝で、肇は投手としてだけではなく、四番打者としても驚異的な活躍を見せました。
第一打席では三点本塁打。
第二打席では三塁打。
第三打席はセンターフライ。
そして最後の第四打席。
一死満塁。
高校通算五十九本塁打の肇が放った打球は――。
準決勝という大舞台で、高校通算六十本目となる満塁本塁打。
さらに、これまで野球部には秘密にされていた吹奏楽部三十人による新しい応援曲も、ついに初披露されます。
去年の自分たちを越えるために。
甲子園まであと一勝へ近づくために。
高校最後の夏、最大級の一戦です。
地区大会準決勝当日の朝。
高橋肇は、いつもより早く目を覚ました。
カーテンの向こうから差し込む朝日を見ながら、しばらく天井を見つめる。
今日。
地区大会準決勝。
勝てば決勝。
そして、その決勝を制すれば甲子園。
高校三年生として迎える、最後の夏。
しかし――。
「……準決勝か」
この言葉には、肇にとって特別な意味があった。
高校二年生だった昨年の夏。
同じ地区大会。
肇たちの夏は――準決勝で終わった。
あと一つ勝てば決勝。
そこまで進みながら敗退した。
試合終了の瞬間。
三年生たちが泣いていた。
当時二年生だった肇も、マウンドの土を見つめながら動くことができなかった。
「来年は絶対に……」
そう誓った。
その後の秋季大会。
新チームになった肇はスターティングメンバーとしてマウンドを任され、チームは地区大会を優勝。
そして甲子園への出場を果たした。
だが――。
甲子園では三回戦敗退。
全国の壁を思い知らされた。
そして今。
高校野球最後の夏。
もう来年はない。
肇がベッドから起き上がると、隣から声がした。
「おはよう」
千鶴だった。
「おはよう」
千鶴は肇の表情を見る。
「思い出してた?」
「何を?」
「去年の準決勝」
肇は少し驚いた。
「分かる?」
「顔を見れば」
肇は苦笑する。
「去年、ここで負けた」
「うん」
「秋は優勝した」
「うん」
「甲子園にも行った」
「三回戦だったね」
「負けた」
千鶴は何も言わず聞いていた。
「だから今度は」
肇は真っ直ぐ前を見る。
「最後まで行く」
地区大会優勝。
甲子園出場。
そして――全国制覇。
千鶴との約束。
「まず今日」
千鶴が言った。
肇が笑う。
「一試合ずつ?」
「そう」
「分かってる」
千鶴も微笑んだ。
「じゃあ、準決勝を越えてきて」
「うん」
肇は頷いた。
「去年の自分たちを越えてくる」
◇◇◇
学校へ集合した野球部七十人。
今日の空気は、明らかに違っていた。
一条昴監督が全員の前に立つ。
「今日の試合について、俺から長い話はしない」
七十人が静かに聞く。
「三年生の中には覚えている奴もいるだろう」
一条監督が続ける。
「去年の夏」
肇の目が変わる。
「俺たちは準決勝で負けた」
三年生たちの顔が引き締まった。
「去年の三年生の夏は、そこで終わった」
沈黙。
「そしてお前たちは、その悔しさを引き継いだ」
「はい」
和誠が静かに返事をする。
「秋は地区大会優勝」
「はい」
「甲子園にも行った」
「はい」
「だが三回戦敗退」
一条監督は肇を見る。
「高橋」
「はい」
「覚えてるか?」
「忘れません」
「悔しかったか?」
「はい」
即答だった。
「だったら今日、去年の夏を越えろ」
「はい!」
一条監督の声が強くなる。
「今日勝てば決勝だ」
「はい!」
「甲子園まであと一勝になる」
「はい!」
「だが決勝を見るな!」
肇たちが監督を見る。
「今日だけ見ろ!」
「はい!」
「準決勝、全員で勝つぞ!」
和誠が手を中央へ。
七十人全員の声が響いた。
「おおおおおおお!」
◇◇◇
球場。
スタンドはこれまで以上の観客で埋まっていた。
準決勝。
勝てば決勝。
負ければ高校最後の夏が終わる。
吹奏楽部三十人。
チアリーディング部。
クラスメイト。
他学年。
保護者。
教師。
そして【いつもの4人】。
真悠。
眞衣。
美琴。
莉奈。
四人もそれぞれの場所からグラウンドを見ていた。
「今日だね」
美琴が言う。
真悠が頷く。
「去年、お兄ちゃんたちここで負けたんだ」
「準決勝?」
「うん」
眞衣も覚えている。
「あの日、帰ってきてもほとんど喋らなかったよね」
「うん」
莉奈が言う。
「でも秋は甲子園行ったんでしょ?」
「三回戦で負けたけどね」
真悠が少し笑う。
「だから今年は最後まで行くって」
そして――。
吹奏楽部三十人には、もう一つの秘密があった。
番外編で準備してきた、新しい応援曲。
選手一人一人に用意された特別な曲。
もちろん野球部員は誰も知らない。
真悠はトロンボーンを構えながら、少しだけ笑った。
「お兄ちゃん、絶対驚く」
◇◇◇
試合開始前。
一条監督がスターティングメンバーを発表する。
「四番、ピッチャー、高橋肇」
「はい!」
肇が立ち上がる。
今日はエースとして先発。
そして四番打者。
前薗晃大が正捕手。
鈴木和誠が主将として中堅。
固定メンバーが並ぶ。
一条監督が言った。
「高橋」
「はい」
「今日はどこまで投げるつもりだ?」
肇は笑う。
「九回」
「そう言うと思った」
選手たちから笑いが起きる。
「だが決めるのは俺だ」
「はい」
「久我、黒崎、早川」
「はい!」
「準備しておけ」
「はい!」
肇も三人を見る。
「頼む」
久我が笑う。
「高橋先輩が全部投げる必要ないですからね」
「分かってる」
「本当に?」
晃大が聞く。
「最近みんな疑いすぎじゃない?」
「前科があるからな」
また笑いが起きる。
緊張していた空気が、少しだけ柔らかくなった。
◇◇◇
プレイボール。
一回表。
肇がマウンドへ向かう。
そして――。
その裏。
初めて肇へ打席が回った瞬間だった。
『四番、ピッチャー、高橋君』
肇がネクストバッターズサークルから立ち上がる。
いつもの応援曲が流れる――。
そう思っていた。
しかし。
「……ん?」
聞いたことのないイントロ。
力強く始まり、徐々に音が重なっていく。
トランペット。
サックス。
トロンボーン。
打楽器。
スタンド全体を押し上げるような演奏。
肇は打席へ歩きながら、思わず吹奏楽部の方を見た。
真悠が演奏しながら笑っている。
「……これ、何?」
晃大がベンチから笑う。
「俺も知らないぞ!」
和誠も驚いている。
「曲変わってる!」
一条監督だけは腕を組みながら笑っていた。
その顔を見た肇が気づく。
「監督……?」
しかし試合中だ。
考える暇はない。
肇が打席へ入る。
「後で聞こう」
構える。
◇◇◇
一回裏。
二死一、二塁。
最初の打席。
相手投手は慎重だった。
初球。
外角。
ボール。
二球目。
スライダー。
ファウル。
三球目。
ストレート。
肇が見送る。
ストライク。
ワンボール、ツーストライク。
追い込まれる。
四球目。
低め。
ボール。
五球目。
外角へ逃げる変化球。
肇はバットを止めた。
ボール。
フルカウント。
六球目。
投手が投げた。
真ん中付近。
ストレート。
肇の目が変わる。
「!」
振り抜いた。
カキィィィィン!
完璧な打球音。
左中間。
外野手が追わない。
打った瞬間だった。
「行った!」
ベンチが総立ち。
打球は大きな放物線を描き――。
左中間スタンドへ飛び込んだ。
「ホームラーーーン!」
三点本塁打。
スリーラン。
一回裏。
肇の一発で――三対〇。
そして。
高校通算――五十九号。
「よっしゃああ!」
肇が一塁を回る。
新しい応援曲がさらに大きくなる。
二塁。
三塁。
ホーム。
仲間たちが待っている。
「肇!」
「五十九号!」
「準決勝で打ちやがった!」
和誠。
晃大。
宮坂。
次々とハイタッチ。
肇は吹奏楽部を一瞬見る。
真悠たち三十人が演奏を続けている。
「サプライズだったのか……」
そしてベンチの一条監督を見る。
一条監督は何も言わず親指を立てた。
肇も笑った。
◇◇◇
二回、三回。
打線は勢いに乗った。
三回裏。
一死。
肇の第二打席。
今度も新しい応援曲。
すでに肇自身も少し慣れてきた。
「いい曲だな……」
初球。
ストライク。
二球目。
ボール。
三球目。
甘い変化球。
肇が振り抜く。
カキィン!
今度は右中間。
外野手二人の間を抜ける。
「抜けた!」
肇は一塁を回る。
二塁へ。
「行け!」
さらに三塁。
返球が来る。
滑り込む。
「セーフ!」
三塁打。
この日二安打目。
肇が三塁ベース上で拳を握る。
後続のタイムリーで生還。
さらに一点。
スコアは五対〇へ広がった。
◇◇◇
投手としても肇は安定していた。
一回。
二回。
三回。
無失点。
四回に連打を浴び、一点を失ったものの、大崩れしない。
晃大がマウンドへ。
「肇」
「大丈夫」
「聞いてない」
「え?」
「球が少し高い」
「分かってる」
「力んでる?」
「少し」
「点差あるんだから三振いらない」
「打たせる」
「そう」
次の打者。
初球。
低め。
打たせた。
ショートゴロ。
二塁。
一塁。
ダブルプレー。
「よっしゃ!」
一点で止める。
五対一。
◇◇◇
四回裏。
三度目の打席。
走者なし。
肇が打席へ。
新しい応援曲。
初球。
ボール。
二球目。
ストライク。
三球目。
肇が振り抜く。
高く上がる。
センター方向。
「行くか!?」
スタンドが沸く。
しかし――。
センターがフェンス手前で捕球。
「アウト!」
センターフライ。
肇は悔しそうに空を見上げた。
「ちょっと上がりすぎた」
ベンチへ戻る。
晃大が言う。
「何でもホームランにするな」
「狙ってない」
「本当か?」
「本当」
和誠が笑った。
「今日はもう一本打ちそうな顔してるけど」
肇が笑う。
「機会があればね」
この時。
その「もう一本」が、想像以上の場面で訪れることになる。
◇◇◇
五回。
六回。
打線が爆発した。
相手投手の交代後も攻撃の手は緩まない。
和誠のタイムリー。
晃大の二塁打。
宮坂の犠牲フライ。
さらに下位打線もつながる。
七回を終えた時点で――。
九対二。
大量リード。
一条監督は肇を呼ぶ。
「高橋」
「はい」
「今日はここまで」
肇は一瞬だけ口を開きかけた。
そして止める。
「……はい」
一条監督が少し驚く。
「今日は素直だな」
「学びました」
「やっとか」
肇が笑う。
「決勝もありますから」
「そういうことだ」
七回二失点。
肇はマウンドを後にする。
八回からは黒崎蓮が登板。
肇は守備位置を移し、試合には残った。
◇◇◇
八回裏。
さらに打線がつながる。
先頭がヒット。
四球。
送りバント。
内野安打。
そして押し出し。
十対二。
さらに満塁。
一死満塁。
球場内にアナウンスが響いた。
『四番、高橋君』
一瞬。
球場全体が大きくどよめいた。
この日、肇はすでに、
第一打席――三点本塁打。
第二打席――三塁打。
第三打席――センターフライ。
そして第四打席。
満塁。
肇がゆっくり打席へ向かう。
新しい応援曲。
吹奏楽部三十人の音量が、一段上がる。
真悠も力いっぱいトロンボーンを吹く。
眞衣がチアリーディング部から声を張る。
「お兄ちゃん!」
美琴と莉奈も立ち上がっている。
千鶴も吹奏楽部顧問として、じっと肇を見る。
一条監督はベンチから腕を組む。
「……高橋」
満塁。
高校通算五十九本。
もし、ここで打てば――六十本。
だが肇自身は数字だけを考えなかった。
「走者三人」
三人返せる。
それだけ。
投手がセットポジション。
初球。
外角低め。
ボール。
二球目。
ストレート。
肇は振る。
ファウル。
三球目。
内角。
肇が身体を引く。
ボール。
ツーボール、ワンストライク。
四球目。
変化球。
肇が見送る。
ストライク。
ツーボール、ツーストライク。
追い込まれた。
応援曲がさらに大きくなる。
投手が息を整える。
五球目。
外角。
肇がカット。
ファウル。
六球目。
低い。
ボール。
フルカウント。
満塁。
一死。
フルカウント。
球場全体が立ち上がる。
「高橋ー!」
「打てー!」
「肇ー!」
肇は一度バットを肩から外す。
深呼吸。
再び構えた。
投手が振りかぶる。
七球目。
ストレート。
真ん中から少し内寄り。
肇の身体が反応する。
左足を踏み込む。
腰が回る。
バットが出る。
そして――。
カキィィィィィィン!
一瞬。
時間が止まった。
「……行った」
晃大が呟く。
和誠が立ち上がる。
一条監督も目を見開いた。
打球はライト方向へ。
高く。
さらに高く。
右翼手が下がる。
フェンス。
その向こうへ――。
消えた。
「ホームラーーーーーン!」
大歓声。
「うわああああああ!」
満塁本塁打。
グランドスラム。
走者三人が次々とホームへ。
そして肇。
一塁を回る。
スコアは一気に――十四対二。
吹奏楽部三十人の演奏。
チアリーディング部の歓声。
七十人の野球部。
観客。
すべてが一つになる。
肇が二塁を回る。
その時、電光掲示板に表示される。
高校通算――60号。
「六十本!」
「高橋、六十号!」
「準決勝で六十号!」
眞衣が両手を上げる。
「お兄ちゃん、六十本!」
真悠は演奏しながら目を大きくしている。
美琴が驚く。
「三回戦で五十八本だったよね?」
莉奈が頷く。
「今日二本……六十本だ」
肇が三塁を回る。
そしてホーム。
仲間たちが待っていた。
「肇!」
「六十号!」
「グランドスラム!」
「やりすぎだろ!」
晃大が肇のヘルメットを叩く。
「痛い!」
「準決勝で満塁ホームランとか聞いてない!」
和誠も笑う。
「高校通算六十本!」
肇はベンチを見る。
一条監督がいる。
「監督!」
一条が笑った。
「よく打った!」
肇も拳を握った。
高校通算六十号。
高校最後の夏。
準決勝。
満塁本塁打。
忘れられない一発となった。
◇◇◇
九回表。
十四対二。
最後は黒崎がマウンド。
先頭打者。
ショートゴロ。
一死。
二人目。
三振。
二死。
あと一人。
球場全体が立ち始める。
肇も守備位置からグラウンドを見る。
去年。
高校二年生。
準決勝。
ここで敗れた。
あの日は、相手校の歓声を聞いていた。
今日は――。
自分たちがあと一つ。
黒崎が投げる。
打者が振る。
カキンッ!
センターフライ。
和誠が落下地点へ。
「オーライ!」
パシッ!
捕球。
「アウト!」
試合終了。
十四対二。
準決勝突破。
一瞬。
肇は空を見上げた。
「……越えた」
去年の夏。
止まった場所。
準決勝。
それを――ついに越えた。
「肇!」
晃大が走ってくる。
「決勝だぞ!」
和誠も。
「あと一つ!」
久我。
黒崎。
早川。
七十人の仲間たち。
全員が集まってくる。
「決勝進出!」
「甲子園まであと一勝!」
歓声がグラウンドを包んだ。
◇◇◇
応援席。
真悠は演奏を終え、大きく息を吐いた。
眞衣が駆け寄ってくる。
「勝った!」
「うん!」
「お兄ちゃん六十本!」
「しかも最後満塁ホームラン!」
美琴と莉奈も合流する。
「すごすぎない?」
美琴が言う。
莉奈も笑う。
「今日何打ったの?」
真悠が指を折る。
「最初がスリーラン」
「うん」
「次が三塁打」
「センターフライ」
「最後が満塁ホームラン」
眞衣が言う。
「三安打、二本塁打」
そして美琴が計算して――驚く。
「本塁打だけで七打点じゃない?」
四人が顔を見合わせた。
「……本当だ」
真悠が笑う。
「お兄ちゃん、打ちすぎ」
公式記録では、この日――。
三安打。
二本塁打。
三ラン本塁打と満塁本塁打による七打点。
さらに三塁打。
センターフライ。
そして高校通算本塁打数は――六十本。
肇にとって、自己最高クラスの準決勝となった。
◇◇◇
試合後。
一条監督が全員を集める。
「準決勝突破」
「はい!」
「去年を越えたな」
三年生の多くが目を潤ませる。
「はい!」
肇も同じだった。
一条監督は肇を見る。
「高橋」
「はい」
「七回二失点」
「はい」
「そして――」
少し笑う。
「三安打二本塁打七打点」
仲間たちから拍手。
「高校通算六十本」
さらに大きな拍手。
肇が頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「だが」
一条監督が表情を変える。
「明日になれば全部忘れろ」
肇が顔を上げる。
「決勝は〇対〇からだ」
「はい!」
「六十本打ってようが、百本打ってようが、決勝のスコアには一点も入らない」
「はい!」
「あと一つ」
静かになる。
「あと一つ勝てば――甲子園だ」
七十人の表情が変わった。
「はい!」
「決勝」
一条監督が拳を握る。
「絶対勝つぞ!」
「おおおおおおお!」
◇◇◇
その夜。
肇が家へ帰る。
千鶴が待っていた。
「おかえり」
「ただいま」
千鶴は少し笑う。
「六十号、おめでとう」
「ありがとう」
「しかも最後……満塁ホームラン」
「自分でもびっくりした」
「三ランも打ったでしょう?」
「うん」
「本当に打ちすぎ」
肇が笑う。
「みんなにも言われた」
千鶴は一瞬黙った。
そして――。
「去年の準決勝、覚えてた?」
「ずっと」
「今日、最後のアウトの時どうだった?」
肇は少し考える。
「やっと越えたって思った」
高校二年生。
準決勝敗退。
あの日から一年。
「秋は甲子園に行ったけど」
「うん」
「三回戦で負けた」
「うん」
「だから、今度は」
肇は千鶴を見る。
「最後まで行く」
千鶴も頷いた。
「あと一勝ね」
「うん」
「地区大会は」
「決勝」
「勝ったら?」
「甲子園」
「その先は?」
「全国制覇」
「そのさらに先は?」
肇が少し笑った。
「……プロポーズ」
千鶴が少し照れる。
「覚えてたんだ」
「俺が言ったんだよ」
「そうでした」
二人は笑った。
◇◇◇
肇は練習ノートを開く。
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
『準々決勝突破 ○』
そして――。
『準決勝突破』
肇は大きな丸をつけた。
『準決勝突破 ○』
六つ目。
その下。
『決勝突破――甲子園』
まだ丸はない。
肇はさらに余白へ書いた。
『高校通算60本』
少しだけ眺める。
そして、その横に小さく書いた。
『でも、次は0対0から。』
千鶴が見て笑う。
「一条先生に言われた?」
「うん」
「いい言葉ね」
「俺もそう思う」
肇はペンを置く。
地区大会準決勝。
十四対二。
大量得点で勝利。
第一打席――三点本塁打。
第二打席――三塁打。
第三打席――センターフライ。
第四打席――満塁本塁打。
三安打。
二本塁打。
七打点。
高校通算六十本。
そして――決勝進出。
去年の夏に越えられなかった準決勝という壁を、ついに越えた。
甲子園まで――あと一勝。
高校最後の夏。
最後の地区大会。
残された試合は、ただ一つ。
決勝。
勝てば――甲子園。
高橋肇と仲間たちの最後の一戦が、いよいよ目前まで迫っていた。
第12話「準決勝――二年前に止まった場所を越えて、高校通算六十号」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
準決勝の結果は――
十四対二。
肇たちは大量得点で勝利し、ついに地区大会決勝進出を決めました。
今回、肇にとって何より大きかったのは「準決勝を突破した」という事実です。
高校二年生の夏。
同じ準決勝で敗れた肇たち。
あの日、先輩たちの夏が終わる姿を見ながら、肇自身も大きな悔しさを経験しました。
その後、秋には地区大会を制して甲子園へ。
しかし三回戦で敗退。
だからこそ高校三年生最後の夏では、
「去年の夏を越える」
「秋の甲子園より先へ進む」
という二つの想いを胸に戦っています。
そして今回、四番・高橋肇の打撃は大爆発。
第一打席。
二死一、二塁から放った三点本塁打。
これで高校通算五十九号。
第二打席では右中間を破る三塁打。
第三打席は大きなセンターフライ。
そして八回裏。
一死満塁で迎えた最後の打席。
ツーボール・ツーストライクから粘り、フルカウント。
七球目。
少し内寄りへ入ったストレートを完璧に捉えた打球は、右翼スタンドへ。
――満塁本塁打。
高校通算六十号。
準決勝という大舞台で到達した、大きな節目となりました。
この日の肇は三安打、二本塁打。
三ラン本塁打と満塁本塁打という、強烈な二発を記録。
投手としても七回二失点で試合を作り、その後を黒崎蓮へ託しました。
そして忘れてはいけないのが、準決勝から初披露された新しい応援曲です。
一条昴監督。
東雲千鶴。
真悠。
そして吹奏楽部三十人が、野球部員たちには秘密で準備してきたサプライズ。
肇が第一打席へ向かった時、突然流れ始めた聞き覚えのない応援曲。
思わず吹奏楽部の方を見てしまった肇でしたが、その直後に三点本塁打。
そして最後には、その新しい応援曲を背中に受けながら高校通算六十号となる満塁本塁打を放ちました。
まさに野球部と吹奏楽部が一つになった準決勝だったと思います。
そして試合終了。
十四対二。
昨年越えることのできなかった準決勝という壁を、ついに突破。
肇の練習ノートには、
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
『準々決勝突破 ○』
そして新たに――
『準決勝突破 ○』
六つ目の丸が刻まれました。
さらに、
『高校通算60本』
という大きな記録も追加。
しかし一条監督が試合後に伝えた通り、決勝はまた〇対〇から始まります。
六十本という記録も。
準決勝十四得点という結果も。
次の試合に一点を与えてくれるわけではありません。
残された目標は、ただ一つ。
『決勝突破――甲子園』
地区大会優勝まで。
千鶴を甲子園へ連れていくという約束まで。
あと――一勝。
そしてその先には、甲子園優勝と、肇が千鶴へ約束したプロポーズも待っています。
しかし、今はまだ未来を見すぎない。
一試合ずつ。
一球ずつ。
一打席ずつ。
高校三年生・高橋肇。
エース。
四番打者。
高校通算六十本塁打。
最後の夏はいよいよ――地区大会決勝。
甲子園への切符を懸けた、最後の一戦へ向かいます。




