閑話⑶「甲子園のその先へ――監督と校長へ明かす秘密、そして未来の約束」
今回の閑話⑶では、準々決勝を前にした肇と千鶴が、これまで家族だけが知っていた二人の関係について、ついに学校側へ報告する決断をしました。
これまで学校では徹底して「東雲先生」と「高橋君」。
しかし、家では交際相手として同じ時間を過ごしてきた二人。
そして肇は千鶴に、さらに大きな未来の話をします。
「もし甲子園で優勝したら、必ずプロポーズする」
そして、
「高校卒業後、ドラフトで指名を受けたらプロ野球の世界へ進みたい」
という決意。
その未来を本気で考えるからこそ、いつまでも学校側に秘密を抱えたままではいけない。
そう考えた二人は、まず一条昴監督へ報告し、その後、校長・教頭・一条監督・千鶴・肇の五人で校長室に集まり、これまでの経緯を自分たちの言葉で説明しました。
さらに明らかになったのは、一条監督が肇の母・由紀子を知っていたこと。
そして一条監督にとっても初耳だった、由紀子と千鶴が高校時代の先輩・後輩であるという関係。
肇の父親と校長にも、大学時代からの先輩・後輩というつながりがあります。
いくつもの人間関係がつながる中で、二人は初めて学校側へ自分たちの秘密と未来への覚悟を伝えることになります。
準々決勝を数日後に控えた夜。
夕食を終えた肇と千鶴は、リビングで向かい合って座っていた。
テレビはついている。
しかし、二人とも画面をほとんど見ていなかった。
県立北辰高校を五対二で破り、地区大会ベスト8。
次の相手は私立東央学園。
いよいよ準々決勝というところまで来た。
それでも今夜、肇が千鶴へ話したかったのは野球の作戦ではなかった。
「千鶴」
「何?」
「ちょっと真面目な話していい?」
千鶴は肇の表情を見て、手にしていたカップをテーブルへ置いた。
「いいわよ」
肇は一度息を吸う。
「俺たちって……付き合ってるんだよな」
千鶴が少し驚いた。
「今さら何を確認してるの?」
「いや、ちゃんと言葉にしておきたくて」
「……そうね」
千鶴も表情を真剣にする。
「私たちは交際してる」
「うん」
教師と生徒。
学校という場所で考えれば、決して簡単な関係ではない。
だから学校では徹底して距離を保ってきた。
「東雲先生」と「高橋君」。
誰もいないからといって、校内で特別な態度を取ることもしない。
そして家へ戻れば、そこには二人だけの生活がある。
そのことを知っているのは、これまで基本的に両家の家族だけだった。
「千鶴」
「うん」
肇は真っ直ぐに彼女を見る。
「俺、もし甲子園で優勝したら……千鶴にプロポーズする」
千鶴の目が大きくなる。
「……肇」
「まだ指輪とか何も用意してないけど」
「そういう問題じゃなくて」
「分かってる」
肇は笑わなかった。
本気だった。
「地区大会で優勝して甲子園に行く」
「うん」
「甲子園でも優勝する」
「うん」
「そこまで行けたら、俺は千鶴に結婚してくださいって言う」
千鶴はしばらく何も言えなかった。
肇はさらに続ける。
「それと、高校を卒業したら……俺はプロ野球の世界へ行きたい」
「ドラフト?」
「うん」
高校通算五十八本塁打。
投手としてもエース。
地区大会でも投打で結果を残している。
当然、肇自身も周囲からプロを意識する言葉を掛けられるようになっていた。
「もし指名してもらえたら、プロへ行く」
千鶴は静かに聞いていた。
「大学へ行かずに?」
「今はそのつもり」
「覚悟はあるの?」
「ある」
「プロは高校野球よりずっと厳しいわよ」
「分かってる」
「活躍できる保証だってない」
「それも分かってる」
それでも肇は迷わなかった。
「挑戦したい」
千鶴はしばらく肇を見つめた後、ゆっくり頷いた。
「だったら応援する」
「ありがとう」
「でも、まずは卒業すること」
「そこ?」
「大事です」
「はい」
千鶴が少し笑う。
そこで肇は、もう一つの話を切り出した。
「千鶴」
「何?」
「俺たちのこと……一条監督には話した方がいいんじゃないかな」
千鶴の表情から笑みが消えた。
「……やっぱり、そう思う?」
「うん」
「私も少し考えてた」
肇は頷く。
「俺、これからドラフトとかで注目される可能性あるだろ?」
「そうね」
「もし後から誰かに知られて、『学校は何も知らなかった』ってなる方がまずいと思う」
千鶴は黙って聞く。
「一条監督には、ちゃんと自分の口から伝えたい」
「交際していることを?」
「それだけじゃない」
肇は言った。
「家族が知ってることも」
「……一緒に暮らしていることも?」
「うん」
これまで校長も教頭も、一条監督も知らなかった。
肇の父親と校長が大学時代の先輩・後輩であることは知られている。
しかも先輩が肇の父親。
校長がその後輩。
だが、肇と千鶴が同じ家で生活していることまで、学校側は知らない。
千鶴が小さく息を吐いた。
「怖いわね」
「俺も」
「当然、簡単に認めてもらえる話じゃない」
「分かってる」
「教師と生徒だもの」
「うん」
肇はそれでも千鶴を見る。
「だからこそ、隠したままにしたくない」
千鶴はしばらく考えた。
そして――。
「分かった」
「千鶴」
「準々決勝の前に、一条先生へ話しましょう」
「うん」
「それから必要なら校長先生と教頭先生にも」
「俺も一緒に行く」
「当然でしょう?」
二人はそこで、一つ大きな決断をした。
家族だけが知っていた秘密を、学校側へ初めて伝える。
◇◇◇
翌朝。
学校。
校門をくぐった瞬間から、二人はいつもの関係へ戻った。
千鶴は教師。
肇は生徒。
「高橋君、おはよう」
「おはようございます、東雲先生」
それだけ。
昨夜、結婚やプロ野球について話した二人とは思えないほど自然だった。
肇は教室へ向かう。
「高橋!」
クラスメイトが声を掛けてくる。
「準々決勝、東央なんだろ?」
「うん」
「強い?」
「強い」
「また先発?」
「まだ分からない」
「絶対勝ってくれよ!」
「そのつもり」
いつもの会話。
いつもの学校。
授業が始まれば、肇も普通の高校三年生として席に座った。
黒板を見る。
ノートを取る。
教師に指名されれば答える。
休み時間になればクラスメイトと話す。
千鶴の授業がある時間も同じだった。
「では、この部分を高橋君」
「はい」
肇が立ち上がる。
学校では徹底して教師と生徒。
千鶴も特別扱いしない。
「そこは理由まで説明してください」
「はい」
答え終える。
「大丈夫です。座ってください」
「はい」
ただそれだけ。
しかし二人だけは知っている。
今日の放課後。
これまで秘密だった関係を、一条監督へ話すことになる。
◇◇◇
放課後。
野球部グラウンド。
部員たちが準備を始める。
準々決勝へ向けた練習が始まる直前だった。
肇は一条昴監督を探した。
バックネット近くで練習メニューを確認している。
「監督」
「どうした、高橋」
「少し時間ありますか?」
一条監督が肇を見る。
これまで何度も肇から、
「お願いがあります」
と言われてきた。
二回戦。
三回戦。
起用法について意見されたこともある。
一条監督は少し警戒したように笑った。
「今度は誰を先発させたいんだ?」
「違います」
「じゃあ何だ?」
肇は真剣な顔になる。
「野球じゃない話です」
その表情を見て、一条監督も冗談をやめた。
「分かった。来い」
二人は少しグラウンドから離れた場所へ移動した。
「それで?」
「監督」
肇は一度息を吸う。
「俺、東雲先生と付き合っています」
一条監督の表情が止まった。
数秒。
「……もう一回言ってみろ」
「東雲千鶴先生と交際しています」
一条監督は周囲を見る。
誰も聞いていない。
「高橋」
「はい」
「冗談じゃないな?」
「違います」
「いつからだ」
肇はこれまでの経緯を、必要な範囲で説明した。
高校一年生の頃から千鶴に気持ちを伝えていたこと。
家族同士も事情を知っていること。
現在は両家の両親も二人の関係を把握していること。
一条監督は腕を組んだ。
「お前、自分が何を言ってるか分かってるな?」
「はい」
「東雲先生は教師だ」
「分かっています」
「お前は生徒だ」
「分かっています」
「学校として簡単に済ませられる話じゃない」
「それも分かっています」
肇は逃げずに答える。
「だから報告しました」
一条監督は黙った。
肇は続ける。
「それと」
「まだあるのか?」
「あります」
一条監督が少し頭を抱えた。
「言え」
「もし甲子園で優勝したら、俺は東雲先生にプロポーズします」
「……」
「高校卒業後に結婚したいと思っています」
一条監督は完全に言葉を失っていた。
「高橋、お前な……」
「本気です」
「顔見れば分かる」
肇はさらに続ける。
「それと、ドラフトで指名を受けられたら、プロ野球へ行きます」
今度は一条監督の表情が変わった。
「それは初めて聞いたな」
「まだ正式に何か決まってるわけじゃありません」
「だろうな」
「でも俺は、プロへ行きたいです」
一条監督はしばらく考えた。
「プロを目指すことは、監督として応援する」
「ありがとうございます」
「だが東雲先生の話は別だ」
「はい」
「俺だけで判断できる話じゃない」
「分かっています」
「校長と教頭へ話す必要がある」
「はい」
肇は頭を下げた。
「お願いします」
一条監督は大きく息を吐く。
「東雲先生本人とも話す」
「もちろんです」
「今日、部活が終わった後に時間を作る」
「はい」
「高橋」
「はい」
一条監督は真剣な顔で言った。
「その話をしたからといって、今日の練習が軽くなると思うなよ」
肇は一瞬驚き――笑った。
「思ってません」
「準々決勝前だからな」
「はい!」
「よし。走ってこい」
「はい!」
肇はグラウンドへ戻った。
◇◇◇
そして練習が始まった。
ランニング。
キャッチボール。
守備。
投球練習。
打撃。
肇はいつも通りだった。
いや。
一条監督へ秘密を伝えたことで、むしろ少し肩の荷が下りたようにも感じた。
ブルペン。
晃大が肇の球を受ける。
バシィィン!
「今日いいな」
「そう?」
「何かあった?」
肇が一瞬止まる。
「別に」
「怪しいな」
「準々決勝に集中してるだけ」
「ならいいけど」
肇は再び投げる。
今はまだ、晃大たちへ話すことではない。
まずは学校側。
そして自分たちの責任をきちんと果たす。
◇◇◇
午後七時。
野球部の練習終了。
部員たちが帰り始めた。
一条監督が肇へ声を掛けた。
「高橋」
「はい」
「校長室へ来い」
肇は頷いた。
「はい」
その頃、千鶴にも話が伝わっていた。
五分後。
校長室。
中には五人が揃った。
校長。
教頭。
一条昴監督。
東雲千鶴。
そして高橋肇。
校長は肇を見る。
「高橋君」
「はい」
校長とは、肇の父親を通して昔から多少の縁がある。
肇の父親は校長の大学時代の先輩。
校長にとって、高橋家はまったく知らない家庭ではなかった。
しかし今日の話は――完全に想定外だった。
校長が言った。
「一条先生から概要は聞きました」
「はい」
「ですが、本人たちから聞きたい」
肇と千鶴が顔を見合わせる。
まず千鶴が口を開いた。
「私からお話しします」
「お願いします」
「私は現在、高橋肇君と交際しています」
教頭が険しい顔になる。
校長も真剣だった。
「東雲先生」
「はい」
「あなたが教師で、高橋君が生徒だということは分かっていますね?」
「もちろんです」
「非常に重大な話です」
「はい」
千鶴は頭を下げた。
「そのことは十分理解しています」
肇も続ける。
「俺から千鶴先生に気持ちを伝えたのが最初です」
校長が肇を見る。
「ご両親は?」
「知っています」
「両家とも?」
「はい」
千鶴も頷く。
「私の家族も、肇君のご両親も承知しています」
一条監督がそこで尋ねた。
「そういえば高橋」
「はい?」
「お前のお母さんって由紀子さんだよな?」
肇が少し驚く。
「知ってるんですか?」
「知ってる」
今度は千鶴が驚いた。
「一条先生、由紀子先輩を知ってるんですか?」
一条監督の目が止まる。
「……先輩?」
千鶴が頷く。
「高校時代の先輩です」
「待ってください」
教頭が反応した。
「高橋君のお母さんと東雲先生は、高校時代から知り合いなんですか?」
「はい」
千鶴が答える。
「由紀子先輩が私の先輩です」
校長も初めて知ったようだった。
「それは私も知りませんでした」
肇が説明する。
「だから母さんは、千鶴先生のことを昔から知っています」
一条監督が苦笑する。
「世間狭いな……」
しかし、まだ大切な話が残っていた。
千鶴が少し緊張した表情になる。
「それと、もう一つお伝えしなければいけないことがあります」
校長が尋ねる。
「何ですか?」
肇が答えた。
「俺たち、今……同じ家で暮らしています」
一瞬。
校長室の時間が止まったかのようだった。
「……何?」
教頭が聞き返す。
校長も驚いている。
一条監督も。
「高橋」
「はい」
「同棲してるってことか?」
「はい」
「学校には一切言わずに?」
「はい」
一条監督が額へ手を当てる。
千鶴が深く頭を下げた。
「申し訳ありません」
校長は厳しい表情を崩さない。
「これは簡単に認められる話ではありません」
「分かっています」
「ご両親は、そのことも?」
肇が答える。
「知っています」
「許可を得ています」
千鶴も続ける。
「両家で何度も話し合っています」
「高橋君のお父さんも?」
「はい」
校長は少し黙った。
自分の大学時代の先輩。
その息子。
まさかこうした形で話を聞くとは想像もしていなかった。
「彼のお父さんは、私の大学時代の先輩です」
教頭が校長を見る。
「以前仰っていましたね」
「ええ」
校長は肇へ向き直る。
「だからといって、今回の件を特別扱いすることはできません」
「もちろんです」
肇は即答した。
「父親と校長先生の関係は関係ありません」
校長の表情が少しだけ変わった。
「そう言ってもらえるならいい」
◇◇◇
話し合いは長く続いた。
学校内では必ず教師と生徒として接する。
授業や成績評価に私的関係を持ち込まない。
部活動や進路指導でも特別扱いを求めない。
そして、今後のことについて両家の保護者とも学校側が改めて確認する。
校長は慎重に言った。
「高橋君が十八歳だから何でも自由、という話ではありません」
「はい」
「在学中である以上、本校の生徒です」
「分かっています」
「東雲先生も、教師としての責任があります」
「はい」
千鶴は真剣に受け止めた。
校長は二人を見る。
「今日ここで話してくれたこと自体は、隠し続けるより良かったと思います」
肇が顔を上げる。
「ありがとうございます」
「ですが、これですべて問題がなくなったわけではありません」
「はい」
「今後はご両親も交えて、学校側とも話を続けます」
二人は同時に頷いた。
「はい」
◇◇◇
そして一条監督が肇を見る。
「高橋」
「はい」
「もう一つ、俺から校長先生たちへ伝えていいか?」
肇は何のことか分かった。
「お願いします」
一条監督が校長と教頭へ向く。
「高橋は、甲子園で優勝したら東雲先生へ正式に結婚を申し込むつもりだそうです」
校長と教頭の視線が一斉に肇へ向いた。
「本当ですか?」
「はい」
肇は迷わなかった。
「プロポーズします」
千鶴は少し照れたように視線を下げた。
「高校卒業後?」
「はい」
「そして――」
一条監督が続ける。
「高橋はドラフトで指名を受けた場合、プロ野球へ進む意思もあります」
校長が今度は少し驚いた。
「そうですか」
「はい」
肇は言った。
「まだ何も決まってません。でも、プロへ行きたいです」
一条監督が肇を見る。
「俺と約束したな」
「はい」
「準々決勝前に余計なこと考えて投球崩すなよ」
肇が笑う。
「それは大丈夫です」
「本当か?」
「はい」
「じゃあ約束しろ」
「何を?」
一条監督は真剣な表情になる。
「プロへ行くことも、結婚することも、お前自身が責任を持って決めろ」
肇も表情を引き締めた。
「はい」
「周囲のせいにするな」
「はい」
「それから、まず高校を卒業しろ」
千鶴が思わず笑ってしまった。
「私も同じこと言いました」
「やっぱりですか?」
一条監督も笑う。
教頭まで少し表情を緩めた。
肇だけが苦笑する。
「みんな同じこと言う……」
校長が言った。
「当然です」
校長室に、ほんの少しだけ柔らかな空気が戻った。
◇◇◇
話し合いが終わったのは、かなり遅い時間だった。
校長室を出る。
廊下。
千鶴と肇。
そして少し後ろを一条監督が歩く。
学校のため、二人は距離を保っていた。
一条監督が肇へ言う。
「高橋」
「はい」
「今日の話と準々決勝は別だ」
「分かってます」
「東央学園は強いぞ」
「はい」
「恋愛の話で頭いっぱいになって三振するなよ」
「しません!」
千鶴が思わず笑った。
「東雲先生も」
「はい?」
「こいつを甘やかさないでください」
「そこは任せてください」
「千鶴先生?」
「学校では東雲先生だろ」
一条監督に突っ込まれる。
「あっ」
肇が黙る。
千鶴が呆れる。
「高橋君」
「……はい」
「気をつけてください」
「はい」
一条監督は笑いながら職員室へ戻っていった。
◇◇◇
夜。
家。
二人はリビングでようやく肩の力を抜いた。
「疲れた……」
肇がソファへ座る。
千鶴も隣へ。
「私も」
「怖かった?」
「ものすごく」
「俺も」
「一条先生に最初に言った時どうだった?」
「固まってた」
千鶴が少し笑う。
「校長先生も固まってたわよ」
「そりゃそうだよな」
それでも――。
話した。
隠したままにしなかった。
これから両家の両親を交え、学校側と改めて話すことになる。
簡単な問題ではない。
しかし二人は逃げなかった。
「千鶴」
「何?」
「俺、今日言ったこと変えないから」
「どれ?」
「全部」
肇は指を折る。
「地区大会で優勝する」
「うん」
「甲子園へ行く」
「うん」
「甲子園で優勝する」
「うん」
「優勝したらプロポーズする」
千鶴が少し照れる。
「……うん」
「そしてドラフトで指名してもらえたら、プロへ行く」
千鶴は肇を見る。
「大きな約束ばっかりね」
「一個ずつ叶える」
「まずは?」
肇はすぐ答えた。
「準々決勝」
千鶴が微笑んだ。
「正解」
次の相手は私立東央学園。
ここを突破しなければ、甲子園への道は途切れる。
プロポーズも。
全国制覇も。
プロ野球も。
未来の話はすべて、まず今を全力で生きた先にある。
肇は練習ノートを開いた。
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
そして――。
『準々決勝突破』
まだ丸はない。
その下へ、肇は新しく一つだけ書いた。
『未来の前に、まず次の一勝。』
千鶴が隣からそれを見る。
「いい言葉ね」
「自分で書いた」
「分かってます」
二人が笑う。
肇はノートを閉じた。
高校三年生。
十八歳。
野球部のエース。
四番打者。
高校通算五十八本塁打。
そして学校の誰にも言えなかった秘密を、今日初めて自分の口で伝えた。
一条昴監督。
校長。
教頭。
そして東雲千鶴と高橋肇。
五人だけで交わした、長い話し合い。
まだ解決したわけではない。
これから向き合わなければならないことは多い。
それでも肇は一つだけ確信していた。
甲子園。
プロポーズ。
高校卒業。
プロ野球。
どの未来へ進むとしても――。
もう逃げずに、自分の言葉で選んでいく。
そして今。
最初に越えるべき相手はただ一つ。
準々決勝。
私立東央学園。
高橋肇の最後の夏と、その先にある人生は――少しずつ大きな転換点へ近づいていた。
閑話⑶「甲子園のその先へ――監督と校長へ明かす秘密、そして未来の約束」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は野球の試合ではなく、肇と千鶴にとって非常に大きな転換点となる一日を描きました。
まず肇が千鶴へ改めて確認した二人の関係。
二人は交際している。
そして甲子園で優勝することができたなら、肇は千鶴へ正式にプロポーズする。
さらに高校卒業後は、ドラフトで指名を受けることができればプロ野球の世界へ進む。
肇にとって「甲子園」は終着点ではありません。
その先には結婚。
そしてプロ野球という新たな世界があります。
ただし、そんな未来を本気で考えるからこそ、二人は学校側へ何も伝えないままでいることをやめました。
最初に肇が打ち明けた相手は、一条昴監督。
「俺、東雲先生と付き合っています」
これまで肇から試合の起用法について何度も相談を受けてきた一条監督にとっても、さすがに今回は予想できない報告でした。
さらに肇は、
「甲子園で優勝したらプロポーズする」
「ドラフトで指名を受けたらプロへ行く」
という未来まで報告。
一条監督からは、
「プロへ行くことも、結婚することも、自分自身で責任を持って決めろ」
という言葉も送られました。
そして部活動終了後。
校長室へ集まった五人。
校長。
教頭。
一条監督。
東雲千鶴。
高橋肇。
その場で、二人は家族だけが知っていた事実を学校側へ伝えました。
両家の両親が二人の関係を知っていること。
由紀子と千鶴が高校時代の先輩・後輩であること。
そして、現在二人が同じ家で暮らしていること。
もちろん、教師と在校生という立場が簡単なものではないことを、二人自身も理解しています。
だからこそ、校長からも「これで問題がすべて解決したわけではない」と伝えられ、今後は両家の両親も交えて学校側と話を続けていくことになりました。
また、肇の父親は校長の大学時代の先輩。
校長が後輩という関係もあります。
しかし肇自身が、
「父親と校長先生の関係は関係ありません」
と伝えたように、そこへ特別扱いを求めるつもりはありません。
そして今回、一番大きかったのは、肇が秘密から逃げなかったことかもしれません。
野球でも。
恋愛でも。
結婚でも。
進路でも。
これからは自分の言葉で伝え、自分で責任を持って選んでいく。
そんな決意が見えた一話となりました。
肇の練習ノートには、
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
『四回戦突破 ○』
そして次なる、
『準々決勝突破』
という目標。
さらに今回、新しく書き加えられた言葉は――
『未来の前に、まず次の一勝。』
甲子園優勝。
千鶴へのプロポーズ。
高校卒業。
そしてプロ野球。
そのどれも、まだ未来の話です。
だからまずは目の前の準々決勝。
私立東央学園との一戦。
人生の大きな秘密を一つ自分の口で伝えた肇は、今度は再び野球部のエースとして、甲子園へ続く次の一勝を目指します。




